第2話『理不尽な運命』

 メル達は外に連れ出されると、そこには先ほどの男達の他にも複数人同じ格好をした者達が待機していた。そして、命令によって男性たちに囲まれながら、一行は井戸があった村の中心まで移動させられることになった。

 井戸がある付近に近づくと周囲から鼻に突くような悪臭が立ち込めていた。

 メルは鼻を摘まみながら、先ほど空に上がっていた煙が原因だと思っていた。

 集団は井戸がある開けた場所に着くと悲鳴をあげた。そして、ヘンリーも口を押え絶句していた。

 メルやルーイは先頭で何があったのか不安と好奇心に駆られ、隙間を縫って覗いてしまう。

「見ちゃダメ!」

 ヘンリーが阻止するも時すでに遅く、二人はその場の光景を目にして息を飲んだ。

 そこにあったのは、先ほどまで武器を取って戦っていたと思われる村の男達が、血を流して山積みにされていた。そして、その上から炎が燃え上がっていた。 

 二人は兄がそこにいない事を咄嗟に願いながら、山積みになった男達一人一人を見つめていく。大半が黒焦げになって誰なのか見分けも付かなかったが、中には炎の熱で骨が折れ縮こまった小さな体があった。まるで赤子のように蹲ったそれは一目で子供だと理解出来た。

そんな地獄が広がる炎でメル達は一人に目が止まった。

「嘘……」

「にぃ……ちゃん……」

 二人が目にしたのは身体中が焼き焦げて、絶命している奇跡的にも顔だけ燃えていない兄の無残な姿だった。

 その光景を目にしたルーイは耐えられずに吐き出し、メルは呆然となり、その場に佇む。

 メルは隣で吐いている兄の姿や人々の姿が見えなくなり、周りから音という音が聞こえなくなった。そして、見えるのは無残な姿になった兄だけだった。

 メルはしっかりとした足取りでゆっくりとリマンの元まで歩み寄る。そして、焼けずに済んだ兄の顔を震えた手を伸ばして触れようとする。

 リマンの体の一部は未だ炎が鎮火しておらず、肉が焼ける匂いが鼻を掠める。

「リマ兄……? ねぇ、リマ兄……」

 しかし、それを後ろから何かに拘束されて阻止された。

 メルは必死にそれを振り切ろうとするも、強く縛られたそれを解けなかった。彼女はがむしゃらに暴れて解こうとした時、すぐそばで声をかけられた。

「メル……!」

 彼女は振り返ると、そこには涙を流しているヘンリーが抱きついていた。

「ごめん……、ごめんね……!」

 唇を噛み締め嗚咽を漏らさないようにヘンリーは堪えていた。そして、姉のその言動を見てメルは張り詰めて糸が切れたかのように泣き崩れた。

「リ、リマ……、兄ぃ……! うあぁぁぁぁぁ!」

 激流の如く溢れる様々な感情にメルは胸が押し潰されそうになる。

 ヘンリーはメルを振り返らせて改めて強く抱きしめた。

 二人が悲しみ合っていると、突然一人の男が近寄ってきた。

「お前らなぁに勝手に動いてんだぁ?」

 男は周りの人狩りと同じ格好をしていたが、銃などと言った武器は持ってい無かった。そして、口元を隠した布から覗かせていた鼻筋部分に横に一線の傷跡が走っていた。

「おぉい、聞いてんだろぉ?」

 傷の男はメルの首元を掴んで持ち上げた。

「ぐぅっ……」

「やめて!」

「おいおい! 気をつけろよぉ。誤って力入れすぎて殺しちまうかもしれねぇぞ?」

「っ……!?」

 その言葉でヘンリーの動きを封じるには十分であった。

 持ち上げられたメルは首元が閉まって苦しくなるも、メルは涙を流した瞳で傷の男を睨んだ。

「んだぁその目は?」

 男は掴んだ服をさらに強く握る。

「あぁ? その目つきさっきも見たなぁ……。どいつだったけかぁ?」

 男は視線を積みあがる屍へと向け、リマンに目が留まった。

「そうか! さてはそこのガキの妹か!」

 傷の男は嬉々として笑った。

「そうかそうか……。実はなぁ、そこのガキを殺したのは俺なんだよぉ」

 傷の男の瞳は大きく歪み、その目には快楽が写っていた。

「馬鹿なガキだったよぉ。お前の命を差し出すなら他の奴は助けてやるって言ったら、やすやすと自分の命を差し出しだんだぜぇ? その姿に敬意を払って最後に殺してやったよぉ!」

 その言葉を聞いてメルは毛が逆立だった。

「よ、よくもぉ! よくもリマ兄を!」

 メルは浮いた足で傷の男の体に蹴りを入れる。

「おぉ! いい蹴りだねぇ。だけど、それだけか?」

 傷の男はメルの首元を掴んでいた手に力を込める。

「ぐっがっ……」

「どうしたぁ? どうしたぁ? それじゃ兄貴の仇は取れねぇぜぇ?」

(くそぉ……! こんな奴にリマ兄がぁ……!)

 メルは次第に意識が遠のいていく感覚に陥っていった。

 そんな時、見かねたヘンリーはメルを助けようと男の腕を掴んだ。

「あぁん? テメェ殺されてぇのか?」

 傷の男は空いた片手でヘンリーの細い首へと掴む。

 一瞬でも力を入れれば折れてしまいそうだった。だが、ヘンリーは恐れることなく睨に続ける。

 周囲の人間は誰も助けに入ろうとすることができず、ただその光景を見ていることしかできなかった。

「止めろ」

 そんな中、一人の男が三人の合間に入った。

 傷の男を制したのは風車小屋に先導して入ってきた男だった。

「なんでぇ止めるんです? コイツ等勝手に動いたのに?」

「命令を忘れたのか?」

「ですがねぇ……」

「何度も言わせるな」

 鋭い目つきで睨むと、傷の男は渋々二人を放した。

「……っち」

「がはっ……! ゴッホ……!」

「メル!? 大丈夫?!」

 ヘンリーは嗚咽を吐くメルの背中を摩り、落ち着かせる。

「う、うん……」

「お前達、次勝手な行動したら命はないと思え」

 そう言って男はメルとヘンリーを集団の元に戻した。そして、村人達の前に立ち質問をした。

「もう一度聞くが、ここにいる者達で全員だな?」

「あ、あぁ。そうじゃ……」

 長老である老人が口元を震わせながら答えた。

「そうか。では今から言う通りに行動しろ」

 男は集団を男女に分かれるように命令した。そして、女の集団の方だけを若い女と老いた女とで分けられた。

 メルとヘンリーを含めた若い娘達、そして、その中に女と勘違いされたホリーも混ざっていた。

 男は若い娘達の前に立って口を開く。

「お前達にはこれからこの石に触れてもらう。一人ずつ順番に来るのだ」

 男が取り出した石は、加工や装飾等を一切されていない透明の石だった。

 若い娘達は何故そのようなことをするのか疑問ではあったが、従うしかなかった。

 分かれる際、ホリーも女と勘違いされて並ばされた。

 最初に選ばれた女は変哲もないただの石に怯えながらも、言われた通りに触れた。しかし、触れても石は何の変化もなく、すぐに次の者へと順番を回されて女は呆気を取られていた。

 次々と順番を回さる中、ルーイが心配そうに見つめていると、ついにヘンリーの番となった。

 ヘンリーの次に控えていたメル、その次にホリー達は心配した様子で見守っていた。

 ヘンリーは差し出された石をゆっくりと触れた。すると、石はたちまち輝き始めて、雪の結晶のように石の中で白い線が広がって行く。

「おぉ!」

 石が輝くと周囲を囲っていた人狩り達が騒めきだした。

「これは一体……?」

 自身だけが他の者達と違う反応があったことにヘンリーは不安が募る。

「お前は知る必要はない。こいつを連れて行け」

「えっ!?」

「姉さん!?」

 姉だけが連れて行かれそうになり、メルは慌てて助けに入ろうとしたが、周囲の人狩りが銃を突きつけてきたためはばかれた。

「なんで姉さんだけ連れてかれるんだ!」

「お前には関係ないことだ」

 メルは一度踏みとどまってしまった足を再び動かそうとするが、後方からホリーが止めに入った。

「ダ、ダメだよメル……!」

「離してホリー!? このままだと姉さんが……!」

 メルはホリーの手を引き剥がそうとする。

「メル! 私は大丈夫だから大人しくしていて!」

 メルの次の行動にいち早く悟ったヘンリーは大声を出してそれを阻んだ。

「け、けど!」

「お願いだから……。ね?」

「……うぅ」

 メルは何もできない自身に苛立ちを隠せず、下唇を強く噛み締める。

 剣を持った男は暫くの間メルのことを睨み続けた後、傷の男に視線を動かした。

「……行くぞディール」

「えぇ? 俺も行くんですかぁ?」

 眉を顰めて明らさまに嫌な顔をした。

「当たり前だ。お前一人にさせると何をしでかすかわからないからな」

「いい子にしてまっすってぇ? だからいいだろぉ?」

「駄目だ」

「ちっ! つまんねぇなぁ……!」

 乱雑に頭を掻き毟りながらメルに近づいた。

「じゃなぁクソガキ。くれぐれもくたばるなよ? 復習を遂げに来ることをぉ祈るぜぇ」

 顔を目と鼻の先まで近づけたディールと呼ばれた傷の男は、先ほどの歪んだ笑みを見せる。

「何せ兄貴の復讐を楽しみにぃしてるんだからなぁ?」

「ふぅー!」

 メルのむき出しになった歯の隙間から漏れる殺意を見て、ディールは空に向かって高らかに笑い、一人で爆発後に鎮火しきれていないと思われる東の森林の方角へと歩いて行った。

 ディールが歩いて行ったことを確認した男は、残る者に命令を出した。

「すまんが後は頼んだ」

「はっ」

 男は短い会話をした人狩りの肩を軽く叩いてその場を後にした。

 男は数人の人狩りを連れて、ディールが先に進んだ道を辿るように東の森林へとヘンリーを連れて行った。

「姉さん!」

 大声で姉の名前を呼ぶも、徐々に遠ざかって行くヘンリーの姿をただ見つめていることしかできず、悔しさのあまり涙が溢れそうになる。 

「絶対助けるから……」

 口の中で呟いたその誓いを涙と共に飲み込んだ。

 ヘンリーが連れ去られた後、メルたちは再び全員を一箇所に集められた。

 多くの者が肉親の死に悲しんでいる中、追い打ちをかけるかのようにさらなる苦痛が待ち構えていた。

 人狩り達は民家から大量の薪を運び出し、一箇所に集めて火を起こした。

 炎は轟々と巨大な火柱が立ち上り、辺りを赤色に染める。

 人狩りは村人の一人を集団から連れ出して膝まつかせた。

 一体何が起こるのだろうと皆が恐怖に駆られていると、人狩りは火柱の中から、赤々と光る鉄の棒を取り出した。

 鉄の棒の先端は平たくなっており、そこには模様のような物が彫られていた。

 炎で熱せられた部位から空気をも燃やしているような高い音が発せられていた。そして、人狩りはそれを膝まつかせた男に近づけた。

「や、やめてくれ!?」

 必死に逃れようとするも、両腕を二人の人狩りに掴まれていたためもがくことしか出来なかった。

 男の背中部分の服を破き、人狩りは躊躇することなく、鉄の棒を男の背中へと押し付けた。

「ぎゃあぁぁぁぁぁ!?」

 周囲に男の悲鳴声が轟き、皆は恐怖によってさらに萎縮される。

 鉄の棒が離れると、男の背中にはくっきりと円状の刻印が刻まれていた。その刻印が意味するのは、人間から卑しい存在へと成り下がった証……、奴隷という証であった。

「次」

 痛みで動けなくなっている男を集団に戻して、新たに刻印を付ける者を引っ張ってくる。皆は自分達にどんな惨状が待っているのか知ると必死に拒む。一部の人間は逃げようと集団から飛び出すも、見張りの人狩りに足を撃たれてその場で苦しむ羽目になった。

 女子供すら躊躇なく次々と刻印を押し付け、その度に村は悲痛な叫びが響き渡る。そんな中、ついにメルの番となる。

 メルも抵抗するも力の差は歴然であり、簡単に火柱の前へと連れ出される。そして、服を破かれたメルの日焼けをしていない白い肌が露わになった背中にも激痛と共に刻印を刻まれた。

「アァァァッァァァ!!」

 また、一人の叫びが一体を包む。息をすることを忘れてしまう程の痛みに襲われ、脈を打つ度に痛みがメルの身体中に駆け巡る。

「あっ……。うがぁっ……」

 悶え苦しむ彼女は自身の体に爪を立てるようにして握りしめて、痛みのせいで思考は一切定まらず、あるのは痛みと苦しみだけだった。

 その後も、一人、また一人と悲鳴を上げていった。


 柵が立てられた窓辺からは橙色の光が差し込んでいた。

 揺れる度に尻には痛みが発する馬車の中で、村人達は隙間なく押し込まれていた。

 その中はしゃくり声と呻き声に包まれていた。また、皆の手首には手錠がつけられており、揺れる度に鎖が音を立てていた。

 メルは当初よりは痛みは引いたものの、未だに強い痛みに襲われていた。

 足を抱えて顔を伏せていた彼女は、リマンとヘンリーの事ばかり考えていた。

 二人の笑顔を思い浮かべようとするも、連れ去られる時に見せたヘンリーの悲しそうな表情に、何人もの人が積みかさなり、その中いたリマンの無残な姿が何度も頭の中で繰り返され、彼女は次第に怒りが彷彿とし始める。

 怒りが次第に強くなるにつれて、傷の男の歪んだ顔が眼の裏で現れる。

「メル……。大丈夫か……?」

 メルの心境の変化に気がついたのか隣に座っていたルーイは妹を心配して声を掛けるも、その声は辛そうだった。

「ルー兄こそ……」

「うるせぇよ……っ!」

 隣にいた者の服が火傷したところに触れてルーイは顔を歪めた。

 メルは周囲を見渡すと、皆顔には生気をなくして暗い表情をしていた。また、隣には未だに目元を赤くして涙を流し続けるホリーがいた。

「ホリー大丈夫?」

「痛いよぉ……。ぐっす……」

「男なんだから泣くんじゃねぇよ……」

「ルー兄こそ泣いていたじゃん」

「泣いてねぇ!」

 ルーイが大きな声を出して否定すると、前方の壁が強く叩かれて「うるせぇぞ!」と怒鳴られた。

 その声に皆体をびくりと体を震わせた。

 怒鳴られた後、馬車の中は静寂に包まれた。

 暫くして口を開いたのはホリーだった。

 ホリーはしゃくりを上げているも驚いたためか、涙はいつの間にか止まっていた。

「ぼ、僕たちたちどうなるんだろ……」

 メルはその問いに答える言葉を持ち合わせていなかった。しかし、そこで何も言わなければホリーが再び泣いてしまうと思った。

「大丈夫よ……。きっと大丈夫……」

 自身にも言い聞かせるようにメルは呟いた。だが、実際今後自分達にどんなことが待っているか想像もつかなかった。

 リマンが襲ってきた奴らを人狩りと言っていたがメルは彼らが何故村を襲い、自身達を攫っていくのかは知らなかった。

 メル達が馬車に乗せられてから体感では二時間以上は経っていると思われるが、それでも未だに到着する様子は無かった。

 このままではヘンリーを助けに行くことができないと焦りが募るメルは、ここ脱出できる案を模索する。

 ふと、足首に繋がれた物に目をやるとメルはあることに気がついた。

「あれ? これって……」

 足首に嵌められていた枷の一つが完全に閉じられておらず、試しに触れてみると案の定外れたのであった。

「お前の外れたのか!」

 メルの足枷が外れたことを知ったルーイは声を上げた。その声の大きさに彼女は慌てて、ルーイの頭を叩いた。

「ルー兄声でかい!」

 小声で叱り、気づかれていないか耳を澄ませるも気づかれた様子はなかった。

 メルは胸を撫で下して、息をついた。

「ばれたらどうすんの!」

「わ、わりぃ……。けど、外れていてもここからどうやって出る?」

 ルーイの言われた通り、ここからの脱出手段があるか周囲を見渡すが木材を隙間なく打ち合わされた馬車にはどこにも抜け出せそうな場所は無かった。

「……」

 そもそも、抜け場所があったとしてもメルは皆を置いて毛頭考えてはいなかった。

 自分だけが逃げ出したら皆がどんな目に会うか、考えるだけでも恐ろしく感じる。

 落胆した表情にいると、ルーイがメルの頭部をこついてきた。

「何暗い顔してんだよ。諦めんのは早いぞ」

 ルーイは声を落としたまま、皆に声をかけた。

「皆、実はメルの足枷が外れているんだ。そこでメルをここから逃がしたいと思うんだ」

 馬車の中にいた村人達は騒めき出す、メルも驚愕の声を上げた。

「ちょっとルー兄!? 私は皆を置いて逃げるなんて……」

「お前は馬鹿か。このままだと皆どうなるかわからない……。だから、お前に助けを呼んで来て貰う為にここから逃がすんだよ」

「でもそんなこと……」

 実際、武装している相手がいる中に金銭等払える保証がない相手に、助けてくれるお人好しなどいる筈がなかった。ましてや、現状どこを走っているのかもわからない場所で逃げ切れるのかも定かではない中で、余りにも危険な行為だとメルは思えた。

「そうじゃな。それしか今の儂らには希望はない」

 一緒に乗り込んだ長老もルーイの意見に賛同した。すると、他の者達も次々と賛同する声を上げた。

 そこにいた者達全員が賛同したのを見て長老は頷いた。

「しかし、どうやってここから脱出させたものやら……」

「一か八かだけど、扉に全員で強い力かけたら行けるんじゃねぇか? 最悪開かなくても、様子を確認してきて扉開いたらそこから全員溢れるように出て、その隙に逃げ出すっていうのにも切り替えせるし」

「些か不安な作戦じゃが、それしか無さそうじゃのう……。他の者でいい案がある者はおるか?」

 勝手に話が進み、メルは困惑しきれなかった。

「待ってよ! 私は皆を置いてなんて逃げられないよ! もし仮に私が逃げ切れたとしても、助けを呼べるかだなんて……」

「それでも希望が僅かにでもあるのなら、ここから逃げて欲しいのじゃ……」

 長老は眉間に皺を寄せて話し続ける。

「それに皆で逃げようにも全員に足枷を着けられておる。ましてやこんな老いぼれに走って逃げるなど酷なことは無理じゃよ……」

「うっ……」

 長老は視線を横で俯いて気分が悪そうにしている老婆に動かして、焼き跡を避けながらゆっくりと撫でていた。

「お主には辛い思いをさせてしまうことは分かっておる……。だが、お主以外におらんのじゃ。どうかこの通り頼む。儂らを救ってくれ……」

 長老は頭を深々と下げた。それに続くかのように皆も頭を下げて意思を伝える。

「お願いメル……。友達でもある君には無事でいて欲しいんだよ……」

 目を濡らしながらホリーもメルの手を取って頼んだ。

「け、けど……」

 メルは怖気付くように眉を顰めていると、ルーイが肩を掴んだ。

「俺はにいちゃんに頼まれたんだ……。メルとねえちゃんを守るように……。けど、俺は何も出来ないまま、ねえちゃんはアイツ等に連れてかれちまった……。だから……、だから、お前だけでも逃げてくれ! にいちゃんとの約束を破らないためにも!」

 力強い眼差しで訴えてくるルーイの意思を目の当たりにしてメルは言葉を無くす。

彼女は皆やルーイの思い、そして、ルーイに託したリマンの思いを汲んでここから逃げ出すことを決意する。

「わかった……。絶対助けを呼んでくる!」

 皆は彼女が決意してくれたことに安堵した。

 皆は助けが来るとは思っていなかった。メルの言う通り、このご時世に赤の他人を助けるような者などいるとは考えていなかった。

 助けが来ないと知りながらも、それでもメルを逃すのは、皆彼女に逃げて生き延びて欲しいと思っているからだ。

 大人達は人狩りに捕まった人間達が奴隷として売られていることを知っており、女は大抵性の対象として売られることが多いことも知っていた。故に、幼き子をそんな残酷な目に合わしたくなかったのだ。

 メルが逃げ出すことが決まると、一部の人間達は隠し持っていた金銭をメルへと渡した。ルーイもその内の一人で、武器や貴重品を隠し持っていないか身体チェックを受ける際、咄嗟に口の中に隠していたのだった。

 皆に渡された金銭は決して多くは無かったが、一人が1ヶ月生きていくには十分な額があった。

 一行はルーイが提案した合図と共に扉に向かって体当たりを行い、メルを逃す作戦を実行することになった。

 作戦に移る前にメルはルーイとホリーと言葉を交わす。

「絶対助けに戻るからね……!」

「うん……。気を付けてねメル……」

「ヘマすんなよ?」

「するもんか!」

 言葉を交わした三人は微笑み合う。

生き延びた男や力に自信のある女が扉の前に一列になって身構えていた。

 気が付けば、その中にはトマトをくれた男性とルーイも並んでいた。

「よし……。じゃせーので行くぞ……?」

 男の質疑に扉の前にいたもの達は、顔を合わせていつでも行けることを互いに頷いて確認する。

 皆が緊張する中、ついにその時が訪れた。

「行くぞ……、せぇーのっ!」

 男の合図と共に一同は体当たりを繰り出した。

 扉は鈍い音と共に軋んだ音を立てた。しかし、扉は未だに閉ざしたままだった。

「何の音だ!?」

 外では人狩りの叫び声が聞こえた。

「くそっ! まだだ! もう一度行くぞ!」

 ルーイ達は再び掛け声を合わせて扉に体当たりを繰り返すも、扉には変化を感じられなかった。そのためか、焦りが生じ、次第に体当たりするタイミングがズレ始める。

「バラバラにやっても意味がない! 焦らずに同時に叩くんだ!」

 一度間を取ってから、掛け声と共に体当たりを繰り出そうとした時、人狩りが急停止を行い、馬車の中の皆はバランスを崩しそうになって扉から引き離されるかのように仰け反る。一部の者耐えきれずに倒れてしまう。

 引っ張られる力が徐々に治まり始めると、それが今度は元の位置に戻ろうと引き戻す力が発生する。その結果、立っていた者達は耐えられずに扉へ叩きつけられる形となった。だが、それが功を制したのか、激しい音を立てて扉は勢いよく開いた。

 扉に体当たりしていたルーイ達は投げ出される形で外へと出た。

「テェ……!?」

 ルーイは背中から落ちたため、火傷した場所が擦りむいて悶絶していた。

「ルー兄大丈夫!?」

 メルも転がってきた人の膝などが強打して、所々打撲していた。

「っばか!? 早く逃げろ!」

 気がつくと、馬車の先頭側から走ってくる音と共に、荒げた声が聞こえたきた。

「お前ら! 何をした!?」

「メル早く!」

 メルは名残惜しそうに眉を顰めるも、痛む体に鞭打って馬車から飛び降りてすぐ側にある森林へと走り出した。

 走り出すと片足についている足枷が足を動かす度に、激しく揺れて肉に強く食い込んでいたが、彼女はそんなことは気にもとめず、むしろ走り辛さに顔を歪ませた。

「なっ!? 何で足枷が外れている!?」

「わ、わからん!」

「糞! おい! 止まらんと撃つぞ!」

 二人組の人狩りはメルに向けて銃を構えた。

 背中に銃を突きつけられていることを知るメルだったが、それでも、足を止めることはしなかった。

「くっ!」

 人狩りは警告を出してもなお、走り続けるメルに標準を合わせて引き金を触れた。その瞬間、乾いた音が一帯に響き渡る。

メルは一瞬立ち止まって体を強張らせた。しかし、体からは痛みは感じられず、死んでいないことに胸を撫で下ろした。だが、それと同時に、再び撃たれるという恐怖に駆られて走り出す。

 後ろではどうなっているのか気が気じゃなく、メルは振り返りたい衝動にかられる。

(ダメ……! 振り返っている暇なんてない……! 一秒でも早く離れないと皆の思いが無駄になる……!)

 メルは自分に言い聞かせて、前を向いて走り続ける。

 人狩りは外したことを知ると、すぐさま引き金を引いて次弾を装填すると再び銃を構えた。

「やめろぉ!」

 ルーイが銃を構えた人狩りを押し倒して発砲するのを防いだ。

 取っ組み合いになったルーイは咄嗟に人狩りから奪おうと銃を掴んだ。

「このガキ……!? 離せ!?」

「死んでも離すもんかよ……!」

 人狩りはルーイを振り解こうと左右に力任せに銃を振り回すも、ルーイは負けじと掴んでいた。

「おい! ここは任せた! あのガキは俺が追いかける!」

「待て! 一旦このガキ片付けてから……」

 ルーイと取っ組み合いになっている人狩りが最後まで語る前に、別の人狩りがメルを追いかけて森林へと走って行ってしまう。

「くそっ! あの馬鹿!」

「今の内にこいつから銃を奪うんだ!」

 ルーイの言葉に人狩りは焦りを感じ、蹴りを入れたり、先ほど乱暴に銃を振るも状況は変化しなかった。

 先ほど馬車の扉に体当たりをしていた者達がぎこちない足取りで、ルーイ達に駆け寄る瞬間。

乾いた音が響き渡る。

 その音は大分森林の中へと走って行ったメルにも届き、彼女は咄嗟に振り返ってしまった。

「ルー兄……。ホリー……。皆……」

 メルは引き返したくなる気持ちを堪えて再び足を前へと動かした。


 走り出してから数分の時が経っていた。

 息を切らし、纏わりつく熱気と汗に包まれながら走り続けるメルだったが、突然足に激痛が走る。

「うっ……!? 何……?」

 立ち止まって痛みが発せられる部位を見ると、足枷が皮をそぎ落とされて血が溢れて出ていた。

 メルはそこを見てさらに気がついたことがあった。

 それは自身の足全体がズタボロになっていたのだ。

 泥まみれになった体には枝などで切れたような傷や、石につまずいた時に爪が剥がれていたり、足裏は皮がめくれて血が溢れ、また、小枝が深く突き刺さっていた。

 そんな自身の足を見て初めて怪我をしていることに気づくと、体の節々から痛みが伝わり始め、次第に痛みが強くなる。

「痛い……」

 立っているのが急に辛くなり、メルはその場でしゃがみ込んでしまった。

 彼女は他に怪我をしてないか見渡した。

 案の定腕等にも切り傷が出来ていた。しかし、その中で左腕の部分だけ今までのとは違う傷があった。その傷は肉を抉ったかのように窪みが出来て今でも大量の血を流していたのだった。

 一体いつこんな傷を作ったのか最初は思い出せなかったが、記憶を辿っていくと一つの推測が浮かぶ。

「撃たれた時の……?」

 森林の中へと逃げ込んだ際、人狩りが発砲した弾が腕を掠めていったとメルは推測した。

 新たな傷の存在を気がつくと今度は血の気が引き、手先が異常に冷たく感じた。

「と、とにかく止血しなきゃ……」

 メルは服の裾を破ろうとしたけれど左腕に力どころか感覚が失いつつあった。そのため、左手の代わりに口を使って服の裾を破き、それを使って止血を行った。

 止血を終えて一安心すると先ほどまで寒さを感じていた体が今度は熱くなり、更には胸が圧迫されるような気持ち悪さに襲われた。

 息遣いが荒くなり、メルは少しでも楽な体勢を取ろうと木に持たれ掛かるも、背中からも鋭い痛みに襲われる。

 咄嗟に体を起こして木の方に目を向けるも、痛みの原因になる物は無かった。それを確認すると、メルは人狩りにされたことを思い出す。

 それは皮が爛れ、肉が焼けてできた奴隷の刻印だった。

 激痛と気持ち悪さに襲われる中、メルはふとヘンリーのことを思い浮かべた。

 どんな怪我をしてもヘンリーがすぐに治してくれていた情景にメルは涙腺が緩む。

「姉さん……」

 ヘンリーとの楽しいひと時や、喧嘩した時など全ての出来事が恋しく感じる。そして、それと同時に後悔の気持ちに駆られる。

 考えた処で変化しないことはわかっていながらも、タラレバのことを考え、自分を責め続ける。

(あの時だって、リマ兄を止めていれば……)

 頭の片隅には止めたところで止められなかったと、自分を正当化しようとする自身に苛立ち、押し止められない怒りや、やるせ無さに木に何度も拳を叩きつける。

「くそ! くそ! くそ!」

 当然の如く拳は赤く腫れ上がり、握り締めるのですら痛みを感じた。これ如きで痛みを感じで手を止めてしまうことが尚更苛立ちが膨れる。

「私に……力があれば……」

 痛みを感じながらも拳を作り、再び拳を上げた。

 振り下ろそうとした時、突然手首が掴まれた。

「!?」

 咄嗟に後ろを振り返ると、そこには息を荒げた人狩りが口元を覆っていた布を下げて立たずんていた。

「はぁ……、はぁ……、やっと見つけたぞ……」

 メルは咄嗟にその手を振り切って逃げ出そうとするも、その前に人狩りに押し倒される。

 背中から再び鋭い痛みに喘ぎ、咄嗟に人狩りを押しのけようとするも、メルの何倍もある体重で馬乗りにされ、押しのけるどころか、苦しくなる一方だった、

「暴れんじゃねぇよ! へっへへ、漸く楽しめるぜ!」

 疎らに髭が生え始めた顔を近づけてメルの頬を舐めだした。

 ざらついた舌から唾液が糸を引き、身も毛もよだつ感覚に襲われる。

「やめて! 離して!」

 力を入れようにも、メルは先ほどから続く貧血のためか力が一切入らなかった。

「誰が止めるかよ。このためにお前を逃がしたんだからな」

「え……?」

 メルは人狩りの言葉を聞いて固まった。

「私を……、逃がした……?」

「そうだよ。お前の足枷をわざと閉めずに馬車に積んだんだよ。一瞬撃ち殺されるんじゃないかと不安だったけど、こうして無事に逃げてくれて嬉しいぜ?」

 唖然とするメルに人狩りは更に追い打ちをかける。

「あぁ、それと小屋の扉も簡単に外れるように錠前は施錠せずにかけていただけだったんだぜ? 気づいていたか?」

 人狩りは息を荒げながら自慢げに話した。

 ここまで逃げ切れたのは偶然ではなく、この男が仕組んだ必然だったことを知らされたメルは次第に絶望の色が現れる。

(ぜ、全部仕組まれたこと……? じゃ、皆んなの努力はなんだったの……? ルー兄や他の皆んなが必死になって自身に託して逃がしてくれたのは……)

 メルの心は次第にそこの見えない溝のような物が出来ていく感覚に襲われる。

「それじゃ、お楽しみと行こうかね。本当は団長が連れ去った女が良かったけど……。まぁ、無いものは強請っても仕方ない」

 人狩りはメルの首筋を舐めた。そして、メルを掴んでいた手が背中を破かれた服へ伸びた。

 メルは我に返り、必死に抵抗する。

「い、嫌! やめて!」

「ウルセェ!」

「うっ!?」

 メルは離された手で男を殴ったりして抵抗をしていたが、人狩りは彼女の頬を殴った動きを封じた。

 メルは赤く膨れ上がった頬を抑えながら呟いた。

「……なん……」

「はぁ? なんだって?」

 人狩りは彼女の言葉を聞き取れず、聞き直した。

「なんで私達がこんな目に合わなきゃいけないの……? どうして……? どうして!?」

 メルの悲痛な叫びを上げる。

 彼女の問いに男は一瞬戸惑いを見せたものの、それはすぐに消えて笑みへと変わる。

「……そりゃお前らが弱いからだろ? あと強いて言うなら神様がお前じゃなくて僕に味方したってことだろ!」

 言い終えると人狩りは止めていた手を動かし、貪るようにメルの体に撫で回す。

 体中をまさぐられ、舐め回される彼女は泣き叫ぶ。

 メルの体を触れれば触れるほど、男は息を荒げてメルの肌へと吐き掛ける。

「……許さない……! 絶対に許さない! 殺す! 殺す! 殺してやる! 私から大事な物を奪った奴ら全員殺してやる! こんな運命を与えた神様なんて大っ嫌いだ!」

 痛みを忘れる代わりに、積み重なる怒りや恨みが膨れ上がるばかりだった。

 メルは暴れるも男には一切通用しなかった。されるがままに弄ばれた。

男は自身のベルトに手を回そうとした時だった。

「何をしているのですか?」

 突然人狩りの背後から言葉をかける者がいた。

 男は慌ててベルトから手を離す代わりに、落としていた銃を拾い上げて振り返る。

「な、何者だ!?」

 人狩りが立ち上がった事で自身の体を起き上がらせることができるようになったメルも、声の主の方へと視線を動かした。

 声の主はくたびれた漆黒のローブを身にまとい、深々とフードを被った人物がそこに立っていた。

「質問を質問で返さないで欲しいものですね」

 ローブを身に纏った者は溜め息混じりに答えたのだった。

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