第7話『再現』
アール都市を脱出してから幾つもの森を抜けたあたりで、日は数分もしない内に消えてしまうぐらいに地平線に沈んでいた。
ラクィオンは姿を隠す必要がなくなったこともあって姿を現して走っていた。
長い間移動していたこともあり、メルの体調は大分治まっていた。だが、不安は目的地へと近づけば近づくほど増していくばかりだった。
アール都市から出てから一度も顔を上げないメルにベルヘルは励ますことしか出来なかった。
「メルさん……。お兄さん方はきっと大丈夫です……」
「……」
ベルヘルはそう言ってメルの頭を優しく撫でた。すると、顔を伏せていたメルはか細い声で呟いた。
「私のせいだ……」
「私が皆んなを置いて、に、逃げ出したせいで皆んなは……」
震える声は時折、喘ぐのを抑えるために息を飲み込みながら話を続ける。
「そんなことはありません。ましてや、人売りの方の話が村の皆さんとは限りま……」
「けど!」
メルはベルヘルの話を遮るように大声を上げながら伏せていた顔を上げる。その顔は今にでも涙が溢れるのを堪えているように、くしゃくしゃになっていた。
「私が逃げている時、ルー兄は私を庇うために彼奴らともみ合いになっていた! そして、森の中で逃げている最中、銃が撃つ音が聞こえたの! それは……、それはルー兄を……!」
メルは最後まで言い切る前に、自身の愚かさを罵倒するかのように自分の髪を乱暴に引っ張る。
「メルさん自分を責めてはいけません! 悪いのは貴方ではありません! それは村の皆さんが誰よりも分かっているはずです!」
ベルヘルは自身で握り締めて自分を痛めつけるメルの手を解き、叱るように強い口調で語る。
「それなのにメルさんがご自身を傷つけるなんていけません! そんなことをしたらお兄さん達が悲しむだけです!」
メルはそう言われ、唇を強く結ぶ。
「ビィー」
突然ラクィオンが唸りを上げて立ち止まる。その声で驚いたように黒いカラス達が一斉に飛び上がった。
メル達は前を見ると切り開かれた道が現れていた。
「こ、ここ……」
木々の上からというのもあるが、一度だけ、一瞬だけしか見ていなかったため、メルは目的の場所がなのか不安になる。
ラクィオンはゆっくりと木々を下り、地面に降り立った。
ラクィオンの背中から降りて、震える足で草木を分けて切り開かれた道へと出た。そして、木々の上からでは道の様子が見えなかった光景が目に入る。
「あ、あぁ……」
少し離れた場所には血を流して息絶えた人々の姿だった。その光景を目にした瞬間、遅れたように吐き出しそうになる鉄臭さと腐臭が襲いかかる。
メルはそれを目撃した瞬間、駆け出した。
「ルー兄!? ホリー!?」
必死に家族や友の名を叫びながら、死屍累々としている元へと駆け寄る。
メルは死んでしまった人々の顔に見覚えがあった。そこで横たわっていたのはメルを逃がそうした村の者達。そして、トマトをくれた男性の姿を。
「い、嫌……!?」
死んでしまった者達は撃たれた後があり、そこから大量に流れた血が乾いていた。
ある者はざくろの如く割られた頭から中身を覗かせ、ある者は腹部から詰め物をはみ出していた。そして、それらの者達は皆、抉られるように肉を啄ばまれた跡が残されていた。
「うっ!? うぇぇぇぇ!?」
ついに耐え切れなくなったメルは崩れるように地面に座り込み、口を大きく開けて吐き出した。吐き出した胃液に包まれた食した物がボトボトと音を立てて飛び散る。
必死に吐き出すのを抑えようとするも、周囲に立ち込める死臭と胃液の臭いで何度も吐き出す。
「メ、メルさん! しっかり!」
ベルヘルは背を丸くくたメルの背を必死にさする。
「はぁ、はぁ……。ル、ルー兄はど、どこ? ホリーは……?」
胃の中身を全て吐き出したメルは充血した目でどろもに姿を探す。だが、そこで倒れていた者達の中に子供はいなかった。
「どこ……? どこにいるの!? ルー兄! ホリー!」
その叫びは誰からも返事をされることは無く、風によって騒めく草木によって掻き消された。
そんな時、突然草木が強く揺れた。風で吹かれて出す音ではなく、それは何かが草木を分けて進む音だった。
ラクィオンは素早くベルヘル達の盾になるようにして前に現れ、唸り声に似た音を発して威嚇した。
「そこにいるのは誰ですか?」
ベルヘルは落ち着いた様子で淡々と尋ねていたが、その声は普段の声よりも低く、怒りが含まれていた。
「っ……!?」
隠れていたつもりだったのか、声を掛けられて驚いたように小さな悲鳴を上げる。
「隠れてないで姿を現してください」
「……」
暫くベルヘル達の間は静寂に包まれ、風が揺れる音だけが耳に入る。そして、隠れていた人物はゆっくりと草木を分けて姿を覗かせた。
「あ、あの……! 怪我している人がいて……、その……、助け……ひっ!?」
草木を分けて現れたのは土埃で汚れた子供だった。不安な様子で顔を覗かせた少女はラクィオンの姿を目にして悲鳴を上げ、地面に尻を打ち付ける。
「この声……」
メルは少女の声を聞いた途端、咄嗟に立ち上がり、身を挺して守ってくれているラクィオンの前に出て悲鳴を上げた人物を目にする。そして、彼女はその人物を見た瞬間、涙が溢れた。
「ホ、ホリー!?」
涙を浮かべて尻もちをしていたホリーにメルは飛びつくように抱きしめた。
メルはホリーを幻ではないことを確かめるように肌に触れ、力強く抱きしめる。
「え……? メ、メル……?」
抱きしめられたホリーは突然の出来事だったため、すぐにメルとはわからなかった。
「ホリー! ホリー! 良かったぁ! 生きていて良かったぁ!」
「メ、メル……! ほ、本当にメル……? 助けに来てくれたの……?」
呆気に取られているホリーにメルは顔を立てに振りながら答えた。
「そうよ! 私よ! 貴方の親友のメルよ!」
「メ、メル……!」
ホリーは本物のメルだと知ると、声を出して泣き出し、枷に繋がれた腕でメルの腰元を抱きしめ返した。
「メル! 無事で良かった! 」
「ごめん! 遅くなっちゃってごめん!」
メルとホリーは少し離れて額同士を付け合った。
暫くして、メル達は額を離して微笑みあっていると、ホリーは後ろに立っていたラクィオンの姿を見て、思い出したように体を震わせた。
「メ、メル……。そ、そこにいるのは誰……?」
「あの人たちが私を助けてくれたの」
メルは先ほどとは打って変わり笑みを浮かべていた。
ベルヘルは安堵した様子で優しく語りかける。
「初めまして、先ほどは怖がらせてしまいすみませんでした。私はベルヘル。そして、彼はラクィオンと申します」
自身よりも何倍も大きなラクィオンを撫でながらベルヘルは語る。そして、ラクィオンは警戒を解き、目玉を細かく動かしていた。
「メルさんと共に皆さんを助ける手助けをさせて頂いていました」
「そ、そうなんだ……。メルは本当に助けを呼んできてくれたんだね……」
「うん……。けど……」
メルは死んでしまった村の人達を見て項垂れる。
「メ、メルは悪くないよ……」
ホリーは皆の姿を見るの怖いのか、顔を背ける。そして、瞳は再び涙で溢れそうになっていた。
メル達が悲しみに包まれている時、ベルヘルが声をかける。
「あの? ホリーさんで宜しかったですよね?」
「えっ? あっ、は、はい」
人見知りでもあるホリーはしどもど体を動かしながら返事をした。
「先ほど出てきた時に怪我人がいると言っていた気がするのですが?」
「あっ! そ、そうです! 実はルーイ君が……」
その言葉にメルは目を見開き、ホリーに迫った。
「ル、ルー兄は無事なの!?」
「う、うん。で、でも……、怪我をしていて……」
「早くルー兄の元に連れてって!」
ホリーの肩を掴み急かすように揺さぶる。
「う、うん!」
足枷が付いていたホリーをラクィオンの背中に乗ってメル達は森林の中へと進んだ。
森林の中は日が一切差し込まず、まるで、夜のように暗かった。
早る気持ちを抑えながらも、メルはいち早くルーイの姿を目にしたかった。
ホリーは森林の中を進む間、メルが逃げた後の出来事を語る。
「メルを逃した後、ルーイ君は怖い人ともみ合いになった際に撃たれちゃって……。そ、それで皆んな体を張ってルーイ君を助け出して、ぼ、僕にルーイ君と共に逃げるように言って……。ぼ、僕は必死にルーイ君を連れてメルとは反対の方に逃げて……」
ホリーはその光景を思い出したのか、涙を浮かべた。そんな時、ラクィオンは何かを嗅ぎつけたのか歩を早めた。
森林の中に入って然程進んでいないところでラクィオンは歩を止める。
「そ、そうここだよ。よ、よくわかったね」
ホリーは恐る恐るラクィオンの体を撫で、ラクィオンは気持ち良さそうに目を閉じる。
メルはラクィオンの体から降り立つと、目の前に生い茂る草木を分けると、小さな坂があり、そこの一部が大きく窪み、横穴ができていた。。
メルは横穴があるとこを避けて坂を滑り降り、穴の前に立った。
森のなかが暗くなっていることもあり、穴の中は真っ暗で良く見えなかったが、中から微かに呼吸をする音が聞こえる。
「ルー兄……?」
目を凝らしていると、ベルヘルが下水道で使った丸細い棒を差し出してきた。それを受け取ってトヨスケがやっていたように、見よう見まねで地面に擦るも火は着かなかった。
「それは石など固い物で擦らないと着きませんよ」
それを聞いてメル適当に落ちている大きめな石に当てて、勢いよく擦ると火がついた。
火を穴の中に傾けると中に横たわっている少年がいた。
「ル、ルー兄!」
横たわっていたのがルーイと知ると、メルは横に座り込んでルーイの顔を見つめた。
「良かった……! ルー兄生きていて良かった……!」
メルは雫を頬から落としながら笑顔で微笑む。
「ルー兄助けに来たよ」
弾むように語りかけたがルーイは一向に目を開くこうとしなかった。
メルは何か嫌な予感がし、声を掛け続ける。
「ルー兄……? ねぇルー兄ってば……?」
「メルさん……。少し急いだ方がいいかもしれません……」
「え……?」
べルヘルは重たい口調で促した。
「お兄さんはかなり出血していており、ホリーさんが止血を行っていてくれたおかげで保てていますが、今すぐにでも治療しないと危ない状態です」
メルは咄嗟にルーイの体を見渡すと、横腹辺りが黒く滲んでいた。よく見れば、ルーイは大量の汗を流し、息は激しかった。苦しそうに眉間を寄せていた。慌てて手を取ってみると、手先は冷たくなっていた。
「そ、そんな……!?」
顔を青ざめてメルは混乱する。
「ど、どうしよう!? ルー兄が……!?」
ルーイの死を想像するだけでメルは倒れてしまいそうになった。
「落ち着いてください。私たちが根城にしている館に戻って、治療が出来るモノにお願いすれば、助かりますから!」
「ほ、本当!? 本当にルー兄死んじゃわない!?」
悲哀に満ちたメルにベルヘルはそっと手を触れる。
「えぇ。大丈夫です。私を信じて下さい」
力強く語る言葉にメルは頷いた。
メルはホリーと力を合わせてルーイを穴から運び出し、ラクィオンの背中へと乗せた。
移動の際にルーイが落ちないようにメルは来ていた上着を脱ぎ、自身と背中に凭れ掛かるルーイの体を縛って固定した。
「では急ぎましょう」
全員が背中に乗ると、ラクィオンはゆっくりと前進した。
一刻の猶予も無かったが、速く走ろうとすればその分衝撃としてルーイの体を襲い、容体を悪化させてしまう。故に出来る限り衝撃を抑えられる速度で進むことになった。
進んできた道を辿って薄暗い森林の中を進み、メル達は死屍累々となっている道へ抜ける。メルは無残な姿になった村の人々をそのまま残して行くことに強い罪悪感を抱く。
メル達がその場を離れたことによってカラス達が再びその場に戻って来ては、死骸を食い漁りに戻っていた。
「うっ……」
ホリーは余りにも酷い惨状に目を背ける。
「ベルヘルさん……。ルー兄を助けたらここに戻って皆んなを埋めてあげてもいい……?」
「……えぇ、もちろんです。しっかり葬ってあげましょう」
「ありがとう……」
メルは自身を助けるために命を落とした者達のことを忘れんと、目に焼き付けるように凝視する。
メルの前に座っていたベルヘルは彼女の気持ちを汲んでか、暫くその場で立ち止まった。そして、数分後に声をかけた。
「……では行きましょうか」
「うん」
館へと歩もうとした時、何かが空を切る音が聞こえた。メルがその正体を探る前に、突然ラクィオンが悲鳴を上げて転倒する。
「グゥァアアェ!?」
「えっ!?」
「わっ!?」
メル達は投げ出されて地面へと叩きつけられた。突然の出来事にカラス達も驚き、羽を落としながら舞い上がる。
「っ……。ル、ルー兄大丈夫!?」
互いを繋ぎ止めていた服を解き、共に投げ出されてしまったルーイを見た。多少切り傷を作っていたが特段別状は無く、メルは安堵する。
「一体どうし……」
横たわっているラクィオンの姿を見た途端、メルは息を飲んだ。
ラクィオンの腹部に木の一部と思われる物が根本まで深々と突き刺さっていた。
「ラクィオン!? 大丈夫!?」
痛みに悶え、体を地面へと擦りつけてうち回るたラクィオンは、突き刺さった腹部からコルクが抜かれたワインのように血が溢れ出す。よく見れば木が突き刺さった周りは異様な形で凹むような形で骨が折れていた。
「ひ、酷い……!」
「ど、どうしてこんなのが……!? ……あれ? ベルヘルさんは……?」
周囲を見渡してもベルヘルの姿を確認することができず、メルは必死に探し続ける。
説明の付かない状況に困惑していると、メルはラクィオン越しに一人の男が歩み寄ってくるのが見えた。その瞬間、鼓動が強く脈打つ。
大柄な体型を漆黒の服で身にまとい、鼻筋に一線を引いた男は笑みを浮かべる。
「よぉガキ。また会えて嬉しいぜぇ?」
兄を殺した男を目にした瞬間、メルは全身の毛が逆立つのを感じ、そして、背中が疼くのを感じた。
「トーテカ坊ちゃんが帰って来ないし、ガキ共が逃げ出したから探しにきたらぁ、まさか怪物連れたガキとすぐに対面出来るなんてなぁ。感動的再開じゃねぇか! なぁ?」
「ディールゥゥゥ!」
メルはラクィオンが倒れた際に折れた太い枝を掴み、ディールへと走り寄る。
「メル!?」
ラクィオンの寄り添っていたホリーは驚愕の声を上げる。
殺意をむき出しに駆け出したメルに対し、焦りや驚いた姿は見られず、代わりに黄ばんだ歯をむき出してディールは粘ついたような笑いをした。
「ほぉ! これは驚いたぁ! 俺の名前を知っているとはなぁ!」
掴んだ太い枝をディール目掛けて右から左へと振り回す。
枝が自身の筋肉で完璧に操れる物ではなかったため、振り回す瞬間、一瞬動きが止まる。だが、上がりきると、後は重力に沿って肩へと叩きつけた。
鈍い音が発するもディールは何事も無かったかのように微動だもしず、笑みを浮かべたままだった。
「っ!?」
「手厚い歓迎だなぁ? お礼をあげねぇとなぁ?」
苦虫を噛み潰したような顔をしているメルにディールは腹部へと拳を叩き込む。
「がっ!?」
振り上げられた拳をダイレクトに受けたメルは地から足が離れ、後ろへと飛ばされる。
地面へと落下し、何度も地面を転がる。漸く止まった時にはどちらが上なのか下なのかわからなくなっていた。分かるのは腹部は強烈な痛みがあることだった。
腹を抱えて悶え苦しむメルの元へとホリーが走りよる。
「っ……!? はぁっ……!?」
「メ、メル!? 大丈夫!?」
「はっははぁ! おもれぇ!」
ディールはメルが持っていた枝を拾い上げると、片手で造作もなしに握り潰した。
腹部を伝って身体中に広がるような痛みに苦しみながらも、メルは声を上げる。
「お、お前……! ね、姉さんや皆んなをどこやった……!?」
ディールは困ったような表情を繕い、舌打ちを繰り返してリズムを刻み、太い人差し指を立てて左右に振る。
「教えらんねぇなぁ……。そんな態度じゃ教えてあげたくてもぉ、教える気にもならねぇよぉ……」
「ふざけんな!」
叫んだために痛みが強まり、顔を歪める。
「まぁまぁ。そんなキレんなよぉ? そんな可愛い顔で見つめられたらぁすぐに殺したくなっちまうだろぉ?」
三日月のように口の両端を釣り上げて笑う姿にホリーは小さな悲鳴を上げる。
「まぁけど、そうだなぁ……。こうして逃げ切れたご褒美ぃはあげねぇとなぁ……」
ディールは手を広げて粉々になった木材を掌で広げる。そして、その手から突如炎が燃え上がる。
「俺ぁ人狩りなんかじゃねぇ」
薄暗闇の中に突如現れた轟々と音を立てて舞い上がる炎の光に、木々で様子を伺っていたカラス達が再び空へと次々と逃げ出す。
まるで手品のような現象にメルは自身の目を疑う。
目の前にいる男はヘンリーと同じように魔法が使えたのだ。
「そしてなぁ……。この炎はお前の兄貴を燃やしたんだぜぇ? いやぁ楽しかったぜぇ!」
リマンや村の男達が焼かれていたのは単なる見せつけではなく、ディールの遊びのための行為だったことを知り、メルは奥歯を軋ませるほど強く噛みしめる。
「生きながら燃やされるってエグくてよぉ。必死に火を消そうとのたうち回るがぁ、火の手は皮膚の下に脂肪でぇさらに勢いを増すばかりぃ、皮膚はただれぇ、筋肉はぁ縮み、血管は弾け。しかし、それでも人間は生きちまうもんでなぁ。次に熱で喉がぁ焼ける。そこで漸く空気が吸えなくなって窒息できる。お前の兄貴も本当はそうなるはずだったんだかなぁ。最初に痛めすぎたせいか、呆気なく死んじまったんだよぉ……。本当、貧弱な男だったぜぇ。お前の兄貴はぁ」
「黙れぇぇえええ!」
喉が裂けんばかりの声を狂い上げる。
村のため、家族のために戦った兄を侮辱されるディールにこれほどまでない殺意を抱く。地を握り締めながら必死に体を起こして兄を殺した男に復讐を遂げようとするも、体はメルの意思とは反対に動くことはなかった。それでもメルは地面に這いずりながらディールに近寄ろうとする。
「殺すぅ! 絶対にお前を殺してやる!」
「はっははぁ! おっかねぇなぁ? いいねぇ! 最高だねぇ!」
メルの憤怒を目にしてけたたましく笑い出す。そして、その目には邪悪なモノが浮かび上がる。
「今ここでぇ、そこにいるガキ共を殺したらぁ、お前はぁどうなるんだろぉなぁ?」
そう言ってディールは傍にあった死体を持ち上げて炎を付けた。
炎はたちまち全身を燃やし尽くし、死体は音を立てながら歪に動く。
ディールはまるで子供のように好奇心に満ち溢れていた。
メルはディールの言葉を聞いて自身の耳を疑いたくなった。
目の前にいるのは本当に人間なのか。いや、目の前にいた者だけではなく、村を襲った人間、アール都市での冷たい反応を見せる人間、同じ人間なのに奴隷として酷い扱いをする人間。メルの目には化け物と呼ばれたベルヘル達よりも、もっと得体の知れない化け物と感じる。
自身たちが何をしたというのだろうか。ただ平穏に、必死に命を繋いでいこうと村の者達と協力し合い、助け合った。贅沢とは言えないどころか、厳しい生活を余儀さぜえなかった。歯車が回るように、毎日が同じことの繰り返しをする。退屈と思うことは多くあった。されど、そんな生活にメルは幸せを感じていた。
永遠に続くことを願っていたのに関わらず、理不尽な行為によってそれは奪われた。
兄を奪われ、姉を奪われ、人権を奪われ、故郷を奪われ、繋がりを奪われた。それなのに、目の前にいる化け物はまだ物足りないと言う。
背中の疼きは強く増す。
思考は纏まらず、もう何が何だか分からなくなる。
ただ思い浮かべられることは原型がない殺意だけだった。
「ふざけんなぁぁぁ!?」
今まで見たことのないぞましい形相をするメルにホリーは狼狽する。
ディールはメルの怒り狂う姿を見て一笑し、燃え上がる死体を捨てて歩み出した。
ゆっくりと確実に歩みよるディールはもう片手からも炎を燃やす。
日は落ち、暗闇の世界の中、ディールが舞い上げる炎ははっきりと周囲を照らす。理不尽という名の絶望は光と形を作って確実に近づいてくる。
生きる希望でもある二人を守ろうと、言うことを聞かない体を必死に鞭打って動かそうとするも、立ち上がることはままならなかった。
ディールは近くたびに徐々に炎を大きく唸らす。
次第に焦りを抱き始める中、メルはホリーに声を掛けようとした時、突然ホリーは立ち上がってメルの目の前に立った。
体を震わせ、膝が笑って今にでも座り込んでしまいそうになっているホリーは手を広げて、メルを守るように佇む。
「ホ、ホリー何しているの!? 早く逃げてルー兄を連れて!」
「い、嫌だ……! メ、メルを置いて逃げるだなんて僕には出来ない……! こ、今度はぼ、僕がメルを守るんだ……!」
震える声は何度も裏がえていたが、その言葉には強い意志を感じた。
ディールの炎を唸らす度に、ホリーは体を強く跳ねさせるも決して一歩も引くことはなかった。
「お願いだから逃げて! 私はこれ以上大切な人を失いたくないの!」
「い、嫌だ!」
断固として逃げようとはしないホリーを逃がそうと、メルは再び体を動かそうと、言うことを聞かない己の体を殴りつけ、なんとかして立ち上がろうとするも結果は変わらなかった。
そんな中でもディールは歩調を変えず、ゆっくりと確実に近づいていた。
メルは自身の弱さに恨み、何も出ないことを呪った。そして、いつの間にか瞳からは涙が溢れ出す。
「ホリー! お願い! お願いだからルー兄を連れて逃げてよぉ!」
泣け叫ぶ願いもディールの燃え上げる炎の唸りによって、打ち消される。男はすでにホリー目と鼻の先まで近づき、ゆっくりと手を突き出す。
「あぁぁぁぁぁ!? やめてぇぇぇ!?」
体をばたつかせ、理不尽な運命から逃れようとするも、メルの目の前でホリーは轟音と共に燃やされる……、と思われたその時だった。突然メルとディールの間に黒い何かが落ちた。
その正体はあの時の黒い骨だった。
黒い骨は地面に落下すると、瞬く間に煙を上げてメル達を包み込んだ。
「あぁ? 灰噴き馬の黒骨だとぉ?」
ディールは邪魔されたことに苛立ちを含んだ声を上げる。
ディールの炎の明かりさえも通さない闇の中、メルの元に声が届く。
「メルさん……、いや、メルよ。貴方に問いましょう。あの者を倒す力が欲しいですか……?」
その声はベルヘルのものだった。そして、ベルヘルはメルが口を開く前に言葉を繋げる。
「友を守るため、家族を守るため、大切な者を守るために力が欲しいですか……? もしその力を得ることによって、貴方が求めていない残酷な未来が起ころうと欲しますか?」
メルはベルヘルが何故そんなことを尋ねてくるのか、意図を掴めなかった。まるで悪魔との取引のように感じさせるやり取りだった。だが、彼女は一つだけ分かることは悪魔に魂を売ってでも力が欲しいということだ。
「欲しい! 皆んなを……、どんなことがあっても大切な人を守りきれる力が欲しい!」
メルは力強く叫ぶと、横から草と土にまみれたローブを着たベルヘルが現れる。
「後悔はしないですね……? ではこの手を……」
ベルヘルがローブから差し出した手は原型をとどめず、光沢を一切見せない液体状だった。メルはその得体の知れない手を見て少し恐怖が浮かぶ。しかし、それも一瞬なものだった。
メルはベルヘルの手と形容しがたいものを掴んだ。
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