第4話『悲しみを越えて』
目を開けると見知らぬ天井が広がっていた。
メルは横になっていた体を起こす。
彼女は体を起こしたことによって全てが黒で装飾されたベットの上で、寝ていたことに気がついた。
ベットの角には金色に輝いた柱がそびえており、そこから天幕のような黒い布が張られていた。
ベットを中心とした周囲にはタンスや椅子などといった家具が置かれていた。それら全てメルには高価な物という印象を受ける。
「ここは……?」
見慣れない白いワイシャツを着せられ、真っ黒なブランケットを被せられていたメルは、自身がどうしてこんな場所にいるのか瞬時に思い出せなかった。
前回起きた時から記憶を辿り、いつも通りの日常風景が広がっていった。初めは夢か現実か判断できなかったものの、記憶のページを捲るにつれてぼやけた記憶が次第にはっきりとしていき、メルは忘れていた悲しみが蘇る。
メルはリマンの最後の会話、そして、リマンが村を救うために走り去る背中を思い浮かべる。
「リマ兄……」
顔を隠すように手を運び、メルは悲しみに耽る。
そんな時、右手に配置されていた扉からノックする音が聞こえた。
メルは扉の方を凝視して固まった。
(だ、誰……?)
瞬時に思い浮かべたのはヘンリーだったが、メルはそんな期待はすぐに捨てた。
ノックされてから数秒の間、無音が続く。声を出すのも恐ろしかったが、静寂もメルは怖かった。
静寂さに耐えきれずに物音を立てないようにゆっくりとベットの端へと移動していると、扉の先から声が聞こえた。
「……入りますよ」
扉がゆっくりと開いていくのを目にして彼女は心臓の音が自身で聞こえるぐらいに動悸が早くなる。
頭一つ分程開いて、メルが強張った様子で身構える。
「おや、起きていましたか」
姿が無き場所から声がしてメルが困惑して部屋を見渡していると、さらに声が続いた。
「傷の方はどうですか? 一応治癒魔法が使えるモノに治療して貰ったのですが」
扉が勝手に閉まり、椅子が動き出してメルは驚いていた。
椅子がベットの横で動きが止まった。
目の前には魔法か、何かで見えない得体の知れないモノがいるとメルは思えた。しかし
、その考えは一瞬で消えた。
「よいっしょっと」
「あっ……」
椅子の上によじ登る形で黒いローブに身を纏った小さきモノが現れたのだった。
メルはベットの端に移動してしまったため、扉の三分の一程が死角になってしまい、今まで彼の姿が見えなかった。
見えなかった理由が単純なことだと分かって、安堵と同時に先ほどまで怖がっていたのが恥ずかしくなった。今思えば聞き覚えのある声であったから尚更だった。
ローブを着たモノのことをメルは覚えていた。
救ってくれたこと、そして、彼が人ならざる者だということも。
「落ち着きましたか?」
恥ずかしくて顔を伏せていたメルはゆっくりと頷いた。
「それは良かった」
優しげに話す声にメルは、どこかとなく安心感を抱く。
「驚きましたよね。起きたら見知らぬ場所にいて」
「うん……、あっ、はい……」
「敬語なんて使わなくていいですよ」
顔が見えないフードの中で笑みを含んだ声が発せられた。
「ここは私の同志達と根城としている場所ですので、襲われるような危険はないので安心してくださいね」
優しく告げてくれる彼に対してメルはいつの間にか恐怖感が薄れており、勇気を出して質問をした。
「あ、あの……。どうして私を助けてくれたの……、ですか……?」
「そうですね。一言で言えば、私に似ていたから……、ですかね」
「似ていた?」
ベルヘルはゆっくりと頷いた。
「私も昔散々な目に合っていた時があったのですよ」
貴方ほどではありませんが、と付け加えて話を進めた。
「私はこの姿もあって有りとあらゆるモノに疎まれ、蔑まれていました。殺されそうになったことだってありました……けど、そんなある時、私はある方に助けられました。そして、貴方を見た時、私はその時の情景を思い出したのです。手を差し出して下さったあの方の事を……」
ベルヘルは過去の思い出に浸るようにゆっくりと話した。
「だから、私もあの方のように貴方を助けたいと思ったのです」
「それが理由……?」
「はい。それだけです」
優しげかつ、はっきりと答えたベルヘルにメルは嘘をついているようには感じられなかった。
「そういえば、まだきちんとした自己紹介をしていませんでしたね。私の名前はベルヘル。名目では主人など言われていますが、私にはその力も叡智もありませんが」
ベルヘルはそう言って苦笑したような声を出した。
名前を言っていないことに言われて気がついたメルも名前を告げた。
「わ、私はメル」
知らず知らずに敬語を止めていたメルは、自身の名前を言ってくれていた村の皆のことを思い出して辛くなる。
「とても良い名前ですね」
そう言われてメルは強く頷いた。
「宜しければメルさんのような幼子が何故あんなことになっていたのか、教えて頂けませんか?」
メルの表情は雲がかかったように暗くなった。
「もちろん、無理には聞きません。話したくなかったら話さなくて大丈夫ですよ」
だが、メルは助けてくれたベルヘルに隠し事をするのは良くないと思い、重たい口を開いた。
長い長い一日を彼女は淡々と語る。
兄妹達のこと、村の皆のこと、村で起きた悲劇のことを彼女は目にした光景をできる限り、具体的に言葉にして伝えた。
時折、話の筋が通っていない場面もありながらも、ベルヘルは一切口を挟まず、彼女の話に耳を傾けた。
メルが話し終えると、いつの間にか目元に涙が膨れていた。
涙を流さまいと拭き取ろうとした時、ベルヘルがハンカチを差し出した。
「どうぞ」
普通のよりもひと回り程小さかったハンカチを受け取り、それを使って涙を拭った。
「大変……、では済まされない過酷な惨劇を受けたのですね……」
メルは頷いた。
「けど、もう大丈夫ですよ。ここなら村を襲った者が来ることはありません。それに、メルさんが他の村で生活できるまで工面しますので、心が落ち着くまでゆっくりしていてください」
「……」
「どうしました? もしかして、騙されていると思っていますか? 安心してください。嘘はついていません……、と言ってもなかなか信じて貰えないとは思いますが……」
「そ、そんなことない……!? ただ……」
口を強く結ぶ彼女の姿を見てベルヘルは首を傾げる。
「では一体……?」
ベルヘルにこれほどまでにない恩恵を受けるメルだったが、そんな相手に今から発しようとする言葉に罪悪感と、緊張感に挟まれて逃げ出しそうになる。しかし、メルはそれらの感情をかき消して、乾いた口を開いた。
「う、嬉しいけど、私ルー……、兄さんや姉さん、村の皆んなを見つけて助けないといけないの! けど、私一人じゃどうにもできない……。勿論お金はお渡しします。足りないというなら私が何とかしてお金を集めます! だから、お願い! い、いや、お願いします! 兄さんや姉さんや村の皆んなを助けるのに力を貸してください!」
メルはすがるように頭を深々と下げた。
「助けてもらったのにも関わらず、身勝手なお願いをしているのは分かっています! けど、頼めるのは貴方しかいないの!」
ベルヘルが答えてくれるまで姿勢を崩さまいと思っていたメルだったが、答えを待つ時間は異常に長く感じられた。
(やっぱりダメだよね……)
半ば諦めかけていた時、ベルヘルは口を開いた。
「いいでしょう」
「ですよね……。……え?」
メルは瞬きを繰り返し、耳にした言葉が幻聴ではないか自身で疑った。
「今なんて……?」
「メルさんのご家族や村の人を助けるのを手助けすると言ったのですよ?」
「ほ、本当に!?」
「えぇ。ただし、お金はメルさんが持っていた額だけで結構ですよ」
ベルヘルの言葉を聞いてメルは涙が溢れ出てきた。
「……やった」
ルーイやホリー達との約束を果たせると思うとメルは気が抜けて、後ろへと倒れそうになり、慌てて膝で体制を作った。
顔を伝って顎から涙が滴るのを感じ取り、服やブランケットを汚さないように慌てて渡されたハンカチで拭った。しかし、拭えば拭うほど涙が溢れていく。
伝えなければいけない言葉があるのに、涙がそれを止めてしまう。
口を開こうとすれば息が止まってしまう。
そんなことを繰り返すのちに、メルは途切れ途切れの言葉を発した。
「あ、あり……、うっ……とう……。 ひっぐ……、りぃがどう……」
メルは何度も感謝の気持ち言い続けた。
ベルヘルは椅子の上で膝をつき、前かがみの体勢でベットに手をついてもう片手でメルの背中を優しく撫でた。
「はい。どういたしまして……、と言うのはまだ早いですね」
顔は見えないけれどベルヘルの優しい声を聞いて、笑顔になっているとメルは感じた。
メルは漸く涙が止まり、真っ赤に染まった目元を拭った。
彼女が落ち着いたのを見てから、ベルヘルは口を開いた。
「さて、ではこれからどうするか話し合わなければいけませんね」
そう言ってベルヘルは、扉の方を向かってトヨスケの名を呼んだ。
扉の先から現れたのは服装は変わっていたが、藁の帽子と、腰につけている刀だけは変わっていなかった。
「お呼びでしょうか?」
「トヨスケさん。お願いがあるのですが」
「この女子の身内を助ける手伝いをすればいいのですか?」
「話が早いですね」
「外から聞こえていましたので」
メルは自分の泣いていた所も聞かれていたのかと思うと恥ずかしくなった。
「では意見を聞かせて欲しいのですが、村人の人達はどこに連れて行かれると思いますか?」
「売ることが目的とするならば、女子と遭遇した場所を考えるとアール都市かと」
「やはり一番近い都市の可能性が高いですよね……」
人狩り達は出来る限り、素早く狩り取った人間を手元から離したがる。
疲労度、飽満度、衛生さなどと様々な理由から来ているのもある。いわば、人間も食材と同様に鮮度が求められるからだった。
「ではその都市に行ってみるとしましょう」
「まさかベルヘル殿も都市に入るなどと言わないでしょうね?」
「勿論行きますよ?」
トヨスケはその言葉を聞いてため息をついた。
「あのですね、敵でもある人間共が集う場所に行こうなどと思うのは阿呆がやることですよ? それが主君とならば尚更のことですよ。そもそもどうやって都市内に入るつもりですか?」
メルもベルヘルの容姿だと都市に入る前に撃退されかねないのではと考える。
「それはハリードさんにお願いするのですよ」
「はぁ?」
「え!? 私?!」
ベルヘルを都市に入れる方法を思い浮かばなく、ましてや、メル自身が何かできることなどあるとは思えなかった。
「た、多分私に出来ることはないと思うけど……」
「大丈夫ですよ。まぁ私に任せてくださいよ」
ベルヘルの笑みを含んだ言葉にトヨスケは胃の辺りを押さえながらため息を吐いた。
そんな時、突然地鳴りのような鈍い音が発せられた。
ベルヘルとトヨスケは音の正体を探るために音がした方に視線を向けるとメルがお腹を押さえて顔を赤くしていた。
「先に食事にしましょうか」
「では何か料理人に何か作らせます」
「え! いや、そんなことよりも……」
「安心してください。人に害が出るようなは料理は出ませんので」
「そういうことじゃなくて……!」
そんなやり取りをしている間にトヨスケは部屋から出て行ってしまった。
トヨスケを止めようと声と共に手を出すも間に合わず、空を切って終えた。
「身内の方を一刻も早く助けたいのは分かりますが、お腹が空いてはまともな判断はできませんよ? トヨスケさんがいた国ではそういうことを『腹が減っては戦もできぬ』とおっしゃるそうです」
メルの心境を汲みながら宥めるトヨスケはそっと少女の手を触れた。
「ハリードさんには身内の方を助けるために手伝ってもらわなければいけないことがあります。そんな時に動く気力が低下していたら、いざという時に問題が生じてしまうかもしれません。ですので、しっかり力をつけてから助けに行きましょう」
「……うん」
焦る気持ちが増すもメルは頷いた。
それからベルヘルは外で待機させていたであろう三人の美しいメイドを呼び、メルを着替えさせるように頼んでから部屋を後にした。
メルは用意された衣装を持って来た、耳の長くてため息が出るほどの美しい容姿を持つメイド達に付き添われながら着替えた。
メルは寝ていた時に着せられていたワイシャツを脱がされて気がついたことがあった。
汚れきっていたはずの体は綺麗になって、仄かに石鹸の匂いが漂っていた。そして、怪我があった場所が塞がって、代わりに傷跡が残っていた。
ベルヘルが治癒魔法をかけてくれたと言っていたことをメルは思い出したが、何故傷跡が残っているのか疑問だった。
姉であるヘンリーが治してくれるときは、怪我をしていたのが嘘だったかのように傷跡を一切残さずに元通りに治してくれていた。
全身にあった浅い切り傷は消えていたものの、足首は薄皮が剥がれたような跡が日焼けしてあったはずの肌が、火傷の後のような肌へと変わっていた。
メルがどれだけ怪我をしていたのか気になって全身確認しようと部屋の隅にあった鏡で背中を鏡に映そうとしたが、メイドが服を着させ始めてしまったために、確認出来なかった。
着せ替え人形のようにメイド達に思うがままに着替えさせられた自身の服装を見てメルは言葉を失った。それは、肌を優しく包むような滑らかな素材に淡い緑色で染まった丈の少し短くてフリルが付き、日に焼けた肩が露出したドレスを身に纏った少女がそこには居たからだった。また、足を包み込むような長い靴下を履かされていた。
普段からタンクトップを着ていて肩の露出など気にならないはずだったが、メルは着たことのない女性らしい服装に恥ずかしくなっていた。それに、ドレスを着た姿にベルヘルが綺麗と言ったために尚更だった。
ドレスに着替えた後、連れられたのは長い机に白い布を広げ、その上に数多く並ぶフォークやナイフ、スプーンに純白に煌びやかな金色の模様が描かれている食器。花瓶に添えられた小さな白い蕾をいくつもこしらえた花が薄っすらと光を放っていた。
運ばれてくる食事はどれも食べたことのないほど美味しいものであった。
柔らかくて香ばしいパンに、飲むと体に染み渡るようなスープ、頬が落ちそうになる肉。
全てがメルにとっては新しい経験だった。
最初の内は食べ方に注意していたが、空腹とあまりの美味しさにがっつくようにして一瞬で食事を済ませてしまう程だった。
日頃は満腹になれるほどの食事が出来ることは少なく、久々に満腹になるまで食事をしたメルは幸せな気持ちになっていた。
食後の紅茶を啜っていると対面に座っていたベルヘルが口を開いた。
「お口に合いました?」
「うん! 初めてあんなに美味しいの食べた!」
「それは良かったです」
「けど……」
幸せに包まれる反面、姉や兄を差し置いて自分だけこんないい思いをすることに罪悪感に襲われる。
「姉さんやルー兄が大変な目にあっているのに、私だけこんな……」
項垂れるように顔を伏せてメルは落ち込んでしまった。
「それなら、皆さんを助けてからもう一度食事をご馳走しましょう」
「いいの!?」
「えぇ、勿論」
「やったー!」
メルが嬉々として笑う姿にベルヘルは和まされた。
メルが喜んでいると、ふと、疑問が浮かんだ。
「そういえば、あれから……、私が助けられてからどれぐらい寝ていたの?」
「大体半日を過ぎたぐらいと言ったところですね」
「そ、そんなに!?」
予想しているよりも時が経っていることにメルは焦り始めた。
「寧ろあんなに疲労している中で、こんなに早く回復したのが驚くぐらいですよ」
「そ、そんなに時間経っていたらルー兄達が売られちゃう!」
「落ち着いてください。あの時は日も幾分落ちて夜に近づいていましたので、暗闇の中頼りない光だけで夜道を進むとは考え辛いと思われます。ですから、彼らが動き出すのは日が昇り始めたらですから、今頃がアール都市に到着するでしょう」
「だったら尚更すぐに行かなきゃ!」
勢いよく立ち上がったため、メルが座っていた椅子が傾き、音を立てながら倒れた。
「ご、ごめんさい……」
ルーイ達を助けるのを手伝って貰っている身にも関わらず、身勝手なことを言っていることに気がつき、メルは自身のことが嫌になる。
メイドに手伝ってもらいながらメルは椅子を立直した。
ベルヘルは椅子から飛び降り、俯いているメルの元まで歩いた。
「メルさん、どうぞ座ってください」
「う、うん……」
メル言われるがままに再び椅子に座る。
彼女に一番近い椅子にベルヘルはメイドの手を借りて座った。
「本当ならばアール都市に入る前に救出したかったのですが、あの後、追いかけようにも私一人では貴方を連れてここに戻ってくることは危険が伴うのもありましたし、何もりも足が無かったので、トヨスケさんに彼らを追いかけて貰うことができなかったのです」
メルが喋ろうとする前にベルヘルは間を空けずに話し続ける。
「なので、彼らがアール都市に入っていることを前提とした算段を考えました」
「ど、どういうこと……?」
眉間を寄せて首を傾げるメルにベルヘルは答える。
人狩りは奴隷として村の人達を売って早々に金を手に入れたい。そこで村から最も近いアール都市で人買いに売る。商品を手に入れた人買いは数多の買い手に商売を始めようとするが、直ぐには売り払わない。理由としては高値で売るために客の希望に最も沿った商品を探すためにリストと照らし合わせるためだった。他には反抗心や逃げられるという希望を潰すため、手懐けさせやすくするために調教と言った拷問、様々な理由が挙げられた。
それらの手順を踏まえ、病や餓死などを避けることを考慮して2日間は猶予があるとベルヘルは考えられた。
「何の罪もない皆んなに、そんな酷いことをするなんて……」
話を聞いている途中から胸の中で憤りを燃やしながらメルは奥歯を噛みしめる。
「そこで、村の人が人買いに囚われている所を狙って救出したいと思います」
「でもどうやって……?」
「それは隠密……、隠れることが得意な同志の協力を仰ぎたいと思っています」
ベルヘルはメルにも判り易いように言葉を選んで口にした。
「そこで救出にあたってメルさんにお願いしたいことがあります」
「な、何?」
村の皆を助けるために決して失敗できないと、メルは身構えた。
「救出するには囚われた場所を見つけなければいけません。そこで少々危険ではありますが、メルさんに村の人達を見つけ出して頂きたいのです」
「私が皆んなを見つける……?」
ベルヘルはメルの問いに頷く。
「本当なら辛いことがあったばかりのメルさんをお連れしたくないのですが、村の人達の顔は私達には分かりません。ですので、メルさんに見つけて欲しいのです」
「わ、私潜入とかできないよ!?」
メルは手を左右に振って強く否定した。
「大丈夫です。潜入等の危険な真似はしなくていいのです。人売りは客に商品を陳列棚という檻の中に入れて見せていますので、その中から村の人達を探し出して私達に教えてくれればいいのです」
兄達を助けるためなら何でもするつもりではあったが、想像を絶するようなことを求められるのではないかと半ば怯えていた。だが、想像していたよりも遥かに低く思える要求にメルは呆気をとられる。
「そ、そんなことだけでいいの?」
「はい。さっきも言った通り私はメルさんを危険な目に合わせるつもりは毛頭ありません」
多少は危険を伴って貰うかもしれませんがと続けて言った。
メルは要求されたことをするだけで本当に上手くいくのか不安であったが、自身の行動で皆を救えるならと口の中で呟いて決心する。
「わかった……! 私やるよ!」
「ありがとうございます」
「なんでベルヘルさんがお礼を言っているの? 私がお礼を言う方なのに」
メルはそう言ってクスリと笑った。
「言われてみればそうかもしれませんね」
釣られるようにベルヘルも笑った。
「話の腰を折って申し訳ないのですが、お聞きしていいでしょうか?」
壁沿いに佇むメイドの隣で両膝を曲げて座っていたトヨスケが声を掛けた。
「何でしょうか?」
「先ほどベル……、殿はその女子を使ってアール都市内に潜入すると言っていましたが、一体どうやってなさるつもりですか?」
トヨスケの問いにメルも興味が湧き、ベルヘルに耳を傾けた。
「それはですね……」
ベルヘルは壁沿いに立っていたメイドの名を呼んで、頼んでいた物を持ってくるようにお願いした。そして、メイドが持ってきた物に二人は目を白黒させた。
「殿……、それは一体……?」
「見ての通りカバンですよ」
メイドから受け取った物は何の変哲も無い動物の皮で作られた焦げ茶色の両肩で背負うカバンだった。
「それはどんな阿呆が見ても分かります。それでどうするつもりかを聞いているのです」
「これの中に私が入り、メルさんに背負って貰うのですよ」
その言葉にその場にいたモノ全てが凍りついた。
皆が言葉に別の意味が隠されているのではないかと思い、真意を考えようとするも何も思い浮かばなかった。
止まっていた時間がメルの驚きの声で解き放たれた。
「えぇ!? 私にお願いすることってそれ!?」
微動だしていなかったメイド達でさえ、驚きのあまり顔を見合わせていた。
ここ最近感じたことの無い程の胃の痛みに、トヨスケは腹部を手で押さえてしまう。
(もうこの君子は……。胃薬も飲めない体なのに胃はキリキリと痛むとは……、これは何かの拷問ではないのか……?)
「どうです? いいアイデアでしょう?」
「えぇっと……」
「……ど阿呆の考えですよ」
メルが答えづらそうに視線を泳がしている中、トヨスケは一太刀斬り込むように言い放った。
「あれ? 私はとてもいいアイデアだと思ったのですが?」
「どこがいいアイデアですか……。本当に君子としての気構えが足りないのではないですか? 大体日頃から……」
トヨスケがベルヘルに向かって説教している様子は見た目通り、大人が子供を叱るように話しているようでメルは可笑しくて笑いだした。
メルは再び用意された服に着替えてベルヘルと共にアール都市へと向かうことになった。
用意された服は白色と水色をベースとした上着は特徴的でもある大きめのボタンで閉じられていた。
肩から先を寸断したように袖を無くし、首元は隠れるぐらいの襟が立ち、それに連なってフードが取り付けられていた。また、黄緑のラインが入ったタンクトップを隙間から覗かせていた。腰元からは短いスカートの下に隠れるように履いた短パン、そして、足全体を黒色に黄緑のラインが入った薄い生地が包んでいた。
着替えたメルがメイドに案内された場所は建物の中心でもある中庭だった。そこでベルヘルが待っていた。
ベルヘルの他には腰に刀を納めたトヨスケ。そして、四足歩行の胴体から連なる細長い尾に、今でも飛び出そうな目を持ったトカゲを連想させる生き物がその場にいた。しかし、メルが知っているトカゲの何倍も大きく、目の高さはメルの身長とほぼ同じで、全長となるとトヨスケの身長をも凌ぐ大きさだった。
「彼が私達をアール都市近辺まで連れてってくれるラクィオンさんです」
ラクィオンと呼ばれたトカゲは首元を覆うように長い毛を生やし、背中には二つのコブらしく物が盛り上がっていた。そして、小刻みに目を動かしてメルを観察している様子にも見えた。
メルは自身よりも大きな生き物を見るのが初めてで、多少なりとも萎縮していた。
「彼は温厚な性格なので怖がらなくても大丈夫ですよ」
「い、いや! 怖がってないよ!?」
強がりながらも恐る恐る近づくとラクィオンの肌は細いが凹凸が広がっていた。
(近づいて見ると、思ったよりもザラザラしているのかな?)
最初は気後れしがちだったが次第に興味心が勝り、ゆっくりとトカゲへと手を伸ばす。
触れるまで後数センチと言ったところで、突然ラクィオンの姿が消えた。
「わっ!? えっ!? 何?!」
突然の事態にメルは手を引っ込めて驚きの声を上げた。
周囲を見渡してラクィオンの姿を探す彼女の姿にベルヘルは微笑した。
「ベルヘルさん! トカゲさんどこ行ったの!?」
「彼はどこにも行ってないはずですよ」
「え……? でもいないよ?」
「では試しに腕を伸ばしてみて下さい」
メルは言われた通りに引っ込めた腕を再び前に突き出した。すると、何も無い空中で指の先端に何かが触れた。
「なんかに当たった!」
楽しそうに驚くメルは手を動かしてみる。
多少なりと凹凸を感じながらも、手先ではなめらかな肌触りだった。
「すごい! 見え無いのに何かいる!」
嬉々として驚いているメルの姿にベルヘルは安堵した。
(怖がられたらどうしようかと思いましたが、そんな心配は必要なかったみたいですね)
そんなことを考えているとメルが言葉を掛けてきた。
「どうして姿が見えないの? 魔法?」
興味津々になってベルヘルに尋ねる彼女に、ベルヘルは胸を張って得意気味に答えた。
「それは彼の体質、皮膚に仕組みがあるのですよ」
「へぇー。そうなんだ」
ベルヘルの話に耳を傾けながら、見えないモノを軽く叩いてそこにいるのか確かめていた。
「彼らは体を消して近づいた獲物を捕食する習性があるのですよ」
「それって私みたいな……」
先ほどまで笑みを浮かべていたメルの上半身が突然消えた。そして、次第に消えていく場所が広がり始める。
唖然とした様子のベルヘルを端に、メル達から少し離れた場所にいたトヨスケが消えていく彼女の付近に歩いて近づくと何もない場所で正拳突きを繰り出した。
「グポォ!?」
奇声が響くと同時に、姿が見えなかったラクィオンと上半身を失っていたメルの体が現れた。
「ウッェッ!? ペッ! ペッ!」
上半身湿った状態になったメルは口から唾を吐いた。
髪や服は粘り気のある液体まみれになったメルは自身の姿を見て半泣きの状態で叫んだ。
「折角綺麗なお姉さんに着替えさせて貰ったのにぃ!! もうトカゲの馬鹿ぁぁぁ!!」
罵倒されたラクィオンは痙攣しながら泡を吹いていた。
着替えたばかりの服を脱いで、汚れた体を洗うように言われたメルは、ドレスに着替えさせてくれたメイドのうちの一人と共に風呂場へと行くことになった。その際、メイドはメルに見えないようにベルヘル達に顔を向ける。メルは近くで舌打ちする音が聞こえ、後ろを振り返るとベルヘル達は固まって萎縮している様子だった。
メルはメイドに連れられて入った部屋は黒色に統一された正方形の空間の中央に白い湯船が置かれ、壁沿いには金色に光る模様が埋め込まれたタオルなどを収納する家具などが置かれていた。
「うわぁ! なんか高そう!」
体を包む不快感を忘れて、部屋を見渡しているとメイドが話しかけてきた。
「汚れた衣類を預かるね」
「あ、はい」
服を着替える最中喋らなかったメイドが、突然口を開いたことに驚きながらメルは頷いた。
「では、失礼して」
「なわっぁぁ!?」
メイドは瞬く間に着ていた衣類を引っぺがすようにして脱がしていった。
瞬く間に身包みを剥がされて全裸になったメルは、突然のことで、困惑と恥ずかしさで体を出来る限り隠した。
メルから汚れた服を脱がしたメイドは、扉の外で控えていた別のメイドに服を渡して再び扉を閉じた。
「じゃ体を洗うから湯船に入って」
顔を赤くしてしゃがみ込んでいたメルは眉をひそめながらも、メイドに促されるままに湯船へと入る。
いっぱいに湯がひかれた湯船に足を入れると、たちまち湯が溢れ、メルは心配になりメイドを見るも、メイドは気にしないでと笑みを浮かべて答えた。
湯が溢れ出しても問題ないことに安堵して、メルは肩まで浸かった。
「はぁ……。気持ちいー!」
メルは体全体を湯につけるのは初めての経験で、ぬるま湯で丁度いい湯加減に嬉しそうに笑う。
日頃は井戸や川の水で体を洗い、冬になると湯を温めてタオルなどに染み込ませて体を拭いたり、冷水のまま体を洗うことはしばしばあった。
「髪を洗うから目を閉じて」
滑り気も取れ、新体験な風呂にご機嫌になったメルは、メイドに言われた通りに目を閉じると、首元を手で支えながら頭をそっと湯船の縁に動かして、別に貯められていた湯を桶で掬って、メルの短めの髪に湯を注ぐ。
メイドの細い指がメルの頭皮を髪の合間を縫うように優しく撫でた。初めはくすぐったかったが徐々にそれも慣れると、自身の髪が優しく持ち上がっているように感じた。
瞼をゆっくりと開いて頭部に触れてみると、手には泡が立っていた。
「痒いところない?」
「うん。大丈夫」
ベルヘルや他のメイド達とは違って敬語を使わないが、寧ろメルはその方が気が楽であったし、年配と思われる相手に敬語を使われると落ち着かなかった。優しく問いかけてくれるメイドがどこかヘンリーの姿と被り、好意を抱いた。
メルはもたれ掛かっていた頭部をずらして、メイドの顔を覗き込む。
高い鼻筋に凛とした目つき。滑らかで薄っすらと桃色に染まった唇。水をも弾いてしまうようなハリとツヤを兼ね揃えた白い肌。潤っているようなかつ、さらっとした光沢に輝く金髪。大きく膨らみ谷間を作ったふくよかそうな胸。体からは仄かに香る爽やかな匂いについ見惚れてしまっていた。
ヘンリーと同じぐらい美人であったが、姉には無かった大人っぽさを醸し出した妖艶さが強く印象に残る。
メルは自身の体に振り返るって見比べてみる。
毛先が傷んだ黒髪、日焼けした肌。まな板の如く平たい胸。比べれば比べるほど月とスッポンということを突きつけられて、メルは気が沈んだ。
「どうしたの?」
「お姉さんみたいにどうやったらそんなに綺麗になれるの?」
メルが尋ねるとメイドは長い耳を微かに揺らした。
きょとんとしたメイドにメルは何か不味いことでも言ってしまったのかと思い、不安に駆られていると、突然メイドは噴き出した。
笑っていても崩れない美しい顔を見ながらメルはどこが変だったのか分からず、困惑した。
漸くしてから、笑いが止まってメイドは謝りながら、目元に浮かんだ涙を手の甲で拭き取る。
「あー、ごめんごめん。綺麗だなんて言われたことないからさ」
「えー!? 嘘だ!? そんなに綺麗なのに言われたことないだなんて……」
「本当本当。一部の馬鹿には言われたことはあったけど、大抵の奴らは怖いって言うんだから」
「それこそ嘘だぁ!? だって姉さんと似て、優しくて綺麗なお姉さんだもん!」
「本当にそうかな?」
笑みを浮かべながらメイドは其々の指を小刻みに動かすと、その手でメルの体をこしょぐり回し始めた。
「おりゃ!」
「きゃぁ!? はっはは! ちょっ! やめっ……、はっはは!」
くすぐったくてメルが体を唸らせるために、湯船に溜まっていた湯が水飛沫を上げながら床へと溢れ出した。一気に湯気が部屋中を包み込んで視界一杯に広がる。
こしょぐるのを初めて数分後に止めた時には部屋中が水浸しになり、メイド自身髪や衣服はびしょ濡れだった。
「あーやっちゃった」
バツを悪そうにしてメイドは濡れたメイド服を絞る。
メルは湯に浸かっている状態で暴れたため、体を赤くして上せる直前だった。
「あ、あっづぅ……」
「ごめんね調子に乗っちゃって。そろそろ出ようか」
「う、うん」
立ち上がると軽い目眩に襲われたため、メイドの手を借りて湯船から上がった。
湯気が立ち込める空間から逃げ出すようにして脱衣所に出た二人は、熱気が籠らない空気を肺に流し込んだ。
風呂場よりは涼しく感じるも体から熱さが抜けず、汗が出続ける。
「体拭くね」
メイドは綺麗に畳まれた真っ白なタオルを広げてメルの体全身を拭き始めた。
タオルは柔らかくて擦っても痛くなく、顔に近づける度に石鹸のいい香りが広がる。
「の、喉カラカラだ……」
「じゃ、ちょっと待って」
メイドはタオルをメルの頭に乗せて、部屋の外に他のメイドに水を持ってくるように話すのが聞こえた。
未だ濡れた髪を乾かすために拭いていると、後ろの壁に取り付けられた大きな鏡に気がつき、振り返ろうとした。
「あっ……」
その瞬間、熱い体が急激に冷えきったように感じた。
それはどれだけ振り解こうとしても纏わりつく悪魔のような存在。
それを目にした瞬間、華やかに見えていた物が全て黒ずんでいった。
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