Chapter.34 『クレッセリア財閥本社ビル 受付嬢 エイミー・ヒューレルの場合』

 エレベータが降りてくる時間は、まるで永遠のように感じられた。

 気が気じゃない、それがエイミーの感想だ。最上階で行われた壮絶な銃撃戦。そしてその後の爆発と、その被害。無線を聞いた瞬間、エイミーは社長室から駆け出していた。

 まさか、あの人カイルが。そんなこと、あっていいはずがなかった。何かの間違いであって欲しい――混乱の中、エイミーはいつの間にか、ロビーまで辿り着いていた。

 四番エレベータ、その消えていた階数表示が灯る。四十五、四十四、四十三。そのカウントダウンを見つめながら、エイミーはただひたすら祈った。神でも悪魔でも構わない、彼を助けてくれるのなら、きっとなんだってする。この街で得た、初めてで、そして最大の出会い。とにかく、無事に戻ってきて欲しい。

 カウントダウンが十を切る、その瞬間。恐らく目の前のエレベータからだろう、遠く、でも確かに響いたのは、銃声。

 ひるむエレベータ前の救護班員。それを押し退けるようにして、エイミーは前に進み出る。制止を振り切り、見つめる階数表示。三、二、一。真っ直ぐに飛び込んだ扉の向こうには、あまりにも凄惨な光景が広がっていた。

 割られた窓ガラス。床に広がる粉塵と血痕。そしてそこに倒れす、見覚えのあるその姿。聞き間違いじゃなかった。その名前を叫びながら、彼に駆け寄り、そしてすがり付く。

 何を言ったか憶えていない。引き離そうとする誰かの手も、無理矢理振り切ってただ泣き叫んだ。彼の顔に頬を寄せて、しっかりと抱きついたその時。

 確かに聞こえてきたのは、間違いなく彼の声。

「……センキュー、ベリーマッチ。アイドントフォアゲット、ユア、恩」

 ――意味不明。

 ああこの人は変わってしまった昔はこんなこと言う人じゃなかった、なんて、意味のわからないことを考えてしまうのはまだ混乱が収まらないせいだ。呆然と彼を見つめていると、隣から救護班員の声が響く。

「……おい、どうなってるんだ? 火傷どころか、傷口すらひとつも見当たらないぞ」

 その言葉は理には叶っていなかったが、でも言われてみれば確かにその通りだ。服はそのほとんど全てが焼け焦げており、その上かなりの血痕まで残っている。だというのに、でも破れた衣服の隙間から覗く肌には傷ひとつなく、またどこか出血している様子もなさそうだった。救護班員によって引き裂かれた服の下には、健康そのものの厚く逞しい胸板があるばかりで、そのせいでエイミーは頬を赤くした。うっすらと目を逸らし、彼、カイルに訊ねる。

「だ、大丈夫……なの?」

「違う。ボブなんだ」

 何が。と、そう聞いていいのかどうか。首を傾げるうちに、彼が続ける。

「あのバカ、まーた迷子になってやがった。『このエレベータ、ガラスを突き破って飛び出たらどこに出マスか』、だと。カジノの脇あたりに出るけど危ないからやめとけっつったのに、でもあいつ聞きやがらねえ。お礼です、とか言って、なんか変な注射を」

 彼の手元に転がるのは注射器と、そして何らかの薬剤の空容器アンプル。赤いラベルの貼られたそれを、救護班員が拾い上げる。無線で事情を報告するその救護班員に、答えを返したのは。

『こちら社長室、エメントです。私にも正確にはわかりませんが、でもおそらく、それは』

 呼吸をおいて、一拍。

『――贈り物でしょう。怪盗からの』

 怪盗の出ていった、破られたガラスのあと。そこから、小さく風が巻き込んだ。

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