ブロウクン・ビューティー ――暴言女王と陰キャラ男子――
ゆきまる
EPISODE #01 茨の女王
#001 会議は踊る
初めて経験する高校の文化祭は想像以上に大変だった。
本番の日まではあと二週間以上もあるというのに、祭りの盛り上がりは熱病のように校内をあまねく飲み込んでいる。
十月の下旬。深まりゆく秋の気配を身近に感じながら、ぼくは廊下を急いでいた。
管理棟三階に配された生徒会準備室。扉の前で立ち止まり、スチール製のスライドドアを軽くノックする。
「開いているわ、どうぞ」
内側から聞こえてきた女性の声。それを聞いて大きく扉を開く。
「あら、東堂くん。どうしたの、そんなに急いで?」
視界に見えた部屋の中央には向かい合わせに置かれた六つの事務机。
右側の列のもっとも奥まった座席。そこに彼女はいた。
濃い色のカチューシャを頭に着けた長い髪。涼し気な目元と白い肌は年下の自分から見ると、やけに大人びた印象を受ける。この人は現生徒会の副会長であり、一時的な間柄として自分の上司となった人物だ。
「頼まれていた茶道部の行事予定表と施設利用届を預かってきました」
「ご苦労さま。手際が早くて助かるわ。あなたに文化系クラブとの連絡役をお願いしたのは正解だったわね」
そう語って自分を褒めてくれる副会長の様子は率直に言って美人だった。
「どうだった? 茶道部の部長のご機嫌は」
「よくはありませんでしたが、結果的に中庭で
「つまり、わたしは嫌われたままということかしら?」
「それは……」
質問に答えを言いよどむ。
事の発端は、先週の文化祭実行委員会でのふたりのやり取りだった。
一、二年生の各クラスから選出された実行委員と、文化系クラブの代表が一同に顔を揃えた会議室。
目的はそれぞれが企画した出し物の計画内容や問題点を主に安全管理の観点から生徒会側が指導、改善を求めるという流れだった。
◇◇◇
「内容の見直しを求める、というのはどういう意味かしら?」
メガネをかけた茶道部の部長がまなじりを決して相手に詰め寄る。
受けて立つ生徒会の役員もレンズ越しに視線を向けてくる女子生徒を正面から睨み返していた。
女の子同士の抜き差しならない雰囲気に会議室の空気がすぐさま凍りつく。
「言ったとおりよ。いまの計画のままでは、文化祭の準備を統括する生徒会として行事を許可できないわ……」
「その理由をハッキリ教えてほしいと言っているの! 行事予定表に”安全性の確保に問題あり”だけでは、こちらとしても承服しかねるのよ」
語気を強めて返されたばかりの申請書を見せつける。
実行委からの返信欄に赤インクで”申請不可”のハンコが押され、その下に達筆な赤文字で理由がつづられていた。
「よく見なさい。問題点にキチンと赤丸をつけているでしょ」
髪の長い美人の先輩は短く告げた。
確かに文章を囲むような大きな赤い円が見て取れる。
「七輪に炭で火を起こし、その上に茶釜を乗せてお湯を沸かす。これのどこが問題なのよ?」
「ただでさえ、人の往来が激しくなる文化祭当日の中庭で炭火を起こし、沸騰寸前のお湯を張った茶釜を置いておくなんて許可できるはずないでしょ。なにかの拍子に人がぶつかって、
「そんなアクシデントが起きる可能性なんて万にひとつくらいなものでしょ!」
「万にひとつでも起きるから許可できないと、こちらは判断しているの」
あくまで他人事だと考えれば、その覚めた態度も十分に美しいと感じてしまう。
「じゃあ、どうしろって言うのよ! お湯も使えないで、どうやってお茶を点てたらいいわけ?」
メガネの部長さんは訴えかけるようになおも強く食い下がる。
様子を見守るギャラリーの側にも少し同情的な雰囲気が流れていたのは確かだ。
「一度、部室で沸かしたお湯をステンレスボトルにでも詰めておけばいいのよ。それなら、なんの問題のないわ」
「ドリンクホルダーから茶器にお湯を注げと言うつもり……?」
「味は変わらないわ」
淡々と応じる先輩の姿はなお一層凛々しく、容易には人を寄せ付けない威圧感がある。もっとも、この問題はどちらが正しいというものではなく、美意識の相違であった。合理性の塊のようなこの女性に侘び寂びの世界観をいくら訴えても心には響かないのである。
「あなたのそういうところが影で【茨の女王】と呼ばれる理由なのよ……」
いまいましげに敵を
「あ、あの……。すいません、ちょっとよろしいですか?」
その時のぼくが一体、何を考えて手を上げたのか、実のところよく覚えていない。
単に思いついたことを口にしたかっただけなのか、このときまで連日に渡って生徒会からクラスの出し物に関して、子細なチェックを受け続けてきた腹いせのなのか不明だ。とにかく、この空気を掻き回したかった。それだけは間違いない。
「だれ? 一年生は余計な口を挟まず、静かにしていなさい」
メガネの部長さんは思いっきりぼくを邪魔者扱いにした。まあ気持ちはわかる……。
門外漢に余計な口出しをされるのは、もっとも腹立たしい行為なのだ。
「一年D組の東堂くんね。何か、この問題を解決するいいアイディアでもあるのかしら?」
副会長が自分の名前を知っていることに軽く驚いた。確かに最初の顔合わせで実行委員はそれぞれが自己紹介を行ったが、自分など他の委員の名前なんてひとりとして記憶にない。それを彼女は的確に覚えていたのだ。
間違っても自分が初対面の相手にひと目で強烈な印象を残せる容姿をしているなどと、うぬぼれはしない。ぼくは自他共に認める平凡な人間である。
「えっと……。いいアイディアかどうかの判断は自分にはつきかねます」
「そうね。でも、一年生の
先輩はにこやかに語りかけているが、その発言の中身は極めて厳しい。
少なくとも、”この問題を先送りにして他の議題を進める”などという、大した生産性も見い出せない愚考を口にしたら容赦はしないと、言外に伝えてきていた。
実際、自分を見つめるまわりの人の視線はどれも冷たく、ある者などは露骨に嫌な顔を浮かべている。
出ようとする杭は危ないからこそ、常に叩かれてしまうのだ。
「どうしてもその場で沸かしたお湯が必要なら、電気ケトルを使えばいいのでは?」
小さく妥協案を口にする。
電気ケトルというのは近年、急速な勢いで普及している電気式の湯沸かし器だ。
従来までの沸騰型電気魔法瓶とは違い、保温機能はないがその代わりにお湯を沸かすスピードは桁違いに早い。カップ麺ひとつくらいの分量ならば、ものの二、三分でお湯が出来てしまうのだ。
「電源はどうするの?」
ぼくの提案に副会長は鋭く問題点を指摘してきた。それでも頭から否定されないと言うことは、検討に値する案であったのだろうか?
「えっと……。配置場所にもよりますが、中庭に面した校舎には屋外用のコンセントがあるはずです。それがダメなら、近い教室の窓から延長コードを使用して電源を確保すればいいかと」
思うところを素直に述べていく。
確か電気ケトル自体は教員用として職員室に置かれてあるのを見た記憶があった。
新たに買うとしても一台二、三千円程度で普通に売っている。延長コードは一〇メートルもあればなんとかなるだろう。これも量販店に行けば数千円で手に入るはず……。
さらに質問が繰り返されるのを予測して、ある程度の答えを用意しておく。
だが、副会長はそれ以上の異論を挟まなかった。
むしろ、おかしいのは茶道部の部長だ。ぼくの提案を耳にした途端、明らかに血相を変えて押し黙っている。
相手の態度が不自然に見えたのか、副会長の意識がふたたびぼくから離れてメガネをかけた女性に向けられた。そして、何かを思いついたようにうっすらと口元を緩める。あ、これは間違いなく【茨の女王】……。
「そう言えば、茶道部の備品の中に電気ケトルがあったわね」
「な! なんで、そのことを……」
「各部活の備品要覧くらい最初から頭に入っているわよ。それより、教えてもらいたいことがあるわ。茶道部では電気ケトルをどういった目的で使用しているわけ?」
あっさりととんでもないことを口にして、さらに畳み掛けていく。
異論や言い逃れは絶対に許さないという、恐ろしい決意が言葉の端々から溢れ出していた。
「それは普段の部活動で手早くお湯を沸かすためのもので……」
「つまりは電気で沸かしたお湯でも問題はないわけね」
「そ、それは違うよわ! 大事なお客様をお迎えする際にはキチンとした差配でおもてなしをすることが重要なのであって、お茶が飲めればなんでもいいというのは茶道の本質から離れてしまうわ」
必死な形相で道の精神性を語る部長さん。その声を明らかに右から左へ聞き流し、副会長がもう一度、ぼくに目配せをした。その意図は明確で、”あなたが口火を切ったのだから、責任を持ってうまくまとめなさい”と暗に語っていた。
もう完全な丸投げである。この人は使えるとわかったら、とことんまで人材を使い倒すタイプだと瞬間的に悟った。
さて、どうするか……。
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