#002 石神千景は電気ケトルの夢を見る
「あの……。あくまでも中庭で行う
「どういう意味?」
ぼくの発言に部長さんが速攻で噛み付いた。
おもてなしを重視している割には、味方以外への対応が露骨にひどい。きっと、この段階で自分は生徒会側の手先だと判断されていたのだ。振り返ってみれば、過去の自分の無邪気さに思わず顔を覆いたくなる。
「中庭ではその場で簡単にお茶を飲んでもらい、よりゆっくりと味わいたいお客さんには茶室まで来ていただくという感じではどうでしょう?」
「文化棟の狭い和室程度では、五人も人が集まったらもう身動きが取れないのよ。だから、広い中庭を使わせてもらうことにしたの。それじゃあ、本末転倒じゃない。一体、どこへ来てもらうというの?」
まあね。そういう風に反論されるとは思っていた。なにより文化棟の和室と言っても、板張りの床の上に取り外し可能なスクウェア状の畳シートをいくつも並べているだけなのだ。入学当初のオリエンテーションで初めて案内されたときは正直、呆れた。教室ひとつ分の板張りの部屋を細かくパーティションで区切り、複数の文化系クラブが部活動に利用しているのだ。
「各施設の時間別利用表を見ると、武道場は午前中に競技カルタ部による百人一首の公開競技と書道部の大判書き染め。午後は二時まで落語研究会の文化祭寄席で以降は臨時の休憩所として開放されてます。ここで体を休めている人たちにお茶を振る舞えば、喜んでもらえると思いますが……」
「なんでそんな時間に武道場みたいな広い空間が使われていないのよ」
よほど意外だったのか、茶道部の部長さんは驚いた声で疑問符を口にした。
単なる一委員に過ぎない自分には、なぜこの場所が使われていないのか理由までは知らない。ただ、配られた各所の配置図と時間割表から、その結論を導いただけだ。
「二時からは体育館のステージで一般有志による舞台発表があるのよ。ほとんどの生徒はそちらに集中するから、発表会形式のクラブはその時間までに活動を終わらせてしまうわけ。だから、歩き回って疲れた外部のお客さん向けに腰を落ち着けて休める場所を提供するのよ」
ぼくの考えをフォローするように副会長が事情を説明する。
流れるような解説に茶道部の部長さんのみならず、固唾を飲んで成り行きを見守っていたその場の全員がすぐに理由を飲み込めた。
「歩き疲れた人たちに無料でお茶を提供すれば、みんな茶道に興味を持ってくれるのではないでしょうか」
副会長の後を引き受け、計画の手直しをさらに立案する。よく考えれば、茶道部のメンバーを
「室内だったら、わたしたちのやり方を許してもらえるのかしら?」
しばし、黙考を重ねてから部長さんが再度、切り出した。
「人の多い場所で火を扱うのはやっぱり危険よ……。そうね、でも台座に釜を置いてそこにお湯を張るくらいなら問題ないわね」
つまりはその場でお湯を沸かす行為は、なおNGということらしい。
「じゃあ、どうやってお茶を点てるのよ?」
当然のように問題点を指摘する。それでも茶釜の設置を許している以上、あとはどうやってお湯を調達するのかだ。自分もさんざんにけしかけておいて、その点は謎だった。われながら、あまりにいい加減だな……。
「武道場には給湯室が付属しているわ。そこで沸かしたお湯を釜に移せば大丈夫でしょ」
「でも、加熱していないとすぐにお湯が冷えるわよ……」
「その点は時間帯と人の流れを勘案すれば問題ないわ。むしろ、冷める以前に供給が追いつかない可能性の方が高いわね。体育館に向かわない人たちの多くが校舎以外で時間を潰すとなると、あの時間では武道場くらいしかないもの」
「待ってよ。それだとむしろ給湯室にあるような小さいIHコンロでは間に合わないことになるわ。どうするつもり?」
予想外な話の流れに部長さんが目を丸くして対応策を尋ねた。
まあ、人手が少なそうな茶道部に接客を一任するというのがまず無謀なのだが。
「……だったら、電気ケトルを複数配置するわ。それなら、途切れることなくお湯を沸かすことが可能になる。うん、これはわれながらナイスなひらめきね。文化祭が終わったら、以後は茶道部の備品として扱ってくれてもいいわ」
自画自賛で嬉しそうにアイディアを
もっとも、彼女が”電気ケトル”という単語を口にするたび、茶道部の先輩は口惜しそうな表情を顔に浮かべる。そして鋭い目つきで怒りの矛先を発案者である、ぼくの方に向けるのだ。
どうして、こうなった……。
「そうよ! 火力がなければ電気ケトルを使えばいいのよ!」
声高らかに電気ケトルを称える美しき副会長の姿は、まるで断頭台の露と消えた
「こうなったらなんだっていいわよ。とにかく、これでわたしたちの活動は許してもらえるわけね?」
まともに相手をする気力が失せたのか、部長さんが最終確認をとった。
「そうね。展示場所が複数に渡るから色々と大変だと思うけれど、よろしくお願いするわ。こちらも計画を早めに修正しておきたいから、必要書類の記入と提出は可能な限り速やかに……。いえ、申請用紙の回収には、こちらから部室へ人を向かわせるわ。東堂くん、あなたに任せるわね」
「え? あの、ぼくですか……」
突然の指名にみっともなく自らを指さしながら問いかける。
「他に東堂という実行委員はいないわ」
無情に告げる副会長の声は無機質でどこか冷たい。
だからといって素直に従っては大変だ。どう考えてもろくでもない未来しか展望が開けないからである。
「ぼくはただのクラス代表としてやって来た、一般の生徒です。生徒会やクラブの活動についてはあまり明るくないので、却ってご迷惑をかけるかと……」
取ってつけたような言い回しでやんわり責任を回避しようと試みた。口は災いのもとであるが、口先三寸でそれを交わすのもまた人の力なのだ。
もちろん、相手だってそうはさせじと
「あなたのクラスの
「あ、はい……。クラス有志による飲食物の調理、販売の実演ですが」
わが1ーDは実家が精肉業者を営む松阪くんの発案で、焼き肉店『おもいっきりステーキ』を企画していた。申請書に書かれた松阪くんの文字は無意味に大きく、やる気と勢いだけは十分だったが、肝心の内容はお粗末と言うより他にない。
おかげですでに二回の計画見直しを命じられ、ぼくはクラスのみんなと実行委員会の間で板挟み状態になっていたのだ。
「一年生は若気の至りで思いついたことをよく考えもせずに上げてくるのよね。でも、現実には解決しないといけない様々な問題あって、ついには夢破れていく。このままでは、あなたたちのクラスは時間切れで、せっかくの一年生の文化祭をつまらない郷土文化史の発表で終わってしまうのよ。もちろん、その責任は実行委員会に許可をもらえなかった東堂くんが一身に浴びるわ。関係者全員のスケープゴートとして」
「そんな……。計画内容の不備に関しては、ぼくからもクラスの人たちに説明していますよ。そもそも、教室内で鉄板焼きグリルにプロパンガスを使うという発想そのものがおかしいんですよ」
副会長はこれみよがしにぼくを脅迫する。
実際、これまでの交渉の過程で自分自身としては今回の計画がいかに無謀であるのかを思い知らされていた。第一に生肉を扱うという行為、高い火力が必要となる調理法。この時点でもはや【模擬店】ではないのだ。企画が本気すぎるのである。
委員会で問題点を数え切れないほど列挙され、疲れて戻った教室ではクラスメイトたちが無邪気な様子で黒板に店内のレイアウトを楽しそうに描いていた。その光景を目撃したぼくの心は言いようのない孤独感で溢れかえった。
クラスの人間はだれひとりとして、真剣に物事を考えてはいなかったからだ。
「もし、君が実行委員のひとりとして生徒会の仕事を手伝ってくれるのなら、こちらとしても、どのように内容を変更すればいいのか具体的なアドバイスを授けてもいいわよ。どのみち、いまのままだといつまで経っても許可は降りないでしょうから」
「条件無しで教えてもらうことはできないのでしょうか?」
「なぜ、わたし個人の経験や知識をいちクラスのためだけに使わなければならないのか、公平性の観点から正しい理由が見つからないわ」
自身はこちらの意見をノーペナルティで採用しておいて、この言い草である。
ただし、彼女は生徒会役員としてこれまで多くの学校行事に関わってきているはずだ。他の人から聞いた話では、一年の頃から書紀として
なので、どうしたら高校生が思いつく夢物語のような考えを現実的なレベルに改変すればいいのか、その辺りの方法論には長けているはずなのだ。
いまのぼくには副会長の案にすがりつく以外、クラスでの居場所を守ることはできそうにない。なにより、前回は会議から戻ってきて結果を報告をした自分に対して彼らは、
『もっとしっかり交渉してくれないと、クラスみんなが困る』と言い放ったのだ。
その瞬間の絶望感はいまも悪夢となってぼくの精神を夜な夜な
こうした気苦労を知ってか知らずか、先輩はなおも澄ました顔をしてこちらの返答を悠然と待ち構えていた。
「わかりました。文化祭が終わるまでという条件なら、生徒会のお手伝いを努めさせていただきます……」
「あら? 意外と早く心が折れた……改心したのね。頭の計算が早い子は誘導しやすくて助かるわ。まずは文化祭の当日までしっかり頑張ってもうわね」
とても嬉しそうに半分、本音をぶちまける副会長。その笑顔はきっと、いかなる角度からとらえても完璧な美しさを醸し出していただろう。
恐ろしいまでに外見と中身が
花としては華麗な一輪のバラ。しかし、安易に手を伸ばせば、鋭く尖ったトゲで近づくものを誰彼構わずに傷つけてしまう。
彼女は単にキレイなだけの存在ではない。よく手入れの行き届いた花壇にひときわ大きな花弁を支える茨の園の支配者。
こうして、ぼくは自らが通う『
EPISODE #01 END
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