#010 観測者の郷愁

 副会長のつぶやきに頭の中の歯車がようやくひとつに噛み合った。


――ああ……。


 そして、なぜあの風景画がいびつな構図で描かれているのか、真の意味を理解する。最初に感じた、まるでレンズを通したような印象はまさに古い時代の望遠鏡を覗いたときのものだ。

 科学雑誌に載せられていた、初期の望遠鏡で見た景色という記事とあの絵の記憶が符牒する。画像が反転しないのはガリレオ式であるからか。


「奈津野さんが思い描いた光景は、彼女が望遠鏡を通して見た学校の景色なのですね?」


 問いかけに副会長が小さくうなづいた。ここまではどうにか正解か……。

 だが、疑問はまだ残る。


「でも、どうしてそんな構図を使ったのでしょうか? ぼくは単純に面白いと感じましたが」

「そうね……。きっと入学して半年の東堂くんにはまだわからない。一年間、通い続けた場所にもう二度と足を踏み入れられない切なさが」

「……?」

「不思議なものよ。窮屈きゅうくつなだけの日常が絶え間なく繰り返されていく退屈な日々。でも、一年という歳月をここで過ごすと、自分の居場所がいつの間にか生まれてくるの。お気に入りの空間だったり、クラスメイトとの友情関係やクラブでの上下関係。自分という人間が常に存在しているのが当たり前だと周囲から認知されている場所。それが学校なの」


 おごそかに語る先輩の声はわずか一歳という年齢差にも関わらず、とても大人びて聞こえた。彼女はぼくがまだ知らない学園生活の楽しさや苦しみを一年という時間をかけて体験しているのだ。きっと自分とは違い、濃密で充実した毎日だったのだろう。


「だから奈津野さんがこの構図を選んだと?」

「あの絵はどこか遠方から望遠鏡を使って校舎を覗き込んでいるという設定よ。前にあの角度からどこに繋がるのかを確かめてみたわ。グラウンドを渡った南側の校門。そこから見た景色と一致したの。きっとそれは彼女が一年間、毎日のように眺めていた思い出の光景なんだわ」

「す、すごいですね。わざわざ確認するなんて……」


 副会長の執念にも似た探索に若干、引いた。

 何が彼女をそこまで駆り立てているのか……。


「手が届かない遥かな星空に想いを寄せ、手作りの望遠鏡で規則正しく巡る星たちを観測し続けたガリレオ。この絵の作者も同じように、遠くから眺めるしかない学校で同じように毎日を過ごす生徒たちを観察しているのよ。それを理解した瞬間、頭の中で一学期に学校を辞めた同級生の存在が思い浮かんだわ。あまりに唐突な話だったから、みな理由が見つけられずに困惑していたの」


 そうか、先輩は奈津野さんと同級生なわけだから、もちろん彼女が退学したことは知っていたわけか。


「だから、わたしはこの絵を誰が描いたのか、すぐに想像がついたわ。彼女が美術部に所属していたことは人づてに聞いていたから。しばらくして、天城君から書き直した絵を渡されたとき、予想は確信に変わったの」

「本にコペルニクスの著作を書き入れた後ですか……。部長さんは自分の気持ちを加えたと言っていましたが?」

「東堂くん、あなたは持って生まれた洞察力で作者の意図するものを鋭く読み解いたわ。でも、天城君はどうやって奈津野さんの作品に隠された構図の意味に気がついたと思う?」


 急に謎掛けを振られて一瞬、とまどう。

 確かに二人の作品を並べて考えてみれば、ガリレオが見た世界観を模写した奈津野さんの絵にコペルニクスの著作を合わせた部長さんはすごいと思う。

 彼女は犠牲者だよと、天城さんはぼくらの前で語ってみせた。

 それは、自らをガリレオになぞらえた悲しき観測者の心情と不思議なまでに符合する。


「奈津野さんの絵を見て、その真意を見抜き、連想的に本の題名を決めたとしたら……すごい観察力だと思います」

「そうね。これが偶然であるなら、とてもロマンチックな物語だと思うわ……」


 ぼくの答えに先輩は心なしか眉根を寄せ、キレイな表情を歪ませた。


「つまり副会長は、偶然なんかではないとお考えなんですね?」


 言おうとしていることは、なんとなく予測がついた。

 この世には奇跡に彩られた美しい物語など滅多にありえないのだと……。


「ひとつの可能性として、部員総出で屋上に行き風景のスケッチを始める。顧問の先生が急な呼び出しでその場を離れた。はしゃぐわけにはいかないけれど、絵筆を進める手を休め、各々がしばし談笑に興じる。その中で隣同士に座り、星の見えない空を見上げながら、男がしたり顔で歴史にまつわる物語を語り始めた。楽しそうに相槌を打つ女の子。二人はまるで恋人同士のようだった…………馬鹿じゃないの」


 また、何か物騒なことを言い出したぞ。

 感情が昂ぶると、考えるよりも先に頭の中に浮かんだ言葉を口にしてしまうのは、彼女の欠……特徴だ。だてに『茨の女王』と呼ばれているわけではない。


「失礼……言葉が過ぎたわね。とにかく、他人が聞いたら思わず虫唾むしずが走るようなやり取りが行われていた。そう考えるのが妥当だわ。つまり、奈津野さんの絵に描かれた屋上に見える人影は美術部全員に向けたメッセージ。対して、『地動説』にまつわる天文学者の隠喩いんゆはお互いだけに通じる秘密の暗号というわけね…………死ねばいいのに」


 反省した様子など微塵みじんも感じさせない暴言。

 そ、そんなにお嫌いですかね? リア充共が……。

 加速していく先輩の情緒不安に思わず身構えてしまった。


「……とは言え、生徒の要望には真摯に向き合うのが生徒会役員としての責務よ。たとえそれが極めて個人的な事情であったとしても……。ありがとう、東堂くん。おかげで助かったわ。わたしが自分ひとりで問題を解決しようとしていたら、きっとどこかでつまづいていた。わたしは、その……あまり可愛い性格ではないから」


 副会長の述懐に耳を傾けながら、障害なのは【性格】ではなく、感情のコントロールではないかと思ったりした。ただし、口には出さずに胸のうちでつぶやくだけ。


「そんな……。ぼくでお役に立てたなら幸いです。何より、これは自分自身のためなのですから」


 そうなのだ。ぼくがこれほど懸命になって生徒会への協力を続けているのにはれっきとした理由がある。

 わがクラスで予定している模擬店、『おもいっきりステーキ』。

 この頭のネジが二、三本まとめて外れているような企画をどうにか生徒会から許可してもらわなければ、クラスにおいてすでに半ば失いかけている居場所が完全に消えてしまうのである。


「ご苦労さま。わたしはこれから外部の印刷業者さんと発注の打ち合わせをするから、今日はもう帰っていいわよ。また次の実行委員会の会合まで時間があるから、何か用事があれば生徒会のグループメッセージから連絡するわね」


 さわやかに言い残し、ぼくを置いてふたたび歩き出した副会長。

 こちらはいつの間に誘われたのか、まるで覚えがなく慌てて自分の携帯を取り出した。確かに入っている。文化祭実行員会でグループ登録した後、何かの拍子で生徒会のグループにも参加していたのか。自分宛か、連絡事項以外は既読さえ返さない非コミュ的振る舞いが災いした。と言うか、これでは完全に生徒会の一員である。まあ、ぼくに向かってつぶやいているのは先輩だけだけど……。


 顔を上げた時、もう副会長の姿はどこにも見当たらなかった。

 きっと生徒会準備室に帰っていったのだろう。

 人を散々に引っ張っておいて、用件が終わればこのぞんざいな扱いである。

 しかたがない、ようやく自由になれたのだ。こちらも早々に学校を退散するとしようか……。


――いや、待てよ。


 よく考えると、これではタダ働きである。

 副会長は丁寧にお礼を述べてくれたが、それではぼくの目的は達成できない。

 カバンを置いてある自分のクラスへ進む足を止め、先輩がいるはずの生徒会準備室に再度、向かっていった。


 ◇◇◇


「失礼します……」


 閉ざされていたドアを軽く叩き、中からの返事を待って扉を開く。

 見えた視界には思ったとおり、いつもの席でいつものように美しい横顔を称えている副会長がそこにいた。


「あら、どうしたの?」


 ぼくの顔を見て、心なしか嬉しそうな表情で声を上げた。

 ただの思い違いとあると強く頭で自戒する。


「副会長に訊きたいことがあって戻ってきました」

「そう……。見目麗しい先輩が人知れずに洩らした意外な一面を目の当たりにして、湧き上がる感情を抑えきれず勢いに任せて思いを告げに来たのかと思ったわ」


 どうして先輩に対するぼくの憧れは一部の例外もなく、つねに恋心であるのか、これがわからない……。あるいはこれが恋愛脳というやつか?

 まあいい。あまり真剣にとらえては相手の思う壺だ。

 冷静に聞き流して、自分の要求を伝えよう。


「うちのクラスの出し物についてです。一体、どうすれば許可がいただけるのですか?」

「……え? ちょっと待ってね」


 明らかにいまのいままで頭の中から失念していたに相違ない。

 おもむろに机の上に置かれたていた青いファイリングを手に取り、慌ただしく中身を閲覧していく。表紙には黒マジックで『清白祭クラス別企画書要覧』という文字が記されていた。中を開いて、つづられている紙の中から目的の一枚を選び出す。


「ああ、これか……。『ドクターペッパーランチ』、おかしな店名ね?」


 ひとつ単語を加えただけで、なんだかとてもおいしくなさそうだ。

 それ以上に、なぜこんなふざけた名前で登録しているのか。

 企画書を書いた人物に激しく問い詰めたい。


「ん?……これは、違うわね。空想科学部の企画申請書だわ。間違ってこちらに混ざっていたのね……」

「空想科学部なんてあったんですね?」


 真面目なのかふざけているのか、よくわからないクラブ名である。

 そもそも何をする部活なのか想像がつかない。


「部員の定数割れを起こした科学部が映像研究会を吸収して名前を変えたのよ。理科室のロールスクリーンと大型プロジェクターを自由に使う条件で。今回の企画はドクターペッパーの空ボトルでペットボトルロケットを打ち上げるという内容よ。こういう体験型のイベントは来場者の反応もいいから許可したの。安全性もさすが科学部の人たちだけあって十分に配慮されていたわ」


 なるほど、クラブ活動における統廃合の過程で生まれたわけか。

 それに『ランチ』は、お昼ご飯のことではなくペットボトルを小型舟艇に見立てた呼称か……。

 しかし、ドクペに二リットルの大容量版が存在していたとは初めて知った。


「あったわ。『おもいっきりステーキ』……。企画は教室内を店舗改装して、生鮮食料品をその場で注文調理し、来店者に提供する模擬店形式の内容……」


 中身を読み上げていく先輩の声が先へ進むたび、次第に曇っていく気配がありありとうかがえた。

 まあ、正気の沙汰と思えないのは自分も同様なので気持ちはよくわかる。


「……ぐ、具体的な修正点などをご教示いただけければ、とてもありがたいのですが」


 すがる思いで要望を告げた。

 だが、我がクラスの企画書に視線を落としている美しき副会長のご尊顔は、まばたきひとつ見せずに申請の中身をひたすら吟味ぎんみしている。


「………そうね。大体のところは理解できたわ」


 顔を上げ、ファイルを静かに閉じる。

 その眼がふたたび自分に向けられた。


「ど、どうですか?」

「率直に言うわ。校舎内で火気を使用した危険な行いを許可することは絶対にないわね。この計画は早めに諦めてしまったほうがあなたのためよ」


 悲しいほど冷淡に『茨の女王』は断言した。

 絶望で目の前が急に暗くなる。

 一縷いちるの希望を賭けたぼくの努力は、むなしくも徒労に終わったのだ。


 EPISODE #02 END

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