第9話『幕開き』

 自身の呼吸する音で目覚め、メルはゆっくりと瞼を開く。

 見覚えのある天井が視界に広がる。

「ここは……、ベルヘルさんのお屋敷……?」

「お目覚めになりましたか?」

 声がした方に視線を動かすと、ベットの横で黒いローブに身を包んだベルヘルが椅子に座っていた

「ベルヘルさん……、いっ!?」

 メルは体を起こそうと体を動かした瞬間、体の節々から痛みが発する。

「今は体を動かさない方がいいですよ。魔法である程度は治して貰いましたが、怪我が酷い箇所は完治まで至らなかったので」

 気がつけば、メルの右腕はギブスをはめて固定されていた。

 痛みが治まるまでメルはじっと耐えた。

 目元に涙を覗かせてメルは尋ねる。

「あ、あの後どうなったの?」

 兄の仇でもあるディールを命からがら倒したまでは覚えていたが、そこからの記憶が一切無かった。

「メルさんが気絶した後、そこにトヨスケさんが来て皆をここまで連れてきてくれたのですよ」

「ルー兄やホリーは!? それにラクィオンさんは!?」

「ラクィオンさんは治療も無事に済み、今は療養中です。そして、ホリーさんならそこにいますよ」

 ベルヘルは頭を動かす。メルもそれにつられて視線を反対の方向に顔を向けると、椅子に座り、ベットにうつ伏せになってホリーが寝息を立てていた。

「ホリー……」

 メルはホリーの姿を見て安堵した。

「ホリーさんはずっとメルさんの看病にあたっていたのですよ?」

 メルは動かせる左腕でホリーの頭を撫でた。

「ありがとうね……」

 感謝の気持ちを伝え、メルは再びベルヘルの方を向く。

「ルー兄は……?」

 不安な気持ちに駆られた眼差しで尋ねる。

「……安心してください。一命は取り留めました」

 メルはその言葉を聞いて心の底から安堵し、その瞬間涙が零れ落ちた。

「ただ……」

 突然ベルヘルの声は暗いものと変わる。

「目を覚まさないかもしれません……」

「え……?」

 安堵した途端、ベルヘルの口から放たれた言葉は理解できなかった。

「え……? ど、どういうこと……? 生きているのに目を覚まさないって……」

「実はメルさんと同じように魔法を施したのですが……。脳に酷い損傷があり、その影響で呼吸はしていますが、目を覚ますことはないのです……」

「そんな……!? 折角助けられたのに……、目を覚まさないなんて……」

 メルは再び理不尽な運命を目の当たりにして悔し涙を流す。

「ど、どうにかできないの……!?」

「こればかりは……。治癒魔法というのは傷を治すのを早める物であり、損傷が激しい傷は後が残り、無くなった腕などは再び生やすことはできないのです……」

 メルはルーイに二度と謝ることもできない事実に唇を噛む。だが、メルの脳裏にふとヘンリーの姿が現れる。

「あ、あれ……?」

「どうしましたか?」

「治癒魔法って無くなった体の一部は生えないんだよね……?」

「え、えぇ」

「だ、だけど姉さんの魔法、リマ兄が切り落としちゃった足の指を生やしていたよ……?」

「そ、そんな馬鹿な……!? そんなことできるはずが……」

 ベルヘルはメルが言ったことが信じられない様子だった。だが、彼女がそんな重大なことを勘違いをしたり、ましてや、嘘を言うはずも無かった。

 ベルヘルは口の中で呟いて自問自答を繰り返すも、現段階ではそれが本当かは判断つけようもなく、彼女の話を信じる他無かった。

「……もしそれが本当ならお兄さんは目を覚ますかもしれません」

「本当!?」

「現段階では憶測でしかありませんが、話通りならば確実かと……」

「姉さんを助ければ……、ルー兄も助かる……?」

「えぇ」

 希望の光がまだあることにメルは歓喜する。

「もしかしたら、あの男が言っていた王都というのは、そこにいる貴族が彼らを雇って攫うよ命じたのかもしれませんね……」

 ヘンリーの魔法はもはや神の領域に近くあり、そんな魔法を扱える人間がいれば誰しも欲するとベルヘルは語る。

「誰であろうと私は姉さんを助けて、ルー兄を助けたい! だから……」

 メルはベルヘルのフードの中を見つめる。

「私は何でもする。この身を犠牲にしてでもいい……。だから! もう一度力を貸して……、くれませんか……!?」

 上目遣いで不安な様子でメルは頼んだ。

「……ふふっ。何を言っているのですか? 私はもう貴方に力を委ねているのですよ? だから、私はいつでも何があっても力になりますよ」

 メルはその言葉を聞いて顔をぱっと明るくした。だが、同時に疑問が過る。

「……どうしてそんなに良くしてくれるの?」

 前にも一度メルは同じ質問をしたことがある。その時は、ベルヘルは同じように不遇な目に遭っていたと言っていた。だが、それだけではメルは納得できなかった。

 メルの気持ちを察したのか、ベルヘルは口を開いた。

「始めに答えたように最初は私と似ていると思ったからでした。ですが、貴方は私たちのことを対等接し、私たちが侮辱されると怒ってくれました。そんな姿が今は亡き私の主に姿が被ってしまうのです」

 ベルヘルは天を見上げ、遥か遠くにいるモノを思い描いていたようだった。

「亡き主は私の力が至らないばかりに命を落としてしまいました……。それから長い年月が経ったある時、主人と似た貴方と出会いました。そして、私は悟りました。これは亡き主が私に与えた使命なのだと……。今度こそ、守りきるのだと……」

 ベルヘルはメルをの方を向いた。

「勝手なことを言っているのは分かっています。ですが、私は同じ過ちをしたくないのです。今度こそ大切な方を守り切りたいのです。ですから、貴方を守らせて下さい」

 メルはベルヘルの言葉を聞いて、顔を綻びながら大粒の涙を流す。

「ありがとうぉ……。本当にありがとうぉ……」

 こんなにも涙を流すこと無かった。メルはこんな姿をリマンやルーイ、ヘンリーに見られたら笑われてしまうと思った。だが、それでもいいとメルは思う。涙を流すこは弱いことではないのだから。

 涙を流していると、ベルヘルはハンカチを差し出した。

「泣かないでください……。女性を泣かしたと亡き主に知られたら叱られてしまいます」

 メルはそれを受け取り、流れ続ける涙を拭き取る。

「それは差し上げます」

「も、貰ったばっかりなのに……。こんなにも貰ったらベルヘルさんの分がなくなっちゃうよ……」

「はっはは。私はたくさんのハンカチを持っていますので、幾らでも差し上げますよ」

 ベルヘルの笑いに釣られて、メルも笑った。

「必ずお姉さんやお兄さんを助けましょう」

「うん……!」

 メルはハンカチで顔を押さえながら力強く頷いた。

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