EPISODE #02 雄弁なモチーフ

#003 気弱なホウレンソウ

 ここは職員室がある管理棟の上層で、扉の上には『生徒会準備室』というプレートが設置されていた。

 閉ざされていた扉を軽くノックして、中からの反応を待つ。


「どうぞ。開いているわ」


 内側から聞こえてきた女性の声を確認し、スライド式のドアに手をかける。

 扉を開けると、生徒会の部屋の光景が視界に広がった。

 壁際にいくつも並んだ大型のキャビネット。内部には数え切れないくらいたくさんの青いファイリングが収納されている。

 部屋の中心には向かい合わせに置かれている飾り気のない業務用の事務机が六つほど並んで配置されていた。そのうちのひとつ。一番、窓際の席に彼女は腰を落ち着け、入ってきたぼくの方を向いている。その美貌と裏腹な数々の暴言によって、陰では『茨の女王』と囁かれている有名人であった。


「あら、東堂くん? 今日は一段と早いのね」

「早め早めの行動が大切だと教えて頂いたので……」


 低姿勢を維持しながら、相手のそばに近づいていく。

 そして、ここへ来る前に回収しておいた茶道部の各種申請用紙の束をひとまとめで手渡した。副会長はイスに腰掛けたまま手にした書類に目を落としていく。

 長い髪を濃い色のカチューシャで邪魔にならないよう押さえ、背筋を伸ばした美しい姿。視界に映るその様は、他に言いようがないほどキレイだった。

 彼女、石神千景いしがみちかげは、ぼくが通う清白すずしろ学園高校生徒会副会長の要職を務める才媛である。しかし、かたわらに立ち続けている自分が気になったのか、紙の上から目を離して隣の席を片手で示した。


「座っていいのよ」


 一見すると、こちらを気遣ってくれているわけだが、実際は副会長のチェックが終わるまでその場を辞してはいけないという暗黙の了解である。

 この前に一度、別のクラブの申請書を預かった際、提出した内容をその場ですぐに精査され、書き直しを命じられたのだ。無論、再提出を告げに行くのは自分の仕事であった。


「いえ、お構いなく……」

「なによ、わたしの隣には座りたくないというわけ?」

「そういうつもりではないです。ただ、一度でも腰を落ち着けると、そこが自分の指定席になりそうなので……」


 小生意気な後輩の返答に美しき副会長は意外そうな表情を作ってこちらを見上げた。


「よそ様から譲ってもらった猫は、家に馴染むまで時間がかかるという話は本当なのね」


 いきなり人を子猫扱いである。そもそも、”もらわれた”つもりなど毛頭ない。


 ぼくは一年生でクラスの文化祭実行委員を押し付け……務めている男子で名前は東堂。現在、とある理由から臨時で生徒会の仕事を手伝う羽目となっていた。

 原因はうちのクラスが計画している模擬店、『おもいっきりステーキ』の実施内容である。荒唐無稽としか思えない中身は当然のように実行委員会からダメ出しの連発を喰らい、企画はいままさに頓挫とんざしようとしていた。しかし、夢見がちなクラスメイトは無責任に祭りを囃し立て、成功を信じて疑わない。

 いつだって反乱は無謀な思いつきと勇気を履き違えた愚か者が後先考えずに始めるのだ。

 このままでは、失敗の責任を陰キャラである実行員のぼくにすべて押し付けられてしまうだろう。悲劇を回避するため、有用な助言を与えるという交換条件に騙され……信じて、副会長の仕事をお手伝いするという名誉によくしたのである。


「結局、外部用コンセントは使えなかったのね」

「清掃用機械やメンテナンス機器向けの外部コンセントは必要上、利便性がある場所に設置されてました。必然、文化祭当日には人の往来が激しくなることが予想され、移動を妨げる電源コードを足元に這わせるのは危険だと判断しました」

「そうね。安全の確保が第一よ。何か事故が起こったら、責任を取るのは個人ではなく学校なのだから」


 ぼくの説明に珍しく副会長が大きくうなづいた。


――少しは他人の意見を聞くつもりがあるんだな……。


 むしろ、感心してしまった。


「なので、近くの教室からコンセントを間借りし、延長コードで電源を取ることにしました。教室窓側の外にある中庭の通路は通る人影も限定的なので、アクシデントの心配も低いと思われます。念の為、ガムテープでコード自体を歩道のコンクリートブリックに固定するよう処置を施します」

「ガムテープでコード全体を包むように通路に貼り付け、足を引っ掛ける転倒事故を未然に封じるよう対処する……。これは誰の提案なの?」


 目ざとく文言を見咎め、尋ねてくる。

 問いかけにどう答えようか一瞬、迷ったが素直に応じることとした。


「申請用紙を受け取った後、内容を軽くチェックして指摘されそうな部分をその場で茶道部の部長さんと相談しました。結果として、ぼくのアドバイスを部長さんが採用する形で計画を一部、修正しました」

「……そう」

「すいません。勝手な真似をして……」


 最初に再提出を指示された時、自分が果たすべき仕事はただ機械的に書類を預かるだけではない。その場で書かれている中身を確認し、問題意識を共有することだと察した。でなければ、子供のお使いと大差ないのだ。


「口では生意気な態度を取りながら、実際の行動ではわたしの要求にキチンと答えてみせようとする。なに? そうやってこちらの気を引こうとでもしているのかしら? 手懐けようとすると遠くに行って、無視すると頭をこすりつけてくる近所の地域猫みたいな子ね、あなたは」


 妙な例えでこちらを評価する副会長。単にあなたが怖いだけです、とは言えず、答えあぐねているとさらに相手は言葉を続けた。


「やっぱりあなたは、うちにずっといるべき人材よ。言えばわかる子は全体の半分だけど、聞く前に自ら予想して動ける人はそのうちの半数にも満たないわ……」

「意外といるんですね」


 よく考えると、全体の二五パーセントである。多くはないが、珍しいわけでもない。血液型の分布と似たようなものだ。


「自分から動くタイプは、ほとんどが勘違いや先走りをするだけの身勝手な人間ばかりよ。自身の考えを正当化したいから、だれかに強く働きかけようとするの。相手のニーズを吸収し、求めに応じる形でアイディアを提示できる人間は本当にごくわずかなひと握りだけよ。君はもう少し、自分に自信を持ってもいいと思うわ」


 随分と高く持ち上げてくれるが、さりとてそれがうれしいわけではない。

 いや、本当にまったく。どうせ後で高く付くのが目に見えていたからだ。


「では、茶道部の申請はこのまま進めても問題ありませんか?」

「そうね。計画自体はよくまとまっていると思うわ。ただ……」

「まだ何か心配があるんですか」

「心配と言うほどではないわ。ただ、ここに書いてある”来ていただいたお客様に、お茶とお菓子を提供する”という部分が気になったの。抹茶のお茶受け……。一体、なんでしょうね?」


 お菓子が気になるという、見た目にそぐわぬセリフをつぶやいた副会長。

 この人も一応は女の子なんだなと変な感想を抱いてしまった。もし、当人に聞かれでもしたら、きっとまた白い目で見られてしまう。ぼくは油断せずに沈黙を貫いた。


「不特定多数の方々に提供するとなると、生菓子は数を揃えるのが難しいでしょうね……。だとすると、あとは出来合いの個別包装されたものをひとつづつお出しする感じかしら?」


 彼女の憶測になんら疑問点は思い浮かばなかった。

 きわめて真っ当な予想であるとぼくも同意する。


「不満ですか?」


 なんとなく声が沈んでいるような気がして、そう問いかける。


「そういうわけではないけれど、こちらから無理強いしてお願いしたわけでしょう。できれば、彼女たちの理想に近づけてあげたいわ」


 常日頃の態度からは及びもつかない殊勝な物言い。ついつい真顔で先輩を凝視してしまった。

 こちらの視線に気づいた彼女が怪訝そうな顔を浮かべる。


「なによ、その表情は? わたしが人に甘い判断を下すのがそれほどおかしいことかしら?」

「あ……。いや、そういうつもりじゃなくて」

「この件は単なる一部活の活動範囲を超えた、パブリックサービスよ。茶道部だけに負担を背負わせるわけにはいかないわ」

「えっと、つまりは予算か人員の補助を考えているわけですか?」


 相手の思考を先回りをして、短くつぶやいた。

 ぼくの声に副会長はどこか満足げな様子だ。


「生徒会も当日は多忙だから、お手伝いをするのは少し厳しいわね。その代わりに、うちの権限で実行委員会の予算から活動費を回してもいいわ」

「そんな力があるのですね……」


 単純に考えて金と人事を司るのは組織を支配するのと同意義だ。

 予算を回すと言っても、あくまでも各部署の雑多な費用を取りまとめているに過ぎないだろう。それでも数万円程度の金額を扱えるのだ。学生の身分としては十分である。


「それでは、予算補助の用意があると茶道部に伝えてくればいいのですか?」


 次に果たすべき自らの使命を想起して問いかける。しかし、彼女は首を大きく左右に振って、こちらの行動を即座に抑えた。


「大丈夫よ。この程度のことは実行委員会用のSNSリストから直接、連絡を取るから。東堂くんはまたしばらくしてから必要書類の回収にうかがってくれたらいいわ」

「……あるんですね、そんな便利なものが」

「まあ、文化系クラブは普段から生徒会と関係性が深いからその一環よ。体育会系は顧問の先生方の影響が大きいから、そうでもないけど」

「では昨日から、ぼくがほうぼうを駆けずり回って用紙を集めたのには一体、なんの意味が?」


 恨みがましい視線を投げかける。下級生が見せた精一杯の圧を受けても、美しき副会長は涼し気な様子を崩すことなく、平然とのたまった。


「新人はみなに顔を覚えてもらうのが最初の仕事よ。おかげでほとんどのクラブの人たちと面通しが出来たでしょ?」

「おかげさまで、すっかり生徒会の人間だと認知されていますよ……」

「それは僥倖ぎょうこうね」


 悪びれもせずに答える。

 実際、ぼくの存在は前回の文化祭実行委員会での振る舞いが祟ったのか、行く先々で『茨の女王を口説き落とした男』と記憶されていた。

 そうしたこちらの苦悩を知ってか知らずか、副会長は不意に携帯を手元でいじり始める。指先でパネルを操作し、おもむろに画面を自分の方に差し向けた。


「ということで、いまはちょっとした懸案に引っかかっている状態なの。良ければ君の意見をうかがいたいわ」

「は……? な、なんだか唐突ですね」


 いきなりの提案に及び腰となりながら、慎重に言葉を選んだ。

 下手な返事は身を滅ぼす。いや、すでに半分、滅びかけているけど……。


「なにもそこまで露骨に警戒心を示す必要もないでしょ。オブザーバーとしての参考意見が聞きたいだけよ」

「そんな風に言われて、いま毎日こうして生徒会に顔を出しているわけですが……」

「いいじゃない。そのおかげで鉄面皮てつめんぴかと思っていた副会長が、実は茶道部のお菓子に気もそぞろだったなんて意外な一面を拝めたのだから」


 なんでこの人は口にしてもいない他人の心を鮮やかに読み切ってしまうのだろう。

 空恐ろしくなった。


「可能な限り、お役に立てるよう頑張らせていただきます」


 あきらめたように頭を垂れ、一言つぶやく。

 すっかり観念したぼくの姿を見て、先輩はまんざらでもない表情を浮かべていた。


「まあ、でもね。気張る必要なんて、ちっともないのよ。率直な意見を出してもらいたいだけだから」


 こちらの緊張を鋭く感じ取ったのか、ほがらかに語りかけてくれた。

 だが、その笑顔の裏に何かを隠している可能性が万にひとつもないとは言い切れない。この人は見た目がどれだけキレイでも『茨の女王』なのだから……。

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