EPISODE #03 十二人の怒れるクラスメイト

#011 学級法廷

 ぼくが絶望の宣告を受けてから、二日が過ぎた。

 いまは朝のHRを利用して、わがクラスの文化祭における出し物を検討する企画会議を開催している。


 などと仰々しく物申しているが、実際はクラスの実行委員である自分が委員会で受けた数々の問題点を報告するだけのものだ。もっとも、あちらではクラスの意向を訴える代表であるのに、こちらでは委員会より突きつけられた改善要求を唯々諾々いいだくだくと伝える敵の走狗扱いである。正直、やっていられない……。


「つまり、おれたちがやろうとしていることは全部、却下ということか?」


 副会長から指摘されたいくつもの懸案事項を列挙すると、堪えきらなくなった様子でクラスメイトのひとりが声を上げた。家が精肉の仲卸を営んでいる松阪くんである。彼は社長である父親の許しを取り付け、自ら素材の提供を申し出ていた。

 騒動の中心人物であるが、純粋に文化祭への情熱を持って企画に取り組んでいる。決して悪い人ではない。


「さっきも説明したように飲食店を出し物とする場合、さまざまな規制がかけられる。特に今回のような生鮮食品の調理に火を使うようなケースではそれが顕著だ。条例に従えば、事故防止のための火災報知器の設置に避難路を確保するための誘導灯。さらに火元の近くには消火器を置いておく必要がある」

「そんなもの学校にはちゃんと設置されているだろ。必要なら、消火器を廊下から持ってくればいいだけじゃないのか?」


 ぼくが口に出した再度の説明に一部の人間が声を荒げながら抗弁した。

 最初は黙って聞いているだけだったのが、二度目の説明となれば言い返すだけの余裕が生まれてくるらしい。

 彼らは松阪くんの取り巻きで、いわゆる企画の中心メンバーである。クラスの中でも人気の高い人たちで良くも悪くもお祭り騒ぎが大好きな連中であった。その中でも一番、悪知恵……頭の回転が早そうな岡本という人物がよく日に焼けた顔をこちらに向けながら、なおも教卓のうしろに立つ自分へ舌鋒ぜっぽう鋭く迫ってくる。


「その程度のこともわからないで相手の言うことを鵜呑みしてきたのかよ?」


 突きつけられた挑発にぼくは大して慌てもせず、努めて冷静さを堅持した。

 これまで他者との言い争いに発展すると、ついつい挙動不審に陥っては自滅の道を歩んでいくのが常である。しかし、副会長と日々のやり取りを重ねるうち、自分でも驚くほどディベートにおける経験値が深まっていたのだろう。声の調子を整えて、岡本の意見に返答していく。


「それは学校全体を対象にしたシステムだ。もちろん個別の事案に対応することもできるだろうけど、自分たちの都合で利用するのが正しいかどうか、よく考えるべきだろう。さらに問題点は他にもある。生鮮食料品を取り扱う場合、食材を適切な温度で保存可能な設備が必要となる。要は冷蔵庫だ。そんなもの教室のどこにあるんだ?」


 問題はむしろこちらの方だった。

 正直、模擬店を開催するクラスは他にもいくつかある。

 主に喫茶店形式の簡単なお茶とデザート類を提供するケースだが、ひとつだけ『カレー店』を準備している組があった。火を使わずにどうするのかと不思議に思っていたが、先輩から企画申請書を見せてもらって疑問は氷解した。


 前日にカレーの仕込みは実験棟にある調理実習室で済ませ、そのまま準備室に設置されている業務用大型冷蔵庫で保管する。次の日の朝にルーを加えて煮込み、当日の調理品として完成させるのだ。これによって、日をまたいでの常温保存による食中毒等の事故をあらかじめ防ぐようにしている。

 文化祭当日は火を使わないIH式のコンロでカレーを常時加熱し、食材を保存する。ライスの方はどうするのかと思っていたが、こちらはもっとシンプルだった。レンジ加熱式のパック入りご飯を注文に応じて温めることで対応している。そのために備品庫から三台の電子レンジを借り受け、隣の空き教室を臨時の調理室として利用するというのだ。


 完璧だ。完璧である。

 自分と同じ一年生でこれほどまでに洗練された企画を立ち上げた人物がいた。その衝撃に最初、軽くショックを受ける。

 それに比べて、うちのクラスの惨憺さんたんたること……。


「でも、東堂。それくらい保冷剤を詰め込んだクーラーバックで代用できるだろ。たった一日の間だぞ」


 岡本はなおもぼくへの糾弾姿勢を崩そうとはしない。詰問口調で自らの考えを堂々と口にする。その声に同調し、別の場所からも異論を差し挟むような発言が同時多発的に聞こえてきた。


「そうだよ。ちょっと細かすぎるんじゃない、東堂くん? たかだか学校の文化祭でやる出し物だよ。それに面倒くさい法律がどうのこうの……」

「もしかして、単にわたしたちのやることを邪魔したいだけじゃないの?」

「なんだか近頃はクラスの企画を無視して、生徒会に協力しているって噂もあるし……」


 露骨に敵意をむき出しとしているのは、岡本と仲がいい女子のグループだった。彼女たちは楽しそうに放課後、半ばだべりながら企画の中身をあれこれと話しているのを知っていた。

 聞いた話では、「欲しいものがあるから松阪の手伝いをしてお小遣いをもらおう」などと発言を残しているみたいだが……。

 無論、文化祭の売上は一部の例外なく、実行委員会が集計をして学校側に納金する。出納すいとう課は文化祭に要した費用と勘定を相殺し、決して利益が計上されないよう処理をするのだ。

 ここで各店舗の売上金と伝票の一部を中抜きすれば、立派な【横領罪】となる。

 そこまで馬鹿であるとは思いたくないが、実際にはどれだけの売上があったかどうか到底、把握しきれるものではない。手書きやコピー紙を使ったもぎりのチケット形式では複数のチェックを咬ますことが出来ないからである。最悪、売上伝票代わりのチケットを捨てられてしまえば証拠は何も残らない。


「どうなんだよ、東堂。お前が実行員会であれこれ言われるのがいやで、おれたちに無理難題をふっかけているんじゃないのかよ?」


 疑心に悪意を滲ませような岡本の声。

 そこまで言われてしまえば、こちらとしても真正面から応じるしかない。

 あらぬ疑いをかけられ、指弾されるのであれば明らかな濡れ衣だからだ。


「それじゃあ、委員会側が最も心配していた件について言及しよう。未加工の肉や魚と言った生物なまものを直接、扱う場合には防疫保護の観点から一定の基準値をクリアした上水道施設の完備が求められる。平たく言えば『水道と流し』だ。理由は細菌汚染による食中毒を起こさないため。当然だろう? たかが文化祭の出し物と言っても来てくれた人たちを病気で苦しめることがあっては大問題だ。君たちが作成した企画申請書には【安全性】という項目がまるで配慮されていない。それこそ、うちのクラスの出し物が委員会からいつまで経っても承認されない最大の理由だよ」


 片手で企画申請書を見せつけるように持ちながら一息で畳み掛けていく。

 数多あまたの朱が入れられた用紙は計画性の不備を赤裸々に表していた。

 実際、ぼくらの組の出し物は実行委員会の役職持ちの方々から実現性に乏しく、安全性に欠け、現実的な視点からの配慮が著しく損なわれていると問題視されている状況なのだ。なのに昨日、渡された改訂版のメニュー表を見ると、そこに『グラスワイン赤・白』という新たな項目が書き加えられていた。


「これは一体、なんだ?」


 いぶかしむ自分に向かい、得意げな様子で「父親の知り合いの業者から格安なルートを教えてもらった。大手ファミレスもびっくりの提供価格だぞ」とうそぶいてみせた松阪くん。

 驚いたのは大手ファミレスだけではなく、ぼくも同様だ。

 発想の自由さと大胆さには正直、呆れるより感心してしまう。きっと経営的には彼の判断が正しいのだろう。場所や時間を選ばずに売上を伸ばすにはアルコールを取り扱うことだとテレビのニュース番組で見た記憶があるからだ。

 ただし、ここが公教育を施す場所であるという大前提がなければの話。


 以上のような『斬新なアイディア』と言う名の思いつきが加えられていくたび、現場と上層部の乖離かいりは際限なく広がっていく。


「悪いけど、酒類の提供には最寄りの警察署へ届け出る必要があるんだ。主に違法な仕入を防止する目的でね。未成年者が多くいる場所でアルコール販売を行うことが相手側に迷惑をかけないかどうか一考してくれないかな?」


 やんわりとしたぼくの指摘に松坂くんは一瞬、虚空に目を泳がせ、ハッと何かに気づいた感じでこちらに視線を戻した。


「これはさすがに駄目だな……」


 我に返った様子で照れた笑いを浮かべる。繰り返すが、彼は悪いやつではない。ただ、ちょっと調子に乗りすぎるだけなのだ。困るのはいまぼくに対し、まるで邪魔者扱いをしてくる一部の人たちである。


「だったら、東堂……」


 こちらの説明に肩を震わせながら何事か訴えようとしている岡本。

 きっと論理的に主張することが何も見つからなかったのだろう。


「お前に何かいいアイディアがあるのかよ?」


 人は自らやろうとしているはかりごとに他者から掣肘せいちゅうを加えられると、主にふたつの行動を取る。

 周囲の同情を惹くことと、責任を誰かに押し付けることだ。

 だからこそ、声高らかに語るのである。文句があるなら、”対案を示せ”と。


――よろしい。ならば方法はあるのだ。


 少し前の自分なら、こうして責められた場合には何も言えずにただ押し黙っているだけだったろう。

 望みもしない実行委員という仕事を否応なしに押し付けられ、本人が記入したわけでもない申請書のあら探しを受ける日々。様々な注意書きをクラスに持ち帰れば、なぜ言われっぱなしのままで戻ってきたのかと、今度は事情を知らないクラスメイトがケチを付けてくる。

 

――冗談ではない! だったら自分たちで直接、実行委員会に出向き、やりたいことを情熱のおもむくまま強く主張すればよいのだ。


 という感じで声にならない鬱屈うっくつした思いを抱え込んでいた。

 つまりは、ぼく自身がここに至って、なお部外者を気取っていたのだ。だから、助けを求めた副会長に一度は冷たく突き放された。

 勢い任せで殴り書きしたような『おもいっきりステーキ』の企画申請書に、ぼくがどうしたいのかという気持ちが一行も書き加えられていなかったからだ。


「提案がある。このままではクラスの出し物はいつまでも進められず、間もなく時間切れとなるのは火を見るよりも明らかだ。だったら、ここは生徒会と合同での出店企画に切り替えたい。ぼくの案をどうかクラス全員で検討してみてほしい……」


 岡本に煽られた体裁でぼくは副会長から授けられたひとつの案を提示した。

 生徒会が文化祭当日に予定している、とある出店計画にうちのクラスが相乗りする格好だ。まあ実態は臨時のお手伝いとして、クラスまるごと生徒会に協力するだけのことである。しかし、本番までの残り時間を考えれば、いまぼくらに選択可能な演題は決して多くない。それこそ本当につまらない郷土文化史の発表でお茶を濁すくらいだ……。


「……いきなりそんなことを言われてもよくわからない。もう少し詳しく説明してくれ」


 沈黙に包まれていた教室で不意に声を上げたのは、最初に発言したきり何も語らなくなっていた松阪くんである。ぼくと岡本の言い争いを聞いていくうち、彼も自分たちが現在、置かれている状況に薄々、気づき始めていたのだろう。振り絞るような細い声が心の動揺を現していた。

 そうした、ひとりひとりの気持ちの変動がさざ波のように伝播して、みながぼくの返答を固唾かたずを飲んで待っている。


「もちろんだ。ただし、いまはもう時間がない。詳しい内容は夕方のHRで説明するから、それまで待っていてほしい。ぼくの話を聞いて文化祭の企画を変更するかどうか、クラス全体の意見として決議を取りたい。それでいいかな、委員長?」


 授業開始まではもう間もなくというタイミングであり、それ以上の質疑は午後の時間に回すこととした。最後に意見の取りまとめを後方の席についていたクラスの学級委員長に求める。優等生として名の知れた山口さんはこちらの声に大きくうなづく。彼女としても一部の人間が暴走気味に推し進めている文化祭の企画には、内心で疑念と焦燥が渦巻いていたのだろう。

 こうして、いまだ憮然とした表情でいきどおりを隠そうともしない約十二名のクラスメイトを相手に、ぼくの長い長い一日がこれから始まろうとしていた。

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