第1話『平穏』
照りつける太陽の下、その暑さで地面が乾燥していた。
そんな乾燥した大地が無造作にも掘り返され、太陽の熱から逃れていた湿った地層部分が露わとなった地面が直線に伸びていた。そして、その線は何層も横に続いていた。
最後尾となる場所では、一人の少女が自身とさほど変わらない大きさの鍬を振り上げては勢い良く降り降ろしていた。
短い髪は被っている麦わら帽から姿を覗かせ、膝が隠れるほどのジーパンの上にタンクトップを身に着けていた。
彼女は一見男子にも見て取れるよう格好であるため、兄弟達や村の男子にそのことで弄られていた。
「ふー」
顔についた汗と跳ね返った土を裾で拭き取りながら、彼女は手を止めて一息した。
彼女は自分が今まで辿ってきた耕した道を振り返り、努力した成果を見て心の中で自身を褒め称えていた。
「メルーお疲れ様ー! お昼にしましょ!」
成果を目にして意気込みが増したところで改めて仕事に取り掛かろうとした時、自宅がある方面から声をかけられた。
声の主は彼女の五つ離れた姉であるヘンリーだった。
ヘンリーは長い金髪の髪を三つ編みで結び、その上にバンダナを巻いていた。メルと呼ばれた彼女は農作物などの作業によって焼けてしまった肌に対して、ヘンリーは滑らかな白い肌を持っていた。
「今行く!」
メルは突き刺した鍬を抜き取り、鍬を持って走り出した。
「鍬持って走らないの。転んだら危ないでしょ?」
「そんなヘマしないって」
自分の元まで息一つ切らずに走ってきた妹にヘンリーは眉をひそめながらも、そこには笑みを覗こせていた。
「お腹すいたー。そういえば兄さん達どこ行ったんだろ?」
メルは辺りを見渡したが、周囲には人影を確認することは出来なかった。
「リマンとルーイならお昼が出来上がる前に家に居たわよ?」
「うっわ!? 自分たちだけ早く仕事抜け出すなんてズルい!」
兄達の行動に苦虫を噛み潰したような酷い表情がメルの顔に現れた。
「こら。女の子がそんな顔しないの」
「だってー」
不服そうに頬を膨らませている妹に皆よりも多めにお昼を用意するからと言って宥めた。
「やったー!」
無邪気に喜ぶ妹の姿にヘンリーは破顔した。
家の裏手の方にある畑から歩いてきた二人は家の勝手口に辿りついた。
「それじゃ顔と手を洗ってきなさい」
「わかった!」
メルは勝手口のすぐ側に鍬を立てかけて、村に設置された井戸に向かった。
井戸は村の中心にあり、村の中でも彼女らの家はそこから遠い場所に建てられていた。
慣れ親しんだ道を走っていると、道の外れの木々の下で夫婦が休んでおり、その夫婦の傍である男性が大きな声で問いかけた。
「メルちゃんも昼飯かい?」
そう質問した夫婦の傍にはバスケットが置かれていた。
「うん!」
「そうかい! じゃこれおそわけだよ!」
そう言って男性は何かを投げた。
メルは飛んできた物を慌ててキャッチした。
受け取った物に目をやると、それは赤々と熟したトマトだった。
「わー! ありがとう!」
「いいってことよ! メルちゃんも後の仕事頑張りな!」
「うん!」
メルは夫婦に手を振ってその場を後にした。
彼女は井戸にたどり着くと紐に繋がった桶を井戸の底に落として、綺麗な水を汲み上げた。
汲み上げた水で少しずつ汚れた手を洗い、綺麗になった手で残りの水を飲んだ。
重労働をしていたこともあって喉はすっかり乾いていた。そのため、喉から胃に流れる冷たい物を感じ、次第に体に染み渡る感覚に落ちいった。
「ふぅー。生き返った!」
死んでないけどと自身に突っ込みながら手についていた汚れが付着してしまったトマトを洗った。
十分に水で濯いだ後、光沢を放つトマトをかぶりつこうと口を大きく開けた。
「いただきまぁーす!」
頬張った口から水々しい果汁が溢れ出し、メルは慌てて垂れる液体を手で受け止める。
甘味よりは酸味の方が勝っていたが、疲れた体には寧ろそれが良く思えた。
「美味しいー!」
空腹だったこともあってメルは一気に残りを食べつくし、幸福感に満たされて足軽に家に帰っていた。すると、不意にどこからか争い声が聞こえた。
「なんだろう?」
「か、返して……!」
「返して欲しかったら力づくで取り返してみろよ!」
麦わら帽子を被り、半袖半ズボンに暑い中肩掛けを身につけていたホリーは、肩掛けを握り締めながら、涙目で弱々しい声を上げた。
ホリーのぬいぐるみを奪った男子はぬいぐるみの尻尾を掴んで振り回していた。
男子はホリーより頭一個分ほど背の高く、太めだった。そして、その後ろで二人の男子が嘲笑っている。
その3人組は毎日と言っていいほど嫌がるホリーを見て笑いながら虐めていたのだ。
「にしてもこんな気持ち悪い人形大事にしているなんて、どうかしているぜ」
ホリーのぬいぐるみは犬をモチーフにした物だったがギザギザの歯が並べられ、手足が異様に長く、それは犬とは少し言い難い姿をしていた。
「こんな気持ち悪い人形を持っているのはモンスターの仲間だからだろ?」
「ち、違うよ!?」
「いいや! 絶対そうに決まってる!」
太めの男子は笑みを浮かべる。
「怪物は俺がこんなぶっ殺してやるよ!」
太めの男子はぬいぐるみの頭と尻尾を鷲掴み、左右それぞれ反対の方向へと引っ張り始めた。
「いいぞ! やってやれ!」
「や、やめてぇ!?」
自身が大切にしているぬいぐるみがぞんざいに扱われて、ホリーはヒステリックな声を上げて阻止しようとするが、別の男子に遮られる。
「おっと、慌てんなって! 大体男がぬいぐるみ何て持っているじゃねぇよ!」
ぬいぐるみの布は次第に伸び始めて、繊維が切れるような音を発し始めた。
「いいぞルーイ! やっちまえ!」
「お、お願いだからやめて!」
既に泣き出しているホリーを他所にルーイと呼ばれた太めの男子は更に力を入れようとした時……。
「ゴラァァァ!」
「ぶっ!?」
ぬいぐるみを持った男子の黒い髪を短く揃えられた頭部に突然強い衝撃が走った。
「ルー兄。仕事サボって何してんの?」
ルー兄と呼ばれた太めの男子の背後には握り締められた拳を胸元に掲げたメルが立っていた。
メルの登場により、他の男子達は焦り始めた。
「やっべ……」
「メルーガが来た……」
メルーガとはルーイ達が勝手に名付けたあだ名で、メルとオーガを組み合わせて出来た名前だった。
「もうホリー虐めるなって言ったよね?」
痛みを発するところを押さえながらルーイはメルを睨みつける。
「テメェ……妹の分際で俺を舐めているとそろそろ本気で泣かすぞ?」
ルーイはメルよりも年が一つ年上の次男坊であった。
この二人は日頃から些細なことで啀み合いになってはすぐに喧嘩へと発展していた。
「へー? じゃやってみたら?」
拳の関節を鳴らしながら威勢を吐くルーイに、メルは人差し指を動かして挑発した。
日頃のやり取りもあってルーイはメルの挑発に乗ってしまう。
人形を放り捨て、ルーイは拳を大きく振り上げて殴りかかる。しかし、大きく振り上げたためか、拳が届く前に彼女がルーイの顔面を殴った。
殴られた彼は後ろへとよろめきながら、打撃された部分に異常が無いか恐る恐る触れてみると、触れた手には赤い粘度のある液体が付着していた。
中心に打たれた鼻は曲がっていることは無かったものの、彼の鼻は赤々と色を変えて鼻血を垂らしていた。
自身の血を見て、ルーイは完全に頭に血が上った。
ルーイはメルに低い姿勢で体当たりを行い、メルごと転倒した。
それからは互いに避けることができない取っ組み合いとなった。相手の上に乗りかかった方が優位に立てるため、どちらかが上に乗っかってもすぐに転げ回されて交代する繰り返しだった。
「このクソ女! くたばれ!」
「お前がくたばれ! クソ兄貴!」
どちらもアドレナリンが溢れているためか、殴られようが一切手を止めなかった。
最初は応援を送っていた男子も、一向に手を止めない二人に戸惑い始める。どちらに軍配が上がるか分からず、徐々にエスカレートし始める光景に顔を引きつる一同だった。
ホリーは痛々しい光景にしゃくりを上げて泣きだしそうになる。
いつまでも続くようにも思われていたが、突然線が切れたように振り上げる拳をそのままルーイは仰向けで倒れた。
先ほどまで疲弊の色を見せずに、がむしゃらに殴り合っていた彼が突然倒れて、一体何が起きなのか唖然としていた。
「はぁ……。はぁ……」
メルは上に乗っかっていた小太りの兄を足で押し出して抜け出した。
「ルーイ!?」
「大丈夫か!?」
ルーイと絡んでいた男子達はルーイの安否を心配して近寄る。
「うっ……。ぁれ……?」
彼は取っ組み合いの時に顎に一発拳をくらい、脳震盪で意識が定まらずにいた。
「お、お前頭おかしいんじゃねぇの!? 幾ら何でもやりすぎだろ!」
「そ、そうだ! そうだ!」
メルも兄から同じか、それ以上に殴られているというのに、男子達はその行為を棚に上げて彼女を非難した。
責められていた彼女だったが痛みを発する場所を押さながら、切った唇を触れて確認してから舐めていた。そして、男子達の方に振り返り、目元を腫らした目で睨んだ。
「で? あんた達はどうすんの? まだホリーを虐めるなら相手になるけど?」
「うっ……」
「き、今日はやめといてやるよ! いくぞ!」
悪態を吐きながら兄を見捨てて逃げ出した男子達にメルは呆れた。
メルは地面に落ちていたぬいぐるみを拾って優しく払った。
彼女はぬいぐるみを手にホリーへと近づいた。
「はい。これ」
助けてくれたこととで、メルが無事だったことでかホリーは半泣き状態だった。
「た、助けてくれて……。あ、ありがとう……!」
「お礼なんていいよ。友達は助け合うものなんだからさ。にしてもバカ兄貴本気で殴りやがって……。イッッ!」
メルは笑みを作ろうと顔を動かすと痛みが広がったため、ぎこちない笑顔となった。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫だよ。こんぐらい唾つけとけば治るよ」
手の傷を舐めている姿はまるで毛づくろいをしている猫のようで、ホリーに笑みがこぼれる。
ホリーはハンカチとして使っていた廃れた布切れで涙や鼻水を拭き取ってから、嬉しそうにぬいぐるみを受け取った。
「あ、ありがとう」
受け取ったぬいぐるみを二度と手放さないと言わんばかりに、強く抱きしめていた。
「じゃホリーは先に帰ってて」
「え? で、でもルーイ君が……」
「ルー兄は私が家まで背負っていくから大丈夫」
「そ、それだったら僕も……」
「駄目駄目。流石に無いとは思うけど、意識が定まったら暴れ回るかもしれないし」
勿論私がそんなことはさせないとはメルが言ったものの、意識が戻ったルーイが逆恨みで自分に手を挙げることを想像して身震いを起こした。
「だから、ホリーは帰ってて」
「う、うん……」
メルは心配そうな表情をするホリーの鼻を摘んだ。突然摘ままれたことに彼は驚いて飛び上がる。
「そんな暗い顔しないの!」
メルは眉を顰めて怒った顔をして叱った。だが、彼女は摘んでいた鼻を離して、髪が乱れるぐらいに頭を撫で回した。
「大丈夫だってただの兄弟喧嘩なんだから」
鼻を赤く染め、乱れた髪を手で押さえながら微笑むメルにホリーは頷いた。
その後、ホリーはメルに別れを告げて家へと帰った。
意識が曖昧な兄と二人っきりになったメルは、どうやって自宅へと帰ろうかと模索し始めた。
「んー、どうやってルー兄を連れて行こうかな」
「おい。お前ら何してるんだ?」
彼女が悩んでいると突然背後から声をかけられた。
彼女はその声に聞き覚えがあった。誰かを悟った瞬間、背中から汗が湧き上がるのを感じた。
ゆっくりと振り返るとそこにはメルの倍近くでかい男性が立っていた。
「や、やっほーリマ兄……」
メルの背後にいたのは四つ年が離れたメルの兄であり、長男でもあるリマンだった。
「お前たち……、また喧嘩か……?」
「いやね。これはルー兄が……」
「問答無用」
「フンギャ!?」
メルの頭部に拳骨が振り落とされた。
引きずられながら家に帰ってきた二人は喧嘩で作った傷とは別に、頭の上にコブを互いに作っていた。
メルとルーイは椅子に座らされ、テーブルを挟んでリマンが座っていた。
「遅いと思って見に行くとお前らときたら……。何度喧嘩したら気がすむんだ?」
ため息を吐きながら、ルマンは二人を見る。
「だってルー兄がホリーを虐めるからいけないんだもん!」
「あいつが男の癖に女々しいだからちょっとからかっただけだろ! 大体お前が舐めた行動するから喧嘩になるんだろうが!」
「はぁ!? ルー兄が恥ずかしいことばっかりしているからでしょう!?」
「何をぉ!?」
二人は席の上に乗り上げ、互いに顔を近づけて睨み合った。今にでも取っ組み合いが始まるように思えたが、リマンがわざとらしい大きな咳をした。
「お前らまた打たれたいのか?」
二人は大人しく席に座ったものの、横目で互いに睨み合っていた。
いつまでも犬猿の中の兄弟にリマンは新たてため息を吐いた。
「お前らどうやったら仲良くできるんだよ……」
「二人とも余りリマンを困らせたらダメよ」
奥の部屋から現れたヘンリーが料理を持って現れた。
テーブルに置かれた皿の上には、先月に収穫したばかりの蒸した芋が一つずつ置かれていた。
「二人ともご飯の前にこっちに来なさい」
メルとルーイは言われた通り、ヘンリーの前まで近づいた。
「じゃ手を出しなさい」
ヘンリーは二人から差し出された手を握ってから目を瞑った。
小声で何かを呟き始めると暑さとは異なる温もりが、3人を中心に発せられた。すると、喧嘩で怪我をした傷がふさがるようにして治った。
「はい。お終い」
完全に傷が塞がり、また、リマンに殴られたコブすら無くなり、怪我していたのが嘘のようだった。
「ありがとう! やっぱりお姉ちゃんの魔法は凄いね! あっという間に消えちゃうんだもん」
「本当にな!」
「お前ら本当に感謝しているなら、いい加減に喧嘩はやめろよ? 次喧嘩して怪我しても姉さんは治したらダメだから? 大体その魔法がウチの家計を繋いでいる商売道具なんだから……」
「分かっているわよリマン」
ヘンリー・ハリード。
彼女は母一人に育て上げられ、父親は物覚え付く前からおらず、顔どころか名前すら知らなかった。
彼女はすくすくと成長していき、誕生してから二年後には母親は義父と結婚して、弟であるリマンを迎えることになる。
それから三年後には次男であるルーイを出産し、その翌年には母親はメルを身に宿していた。5歳だったヘンリーはふと自身の父親の名前が気になった。
義父が本当の父親ではないことは教えられてはいたが、その時は本当の父親の名前は告げられていなかった。
彼女は父親の名前を聞こうとするも、母親はその場を濁してしまったため、教えてくれなかった。
不満が募るも、また今度聞こうとヘンリーは思った。しかし、名前を聞く前に母親は病で倒れてしまう。
医師が駆けつけて必死の治療をするも虚しく。数日後に母親の体調は良くなることはなく、そのままこの世を去った。
母親の死後、ヘンリーは自分がしっかりしなければと決意する。そして、ヘンリーは家事等のことを積極的に取り組んだ。
始めは多くのミスを犯すも、村の皆が助けてくれたおかげでミスは徐々に減って行った。
そんなある日、義父は仕事で暫くの間村を空けることとなった。
十二の年を迎えたヘンリーは義父が無事に帰って来られることを願って出立を見送った。だが、それが義父との最後だった。
義父がいなくなった後、四人は母親や義父が残してくれた家や畑で兄弟四人で必死に働いて何とか繋いできた。しかし、とある年は不作に見舞われ、国に納める税だけでも厳しくてこのままだと村人全員がのたれ死んでしまいそうになっていた。
そんな貧困生活が続く中、ある日、ルーイの不注意によって立てかけていた木材が倒れて頭を強く打ってしまった。
医者を呼ぶ金も時間も無く、自身達が出来る限りのことはしたものの、手の施しようがないほどの重症だった。
家族全員が悲しみにふけている時だった。突然ヘンリーがルーイの傷を完全に無くしてしまった。
彼女自身一体どこで魔法を身につけたのか分からず、混乱したものの、ルーイが助かったことに兄妹は喜び合った。
その後、ヘンリーの魔法は村で怪我した人を治したり、また、村の外に行っては身分を伏せながら治療をして稼いでいた。
身分を隠していたのは亡き母親が、口すっぱく決して村の外では注目を浴びることをしてはいけないと言われていたからだった。
何故、そのようなことを言ったのかは定かでは無かったが、母親の言いつけをなるべく沿う形で守ろうとしていた。しかし、魔法が使える者がただでさえ少ない中、ヘンリーの魔法は他の治癒魔法よりも遥かに優れており、貴族から大金を払ってでも治療して欲しいと要望される程だった。その結果、都市では忽ちヘンリーの話題で持ちきりになってしまった。
名前を伏せていたことが功を奏して、ヘンリーのことはバレずに済んでいる。しかし、彼女の魔法を狙ってくる輩もいるかもしれないということで、村の外に出るのは控え、村の者にも安価での治療を条件に公言しないように頼んだ。
こうして手に入った大金で牛や羊、鶏を買い、村の皆に安価でミルクや卵などを売って、不作の年でもヘンリーのおかげで村の人々は今日まで生き延びてこられた。
村は次第に発展していき、いつの間にか村を外敵から守れる塀を作れ、旧式であったが武器も多く入手できたのだった。
そんなこともあり、リマンは喧嘩しては魔法で傷を治してしまうヘンリーを咎めることが多々あった。
長々と続きそうな説教を受ける前にヘンリーはそそくさと奥の部屋へと戻っていた。
ヘンリーが戻ってくるまでメルとルーイは長い説教を聞くはめになった。
ヘンリーはすぐには戻ってこず、まるで自身に火の粉が飛んでこないようにワザと遅く来ているようにも思えた。
長々と説教を受けているとヘンリーが芋を持って戻ってきた。そこでようやく、二人は解放され、四人は机を囲んで昼飯にありつけた。
メルは自身の前に置かれた芋が誰よりも大きいことに気がつき、ヘンリーの方へと顔を向けた。するとヘンリーは口元に人差し指をつけていた。それを見て彼女は表情に出ないように心の中で喜んでいた。
「よし。お前ら早く食って残った作業夕飯までには終わらせるからな?」
「先に自分達は仕事抜け出していた癖に……」
愚痴を漏らしていたものの、メルは食べ終えて仕事を早く終わらせようと思っていた。それは数日後に姉のヘンリーの誕生日を迎えるための準備をするためだった。
ヘンリーは数日後に一六歳の誕生日を迎えようとしていた。
十六歳になる娘は誰かの家に嫁ぐのが慣わしであり、その美貌と凄腕の魔法によって村では多くの者が名乗り上げてヘンリーを嫁にしたがっていた。
故にヘンリーの誕生を祝えるのは最後かもしれないということで、メルは例年以上に気合を入れていた。
意気込んだのちに皆と同じように目を伏せて手を組んだ。
「それでは、今日まで生き延びられたことに感謝し、恵みを祝福して……」
食事前の祈りを捧げているその時だった。
突然爆発音が轟いた
「な、なんだ!?」
突然の事態に混乱する一同だったが、そこに一人の青年が顔を真っ青にして部屋に入り込んできた。
「リマン! 大変だ!」
「何が起きた!?」
「奴らだ! 奴らがついにこの村を襲いに来たんだ!」
リマンは咄嗟に奴らが誰のことかを悟った。
「奴らってまさか……!?」
「そうだ! 人狩りだ!」
人狩り。
その名の通り、人間を獲物として狩りを行う集団のことである。
狩りと言っても捕食するためではなく、人間を捕まえて売ることで生計を立てている者達のことだった。
奴隷は旅人や移動中の商人を捕まえることが多い。だが、健康的であればあるほど値が上がるため、小さな村を襲って多くの人間を一挙に捕まえることも珍しいことではなかった。
そんな集団が自分達の村に来るとはリマンは夢にも思ってもいなかった。なぜなら、他の村に比べて硬い塀に囲まれていたからだ。
他の村では塀というよりは柵に近いものぐらいしか立っておらず、防衛力はとても低かった。それに比べ、リマンの村では近くにある森から木々を伐採し、買った家畜を使って運び出して作った塀が村を囲むように作られていたのだった。
故に他の村に比べたら攻め入るのは容易では無いことは一目瞭然であり、この村を襲うなど正気の沙汰とは思えなかった。だが、それは裏を返せば、頑丈にするほどの物が中にあるということを知らせているようなものであることをリマンは気づかずにいた。
「どうするリマン!?」
「落ち着け! さっきの爆発は何処からだ?」
「た、多分東の森林からだ」
「わかった。とりあえず女子供を西の風車へ、男達は武器を持って中央で応戦すると皆に伝えろ!」
突然の事態に動揺する素振りを見せず、リマンは的確な指示を青年に出した。
「あいつらと戦うのか!? 逃げた方がいいって!」
「ダメだ! 逃げたところですぐに捕まるし、もしもの時があった場合は女子供だけでも逃す時間を稼がないといけない! 兎に角急げ! 時間がない!」
「わ、わかった!」
青年は困惑している様子だったが指示通りに行動に移した。
青年が去った後、リマンとヘンリーは落ち着いた様子で準備に取り掛かった。
ヘンリーは貴重品や遠出のために必要となるであろう衣類や食料をカバンへと最小限に詰めていた。
メルとルーイは突然の事態についていけずに不安な気持ちで一杯だった。
二人はどうすることも出来ずにただ立ち尽くすようにしていると、いつの間にか長い銃を持った兄が駆け寄ってきた。
リマンが持ってきた長い銃は前装式と言われる小銃で、火薬である装薬と銃弾を銃身の先端から込めて発砲する銃であった。一発撃った後に、再び装薬と銃弾を込めなければならなかったため、連射速度が低く、今では時代遅れの銃であった。
「にいちゃん……」
ルーイは一目見ただけでも怯えているのがはっきりと分かるほど、顔に暗い影が差していた。対してメルは一見険しい顔をしているものの、何処か現実味を感じられず、恐怖よりは驚きの方が勝っていた。
そんな二人の姿を見たリマンは弟と妹の前で膝をついた。
「お前ら安心しろ。俺が悪党をぶっ倒してくる。だから、その間ルーイはメルや姉さんのことを守ってやってくれ。メルはルーイが無茶しないようにしっかり見ていてくれ」
リマンはそう言っていつものように二人の頭を乱暴に撫でた。
「痛いよにいちゃん!」
「そうだよ! 首が外れる!」
毎日の件りをしていると突然リマンは二人を強く抱擁した。
「大丈夫……。大丈夫だからな……」
メルは少し痛くて苦しかったが、嫌ではなかった。寧ろそれが今は心を落ち着かせてくれるようだった。
メルもリマンの背中に手を回して強く抱きしめた。すると、準備が終えたヘンリーをリマンは呼び、隙間を埋めるように抱擁し合った。
「神よ……。我ら家族にどうかご加護を……」
リマンの言葉を三人も復唱する。
そして、四人は無言なまま抱きしめ合う。
メルはずっとこのままでいたいと思うがリマンが名残惜しそうにしながらも、離れてしまった。
「それじゃ行ってくる。お前たちは急いで西の風車へと向かうんだ」
「わかったわ。リマンも気をつけて……」
「あぁ。必ず帰ってくる」
リマンは長銃を背負い直して、家を飛び出すようにして爆発がした方へと向かった。
メルとルーイは兄を追いかけるように外に出ると、兄の向かう先には黒い煙が淡々と空に広がっていた。
煙の方角からは発砲音と悲鳴が響いていた。
兄の指示がきちんと伝わっているようで、煙から逃げるかのように反対方向へと進む人々がいた。
その光景にルーイは唖然としていると、突然背中を強く叩かれた。
「いっづ!?」
突然なことに驚くも不意に誰がやったのか察しがついた。
「な、何すんだメル!?」
「ルー兄がビビってるからでしょ! リマ兄がすぐに何としてくれるんだからしっかりしてよ!」
「い、言われなくてもわかっている!」
「ルーイ、メル。無理はしないでね?」
ヘンリーは二人の様子を心配そうに見つめていた。
「心配しないでお姉ちゃん! 何があっても私が守るから!」
「お前それは俺のセリフだろ!?」
「ルー兄は私よりも弱いじゃん!」
「んだとぉ!」
日頃ならばすぐに注意をするものの、こんな状態でも喧嘩をする二人にヘンリーは笑みが溢れる。
メル達は家に戻ってヘンリーが準備した荷物を持って三人で西にある風車へと向う。
出発する際、メルはリマンの姿をもう一度見ようと振り返るも、見えるのはいつまでも黒々と舞い上がる煙だけだった。
家を出た三人は難なく無事に風車に辿り着くことができた。
風車小屋の中に入ると、そこには逃げてきた他の村人達が狭い風車小屋の中で身を寄せるようにして座っていた。
中にいた人たちは子供や女性、老人と言った具合に集まっていた。その者たちの表情は暗く、皆不安な様子を隠しきれなかった。
「メル!」
声をかけてきたのは泣き出してそうになっていたホリーだった。彼は集団の中にいて、メルが来たことに気がついて側へと歩み寄ってきたのだった。
「ホリー! 無事だったのね!」
「う、うん。メルも無事で安心したよ」
二人は互いに無事だったことを喜び合った。
「ホリー、ジャンとフルクは?」
ルーイは部屋の中を見渡していたが、先ほどまでつるんでいた二人の姿は見えなかった。
「ま、まだ……、来ていないみたい……」
怖がりながら、メルの後ろに隠れてホリーは伝えた。
「そうかよ……」
不服そうにするルーイにホリーは更に身を縮める。
「ちょっと、ルー兄……」
彼の態度に対し、メルが文句を言おうとすると、ヘンリーが肩に手を置いて止めた。
メルは何故止めるのか疑問になるも、ルーイの姿を改めて見て分かった。彼は友達の安否が気にしていたのだった。
それを見たメルはヘンリーの方を振り返り、頷いた。
ヘンリーは二人の様子を見た後、部屋の奥へと進む。
部屋の奥、ホリーが歩いてきた方には老夫婦が腰を下ろしていた。
ホリーの両親は彼が幼き頃に亡くなっており、両親の変わりに老夫婦が育ててきた。また、祖父は村の長老であった。
「おぉ、ハリードさんのところも無事でしたか」
長老は重たい腰を上げてメル達の元に歩いた。
「はい、なんとか」
「すまんなぁ。本当なら僅かな命しかない役立たずの年寄りが戦いに行かなければならないのに、リマンのような若者達に戦わせてしまって……」
長老は項垂れるように頭を下げた。
「そんなことは……」
ヘンリーが長老の言葉を否定しようと時、突然扉が大きな音を立てて開いた。
「全員動くな」
咄嗟に振り返ると開かれた扉の先には目元から下を布で隠した人物が佇んでいた。
体格や声からして男と思われる人物は拙い服装に腰には剣を収めた鞘をつけていた。
その人物の背後には、同じ身なりをした者が三人いたが、唯一違うのは剣の代わりに銃器を掲げられていたことだった。
その場に居た者は蛇に睨まれた蛙のように、見知らぬ人物の方を見て固まった。
「ここは完全に包囲した。逃げる者は殺す」
その淡々と語る言葉は嘘ではないとメル達は感じた。そして、不意にあることに気がついた。
(銃声が……止んだ……?)
この人物が現れたのと同時に発砲音が止んだようにも感じられた。
「全員ここから出ろ。もう一度言うが逃げたら殺す。その者の家族も殺す。刃向かったら殺す。分かったら大人しく着いてくるんだ」
そこに居た者達は皆言われるがままに従って、男達の指示通りに動くしかなかった。
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