チャプター3
路地裏を出た俺たちは一華さんの紹介で、動物マニアである
そして、獅子ヶ谷さんが住まう宅地に到着した。二階建てコンクリート製の一軒家で、玄関前の庭はテニスコート半面ぐらいの広さで芝生が敷かれている。一般的な住居よりは広いかもしれない。
先頭の姐さんが門扉横のインターホンを押す。ピンポーン、とくぐもった機械音が鳴る。だが、数瞬待てども誰かが現れる気配がない。もう一度ボタンを押すが、結果は同じ。
「留守か? だったら出直すしかないが……」
姐さんが諦めの言葉を告げた、時だった。
ドン! と、建物内から何かが激しく打ち付けられる音が響く。敷地の外にいる俺たちの耳にもそれは届いた。
「行くぞ!」
姐さんは即座に門扉を開くと、風のように駆け出した。俺と柚月ちゃん、ドラゴンくんが遅れて後を追う頃には、もう玄関の側まで近づいていた。
姐さんの後に続いて入って、室内を片っ端から見て回る。一階には、バスルーム、トイレ、リビング、ダイニング、キッチン。そこには誰もいなかった。一階を見終わってから、俺と柚月ちゃんが先に二階へ上がる。その一室、書斎の扉を開ける。
「いた!」
無造作に倒れた本棚。その下敷きになっているのはジャケットをまとった獅子頭の獣人。事前に聞いていた情報によれば、おそらく彼が獅子ヶ谷さんだろう。意識を失ったのか、眼を閉じたまま微動だにしない。
本や書類などが散乱した書斎の中央には、一人の男が悠々と佇んでいた。八頭身はあろうかという背丈で、パンク系の黒いクロップドパンツに丈の長い濡羽色のパーカー、光沢ある黒のショートブーツとさながら漆黒のような出で立ち。それに反して、明度の高い銀髪が神々しく照らされる。そして何より、刃物のように尖った眼光と、その右下に浮き出た三本爪で引っ掻いたような紫色の刺青がその男の凶暴性を物語っていた。
パーカーのポケットに両手を突っ込んだまま、黒い男は気だるげに入口方面、俺たちのいる方を見やる。視認するや否や、露骨に舌を打つ。
「なんだァ? こんな所にガキが迷い込んできやがッた。ハァ……全く。さッきまでアガッてたッていうのに、てめェらのツラ見たせいで一気に萎えちまッたじャあねェか……て、あん?」
男は俺の隣にいた柚月ちゃんを、いや、彼女の腕の中にいるドラゴンくんを凝視している。あまりにも目つきが悪く、視線に気づいたドラゴンくんが小刻みに震えて、翼で顔を覆い出す。
「おい。そこのメスガキが抱えてんのァ、ドラゴンじャねェのか? なんだッててめェらが連れてやがんだ」
「そ、それよりも! お前は誰だよ! ここで一体何をしてたんだ!」
男の質問を遮るように、俺の上擦った声が飛び出る。ドラゴンくんだけでなく柚月ちゃんも手の震えを隠せないでいる。そして、俺自身も。
いま感じているのは紛れもない恐怖だ。目前に対峙する素性の分からない男に、形容しがたい怖れを感じている。
「あァ? 先に質問してんのァ俺様の方だろうが。三下がでしャばッてんじャねェぞ!!」
俺の三寸先に、男の顔が現れる。男の近寄る速さに、音が遅れを取って追随する。鼓動は早鐘を打ち続け、今にも爆散しそうだ。
「……ドラゴンの子どもだよ。隣にいる柚月ちゃんが道端で倒れていたそのドラゴンを拾ったんだ」
ビビって相手の言いなりになってしまう自分が情けない。黒い男は、俺から柚月ちゃんへ視線を移す。
「おい、メスガキ。そのドラゴンは俺様が探してたヤツの可能性が高ェ。コッチに寄越せ」
男は柚月ちゃんを睨みつける。書斎一帯に訪れる沈黙。額から冷や汗が緩やかに流れる。その感触が異様に気持ち悪い。
「…………いやです」
「あァ? もういッぺん言ッてみろ」
「いやです! あなたみたいな乱暴者に、このコは預けたくないです!」
柚月ちゃんの声に、瞳に、熱が入る。男を拒む意志が確固たるものだということは明白だった。それを察した男は苛立ったように頭を掻き毟る。
「あァそうか。てめェがそういう態度を取るんだッたら……容赦はしねェ」
ポケットから出した両手の爪が鋭利に伸びる。その形状はまるで刃のようだ。
「安心しろ。痛みなんざァすぐに感じなくなる」
その切っ先は柚月ちゃんを捉えている。腕を伸ばせば十分に届く距離。男は右手をかざし、一思いにと振り下ろす。寸分のムラもない動き。柚月ちゃんはひるみながらもドラゴンくんを強く抱き締める──。
「うわっ!!」
突如、俺の態勢が崩れて黒い男に体当たりする。男は反射的に手を止めるも、抵抗する間もなく床に倒れる。
「危なかったぁ。間一髪、柚月ちゃんとドラゴンボーズを守れたな」
腰の辺りが悲鳴を上げている。燃え上がる痛覚を我慢して、半身を起こす。それから緩んだ声のした方へ振り向く。柚月ちゃんが目を丸くして見ていた先には、不敵に笑う姐さんが意気揚々と立っていた。
「絢音さん!」
「グワッ!」
「よぉ。ギリギリの登場で悪かった。そこの黒ずくめにバレないよう部屋の外で息を潜めてたんだ」
位置関係から察するに、俺は後ろから姐さんに思い切り蹴飛ばされたのだろう。よろめきそうになりながらも、ひとまず立ち上がる。蹴られた跡を優しく撫でる。
「全く、アンタって人は……いくらなんでも蹴飛ばすなんてひどいじゃないですか! 紙一重で俺の体に風穴が開くところでしたよ!」
「仕方ないだろう。あの速さよりも先に柚月ちゃんを退かすとなると、どうしても雑な扱いになってしまう。それだと柚月ちゃんやドラゴンボーズが怪我しちゃうかもしれない。だったら、竜司を蹴っ飛ばすのが英断ってもんだろう」
「俺が怪我するかもっていう懸念はこれっぽっちもないんですね……」
勝手すぎる……。物理的に足蹴にされる身にもなってほしい。
と、張り詰めた空気が弛んだところで。
姐さんや柚月ちゃんの表情が固まる。後ろに視線を引かれているようだ。そちらを振り返ると、重々しい挙動で例の男が無言で立ち上がっていた。
数歩後ずさって距離を取る。柚月ちゃんは姐さんの背後へ避難する。
男は徐に顔を上げたかと思えば、今まで以上に凶々しい目つきで闖入者である姐さんを睨む。
「また余計なのが増えやがッた……仕事の邪魔なんだよ、てめェら。どいつもこいつも頭にくんだよ。ハァ……もういいや。てめェらまとめてズタボロにしてやる。その後でドラゴンを回収してとッとと退勤してやらァ」
「ずいぶんと物騒な奴だなぁ。どんな教育を受けたらかよわい女の子に得物を振りかざすようになるんだか……覚悟はできてんだろうな、クソザル」
どすの利いた姐さん声に、男はほんの一瞬だけ眉を動かす。だがそれ以上ひるむ様子は見せず、姐さんを視認する。
音も無く火花が散る。誰かが動いたその瞬間に、戦闘は開始するだろう。短くも長い時間は続く。
床を蹴り出す音が二つ。姐さんと黒い男が同時に動いた。
互いに迫ったかと思えば、姐さんは腰を落として男の腹部に打撃を食らわせる。その重い一撃に男は攻撃できなくなる。その隙を見逃さず、姐さんは男の襟元を左手で掴み上げる。その場で一回転、二回転と回って、遠心力とともに男を窓に向けて投げつける。男は抵抗できず、窓ガラスを割って外へ放り出される。
矢継ぎ早な展開に息を呑む。視界から男が消えたのを確認した姐さんは一息つく。
「おい、竜司。お前はそこに倒れてる獅子ヶ谷さんを助けてやれ。柚月ちゃんはドラゴンボーズと一緒にここにいろ。私はあのクソザルの様子を見に行くから」
そう言い残して、姐さんは机の上にあった灰皿を手に取る。それを使って割れ残った窓ガラスを叩く。ちょうど人が通れそうな隙間ができあがる。姐さんはよっこらせっと窓枠に足を掛けて、一思いに跳び出す。
「えっ、絢音さん!?」
予想外の行動に、柚月ちゃんが仰天の声を漏らす。彼女が驚くのも無理はない。
「大丈夫だよ、柚月ちゃん。姐さんは人とは思えないほど頑丈な体なんだ。魔法で肉体強化も施してるしね。あの人に任せておけば問題ないよ。ひとまず俺たちは獅子ヶ谷さんを救助しないと」
俺の説明に一応は納得してくれたのか、柚月ちゃんはコクリと頷く。それを見届けてから、本棚の下敷きになっている獅子ヶさんの傍へ近寄る。棚を持って尽くせる限りの力を込めてどかす。本がバラバラと落ちて獅子ヶ谷さんの体に当たってしまったが、依然として意識は戻らない。棚や本を部屋の脇へ置いて、獅子ヶ谷さんを俯せにさせる。脈を測ってみるとちゃんと活動していることが分かった。命に別状は無いようだ。
「さてと。姐さんがケリをつけるまではここで待機しておくけど。って、どうしたの、柚月ちゃん?」
作業を終えると、一心に俺を見つめる柚月ちゃんと目が合う。目元を潤ませているが、なんらかの意思を伝えようとしている様子だ。
「竜司さん、ごめんなさい。わたしが勝手なことを言ったから、竜司さんを危ない目に遭わせちゃった……」
「気にしなくていいよ。俺だってあんなクズ野郎にドラゴンくんを渡したくないし。柚月ちゃんもそう思ってくれてたことが嬉しいよ」
この場を和ませようと自分なりに優しく笑顔を見せる。それから柚月ちゃんの元へ近づいて、彼女の頭を優しく撫でる。撫でられて赤面すると、そそくさと目を伏せる。だが、その口元はとても嬉しそうに見える。すると、柚月ちゃんの懐中から「グエ〜」と訝しげに鳴く声が一つ。
ふと、ドラゴンくんは何かを察知したかのように辺りをキョロキョロと見渡す。
「どうしたの? 何か探してるのかな」
するとドラゴンくんは翼をはためかせ、柚月ちゃんの元を離れる。「グワ、グワ!」と切羽詰まったような鳴き声とともに、部屋の中を忙しく飛び回ったかと思えば、廊下へと去っていく。
「待って!」
柚月ちゃんがドラゴンくんの後を追う。て、ちょっと待てって! ひとまず──
「すいません、獅子ヶ谷さん! また後で戻ってくるんで、もう少し休んでてください!」
と告げて書斎を出る。もちろん返事は無かった。
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