#004 デッサン問答
見せられた携帯の画面には一枚の絵が映っていた。
白い画用紙に黒い線だけで描かれている様々な物体。クロッキーとは違う、鉛筆の濃淡だけですべてを表現した緻密な静止画だった。
画の中心にモチーフを集め、あえて余白を強調したデザイン。
描かれているのは、まるで巻き貝のようにグルグルとした曲線を持つ金管楽器。秋を代表するいくつかの果物と、その手前には表紙がよく見えるように置かれている一冊の本。題名は『天球回転論』で、下には小さく”コペルニクス”と著作者の名前が書かれていた。
「なんですか、この絵は?」
「これは、『清白祭周知啓蒙キャンペーン』を目的としたポスターコンクールへの参加作品。これ以外にも全部で七つの作品が投稿されているわ」
「全然、知りませんでした」
「興味がなければそんなものよ。取りあえず画面を操作して最後まで見ていって」
そういって携帯をぼくに預けた。
指示されたとおりに画像をスライドして、次々と募集作品を
「表記が随分とそっけないですね……」
「審査はブラインドで行われるのよ。先入観を排除するためにね」
なるほど。作者名を伏せて、あくまでも作品単体のみを審査の
最初に見た作品以外はいかにも【イラスト】チックな絵が多かった。
画の中央に可愛らしい女の子が描かれ、その上によく晴れた秋空の風景。そして、スタイルフォントで『清白祭』を含んだ文字列が並んでいる。
どれも良く出来てはいるが、冷たい言い方をすれば全部、似たような印象を拭えない。
「ポスターと言うよりは、イラストな作品が多いですね」
「絵が得意な人の半数は、人物画のデフォルメを繰り返し練習しているの。ようするに漫画のキャラを描くことに長けているけど、背景画はなかなか上達しない。なのでフレームの中心にキャラクターを置かないと構図が安定しないわけ。必然的によく似た印象を見る側に与えてしまっているのよ」
「……なるほど」
ぼくが感じたのはタッチの上手い下手ではなく、全体を通した印象の問題か。
さらに画面を進めていく。そして最後にひときわ尖った作品が現れた。
校舎と校舎の間から全体を見上げるような角度のスケッチ。ただし、画像は望遠レンズを通したように、周辺の像が歪んで強調されていた。それでいて、この学校に通う人間であれば、即座に描かれた場所を特定できるだろう。
描かれた校舎の中では、たくさんの生徒たちが様々な
――ん? 赤い花……これって。
「これはすごいですね……」
「あなたもそう思うの?」
感極まったぼくのつぶやきに触発され、副会長が賛同の声を上げた。
あなた『も』と問いかけてきたからには、彼女もこれがお気に入りの作品であるというわけか。
「そ、そうですね。大胆な
この作品が他のものと一線を画している最大の要因は、図案の中に描き文字がひとつもないことだった。最初に見た鉛筆書きの作品にも文字はなかったが、あちらはあえて余白を作ることでタイポグラフィを完成させる余地がある。つまりはデザイン的な拡張性を意識して残しているのだ。
「それじゃあ、あなたが一番好きな作品を教えてもらえるかしら?」
彼女のような人物から真顔で『好き』などと言われると一瞬、ドキリとする。
これが壮大な勘違いなのは火を見るより明らかだが、最悪は罠という確率がゼロでないのが怖いところだ。
「ぼくは他人の作品に優劣を着けられるほど、芸術に明るいわけではないですよ……」
「相変わらず慎重ね。心配しなくてもすでにコンクールの結果は出ているのよ」
「え?」
「教頭先生に特別審査をお願いしてあるの。選評込みで文化祭の前日には発表の予定よ」
「そうなんですか……」
予想外の結論につい気が抜けたような相槌を打った。
「結果は最初に見た鉛筆描きの作品が最優秀で、描いたのは美術部の現部長で二年生の
「なるほど……。美術部の部長さんなら技術的な高さにも納得がいきました。でも、他の作品がもったいないですね。せっかく、みんな投稿してくれたのに」
「え? 全部、使うわよ。カラーコピーして、校内の至るところに貼り付けるわ。中身の良し悪しに関係なく、お祭りは
どうしてこう、余計な一言が多いのか不思議に思ってしまう。
彼女は言葉を『選ばない』のではない。選べないのだ。
きっと心のフィルターがどこか破れているのだろうとぼくは結論づけた。
「ところで、優秀作品に対する君の感想もついでに聞いておきたいわ」
請われてなんの疑いもなく、画像を最初の一枚目に戻す。
あらためて鉛筆描きの作品に目を落とした。
「どうかしら?」
「そうですね……。やっぱり技術的にはこれがもっとも優れていると思います。一見すると素朴ですが、表現は精密で確かな手法に裏打ちされているのがよくわかる。各モチーフの意味は、楽器が”調和と律動”、果実が”収穫の季節”、表紙を見せた本が”真理の探求と権威への抵抗”ですかね……。大きな余白は、生徒たちの”未定の未来”を肯定的に表現していて、キャンバス全体ではそれぞれのモチーフを通じて、これが”文化祭”であるのを強く訴えていると感じました」
思いついたことをつらつらと重ねていく。なんだか偉そうに語っているが、ほとんどはどこかの誰かの受け売りだ。
言い終えて携帯を副会長に戻す。彼女はすぐに何かを調べるよう画面を操作して、またぼくの方に向き直った。
「なかなかにいい評論ね。ところで、本が意味することにどうして【権威への抵抗】が見て取れるの? コペルニクス的展開ということなら、真理の探求は理解できるけど……」
コペルニクスは近代初期の天文学者で、天体の運行に関する考察を後年、『地動説』として発表した人物だ。
彼以前の天文学は占星術と分化することなく、人の未来や運命を司る術のひとつとして知的階級が主に修めていた。それら既知の形骸化著しい星占いを彼は否定し、長年に及ぶ観察と記録から惑星の運行を大胆に予言したのが『地動説』である。この大地もまた、天を駆け巡る星のひとつであると明らかにしてみせたのだ。
「”真理の探求”というのが示されたテーマであるなら、単に【書物】だけで問題ないと思います。それなのにどうして『地動説』を記した本の題名をモチーフに取り入れたのか、キチンとした理由があるはずです」
「ふうん……。で、理由というのは何?」
想像を超えて熱心に語る自分を面白そうに眺めている副会長。その目はまるで珍獣を視界に眺めているようだ。
「ここからはまだ想像に過ぎないですが、この絵には犠牲を
「犠牲? 一体、だれが……」
「そこまではわかりません。ぼくはこの絵の作者のことを何も知らないので。ただ、『地動説』にはそれを巡って後に自らの科学的信条を破棄させられたひとりの人物がいます」
「ガリレオね……」
いまでも科学と宗教の対立として、長く語り継がれている異端審問にかけられた天才的物理学者、ガリレオ・ガリレイの悲劇。
面白おかしく飾られた後世の尾ひれはひれにより、随分とヒロイックな人物として伝えられているが、実際はそうでもない。単に世俗の争いの中で、宗教的倫理を悪用した特定個人の罠にハメられたというだけだ。
「この作者さんであれば、わざわざ書かなくとも伝えたいことを上手く表現する技術があるはずです。それなのに、あえて題名がわかるように書き込んだ。何か理由があるのではないでしょうか?」
「それでは君も、この作品が我が校の文化祭をもっとも具体的に表現できているという結論かしら?」
「え……」
「技術に裏打ちされた確かな表現と、繊細なモチーフの選択。それがこの作品を最優秀に推した審査員の選評よ」
携帯を手でかざしながら、こちらに問いかけてくる。先程、確かめていたのはそれだったのか……。
――さて、どう答えるか?
まあいい。ここで自分が何を言おうと、結果に影響を及ぼす可能性は万にひとつもないのだ。選考はすでに終了し、選んだのは教頭先生である。それだけの立場の人間が下した決断に、ぼくのような一生徒の判断が優る理由はない。ここは安心して自論を唱えるとしよう。
「ぼくなら違う作品を選びたいです……」
「へえ。じゃあ、どれかしら?」
なぜか嬉しそうな顔つきで答えを急かしてきた。
声に乗せられて、自らの思うところを語り始める。
「やはり最後に見た、あの大胆な構図の作品がもっとも文化祭にふさわしいと思います」
「理由はなぜかしら? 技術的には双方、遜色ない出来栄えだと感じたけれど」
彼女の指摘には、ぼく自身も同意見だ。だからこそ、明確な基準を設けて二作品の優劣をハッキリさせないといけない。
「理由は……。”わが校の文化祭”であるというのが、ひと目でわかるからです」
部長さんの絵が【文化祭】という題材にふさわしいことはなんの疑いもない。
それは油絵や水彩画といった色彩豊かな表現ではなく、あえて未完成な印象を与える鉛筆描きであることからも明白だ。
完成された絵画としてではなく、その準備段階。クロッキーのような状態で提示するという表現手法自体が、いまだ未完成な存在に過ぎない学生たちの祭りを連想させるのだ。ただし……。
「部長さんの絵は【文化祭】というテーマとしてはとても素晴らしいと思います。しかし、もうひとつの作品はうちの学校の生徒であれば、だれが見ても清白高校のお祭りであると瞬時に理解できる。それがぼくの理由です」
「うちの生徒であれば?」
「この構図は学校内のどこからか校舎がある方向を見たとき、視界に映る光景です。学年に関係なく、うちの生徒なら恒常的に見かける日常的なひとコマ。そこでたくさんの仲間たちがいつもとは違う様子で何かを楽しんでいる。そのお祭りこそが『清白祭』だと、あの絵は雄弁に語っていました」
「雄弁なモチーフね……」
「はい?」
ぼくの感想に副会長が神妙な面持ちでそうつぶやいた。
彼女が一体、何に感じ入ったのかよくわからない。なので続く言葉を静かに待ち受ける。
「ふたつの作品にはどちらも作者の伝えたい
「ど、どうでしょうか……。ぼくは見たままを口にしただけですので、作品に込められた深い内容までは読み取る自信がありません」
「問題ないわよ。大切なことはファーストインプレッションを他者に伝わる形で口にできるかどうかよ。それじゃあ、わたしはいまから職員室に向かうとするわ」
そう言って副会長は急に立ち上がり、自分の横を通って出入り口の扉に進んでいく。
「何をボンヤリしているの? きみも一緒に来るのよ」
ちきしょー。やっぱり罠だった……。
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