#009 背信者たちの陰謀

「あの絵を描いたのが奈津野さんであることを確信したぼくは、自分の作品に細工を施して結果を誘導しようと試みた。教頭先生の美術的な趣向から、自分の作品が候補から外れれば、次点は彼女の絵であるのが間違いなそうだったからね。だが……」

「教頭先生は部長さんの作品を第一位に選んだのですね」

「残念ながら。だから、石神さんに内密で相談を持ちかけたのさ」


 そして、事情を知った副会長が事情をまるで知らないぼくを職員室まで連れて行ったということか。いくらなんでも無謀に過ぎる……。


「副会長。どうして、ぼくには何も教えてくれなかったのですか?」


 自分の隣で澄まし顔を作っている先輩に追求の目を向ける。

 とにもかくにもやり方が強引すぎるのだ。結果オーライとするにしても、事前に情報の共有くらいはしてもらいたかった。


「わたしは東堂くんの素直な感性に賭けたの。下手な小細工はやるだけ無駄よ。相手は百戦錬磨の教育者。つまらない計略で相手を陥れようとするよりは、思いの丈を本音でぶつけ合うほうがよっぽどマシだと判断したの。事実、あなたは自分の言葉で教頭先生をお考えを変えさせたじゃない」


 なぜか我が事のことのように晴れがましく成果をたたえる。

 だが、ぼくの心はちっとも晴れなかった。


「もし、自分が教頭の説得に失敗したら一体、どうするつもりだったのですか?」


 なおも疑いの眼差しで相手をとらえる。

 その視線に彼女は思わせぶりな笑みを浮かべて、密やかに答えた。


「まあ、いざとなれば奈津野さんの名前を全面に出して翻意をうながすつもりだったわ。あの先生ならすべての生徒の情報を余すことなく知悉ちしつしているでしょうから、きっとわたしたちの要望に答えてくれたはずよ」


 悪びれもせずに自らの目論見もくろみを語ってみせる。

 確かに今回だって、最後にはトドメとばかりに副会長が奈津野さんの名前を使って先生を説き伏せたのだ。

 だれよりも生徒に詳しい教頭なら、身内の問題で学業を諦めざるを得なかった彼女の思いを必ず汲んでくれただろう。あの先生はそういう人だ……。


――ん? となると、ぼくはたとえ散々にやり込められたとしても、結論に大きな違いはないのか……。


 単なる露払いか、それとも自分に場数を踏ませて貴重な経験を積ませようとした副会長の親心なのか。よくわからない。


「あ! そう言えば、さっき『作品に細工を施した』とおっしゃっていましたが、もしかして本の題名タイトルですか?」


 頭の片隅に引っかかっていた事柄を急いで尋ねる。

 あの静止画を見る限り、それしか思い至らないからだ。


「まあ、そうだね。『地動説』を唱えることが権威への許されざる挑戦と受け止められていた息苦しい時代性を、自分たちの高校生活と重ね合わせて表現したつもりだったけど、残念ながらそこまでは理解してもらえなかった。どうやら迂遠に過ぎたみたいだね」


 天城さんが自嘲気味に自らの失敗を揶揄やゆしてみせる。

 確かに回りくどい表現であったというのは同感だが、相手がそれをまるで理解できなかったというのはどうだろうか。

 実際の評価者と直接に言葉を交わした、ぼくの印象は少し違うものだった。


 たくさんの生徒たちの声にならない叫びを受け続けた教頭先生。

 その結果、いつの間にか若者が怒りやあざけりといった感情を表に吐露とろするときは、つねに直情的で感傷的な言い方をするのだという思い込みを感じた。

 あの絵に描かれたような持って回った高尚な嫌味など、きっと悪口の範疇はんちゅうには入らなかったのだ。


――それを感性の劣化と指摘するのは酷だろうか。


 大人になるというのは、”嫌なことを忘れ、楽しいことだけを思い出す”と、だれかが語っていた。


「でも良かった。これで彼女の描いた絵が堂々と文化祭で展示される……」


 安堵した部長さんが息を吐き出すように小さくつぶやいた。

 

――そうか。美術部の展示が十八枚しかない理由は、【在校生】のみを対象としているからか。


 卒業生の作品を堂々と飾るわけにはいかない。学校の文化祭とは、あくまで在校生による文化活動の成果を発表する機会なのだ。在籍しない生徒の作品を紹介することは個人のプライバシーを侵害する恐れがある。

 ただし、今回のポスターコンクールは文化祭の周知拡散を目的としたオープンな募集内容だ。つまりはエントリーに資格を問わない。盗作や剽窃ひょうせつといった他者の表現物を許可なく模倣したものでない、オリジナルな内容であれば問題はなかった。


「だから、なんとしても部長さんはあの絵に賞を与えたかったのですね……」

「最初、石神さんに応募作の詳細を問い合わせた時、投稿者の氏名は【匿名】だと教えられた。でも、ぼくにはひと目見て誰が描いた作品かはすぐにわかったよ」


 え? そうなのか……。

 では、副会長がこの絵の作者を知り得たのは天城さんから教えられた後か。


「もちろん、筆のタッチでほぼ確信はしていた。だけど、さらにわかりやすい手法で美術部のメンバーには伝わるよう、彼女はモチーフを用意してくれたんだ。あの絵には一階から屋上まで、くまなく生徒の姿が描かれている。その中にメッセージが隠されていたんだ」

「あ……。教頭先生はそこに事実誤認があると問題視していました。なんでも屋上には生徒が立ち入れないので、すべての階層に人物が描かれているのは間違いだと」

「規律に厳しいあの方らしい意見だね。そうか……。彼女の絵が選ばれなかった原因はそこか」


 ぼくの声に初めて納得したような表情を見せる。

 やっぱり天城さんから見ても、あの解釈はいささか教条的にはやる内容なのか。教育者としてよりも責任者の心情が強くにじみ出た感想であると自分は評価していた。


「でも、実のところ屋上に出入りする生徒は少数ながら存在する。それが美術部なんだ」

「はい?」

「さすがにきみでも知らなかったようだね。美術部は風景デッサンの練習をするとき、顧問の先生の許可を得て屋上に行くんだ。もちろん、事故が起きないよう安全には気をつけている。指導教員の責任問題になるからね」

「……教頭先生が生徒の屋上への進入は禁止と言ったのは、単なる認識不足ですか?」


 食い違う両者の言い分に少しとまどう。

 まさか教員全体の監督官である教頭がその事実を知らないわけでないだろう。

 ひょっとすると、何か勘違いをしているのか?


「誤解でも間違いでもないわよ、東堂くん。教頭が言っているのは、生徒単独での立入りや授業での大多数を引率して屋上に上がる行為が禁止されているの。生徒の自主的な課外活動であるクラブでは、教員の適切な指導下であれば学校施設の利用はある程度、許容される。そういうことよ……」


 副会長が悩むぼくに微妙なラインの線引きを教えてくれた。ようするに大きく学校生活と言っても、生徒が自由に選べる課外活動にはあまりうるさく干渉は出来ないわけか……。一瞬、『責任逃れ』という単語が頭に思い浮かんだ。でも、ここは黙っておこう。人にはそれぞれ立場があるのだ。


「屋上に描かれた人影は片手に筆を握り、背景には小さくカンバスが見切れていた。他の人物ほどハッキリした描写がないためにわかりにくいが、彼らは校舎の屋上で絵を描いている。それは美術部員のみに許された特別な時間なのさ……」


 思い出を噛みしめるように天城さんはつぶやいた。

 もしかすると、彼と奈津野さんの間には特別な感情があったのかもしれない。

 などと、つまらぬ邪推じゃすいが頭をよぎる。


「だからぼくは自分の作品に手を加えて出し直した」

「……コンクールへの参加自体を取り下げるつもりはなかったのですか?」


 気になったことをつい考えもなしに訊いてしまった。

 口にした瞬間にはもう後悔している。答えは聞くまでもなく予想できていたからだ。


「そんなことをしたら奈津野さんはきっと悲しむ。だから、少しだけ自分の気持ちを絵筆に乗せたんだ……。ルールと成績でぼくらを束縛しておきながら、生徒の自由意思を言い訳に引き止める努力を学校は何もしなかった。彼女は犠牲者だよ。少なくとも、ぼくからはそう見えた」

「すいません、余計なことを聞きました……」


 これまでの態度とは全く違う、激しい情動の片鱗を見せた部長さん。

 その雰囲気に思わず圧倒されてしまった。


「すまない……。ちょっとだけ熱くなってしまったみたいだね。とにかく、きみたちのおかげでぼくの希望は叶った。あらためてお礼を言わせてもらうよ。ありがとう」


 姿勢を正して、こちらに向かい頭を下げる。

 突然の行為に、ぼくはあたふたと他の二人を交互に見やるだけだった。

 やがて顔を上げた天城さんに対し、副会長が穏やかな声で応える。


「わたしも奈津野さんのことは気になっていた。だからこの結果には満足しているわ。あの絵は出来る限りたくさんの人の目に触れるよう、こちらで手配をするから後のことは任せておいて。もし、彼女と連絡が取れるなら、わたしからもよろしくと伝えておいてちょうだい」

「そうだね、ぼくも楽しみにしておくよ」

「少し長居が過ぎたわね。そろそろ、おいとまするわ。頑張って文化祭の準備を進めていって。わたしたちはもう行きましょう、東堂くん……」


 あいさつを済ませた先輩がこちらを見て、退去をうながす。

 それを受けて、ぼくも部長さんに小さく会釈をした。


「東堂くん。よかったら文化祭当日は美術部にも遊びに来てくれ。ぼくが案内をしてあげよう」

「あ、ありがとうございます。時間があればぜひ、お邪魔します。それでは失礼しました、先輩!」


 できるだけ大きく返事をして、もう一度、頭を下げた。

 それから、すでに背中を向けて廊下を進んでいる副会長の後を追いかける。


――この問題に果たして自分はどこまで役に立ったのだろうか?


 考えてみるが、うまく答えが見つからない。

 結局、自分は始めから用意された台本を役割どおりに演じただけ。副会長のうしろを歩きながら釈然としない思いに囚われた。


「あれ? そう言えば、副会長はどこであの絵が奈津野さんのものだと知ったのですか。やっぱり、美術部の部長さんに教えてもらったとき?」


 画風で判断がついた天城さんとは違って、先輩はきっと奈津野さんの絵には詳しくないはずだ。しかも、投稿が匿名であったのなら作者を特定することは困難に違いない。


「確認が取れたのは天城くんから相談を受けたときよ。でも、最初に見た瞬間から、あの絵が奈津野さんのものだという予感はしていたわ」

「え……。それはどういう理由で……」


 いまさら相手の言動を疑うわけではないが、キチンとした理由を聞きたかった。

 油断すると自分が知らなかった花の名前をさも当然のように語る人である。

 嘘はつかないが、涼しい顔で人の手柄を我がものとする傾向が見え隠れするのだ。


「まだ気が付かないのは意外ね……」


 冷めた返事と同時に足を止め、こちらを振り返る。

 自分の目の前に、よく整った目鼻立ちの女性が立ちふさがった。

 そして、彼女は不意に両の手のひらを丸く握り、それを片目の前で重ねる。

 何かを覗き込むような仕草。意味するところは明確だった。


「望遠鏡……ですか?」


 つぶやいたぼくの声に両手を下ろして、一言。


「モチーフは雄弁よ。あの絵を見れば、描いた人間が何を言おうとしているのか一目瞭然だったわ」

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