第5話『アール都市』

 建物の外は四方が岩肌を見せた壁に包まれ、高い天井の先には穴が開いており、そこか見える空は星々が輝いていた。

 一行はラクィオンの背に乗り、メイド達に見送られながらも出発した。

 壁の一箇所に取り付けられた巨大な鉄扉が、巨大な体を持った一つ目のモンスターの手によって開かれ、ラクィオンは扉の先を目指して駈け出す。

 扉を通り過ぎる際、メルは一目のモンスターから睨まれているような気がした。

 灯りが閉ざされた通路の中、ラクィオンは速度を緩めることなく進み続ける。

 暗さに目が慣れ始めたメルの視界には、時折、闇の中で蠢くようなものが見えた。

 不安に駆られて、前に座っていたトヨスケの服を少し強く握る。

「気にするな。あれは我らの同志だ」

 メルの気持ちを察したのか、トヨスケは一言だけ呟いた。

 暫くして暗闇の世界から微かに光が差し込み始めた。トヨスケの背から覗き込むと一箇所だけ口を開いたように柔い光が漏れていた。

 急勾配な斜面を登り切って光の中へと飛び込む。

 外に飛び出すと視界に映るのは単なる木々が生える森林の中だった。

 メルが襲われた森林とは異なり、立ち並ぶ木々はどれも巨大なものだった。

「メルさん。しっかり捕まっていた方がいいですよ?」

「え?」

 トヨスケの前に座っていたベルヘルが後ろに振り返って語り掛ける言葉の意味に首を傾げていると、突然ラクィオンの体が垂直に傾いた。

「うわぁぁ!?」

 背にあったコブのおかげで落ちる前にトヨスケの服に捕まることができた。

 振り返ると地面が凄い速さで遠ざかっていく。

 大木の頂上に登り切り、体制が元に戻るが息を吐く間もなくラクィオンは突然枝から枝へと飛び渡り始めた。

 メルは浮いては落ちる繰り返しに最初は驚きながらも、まるで何かの乗り物で遊んでいるようで楽しくなった。

 一面が鬱蒼とした木々が広がり、木々の合間を割ってできたような大きな湖。折り重なるように連なった山々。それらが月夜に照らされている光景にメルは心躍らせる。

 大木が連なる森林から背が低くなった別の森林へ移り、長い道のりの果てに森林の最端へ辿りついた。

 草原の先には視界を遮るようにして壁が佇んでおり、遠く離れた場所からもその頑丈さは見て取れる。

「あれがアール都市です」

 都市内部は覗けないものの、建物の一部がいくつか見えていた。その中でも都市中央部付近にはどの建物よりも高く聳え立つ塔が建てられていた。

 壁の上では警備のために焚かれた松明が未だに火を灯し、その付近には銃器を手に持った兵士達が見えた。そして、壁の一部には木製の扉がしっかりと閉じられ、その前に馬車や荷を背負った人達が列を成して止まっていた。

「開門前までには間に合いましたね」

 黒い空に青い液体が染み広がっているかのように、山の方角から太陽が登りつつあった。

「あまり時間がありません。急いで突入の準備をしましょう」

 そう言って徐ろにベルヘルが取り出したカバンにトヨスケは小さくため息を吐く。

 渡されたカバンの中には様々な道具が収納されていた。

 水が入っているだろう水袋、大小異なる布袋が二つ、そして、どういった用途で使うのか丸細い石が二本に、真っ黒な骨が二本入っていた。

「こ、これって何?」

「便利なアイテムですよ。使うときになったら説明しますよ」

 中に入っていた物が何なのか気になるが、メルは追及するのを我慢して渡されたカバンを肩に背負う。そして、ベルヘルがトヨスケの手を借りてカバンの中に納まった。

 カバンに入ったベルヘルは異様なぐらい軽く、メルは驚く。

「ベルヘルさん。軽い!」

「そうなのですよ。私も体重を増やそうと思っているのですが、中々増えてくれなくて」

「姉さんがその言葉聞いたら怒りそうな発言だなぁ……」

 密かにお腹周りの肉のことを気にしていたヘンリーの姿を思い浮かべた。

「出来ましたよ」

 ベルヘルたちが会話していると、トヨスケはいつの間にかラクィオンの腹部に何かを取り付いていた。

「これでどうするの?」

「これでラクィオンさんの腹部に隠れて都市に侵入するのですよ」

 潜入方法を聞いてメルは不安になる。

 ラクィオンの取り付けられた道具は、正方形の形をした革製の布が広がり、その角から伸びるベルトを背中で結ばれ、極端に言えば吊り下がっているだけの状態だった。

 トヨスケは正方形の布に腰を預けてぶら下がる。

「ここに乗れ」

 トヨスケは自身の腹元へに乗るように指を指して言った。

「お、おじゃまします」

 トヨスケの腹部へと跨いで乗ると、カバンに入ったベルヘルを含めて空間はギリギリで乗り込めた。

(重くないかな?)

 自身の体重を気にしながら、なるべく重くならないように体重の掛け方に気を配る。

「では行きましょうか」

「はい」

 トヨスケは腹部を叩き、ラクィオンは唸りを上げて自身の体を透明にして進み始めた。

「こ、これ大丈夫!?」

「声を出すなバレる」

「そ、そう言っても……」

 メルの視界にはラクィオンの姿が消えて、次第に明るくなりつつあるも未だに月が浮かんでいる空が見えていた。

 側から見れば大人の上に乗った少女が低空飛行で移動しているように見えるのではとメルは思った。

 そんなことを考えている最中でも次第に壁へと近づく。

(やっぱりバレるよこれ!?)

 引き返すことを提案しようとした時、壁の上で警備をしていた兵士と目があってしまった。

「あっ……」

 メルは漏れてしまった口元を慌てて塞いで固まってしまった。また、見えていないラクィオンも動きを止めた。

 姿が見えているが、もしかしたら気がついていないかもしれないと淡い期待を抱き、息をも止めていた。

「おい」

 男が口を開いた瞬間、体を震わせた。

 メルは終わったと思うも、男は急にメル達から顔を背けて隣に立っていた兵士に声を掛けた。

「今何時だ。そろそろ開門の時刻じゃないか?」

「いや、まだじゃないか?」

「見ろ、もう大分空が明るいぞ」

 男は奥にいると思われる男に声をかけたらしく、壁側から離れていき、最終的には視界から映らなくなった。

「よ、よかったぁ……」

「気を抜くのは早いですよ」

「う、うん」

 メル達は壁沿いまで辿りつくと、そこから壁を伝ってある場所へと辿り着いた。

「これは……?」

「下水道ですよ」

 壁の付け根に堀が掘られ、その上に鉄格子の合間を縫って流れる水がそこにはあった。

 水は淀んでおり、食べ物の残りカスやゴミなどが流れていた。

 悪臭を放つその下水に鼻を摘みながらメルはベルヘルに鼻声で問う。

「なんでここに来たの?」

「それはここから侵入するからですよ」

「えっ!? ここから入るぅムグ……!?」

 突然トヨスケがベルヘルの口元を手で押さえて声を遮る。

「どうした?」

「んやぁ、何か下から声が聞こえた気がしたんだが……」

 気がつくと壁の上から頭を出してこちらを伺っている兵士がいた。

「一発撃ってみるか?」

 男は見えていないメル達に向かって銃を構える。

 メルは鼻息が次第に荒くなり、汗が滲み出始める。

「止めとけ止めとけ。隊長のお怒りに触れるぜ?」

 その言葉を聞いて男はため息を吐きながら銃を引っ込めた。

「たくっ……。撃って何も問題が無ければそれに越したことないのに、撃つと弾代のことやらでガミガミ言うのはどうかしているぜ……」

「全くだ。そんなことよりも聞いたか?」

「ん? 何を?」

 兵士は頭を引っ込めて行ったが未だ移動して行く気配はなく、その場で話しをしていた。

「勇者が現れたそうだぜ」

「え? 勇者ってあの四十年前に魔王を倒したあの?」

 勇者と言葉が聞こえた瞬間、ベルヘルから放たれる得体の知れない気のような物を肌で感じ、メルは無意識に体を震わせる。また、ラクィオンもそれを感じたのか一瞬細かく体が震えた。唯一、トヨスケだけは微動だにもしなかった。

「違う違う。そっちの勇者様じゃなくて、また新しい勇者が異世界から現れたらしい」

「何だよ。違うのか。けど、何で魔王もいない今に新しい勇者が現れるんだよ?」

「それが新しい勇者が現れたのは、魔王が再び現れるからじゃないかっていう噂で持ちきりなんだよ」

「はぁ? もしもそうだとしても、この武器さえあれば勇者がいなくても怖くないだろ」

「まぁ確かにな」

 そう言って男達は一生した。

「そろそろ交代の時間じゃないか?」

「漸くか、夜の警護は疲れが溜まるわぁ……」

 兵士達の声は遠ざかって行った。

「……行きましたね」

 兵士達が遠ざかったのと同じようにベルヘル達から感じた気も薄れていくように抱くが、それは完全に消え切っていないようにもメルは感じた。

 トヨスケはメルが困惑しているのに気がついたのか、口元を押さえていた手を離した。

「もう話しても大丈夫だ。但し小声でだ」

 メルは小さく頷いて同意した。

「一瞬撃たれるかと思い、ヒヤヒヤしましたね」

 ベルヘルの様子は普段通りのようにメルは感じた。

 何故ベルヘルが先ほどのような気を発したのかメル疑問になりつつも、ベルヘルの話す様子から気のせいだろうとまとめた。

 メルはホッと息を吐いてから呼吸をしてしまったため、下水道から放たれる悪臭が鼻を通して肺に入り込む。その瞬間、気管を通して込み上げる物を感じて慌てて口元を塞ぐも、抑え込むことができなかった。

「うっ……!? ゴッホ! グッホ!」

「この阿呆!?」

 トヨスケは口元を押さえているメルの手の上にさらに覆い被せる様に手を当てた。

「ん? 何か聞こえないか?」

「確かに……。近いな。どこからだ?」

 壁の上の方では少し離れた場所で警護に当たっていた兵士達の耳にメルの咳が聞こえてしまい、音が発せられる場所を探し始めていた。

 そんな中でもメルは咳がなかなか止まらず、一行は焦りを抱いた。

「まさか外からじゃないか?」

 一人の兵士が発した言葉に他の兵士達は顔を見合わせ、銃を構える。

(どうしよう! 早く止まって!?)

 ベルヘルに背中をさすられながらも、必死に堪えようとすると、返って大きな音となって咳が出てしまう。

 ゆっくりと確実に外壁部の方へと歩み寄る兵士達。そして、兵士達は顔を見合わせて、頷き合う。

「合図と共に行くぞ……。5……、4……、3……、2……、1……!」

 次の瞬間、周囲に轟音が鳴り響く。

 その音にメルは驚いて息が詰まる。

 轟音を耳にしたメルはそれが銃声だと思っていたが、銃を構えている兵士達も驚きの声を漏らす。

「今です!」

 ベルヘルが口を開いた瞬間、トヨスケは自身が乗っている器具を腰につけていた小刀で素早く切り裂き、メルを肩で抱きかかえて姿の見えないラクィオンの背中へと股がる。

 姿なきラクィオンは下水が通る堀へと急発進し、体制を横になるように堀の壁沿いながら歩を止めずに進み続ける。しかし、進む先には鉄格子が行く先を阻んでいた。

 抱えられながらもトヨスケの腰に手を回していたメルは、鉄格子と打つかりそうになる瞬間、咄嗟に目を閉じてしまう。だが、身構えていてもいつまでも衝撃が無くて不思議に思っていると、水に飛び込んだ音が響き渡る。

 恐る恐る目を開くと何故か鉄格子の奥に通じていたトンネルへと侵入していた。そして、トヨスケが腰を水に浸かっていた。

 後ろを振り返るも鉄格子は曲げられたなど形状は変わっていなかった。

「なんだ誰もいないじゃないか……」

 外からは兵士達が安堵と失望した感情を混じりながら、散らばって行くのが感じ取れた。

「危なかったですね。助かりましたよトヨスケさん」

「何のこれしき……」

 トヨスケはそう言って手に持っていた小刀を鞘に収めた

「ご、ごめん……、なさい……」

 下水から放たれる悪臭を堪えながら、メルは謝罪を述べた。

「気にしなくていいですよ。確かにここの匂いは酷い物ですから。ね? トヨスケさん」

 ベルヘルも悪臭に耐えられないのか、フードの幅を狭めていた。

 トヨスケはため息を一つ吐く。

「おい。頭を上げろ」

「……?」

 自身の失態に項垂れるように顔を下げていたメルは、トヨスケに言われた通りに顔を上げる。すると、目の前には中指と親指で輪を作った手が構えられていた。それが何を意味をするか悟る前にメルは痛みに襲われる。

 トヨスケは親指で押さえていた中指をメルの額に目掛けて弾いた。

「イッダァ?!」

「これで許してやる」

 鈍い音を発した額を抑えて悶えているメルだったが、トヨスケの行動が叱る時に鉄拳を振るうリマンと姿が被った。

「ぁりがとう……」

 複雑な感情が織り成されながらも、感謝の言葉を伝えたメルの目尻には僅かな雫を作っていた。

「さて、とりあえずここから出ましょうか。服に臭いがついてしまいそうです」

「そうですね」

 トヨスケは無い首の代わりに藁の帽子で頷いた。

 進む前に、と言ってベルヘルはカバンの中からメルが先ほど目にした丸細い石を取り出した。そして、それをトヨスケに渡すと、トヨスケは壁に当てて力強く壁に擦り付けた。

 鈍い音を発しながら、擦り付けた石の先端から炎が燃え上がる。

 明かりが灯されたことにより、下水道の作りが分かるようになった。セメントで覆われている壁の一部が剥がれて、積み上げていたレンガの姿が露わになっていた。また、天井には炎で無数のコウモリの目が光り、こちらを伺っているようだった。

 明かりを頼りにトヨスケが悪臭漂う下水道を歩き出すと、カバンの中に入っていたベルヘルが鉄格子の方を向いて小声でラクィオンの名を発しながら手を振っていた。メルはその名を聞いてラクィオンの姿がどこにも無い事に気がつく。

「あれ? ラクィオンは?」

 ベルヘルに貰ったハンカチを口元に押さえながらメルはベルヘルに尋ねた。

「彼なら格子の前で待って貰っていますよ」

 再び鉄格子に振り返って確認したが、背景に溶け込んでいるためか、姿を確認することは出来なかった。

「トカゲさんは来ないの?」

「彼には待っいて貰わないと、侵入したことがすぐにバレてしまいますからね」

 メルはベルヘルの言葉で先ほど疑問になっていたことを思い出して尋ねた。

「あっ、そう言えば、どうやってこの中に侵入したの?」

「普通に格子を開けて入って来たのですよ?」

「え? でも鉄格子は何ともなってないよ?」

「それはラクィオンさんに胡麻化して貰っているからですよ」

「もしかして、鉄格子に溶け込んでいるってこと?」

「まさにその通りです。格子をトヨスケさんに斬って頂き、出来た穴を我々が入った後にラクィオンさんにはカモフラージュして頂いているのです」

 目を閉じている瞬間に鉄格子を斬っていたことに驚き、信じがたかったが、人狩りの男から救ってくれた時も撃った弾をも斬っていたことを思い出して、メルは納得し始める。

「それでトカゲさんがいないのか。 ……あれ? でもトカゲさんが消えていたところで鉄格子を斬ったことバレちゃうんじゃ……」

 そう言いつつも、先ほど振り返った時には確かに鉄格子が無傷の状態だったことを思い返し、混乱し始めた。

「そうですね。では、その疑問を答えるためにラクィオンさんの体質についてもう少し詳しくお教えしましょう」

 臭いにも慣れてきたのか、ベルヘルの曇った声が元に戻り始めていた。そして、トヨスケは緩やかに曲がる下水道を淡々と歩いていた。

「先ほども言っているようにラクィオンさんの姿を消せる能力は魔法などでは無く、彼の目と皮膚が影響しています」

「目と皮膚?」

「そうです。彼は見たものを記憶し、記憶した背景な皮膚にを映すことで姿を消せているのです」

 眉を寄せながら、メルは何とか理解しようとする。

「えーっと……。で、でもそれでもやっぱり鉄格子とか見えちゃうんじゃ……、あれ?」

 首を捻りながら混乱し始めるメルにベルヘルはさらに明細に答える。

「先ほども言ったように記憶した背景などに溶け込んでいるので、以前に記憶した物を覚えていれば、一部だけ別の時系列の記憶にすり替えることが可能なのです。ですので、下水が流れているところはそのままに、斬られている格子の部分だけを切られる前のに変えることが出来るのです」

「な、なるほど……」

 いまいち理解しきれていなかったメルだったが、姿が見えない原理や鉄格子があるように見える理由は何となくイメージ出来たつもりだった。

 イメージを膨らましていると、前方から断続的に叩きつけているような音が聞こえた。緩やかな曲がり道を歩いていると、目の前に3メートル程の高さがあっる壁に直面する。壁の頂上からは水が流れ落ちて滝のように水が飛沫を上げていた。

「えぇ!? なんで下水道に壁があるの!?」

「これは私たちみたいな侵入者や、汚水が都市の中で貯まらないようにする仕組みですね」

「そんな……、これじゃ登れない……」

 メルは周囲を確認すると、少し離れたところに天井まで伸びた梯子を見つけた。

「あそこから都市の中に入れないの?」

「あの梯子は下水道の点検など行う時に使われる梯子ですね。ですので、あの梯子の上には兵士などが睨みを利かせているのが自然と思われます、なのであそこからの侵入は難しいかと」

 梯子を見つけた時は僅かながらも期待を抱いていたが、兵士と聞いて近寄るどころか、すぐにでもここから離れたくなった。

「こ、ここからどうするの?」

 メルはこの壁を登るのは到底出来るとは思えなかった。

「それはこれを使って登ります」

 ベルヘルが取り出したのは小さな布袋だった。それを開ける中に入っていたのは小さな種だった。胡桃のような形をした白い色の種をまじまじと見つめながら、メルは首を傾げる。

「これは……種?」

「はい。これはパウレカの種という非常に珍しい種なのですよ」

 聞いたことのない名前の珍しい種を目にしたが、メルは首を傾げるばかりだった。

「でー、これでどうやって登るの……?」

「それはですねこれを……、ふっ!」

 ベルヘルは持っていた種を両手で強く握りしめ始めたが、種は形状が変わる様子はなかった。

「ベルヘル殿、私がやりましょう」

「す、すみません……。お願いします……」

 力んでいたためか、少し息を荒げながらトヨスケに種を渡した。種を渡されたトヨスケは楽々と片手で種を握り潰す。

 トヨスケが握り潰した種は殻同様に白い色をした綿状の実が詰まっていた。

「これに水を掛けるのですが、下水では成功し辛いので綺麗な水を掛けます」

 そう言ってベルヘルはカバンの中から水袋を取り出した。そして、それをメルに渡して掛けるように促した。

 メルは言われた通りに綿状の実に水袋の水を掛けると、実は急激に膨れ始めた。

 球体状に膨らみ始めた実は人の頭の一回り程の大きさになった所で膨れ上がるのが止まった。すると、今度は球体がゆっくりと浮き始めた。

「しっかり捕まっていてください」

 トヨスケは浮き始めた綿を掴みと、下水に浸っていた体が徐々に引き上げられ、ついには水面へと足先が現れる。

「凄い! 飛んでる!」

 地を離れたメルは驚きながらも嬉々と声を上げた。

 綿が天井まで上り詰めると、天井の汚れを触れたためか、真っ白だった綿が黒く汚れた。すると、天井まで上がっていた綿が次第に高度を下げ始めた。

「あれ? なんか落ち始めてない?」

「きっと、種が天井の汚れを吸ってしまったためですね。パウレカの種は綺麗な水でないと浮かばず、汚れてしまうと落下してしまうのですよ」

「え!? ベルヘルさん呑気に言っているけど大変じゃない!? わっ!」

 一瞬だけ重力に沿って落ち、メルは悲鳴を上げたがすぐに浮かぶ。しかし、綿が落下しているのには変わらなかった。

「少々揺れますので、しっかり捕まりを。特に女子は絶対に手を放すなよ」

 そう言うとトヨスケは体を前後に揺すり始める。不安定な綿は一緒に引っ張られるこよもあった。

 高度が壁よりも下へと下りそうになったところで、振り子のように勢いをつけたトヨスケは壁の頂上へと飛び移る。無事に頂上へと着水したが降り立った場所には小石があり、トヨスケは体制が崩れそうになる。

「うわぁ!? 落ちる落ちる!?」

「落ちるか阿呆!」

 一旦崩れかけたもすぐに体制を戻し、流水の中でもトヨスケは仁王立ちしてその場に留まっていた。不意に背後から水が叩きつけられる音の他に、何かが水面に落ちた音がしたような気がしたが、メルは気のせいだだろうと片付けてトヨスケに牙を向けた。

「アホとか言わないでよ! アホっていう方がアホなんだよ?」

「阿呆に阿呆言うのは自然なことだ。大体アホじゃなくて阿呆だ。わかったか阿呆」

「阿呆阿呆言うな!」

 拗ねるようにそっぽを向くと、メルの視線に先ほどまで真っ白に浮かんでいたパウレカの種は汚水に穢れて萎んで流されて行くのが入る。

 流されるパウレカの種を見つめていたメルにベルヘルは声を掛けた。

「どうしたのですか?」

「可哀想なことしちゃったなって……」

「可哀想なこと……、ですか?」

「うん。だってあんなにも真っ白で綺麗で、どこまでも高く飛べそうだったのに、私のせいで一度も空を飛ぶことなく萎んじゃったんだもん……」

「……」

「ベルヘルさん?」

 無言になったベルヘルにメルは眉を潜めながら尋ねた。

「いえ……。そうですね……」

 今まで真摯に取り合ってくれたベルヘルが突然生返事のような返答をしたため、メルは気になった。

「どうしたの? 私変なこと言っちゃったかな……?」

 不安がる少女に気がつき、自身が上の空だったことに気がつき、ベルヘルは慌てて否定した。

「そんなことはないですよ! 少し考え事してしまっていました。すみません」

「本当に?」

「えぇ、本当ですよ」

 ベルヘルの言葉には嘘を言っている様子は無く、メルは胸を撫で下ろした。

「なら良かった」

 メルが安心したところでトヨスケは歩を進め、しばらく歩いていると下水道に沿って造られた細い道が現れた。

 トヨスケは陸地にメル達を下ろした。

「やっと降りられた……。お腹苦しかったんだよね」

 そう言ってメルは圧迫されていた腹部を摩る。

「では私はここで待機しております」

「え? トヨスケさんは来ないの?」

「こんな身なりだと怪しまれるし、俺が怪物だと探知する奴がいるかもしれない。だから女子が戻ってくるまでここで待機しておく。勿論何かあれ助太刀しに行く」

「そうなんだ……。ベルヘルさんもここに?」

「いえ、私は先ほどと同様にカバンの中に入ったままついて行きますよ」

「ベルヘルさんは気付かれないの?」

「私は脆弱すぎて探知されないのですよ」

 笑いながらベルヘルは答えた。

「そろそろ行った方が宜しいですよ。人が増える前に行かないと下水道から現れるところを見られたら厄介ですし」

「そうですね。では行きましょうかメルさん」

「うん」

 メル達はトヨスケに見送られながら湿った道を歩いた。

 暫くしてトンネルに光が差し込み、外に通ずる出口を見つけた。出口に近づけば近づくほど淀んでいた空気が薄れ、メルは自身の鼻が麻痺していたことに気がつかされた。

 トンネルの外へと出ると、今まで暗い場所にいたため、目に強い刺激に襲われて目を瞑ってしまう。目が光に慣れ始めるとメルはゆっくりと瞼を上げる。

 先ほどまで薄暗かった空は、太陽が登って透き通った青い空が広がっていた。視線の先には川を渡るための橋が架かり、左右には建物の一部が姿を覗かせていた。また、周囲からは賑わっている声が聞こえた。

 村から出たことのないメルは河川から見た風景だけでも胸が踊り、どんな光景が広がっているのか気になって落ち着かない様子だった。

「あそこに梯子があるので登りましょう」

 ベルヘルに指示された通りに約三メートルの壁に取り付けられた錆び付いた梯子を素手て徐ろに触り、ざらついた触感を感じながらも、気にも留めずに素早く登っていく。

 頂上でもある柵に手をつけて体を引き上げると、メルの視界に見たことのない街並みが広がった。

「うわぁー! 凄い!」

 村では数少なかった2階建ての建物が看板を掲げて連なっていた。多くの食材が積まれ、食器や家具、得体の知れない液体を並べている店もあった。また、行き交う人々の中には見たことのない服装に身に纏う人々ばかりだった。

 視界の奥には荷物を積み込んだ馬車や、黒色に輝く馬車など忙しく走っていた。

 知らず知らずに足が進み、何度も周囲を見渡しても飽きないほど、どれも見た事のない物が立ち並ぶ。

 メルは目を輝かせながら見渡していると、危うく人にぶつかりそうになった。

「あぶねぇぞ! 気をつけろ!」

「ご、ごめんなさい」

 強い口調で怒られてしまったメルは慌てて一歩退こうとすると、今度は別の人物に罵倒される。

 メルは一旦上がってきた柵の前に戻って心を落ち着かせた。

 村の人々とは違い、強い口調で言われることに驚いていた。

「大丈夫ですか?」

 ベルヘルが小声で心配そうに語りかける。

「う、うん。あんまりも人が多くて驚いちゃった」

「気をつけてくださいね。こういう場所では泥棒などが溢れていますから」

「うん」

「とりあえず、人売りが営んでいる場所を聞き回りましょう」

 メルは人売りの言葉を聞いてルーイ達にもうすぐで会えると知り、力強く頷いた。

(リマ兄、ホリー、皆んな。待っていて! すぐ助けに行くから!)

 メルは自身の頬を両手で叩いて気合を入れた。

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