#008 問題の多い美術部
美術部があるのは実験棟の三階だった。
部室を兼ねた美術教室が放課後は彼らの活動拠点となっている。
「そういえば、『奈津野さん』という人物について、副会長から話をうかがうよう教頭先生から言われました……」
ここに来る直前、ようやくいつもの冷静さを取り戻した先輩に職員室でのやり取りの一部を伝えた。
「その件は美術部に着いてから話してあげるわ。どうせ、ここの部長さんにも関係があるから」
部長?
部長というのは美術部のことなのだろうか。それに校舎の風景画を描いた『奈津野さん』がどう関わるのか……。先が読めない展開にとまどうばかりだった。
そして、副会長が美術室のドアを軽くノックしたあと、スライドドアを大きく開く。
「失礼するわ。生徒会だけど、部長の
中にいた人たちの視線が入り口に立つ副会長へと集中した。
その注目を意にも介さず、先輩は室内に目的の人物を探し求める。
豪胆と言うか、
「ここだよ、石神さん。副会長が直々になんの用件かな?」
部屋の片隅から声が上がり、ひとりの男子生徒が手を上げた。
教室の内部はまだ本番までいくらかの日を残しているにも関わらず、文化祭の作品展示会場としてかなり内装がいじってある。
壁際は大きな白いシーツで四方を囲まれ、さらに部屋の中央には、あるはずのない”
「視察を兼ねた応援よ。準備の方はどうかしら?」
「おかげで順調だよ。生徒会がこちらの計画を早い段階で承認してくれたからね。こうして大胆な展示方法を色々と模索できている」
「思いついて講師の先生に相談してみただけよ……。文化祭まではどのクラスも教室を使わない授業内容だからと、それまでは美術部が専有することを許可していただいたの」
壁際に展開されている作品の数を数えながら、ぼんやりと二人の会話を耳に止める。どうやら副会長の協力によって美術部はかなり早い段階から文化祭の準備に取り掛かれたらしい。だからこそ、このように趣向を凝らした展示方法を用意できたわけか。
実際、そっけなくイーゼルを並べてその上にカンバスを置いただけの配置と比べれば、現在のギャラリーは”絵を見て回る”楽しさに溢れていた。
視線の高さにまで作品が持ち上げられているので、じっくりと絵を鑑賞できる。
額縁に入れているわけでもなく、裸のまま壁にかけてあるのかと思ったら、そうではない。木製のフレームにフックを取り付け、そこに透明のテグスを通して上から吊り下げているのだ。さらには光度を上げるため、教室に元からある照明だけではなく、LED電灯を追加していた。
「天城くん。例の件で、あなたに報告しておくことがあるの」
「ああ……。それなら廊下で話を聞こうか」
ぼくが美術部員の作品に目を奪われている間にも二人の会話は進み、場所を変えようとしていた。急いで後を追いかけ、教室を出ていく。
◇◇◇
秋の柔らかな日差しが差し込む廊下の窓際。
そこに美術部の部長さんと
背の高い男子生徒は落ち着いた雰囲気を見るものに与え、隣に立つ髪の長い少女を物憂げな顔つきで見下ろしていた。
第三者的な視点でその光景を見ていると、絵になる構図だなと素直に思った。
年齢は自分とひとつ違うだけなのに美術部の部長さんからはやけに大人びた印象を否が応でも受けてしまう。
付き添いという立場を考えれば彼女のそばにいることがいまのぼくの使命である。それでもあの両者の空間に割って入ることをしばらく躊躇していた。
「……なんとかあなたの希望に沿える形で決着がついたわ」
「面倒をかけて申し訳なかったね。それにしても、どうやってあの教頭を説得できたのかな? 自分からお願いしておいてひどい話だが、心の中では半ば、あきらめていたんだ……。自分なりの美学を持った人間は、そう簡単に一度下した判断を変えたりしないからね」
「それは、わたしの力ではないわ」
てっきり会話が弾んでいるものと思っていた。しかし、教室から出てきたぼくの姿を見つけると、副会長は慌てたようにこちらを手招きする。
周りから見ると楽しそうだが、当の本人はこうした雰囲気が案外と苦手なのか?
とにかく、あせって先輩たちの方に近寄った。
「この子は一年の東堂くん。いまは文化祭の実行委員と生徒会の仕事を同時に担当してくれているわ」
副会長の隣に立った瞬間、やけに誇らしげな調子でぼくを持ち上げる。
突然の事態に
「そうなのか。教室の中でもやけに注意深く作品を眺めていたようだが、東堂くんは絵画に興味があるのかな?」
外部の人間がいきなり現れ、まだ仮展示に過ぎない段階でシゲシゲと目を光らせていれば、どうしたって目立つか……。
少しばかり期待の眼差しを向けてくる部長さん。その彼にぼくは努めて冷静を装いつつ、これまでの行動の真意を伝えようとした。
「もちろん興味はあります。ただ、それ以上に展示物の数が気になっていたんです」
「数……?」
予期せぬ返答に相手は困ったような顔を浮かべている。
まあ展示内容ではなく、作品の枚数に言及する人間なんて他にはいないからだろう。
「教室に飾られていた絵の数は十八枚……。描かれた作風の組み合わせをよく見ると、二枚一組で大きさはバラバラでした。多分、号数に関わらず、ひとり二枚の出展数で描いた人は全部で九人。いま教室の中には部長さんを加えて六名の方がいました……」
「それが? 飾られている絵の中にはすでに部活動を引退なされた三年生の方々の作品もある。在校生であるなら、現役と同じように文化祭で出展するのが美術部の習わしだよ」
ぼくが口にした言いがかりにも等しい疑問を耳にして、部長さんは懇切丁寧に答えてくれた。なるほど、三年生か……。だとしてもだ。
「生徒会準備室で今年度のクラブ活動要覧を目にしました。実行委員会の仕事をする上で、基本的なデータを頭を入れておいたほうがいいという副会長の指導で……。そこで見た美術部所属の生徒は三年生が三名。二年生が三名。一年生が四人でした。三年生が部活動を引退しても、まだ七名が美術部員として健在のはずです。最初は何かの事情で欠席しているのかと思いましたが……」
「そこで展示作品の枚数を数えたのか?」
部長さんの声に黙ってうなづく。
冷静になれば何もムキになって追求するような話でもない。
部員の数がひとり足りないだけなのだ。
「石神さん。ひょっとすると教頭の考えを変えさせたのは……?」
天城と呼ばれていた男の先輩がぼくではなく、副会長に向かって問いかける。
「……そうよ。彼が教頭先生も気が付かなかった【花の秘密】を解き明かし、彼女の名前を出すことなく目的を果たしたの」
得意気に語っているが、あの絵に描かれていた花の種類に気づかなかったのは先輩も同様である。そのような事実をおくびにも出さない厚かましさがなんとも清々しい。
「もしかすると、ひとり欠けた部員の名前が『奈津野さん』ですか……」
「きみは彼女のことを知っているのか?」
驚いた表情で天城さんが質問をぶつけてきた。
「いえ詳しくは……名前を聞いただけです。教頭先生や副会長が口にされていたので、この件に深く関係しているのかと思いました」
なんとなく全体の様相が見えてきた。
校舎の絵を描いた人物である奈津野さんと、静止画を描いた部長さん。
二人はともに美術部の部員であった。なのにいまは奈津野さんが美術部におらず、部長さんは副会長に頼んで自らの受賞を取り消してもらえるように願った。
現在までのところ、ぼくが知り得た情報で事態を推察すれば以上のようになる。
「なるほど、石神さんが自慢げに連れ回している理由がわかったよ。きみはパレットに使われた絵の具から描かれたモチーフを予想するのが得意なようだね……」
「ただの当てずっぽうですよ。他人から見ればどうでもいいようなことが、自分にはちょっとだけ気にかかるんです」
年上の男性から思いもよらずに評価されると、心なしかこそばゆくなる。
あと、副会長が自分を連れ立って歩いている様子は、他人から見るとそのように思われているとはまったくの予想外だった。
そもそも隣に立たせても、あまり見栄えが良くないのは十分に自覚している。
「コホン……。そう言えば東堂くんは奈津野さんについて知りたがっていたわね」
なぜかそらぞらしく咳払いをした後、先輩が
知りたがっていると言われると、なんだか変質者っぽい響きだ。
こちらとしては包まれた謎を解き明かせればそれでいい。ただそれだけ。
「彼女については自分の方から話そう。いいかな、石神さん?」
「……おまかせするわ」
天城さんが副会長から話を引き継いだ。
心なしか神妙な顔つきでこちらに視線を向けている。
やはり、奈津野さんと美術部部長の間には何かしらの関係性がありそうだった。
「きみが想像しているとおりだよ。奈津野さんは少し前まで美術部の部員だった」
「……だった?」
「ああ、そうだ。そしていまはもういない……」
「もしかして退部されたのですか?」
もっとも有りそうな展開を先回りして尋ねる。
しかし、先輩は小さく首を左右に振った。
「彼女は学校を退学した。だがそれは彼女自身に何か問題があったからじゃない。ご家族が予期せぬ不幸に遭われたからだ」
「不幸……ですか」
結構、重めな雰囲気に思わずツバを飲み込んだ。
個人のプライベートな問題にこれ以上、踏み込むのは本当に正しいのだろうか。
ためらいをうかがわせるぼくの挙動を見て、部長さんがさらに言葉を続けた。
「本来であれば、まるで無関係な人間に彼女の個人的な事情を伝える必要はない。
だが、きみは教頭先生を説き伏せ、奈津野さんの最後の願いを叶えてくれた。だったら何が起こっているのか、すべてを知ってもらったほうがいいだろう」
天城さんの表情がひときわ曇った。
それは彼自身にとっても苦々しい出来事であったからに相違ない。
「ご家族に不幸があってしばらくしたのち、彼女は学校を自主退学した。原因は経済的な苦境にあるからだと、退学が決まってからぼくに連絡があった。奈津野さんとは中学以来からの間柄だけに悲しかったよ。何より、彼女が苦しんでいるときに差し伸べる手を持たない自分が情けなかった。それが夏の始まる少し前のことだ……」
夏の前となれば、時期的には一学期の頃か。正直、ぼくのような入学間もない一年生では上級生の動向など知る由もなかった。周囲には美術部に入ったクラスメイトも見当たらなかったので、いまの話はまったくの初耳である。
――ん? だから、あの花は……。
職員室で教頭先生と副会長がサルビアの花に驚いていたのは、この時期のことを思い出していたからか。
夏が始まる前に学校を辞めた奈津野さんと彼女の絵に描かれた夏の花。
そこに込められた思いは”永遠に時間が止まった学校”か……。
「一度だけ電話で話す機会があった。この街を離れ、どこか遠くへ引っ越すと告げられたよ。具体的な地名が挙がらなかったことで彼女が置かれている境遇をなんとなく察した。亡くなられたのは事業を営んでいた父親だと教えてもらったからね」
部長さんの言わんとすることは明白だ。つまりは【不幸な事故】というのが実際には事故ではなく、【経済的な苦境】とは命では
「そして、二学期になってポスターコンクールで奈津野さんの絵を見たわけですか?」
「自分のポスターは自己製作の合間を使って夏休み中に描いておいた。それから時折、他の人の作品をチェックしていたんだよ。ある日、見覚えのある画風で描かれた風景画を見つけた。作者の名前は伏せてあったがひと目でわかった。彼女の絵は隣でずっと見ていたからね……」
副会長に応募作を一通り見せられた際、投稿フォームが学校紹介のサイト内に設けられていたのを確認している。
多分、PC上で作成されたデジタルデータの方が多いからだろう。
そこは学校関係者しか利用しないマイナーな場所であったが、外部からの利用も当然、可能であった。
奈津野さんはそこから自分が描いた絵をデータに変換し、送信してきたのだ。
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