#012 ロー&オーダーズ

――戦いは機先をもって制するべし。


 高名な軍師が残した戦訓は時や場所を超えて、いかなる場面においても有用である。

 ぼくは事の次第を放課後のHRでクラス全員に伝えると約束し、自分の席に戻った。

 ほどなく始業のチャイムが鳴り、担当講師が教室に入ってくる。

 多くの級友たちが疑心暗鬼に包まれた中、静かに授業が始まった。


 ◇◇◇


 最初の授業が終わり、次のカリキュラムまでの短い休憩時間。

 ぼくが腰を下ろしている机にひとりの人物が近づいてきた。


「ちょっといいかな? 東堂くん」


 やってきたのは学級委員長である山口さん。

 邪魔にならないよう前髪をヘアピンで横に分けた、大きな瞳が印象的な女の子だ。

 彼女が我がクラスのリーダーを務めている理由は学業的な優秀さもさることながら、その明るい性格によるところがとても大きい。普段はスクールカーストの低層で目立たないようにじっと息を潜めている自分のような存在にも気さくに声をかけてくれる変わりも……心優しい人物である。そうしたこともあって男女問わずにとても人気があった。


「今朝の話だけど、もうちょっと詳しく聞かせてもらってもいい?」


――本当に来た!


 内心の焦りを口にはおくびにも出さないよう注意しながら相手の質問に答えていく。

 確かにぼくは『説明は放課後のHRで行う』と予告した。ただし、その前に個別の対応を受け付けないとは言わなかった。つまり、前もって知りたい人がいれば時を待たず、こうして直に問い合わせればいいのだ。

 おそらく彼女は学級委員長として、文化祭における自分のクラスの出し物を心のどこかで案じていたのだろう。やりたい人が率先してやりたいことをするというのがよくあるパターンだが、いざやってみるとどうにも上手く行かないのもよくある話だ。

 松阪くんを中心とした『おもいっきりステーキ』の企画も当初の勢いとは裏腹に雲行きが怪しくなってきているのは、もはやクラスの半数以上がなんとなく察している。

 だからこそ山口さんはこうして自らぼくのもとを訪れ、別の可能性を考慮に入れておこうと行動してくれたのだ。


「もちろんだよ。疑問に感じたことは何でも聞いてほしい。これはクラス全体の問題だからね」


 焦って早口にならないよう、努めてゆっくりとした口調で応じる。

 大切なのは、自分が何かを伝えることではない。彼女が何を知りたがっているのかだ。


「生徒会との合同企画ってどういう意味? もしかして、わたしたちが副会長さんのお手伝いをするの?」


 さすがは学年でも指折りの才女である。

 言われずともある程度、物事を最初から予想し、問いかけてきた。 

 それから、ぼくは短く要約した生徒会との合同企画を説明していく。

 ここで重要なのは、”すでに副会長の協力は取り付けてある”という点だ。

 ぼく自身にはいくら言葉を工夫しようともクラスメイトの考えを改めさせるほどの説得力はない。教室内部での普段の立ち位置と存在感からそれは明らかだ。

 なので、影響力を持った人物の名前を借りる。美人で有能と名高い副会長ならば、万人に受け入れてもらえる素地は十分だった。

 もっとも、こうした策略を自分がひとりで思いついたわけではない。

 すべては先輩の入れ知恵だ……。


 ◇◇◇


「本当にどうにもならないのですか?」


 冷たくあしらうような副会長の言葉についうわずった声で訊き返した。

 諦めろ、と言われてそれが容易に叶うなら、何もここまジタバタともがいたりはしないのだ。ぼくがこうして奮闘の日々を繰り返している間にも脳天気なクラスメイトたちは次から次に珍妙なアイディアを思いついては、申請書の余白に箇条書きでやりたいことを書き加えている。もはやそれは計画書の体をなしていなかった。

 あんなことが出来たらいいな、という単なる自分たちの夢物語である。


「まず、大前提を教えてあげるわ……。落ち着いてよく聞きなさい」


 いまにも倒れてしまいそうなこちらの様子に、先輩が心なしかやさしく呼びかけてくれた。きっとぼくの顔色はとんでもなくすぐれなかったのだろう。それでも立ち続けていたのは副会長の続く言葉を待っていたからだ。


「前提……ですか?」

「そう、学校の文化祭という行事に求められいるもの。それは、まだ未成熟な学生が現時点で成し得る最低限の事柄を監督者の指導の下、安全に行うという催し物よ」

「…………はあ」


 せっかく教えてもらっても何が何やら。

 伝えられた言葉の意味を半分も理解できず、ただ小さく相槌を打つしかなかった。


「ここで大切なことは【最低限】と【安全】に文化祭が行われるということなの。もちろん、世の中には様々な考えを持った学校があるから、いま言ったことがすべてに適用されるわけではないわ。あくまでもわが校に関してはそうした考えで臨んでいるということよ」

「そうなんですか……」

「だからこそ、実行委員会と生徒会はまず各クラスや様々な部活から挙げられた企画書に安全性の観点から徹底的な監修を行うの。万が一にも事故が起きて、生徒や外部からの招待者に危害が及ばないようにね。何かあれば即、学校側の管理体制の不備を追求されてしまうからよ」


――ん?


 いまようやく何かがわかりかけたぞ。

 つまりは昨今のコンプライアンス重視の風潮を受け、学校側としても決して管轄する教育委員会等、上部組織から責任を問われるような事態だけはなんとしても避けたいということか!


――うん、まあね……。

 

 教頭先生と話したときの【安全】に対する並々ならぬ関心は、聞いた自分が驚くレベルだった。なるほど、ようするに責任の所在がどこに行き着くのかという問題か……。


「でもそれなら……」

「なに?」


 ぼくがつぶやいた小さな疑問符に耳聡みみさとく反応を示した副会長。彼女に向かい、心の中で思い浮かんだ不自然な現実を率直に問いかける。


「どうして担任の先生や学校側がもっとしっかり管理しようとしないんですか? 現在はあくまでも生徒の中から有志を募って作られた文化祭実行員会を中心とした生徒主導の体制ですよね」


 実行委員として本格的に活動してきたからこそ、肌感覚でこのお祭りの雰囲気程度は知っているつもりだ。計画、推進、準備と多くの段階で生徒たちを管理、運営、指導しているのは間違いなく文化祭実行委員会とそれ強力にサポートする生徒会執行部である。担任の先生たちなど、ほとんど見て見ぬふりを決め込んでいた。せいぜいが文化系部活動の顧問をしている一部教員が各部の部長さんから展示の相談を引き受けているくらいなものだ。


「それはね、教師が矢面やおもてに立って全面的に仕切ろうとすれば、今度は行き過ぎた管理教育とのそしりを受けるからよ」


 全く意味がわからない……。

 管理したいのか放置したいのかどっちなんだ。


「あとは二学期のこの季節だと先生方は期末考査の下準備や、次年度のクラス編成の基準となる成績表の作成といった諸々の事務作業に忙殺されてしまうの。だから、文化祭のような遊び半分の学校行儀については、せいぜい怪我がないように気をつけながら生徒だけでやってほしい。という辺りが本音でしょうね」


 いよいよ、ぶっちゃけてきたな。

 まあ教職員たちの切なる事情というやつは理解できた。ではなぜ、生徒の一員である実行委員会が学校側の意を汲んで徹底した管理主義を採っているのかだ。


「でも、教師でもない実行委員会がこうまで安全性にこだわる理由はあるのでしょうか?」


 個人的に自身をさいなんでいるもう片方の存在。頭が硬い文化祭実行委員会のかたくなさについつい愚痴をこぼす。


「事故なく安全に文化祭を運営できれば内申点が伸びるからよ」

「…………ああ、そういうわけか」


 最後に聞かされた答えは、ぼくが感じていたすべての理不尽さをただ一言で理解させてしまった。結局のところ、生徒たちの自主的なお祭りというのは単なるお題目に過ぎない。実際は学校側の意を汲んだ一部生徒が教員に変わって徹底した管理体制を敷きながら、つつがなく日程をこなしていくのが我が校の文化祭というわけだ……。

 わかってしまえば、うちのクラスの出し物が絶対に許可してもらえない事情も容易に推理できた。これまでに誰もやったことがない目新しいだけで奇抜な出し物など、決して許してもらえるわけがないのだ。

 ぼくらに可能なのは、これまでに幾度となく繰り返されてきたありきたりのよくある企画の中から自分たちでもできそうな案をチョイスするだけ……。


「だからといって、そんなに悲観することもないわよ」


 ぼくをなだめようとしているのか一転、ほがらかな口調で先輩は語りかけてくる。


「どうしてですか?」

「確かに何か新しいことをしようと考えても、いまの体制では絶対に許してもらえない。でも、変わったことをしたがる人間のほとんど大部分は後先を考えない思いつきだけで行動する粗忽そこつ者だわ。本当に自分の力を試したいのなら個人で活躍できるステージを選ぶか、もっと自由度が高い大学生になってから存分に力を奮えばいいのよ。たかだか高校の文化祭程度で【伝説】を作ろうとしているなんて、志が小さいわ……」


 見事にバッサリである。

 そのたかが高校の文化祭で『ステーキハウス』をやろうとしている我がクラスの振る舞いなど、彼女にしてみれば結構な度合いで噴飯ものだろう。

 さらにはそうした事態に気づきもせず、無意味にあたふたとしている自分の姿は面白いを通り越し、みっともない道化である。さりとて、いまのままではクラスがバラバラになってしまうのは遠くない未来だ。では、どうしよう……。

 途方に暮れて顔をうなだれていると、視界に一枚の白い用紙が差し込まれてきた。

 驚いて視線を上げる。見れば、麗しの副会長がいつの間にか用意したとおぼしき、何かの企画書を手にしてこちら側へ差し向けていた。


「これは?」


 わけがわからずに尋ね返す。


「あなたを守るためにわたしが用意した救済策よ。これをクラスに持ち帰って企画を変更するよう、みなに訴えなさい。もちろん、どうやればいいのかもこれから教えてあげるわ……」


 そう語った先輩の姿は、まるで天界より遣わされた赦しの女神のように美しく光り輝いていた。

 冷静に思い返すと、パートナーをあの手この手で精神的支配下に置き、自己への従属的依存度を高めて離れられないようにするDVカップルのような構図だが、今回に限ってそのようなことはないのだと強く彼女を信じたい。

 信じていいのですよね? 副会長……。

 なお若干の警戒心を残しつつ、渡された書類を両手に持ってその内容をつぶさに読み込んでいく。


「……つまるところ、これはボランティアの名前を借りた特定クラスへの優遇措置ですか?」


 ぼくの所見に副会長はほんのわずか相好を崩した。


 ◇◇◇


「ふーん……。そういう取り組みがあったのね」


 こちらの説明を聞き終わった山口さんが感心したように一言つぶやいた。


「もちろん、これは個人として協力を申し入れることが可能だよ。その場合は直接に生徒会関係者へ声をかけても問題ない」

「でも、東堂くんはクラス全体として参加したいのでしょ?」

「まあね……。そうしたほうがみんなのためになると副会長は言ってくれたよ」


 あくまで生徒会側の主導であることを暗に匂わせる。その方が相手の心証に対して、より効果的だという算段だ。無論、これらは副会長より直に授けられた肝いりの人心掌握術であった。

 よくもまあ、何から何まで人を陥れることに長けているものだ……。


「先に話を聞いておいて良かったわ。他の子にもわたしからそれとなく伝えておくわね」

「あ、ありがとう。そうしてくれると助かるよ」


 意外なくらいの好印象にこちらがついとまどってしまう。

 やはり、女性の立場で見ても、あの先輩の容姿というのは強い憧れを喚起かんきするのだろうか。


「それにしてもすごいね、東堂くん。あの副会長さんから直接、わたしたちのために提案してもらえるなんて。やっぱり、すごく優しい人なのかな?」

「意外とくだけた性格の人だよ……」


 彼女がひとつ上の先輩に対し、どのような理想を抱いているのかは自由である。

 そうした憧憬どうけいに無粋な横入れを加えるのも正直、忍びない。かと言って、有りもしない幻想をさも見てきたように語れるほど、ぼくの神経は図太く構成されてはいなかった。

 なので曖昧あいまいに言葉を選んで真実をぼやかす。『個人の感想』という言い方は伝えたくない真実をうまく覆い隠すための便利な小道具なのだ。

 かくして副会長より指示された【情報工作】の第一段階は、なんとか無事にミッションを遂行できた。この始まりの一歩が何よりも大切なのである。

 時間をぼくらの味方として最大限、利用するために……。

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