第3話『亡き王の従者』

 彼は根城でもある地下から出て、目的など無くただ森林の中を歩き回っていた。

 地下では彼の身の世話をしてくれる者達や多くの同志が常に傍にいるため、一人になりたく密かに外を出歩くことが多々あった。

 今日も誰にも気がつかれずに外へと出られたことに安堵していた。

「ふぅ。今日は誰にも気づかれずに済みましたね」

「こういうことは困りますよベルヘル殿」

 安堵した矢先、いつの間にか背後に立っていた者がいて彼は苦笑した。

「今日もバレていましたか……」

「あれほど念を押して自室に近づかないようにとおっしゃっていましたら、阿呆でも気がつきますよ」

「はっはは、それもそうですね」

 ベルヘルと呼ばれた彼の背後に立っていたのは、藁を編んで作った頭部全体を隠した帽子を被り、服装はここ一帯では目にすることがない渋い緑の着物と袴を着て、腰には滑らかな弧を描いた刀が収めていた。

「一人で出歩くなど、何かあっては遅いのですよ?」

「大丈夫ですよトヨスケさん。誰も私の命なんかを欲しがったりしませんよ」

 ベルヘルは笑みを含んだ言葉を発した。

 藁の帽子を被ったトヨスケはため息をついた。

「私は貴方の配下なのですから敬語もさん付けも止めてくださいって、いつもお願いしているじゃないですか……。いい加減学習してください」

「努力はしているのですが、私の性格上なかなか難しいのですよ」

 その言葉にトヨスケはさらに深いため息を吐いていた。

「バレてしまいましたし、一緒に散歩でもしましょうか」

 ベルヘルはそう言って踵を返して歩き始めた。

 再びため息を吐いてトヨスケはその後を追った。

「しかし、ベルヘル殿は何故そんなに一人でどこかに行きたがるのですか?」

 トヨスケが隣に立つと、ベルヘルとの身長差は親子が並んでいるような差があった。

「……どうしてでしょうね。いや、きっとあの方に出会えるもしれないと心のどこかで思っているのでしょうね……」

「それはもしや……、っ!」

「……? どうしました?」

 突然、トヨスケが動きを制すようにベルヘルの顔の前に出を出した。

「何者かがいます……」

 ベルヘルはそう言われてから、周囲に耳を傾けた。

「……めて……! ……して……!」

 確かにベルヘルの耳には人間の女の子のような声が聞こえてきた。

「本当ですね。人の子ですかね?」

「きっとそうかと……。あと人間のオスもいますね」

「親子が迷子になってしまったのでしょうか?」

「……いえ、争い声からしてそれはないかと……」

「そうですか……」

 ベルヘルは腕を組んで、その場で悩みだした。

「どうします?」

 トヨスケは柄に手を回しながら問いかける。その行動から始末するかという意味を聞いているのだろうとベルヘルは悟る。

「いや、とりあえずは様子を見てから決めましょう」

「一度戻って兵の者を連れてくるのも手かと?」

「争い声をしていることから、もしかしたら一刻を争うトラブルなのかもしれません。もう一度この場に戻ってきた時には自体が悪化しているのは避けたいですね。なので、このまま二人で行きましょう」

「ベルヘル殿も来るのですか!?」

「当たり前じゃないですか。気になって仕方ありませんから」

 興味本位というだけの理由で危険かもしれない場所へと、自ら進んで行こうとしている主にトヨスケは言葉を無くした。

 本来ならば主の身を考えて根城に戻ることが最良と考えられるが……。

(このお方が素直に聞くわけないだろうし……)

 トヨスケはこの体になっても胃がキリキリする感覚に陥る自身に呆れた。

「はぁ……。本当に殿は阿呆ですね……」

「はっはは。そうですかね?」

「そうですよ」

 お気楽な主の様子に再びため息が出ていた。

「近くに行くまでに悟られないように拙者が動きますので、体を預けていただいてもよろしいですか?」

「えぇ、よろしくお願いしますね」

 そう言ってベルヘルは両手を広げ、トヨスケはその腰回りに腕を回して肩に抱えた。

(まるで米俵を持っているようだな……)

 厳格さが主として足りないベルヘルに再びため息が出てしまう。

 そうして二人は争い声がする方へと気づかれないように歩を進めた。

 声は次第に大きくなり、すぐそばまで近づく。木を背に様子を伺うとトヨスケの言った通り、人間の男と女の子どもがいた。

 ベルヘルは男の身なりに比べて少女の服装が随分と廃れている所、少女が嫌がっている様子を見て二人が親子ではないと確信した。

 男が少女の上に馬乗りしていると思えば、突然少女に殴りかかる。

 その光景を見たトヨスケは低い声を上げる。

「どうやら……。強姦しているようですな……」

「そのようですね……」

「どうしますか……?」

「……」

 ベルヘルは視線を少女に動かした。

 男の背が邪魔でその顔がはっきりと見えなかったが、素足に目をやると見るも絶えがたい怪我をしていた。それだけ彼女が必死になって逃げてきたということを示していた。しかし、ここで、彼女を助けてしまうことによって、大切な同志達に危険な目が合う可能性があるのならば、彼女を見捨てる他なかった。

 天秤にかけていると少女は言葉を発し始めたため、意識をそちらに向けた。

「なんで私達がこんな目に合わなきゃいけないの……? どうして……? どうして……!?」

 少女の悲痛の言葉にベルヘルはハッとした。

 不意に思い出したのは過去の自分の哀れな姿。

「そりゃお前らが弱いからだろ? あと強いて言うなら神様がお前じゃなくて俺に味方したってことさ!」

 男が発した聞き覚えのある言葉、強者が弱者に対する侮蔑の態度。

 過去の記憶がアルバムのようにいくつも続いて蘇る。

「……許さない……! 絶対に許さない! 殺す! 殺す! 殺してやる! 私から大事な物を奪った奴ら全員殺してやる! こんな運命を与えた神様なんて大っ嫌いだ!」

 理不尽な運命を与えたモノ全てに恨み、そして、いつしかそんな運命に慣れて生きて来たこと。

 そんなある時、出会った。

 あの方に……。

「私は本当に愚かモノですね……」

 口の中で呟き、ベルヘルはそっと目を閉じてある人物の姿を思い浮かべる。

(魔王様……)

 決して色褪せることの無い美しい姿を……。

「ベルヘル殿? どうしたのですか?」

 いつの間にか閉じていた目を開けるとトヨスケが心配そうに様子を伺っていた。

「いえ……、少し昔のことを思い出していました……」

 そう言ってベルヘルは再び目を閉じて、深く息を吸った。

 そうして、決心がついた目でトヨスケに言葉をかけた。

「トヨスケさん……。私はあの人の子を助けたいと思います」

「……」

「許してくれますか?」

 心配そうに問いを投げかけるベルヘルにトヨスケはため息をついた。

「本当にこの主様は阿呆だ……」

 その声は心底呆れていることは明白だった。

「何を心配しているのですか。主がそうしたいというのなら、配下の私は喜んでそれに従うまでですよ」

「……ありがとうございます」

 ベルヘルは配下のモノの同意を得られて胸を撫で、それと同時に自身の我が儘に付き合ってくれることに感謝した。

「寧ろ、ここで見捨てるとおっしゃっていましたら見損なって、離反を起こしかねませんでしたよ」

 まぁ冗談ですが、とトヨスケは付け加えていたが、彼ならやり兼ねないのではとベルヘルは冷や汗をかいた。

 肩から降ろされたベルヘルは一度トヨスケに目をやる。

「何かあった時はよろしくお願いしますね」

「御意に……」

 そうしてベルヘルは草木を分けて男と少女の前へと姿を現した。

「何をしているのですか?」

 あの時、目にした光景のように……。


 メルは突然現れた人物に驚愕した。

 こんな森林の中でまさか人と会えるとは思っていなかったのだ。しかし、現れた人物の姿を見て咄嗟にある思考が過る。

 モンスター。

 明らかに人狩りよりも小きその姿は子供にしか思えず、こんな危険が伴う森林一人を出歩いている子供などいるはずが無かった。また、子供から想像もできない低い声もその要因だった。

 男もその可能性に気がついているらしく、驚きを隠せずにいた。

「う、うるせぇ! いいから答えやがれ! じ、じゃねぇとぶち殺すぞ!」

「そんなに聞きたいのなら教えましょう。私の名はベルヘル。これで満足しました?」

「バ、バカにしているのか!?」

「これは困ったものですね……。正直に話しているのですが……」

 ベルヘルは腕を組んで首を傾げる。そんな様子に人狩りの苛立ちは怒りへと変わる。

「お、お前本当にぶち殺すぞ!」

 男は改めて銃を構え直すと、ベルヘルはローブの袖に包まれている手を前へと伸ばした。

「止めた方がいいですよ?」

 ベルヘルの行動を目にして男は一瞬たじろいだ。

 目の前にいる生き物はもしかしたら魔法を使えるかもしれないと警戒したのだった。だが、銃弾よりも早く発動できる魔法など数がしれている。それに、そもそも魔法ブラフの可能性があると思い至る。

 そして、自分の考えがきっと正しいと当てもない自信に駆られた。

「ハ、ハッタリかまそうとしたってそうはいかねぇぞ?」

 男はたちまち口角を吊り上げていった。

「そうですか……。警告はしましたし、止めはしませんよ?」

 やけに落ち着いた様子の生物に人狩りは再び疑心暗鬼に落ちいった。

 背筋から大量の汗が流れているのを感じていると、ベルヘルが突然歩を進めたため、男は慌てて銃を向き直す。

「か、勝手に動くんじゃねぇ!」

 男は大声を上げて威嚇するもベルヘルはそれを無視して真っ直ぐ歩き続ける。

 堂々と歩き続けるベルヘルに男は自ら距離を取る。しかし、ベルヘルは足先を変えずに進み、メルの前へと立つ。

 メルは自身の法に来るとは思っておらず、酷く動揺した。

 初めて目にする人ならざるものモノに本能的に恐怖を抱いてしまったメルは、慌ててその場から逃げようとするも体のあちこちから痛みが発してうまく動けずにいた。

(嫌だ……! こんな所で死にたくない!)

 具体的に何をされるか分からなかったが、ただ浮かべるのは死だった。そして、その死は次第に兄の姿を映し出す。

 地面に這いつくばって必死に草や土を掴んで進もうとするも一向に進まず、もがくばかりだった。そして、メルの視界が黒に覆われた。

顔を上げれば、そこにはベルヘルが佇んでいた。

 メルは次第に瞳が潤み、視界がぼやけ始めていった。

(リマ兄……、ルー兄……、姉さん……。ごめんなさい……、私、約束……、守れなかった……)

 嗚咽を必死に堪えようと下唇を噛み締めるも、時折意識と反して漏れてしまっていた。

 そんな彼女にベルヘルは膝をついて声をかけてきた。

「大丈夫ですか?」

「……え?」

 突然声を掛けられることをメルは予期しておらず、驚きを隠せずにいた。

「酷い怪我をしているようだったので声をかけたのですが、意識ははっきりしていますか?」

「え、あっ、はい……!」

 予想を覆す対応にメルはつい返事をしてしまった。

「それは良かった。けど、腕の傷が酷そうですね……。ちょっと待ってくださいね」

 ベルヘルはそう言うと辺りを見渡し始め、近くにあった草を徐に千切り始めた。

 それを持ってメルの元へと戻ると、傷口を押さえていた血を多く含んだ布を外して、千切った草を押し当てた。

「いっ……!?」

 されるがままになっていたメルが謎の草を傷に当てられたことに危機感を抱く。

「安心してください、これは薬草ですよ」

「や、薬草……?」

 そう言われて改めて傷に当てられている草を目にすると、その形は幼き頃に見たことがあった。

 怪我をした時、ヘンリーが草を擦り棒で練り、粘り気を生じたそれを傷口に塗って傷薬として使っていた薬草だった。

 ヘンリーが魔法を使えるようになってからは、姿を見ることがめっきり減ったため、今の今まで忘れていた存在であった。

「一時的なものですが、一応こちらの方が傷にはいいですから」

 そう言ってベルヘルが変わりに行った応急手当を受けていると、メルは彼が背が低いだけの人間なのかもしれないと思い始める。

 そんなことを思っていると、存在を忘れていた男が前へとにじり出た。

「そ、そのガキから離れろ! そいつは僕のだぞ!」

 人狩りは鼻息を立てて興奮していた。

「ふむ……? 貴方の子供にも見えませんし、家族にも思えませんが?」

 男はそう言われると、一笑して自信有り気に答えた、

「そ、そいつは僕の奴隷なんだよ! その証拠に背中に奴隷の印が付けられている!」

 男は勝ち誇った顔でメルに向かって指を指しながらそう言った。ベルヘルはメルの背中へと目を向けると。破れた服の下から肌が高温の何かを押し付けられて焼け焦げた跡が確かに見えた。 

ベルヘルが刻印を一点に見つめていると、焼きついている体が小刻みに震え始めた。

「……ふ、ふざけんな……」

 か細い声で呟いたメルはいつの間にか伏せていた顔を人狩りの方へと顔を向けた。

 その顔は般若のように眉が眉間へと釣り上がり、反対に目尻が下がった目で睨みつけていた、その表情は少女が作るような顔ではなかった。

 怒り狂ったメルの姿を見て男は息を飲んだ。

 そして……。

「お前らはリマ兄を殺した人殺しだろぉ!?」

 メルは悲鳴にも近い声を叫んだ。

 周囲の空気を震えるような叫び声に、全ての音が黙りこけてしまったかのように静寂が訪れる。唯一メルの吐息を除いて……。

 ベルヘルはただ黙って怒りを露わにしたメルを見つめていた。

「……う、うるせぇよ」

 そんな静寂を破いたのは他でもない人狩りだった。

「だ、だからさっきも言っただろ! それは全部お前が弱いからだ! 大体あれは命令されてやったことだ! 僕は悪くねぇ!」

 男は自分のことを正当化しようと責任転嫁を始める。

「僕だってこんなことしたくなかったさ! けど、命令だから仕方なくやったことなんだよ! お前らが強ければ殺さずに済んだのに……、お前らが弱すぎるから殺しちまったんだよ! 全部弱いお前らが招いた結果だ!」

 唾を撒き散らしながら自身に言い訳するように必死に喋り続けた。

「誇りだったのに……、全部お前らのせいで狂っちまったんだ!」

 一呼吸を吐くことなく喋り続けた男は口元から唾液を垂らしながら、肩を揺らすほど荒い呼吸を繰り返していた。

 そんな光景を目にしたメルは唖然となった。

(何を言っているの……? 私達が……、悪い……?)

 そして、罪もない兄を殺しておきながら、口に出るのは言い訳や責任転嫁ばかりな男にメルは再び殺意の火が灯る。

(こんな……、こんな奴に……、リマ兄は……!)

 メルが怒りを爆発しそうになった時、今まで黙っていたベルヘルが口を開いた。

「では貴方も殺されても仕方ないですよね?」

「へっ……?」

 ベルヘルの言葉に人狩りは間抜けな声を上げてしまった。

 予想していなかった言葉に驚愕していると、ベルヘルは不思議そうに首を傾げながら続ける。

「だってそうでしょう? 貴方の話によれば、私よりも弱い貴方は殺されても文句を言えないってことですね?」

 その言葉を聞いて男はみるみるうちに顔が青ざめていく。

 まるで、洞窟の中から虎が獲物を狩ろうと潜んでいるように、真っ暗なフードの中から、得体の知れないモノが見つめている恐怖に駆られる。

 男は意識とは無関係に体が震えているのだろう。今にでも逃げ出しそうに後ずさっている。しかし、男は何を思ってか未だに当てにならない予感を信じ通していた。

(な、何を怯えているんだ! 嘘に決まっている! な、何だってこっちには銃だってあるんだ!)

 そんな男の心境を見据えていたかのようにベルヘルは語りかける。

「然程自信のない予感を頼りにしているようですが、いい加減に決めたらどうですか?」

「な、何をだ!?」

「そんなの決まっているじゃないですか。この場から逃げるのか、それとも私にその武器で私に挑むかをですよ」

 戸惑いを見せている男にベルヘルは言葉を繋げる。

「まぁ、臆病で卑怯な貴方には撃てるとは到底思えませんがね」

 その言葉に男は理性を失った。

「ぼ、僕をコケにするものいい加減にしろぉ!」

 男は叫び、引き金を引いた。

 銃声が鳴り響き、メルは咄嗟に目を閉じてしまう。

「うっ……!?」

 掠れた声が耳に入り、メルはフードの人物が打たれて苦しんでいる光景が頭を過る。

 人では無いかもしれなかったが救ってくれた事実は変わりなく、そんな者が自分のせいで殺されてしまうことに次第に涙が溢れる。

(ご、ごめんなさい……、私のせいで……)

 唇を噛みしめながら、自身の無力さに憤りを覚えていた時だった。

「嘘……、だろ……!?」

 人狩りの声と思われる人物から困惑する声が上がったのだった。

 残酷な運命に目を背けているように目を瞑り続けていたが、終いに男が漏らした言葉に興味を引かれてメルはゆっくりと目を開いた。

 メルの目の前にいたベルヘルは小さな体が崩れることなく、真っ直ぐに立ち、代わりに男は腰が引けていた。

 そんな二人の間に立つように頭部全体を隠すように筒状の物を被った人物がうっすらと波模様は浮き出ている刀を持って佇んていた。

 見たことのない服装を身に纏った人物にメルは何度も瞬きをした。すると、男が悲鳴にも近い狂った音程で声を上げた。

「ど、どっから現れ……、い、いや、そもそもなんで撃ったのに立っていられるんだ?! こんな距離外すはずないのに!?」

 男は完全に混乱しきっていた。

 メルも同様に突然の出来事に思考がついていかなかった。

 男の疑問にベルヘルが代わりに答えた。

「それは彼が弾を斬ってくれたのですよ。見てなかったのですか?」

「弾を……、斬ったぁ……!?」

、平然と答えたベルヘルに人狩りもメルも俄かに信じられなかった。

「そ、そんな馬鹿な!? あの距離から出てきて弾を切るだなんて……」

「喚くんじゃねぇ」

 否定し続けている男にトヨスケと呼ばれた人物は一言で断ち切る。

「嘘だの本当だのそんなことはどうでもいいことだ。重要なのはお前がやったことは万死に値するってことだけだ」

 トヨスケはそう言うと刀を握り直した。

 金属が触れ合う音に男は恐怖する。

「お、お前が僕とやり合うんじゃねぇのかよ!?」

 男はベルヘルに必死に問いかけた。

「私は弱い貴方を殺すとは言いましたが、私が貴方と戦うなど一言も言っていませんよ?」

「あ……」

 人狩りは血の気が引き、顔は蒼白になる。

「けど、私は言いましたよ? 止めたほうがいいと」

 その言葉を聞いた瞬間、男は全ての行為に後悔し始める

 あの時、発砲なんてしなければ。

 あの時、ベルヘルが現れた瞬間、少女のことなど諦めて素直に逃げていれば、こんな最悪な事態に踏み込まなければ。

 あの時、少女を追わずに仲間と村人達を鎮圧していれば。

 あの時、足枷も錠前もしっかり閉めていれば。

 あの時、少女に性行為を求めようしなければ。

 男がタラレバを思い続けていると、トヨスケは刃を地に向けるように刀を構えた。

「お命頂戴する……」

 トヨスケから感じる殺意に恐怖して思考がまとまらず、唯一頼りになる銃を急いで再装填を行い、男は勢いよく引き金を引いた……、つもりだったがいつまで経っても発砲することは無かった。

 不意に銃の故障かと視線を銃に向けた時、銃に何かが当たった。

 男は落ちていったそれを目にすると否や、全身が凍りつくような寒気を感じた。

 何かの間違いと必死に願いながら、人狩りは視線をゆっくりと自身の右手を覗き込んだ。

 人狩りは自分の指を一つずつ数えていく。

(1……、2……、3……、4……、……)

 男の右手の指は4本しかなかった。

 何度も確認しても数は変わらない。

 視線を上げると、トヨスケがいつの間にか刀を振り上げて、今まで顔を上げるのを待っていたかのようだった。

「御免」

 その一言を耳にした瞬間男は気がついたら、先ほど地面に落ちていた指の目の前で止まった。それから男は二度と視線を動かすことは出来なかった。

 頭部を失った体は崩れるようにして倒れてしまった。 

 一瞬の出来事にメルはついていけなかった。

 いつの間にか村を襲った憎き人狩りは首を切り落とされて倒れている。だが、そんな光景よりも、もっと目を引くモノがいた。

 トヨスケは懐に収めていた布を使って刀についた血を拭き取り、刀を鞘に収めた。

「ベルヘル殿、お怪我は?」

 何事もないかのように語り始めるトヨスケにメルは目を疑った。

 彼の身なりは特段変わっていなかったが、頭につけていたはずの藁で出来た帽子が落ちていた。

 それだけならば、メルは驚くことはなかっただろう。

「あ、頭が……、ない……!?」

 トヨスケの首から上が無かった。

 先ほどからの動きにぎこちなさは無く、言葉だってはっきりと聞き取れた。だが、それなのにあるはずの頭が無かった。

 メルは人狩りの死を目にした事によって幻覚を見ているのではなかと思い込む。

 メルの言葉にトヨスケはそこにはない頭が動いているような感覚をメルは抱いた。

「トヨスケさん、帽子落としていますよ?」

 ベルヘルはいつの間にか落ちていた帽子を拾い上げてトヨスケへと渡した。

「……これは失敬」

 トヨスケはベルヘルから帽子を受け取るとない頭へ運んだ。

「モ、モンスター……」

 以上に乾燥してしまっている喉から、掠れた声をメルは上げた。

 先ほどまで忘れていた恐怖が再び体を叩きつけられる。

「えぇ。そうですよ」

 緊張しているメルに対し、ベルヘルは隠す気も戸惑う様子もなしに答えた。

「私達はモンスター。別の呼び方で言えば、人ならざるモノですね」

 その言葉にメルは視界がぼやけて、意識が遠のいていく感覚に襲われる。

 モンスター。

 メルは父親からよくモンスターのことを聞かされていたことがあった。

 モンスターは人からありと有らゆる物を食らう生き物であると教わった。

 肉を食い、魂を食い、精神を食い、人間の何もかもを欲している。

 そんな人間の天敵が数十年前、異なる種族が群勢をなして人類へと攻め立ててきた。

 人類は武器を取って存続をかけた戦いを行い、勇者のおかげで人類は滅ばずに済んだと聞いていた。

 先ほどまで、メルはベルヘルのことがモンスターかもしれないとは思っていたが、姿はローブに隠されていたこともあったが、何よりも傷の手当をしてくれたことによって人間かもしれないと淡い期待をしていた。だが、トヨスケの姿を見てそれは誤りだったと気づく。

 語り継げられる恐ろしい生き物が今目の前に、明確な死をなぞってそこに佇んでいる。それだけでメルは死の淵に追い込まれているようだった。

「そんな……」

 人狩りなど目でもないほどの恐怖に膝が笑い出す。

 逃げようと足を動かそうとするも、動けば人狩りのように首を切られてしまうかもしれない恐怖に足が竦むばかりだった。

「この女子どう致しますか?」

 トヨスケは左手で刀を抑えるように触れた。

 その仕草がますます、メルを恐怖で委縮させる。

 知らぬ間に歯がぶつかり合って音を立てていた。

 すると、ベルヘルはメルへと歩を進めた。

 座り込んでいたメルは少しでも距離を取ろうと後ろへ引きずりながら下がった。だが、それでも次第に距離が縮み、ついに目と鼻の先まで近づいていた。

 間近まで近寄られたメルはただ真っ暗なフードの中を見ていることしかできなかった。

 太陽が沈み始め、夜を迎えようとしている刻限ではあったが、それでもフードの奥は暗すぎた。まるで、その奥から先がずっと闇が続いているようだった。

 顔を背けたい衝動に駆られるも、吸い込まれるかのように闇の先からメルは目を離せなかった。

 ベルヘルは突然腕を伸ばしてきたため、メルは強張った。

 ローブに包まれた腕が徐々にメルへと迫り、彼女はついに目を閉じてしまう。

 瞼を強く瞑り、何をされるかをただずっと待っていると、頭部で何かが置かれたのを感じた。

 痛みは感じず、ただ優しく置かれているそれが何かメルは分からず、気になって片目をゆっくりと開けた。

 目を開けた光景にメルは戸惑いを見せた。

 ベルヘルは手をメルの頭部に乗せていたのだった。そして、メルが目を開けると左右に撫で始めた。

 何故、そんなことをしているのかメルは困惑していると、ベルヘルは見えない口を開いた。

「怖かったでしょう……。辛かったでしょう……。けど、もう大丈夫ですよ……」

 メルは自身の耳を疑うと同時に、メルはヘンリーのことを思い出した。

 辛かったことや、悲しいことがあった時、いつもヘンリーは優しい声で頭を撫でて慰めてくれていた。

 そんな姿がベルヘルと被り、耐えてきた感情が溢れ出した。

 鼻先が痺れるような刺激を受け、胸が圧迫されているような息苦さに襲われた。

 呼吸をしようとするも途中で息がつっかえて止まってしまう。そして、吐くように息を

出すと共に、その瞬間メルは大きな雫を流し出した。

 ベルヘルはメルの頭を優しく抱きしめた。

 彼女は一瞬泣き止んだが、それはすぐに溢れ出した。

「うっ、うっ……、姉さん、ルー兄、リマ……、リマにぃい……、うわぁぁぁあぁぁぁ!」

 メルはベルヘルのローブを強く握りしめて、辛さや悲しみを涙と声で吐き出すようにして額を押し当てながら泣き叫んだ。

「そうです……。辛いことは泣いていいのですよ」

 その言葉を聞いてかメルはさらに泣き叫んだ。

 涙で溺れてしまうのでは思うぐらい、メルは涙を流し続けた。

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