チャプター2

 少女の名前は木ノ葉柚月このは ゆずきという。妖狐一族の生まれで、家族とともにK市で生活しているらしい。

 彼女が請負屋へ来た用件をまとめておく。今朝、柚月が散歩をしていたところ、道端に大きな生き物が倒れていた。それが今しがた彼女が抱えていた例のトカゲもどきだ。そのトカゲもどきは衰弱していたようで、自力で体を動かせなかった。こんなに弱った生き物を放ってはおけないと思って、柚月は助けてあげることにした。しかし家族に相談したところ、得体の知れない生き物を家に置くことはできないから外へ捨てなさいと言われた。そんなことをしたら可哀想だと柚月は思ったが、彼女一人ではどうすることもできない。そこで彼女は街行く人々にトカゲもどきを引き取ってくれないか尋ね回ることにした。そうする中で、「困った時は請負屋に行けばいい」と教えてもらったので、ここへ行き着いた。


「なるほど。つまり、柚月ちゃんのお願いはそのトカゲ? を引き取ってくれる誰かを探してほしいってことなんだね?」


 経緯を聞き終えた姐さんが確認を取ると、柚月ちゃんは「うん」と首肯する。手前に置かれたお茶は手付かずのままだ。


「とかげさんをお世話してくれる方がいたら、とかげさんをお外に放さなくていいから。これ以上とかげさんに苦しくなってほしくないから……」


 声が震えていた。相対する俺たちは静観している。


「だからどうか、お願いします」


 柚月ちゃんは深々と頭を下げる。懐中のトカゲもどきがか細い声で鳴く。

 沈黙が訪れる。しかし、それはほんの刹那だった。


「頭を上げて、柚月ちゃん。君のお願いは、この俺たちが請け負ってあげるよ。ですよね、姐さん!」


 俺の高らかな宣言に呼応するように、姐さんは不敵に笑う。


「あたぼうよ。こんな可愛い女の子が困ってるっていうのに、見捨てておけるわけがないだろう。この依頼、請け負うぞ」


 頭を上げた柚月ちゃんは目を見開く。一転、彼女の瞳に光が生まれる。力強く立ち上がる。


「あ、ありがとうございます!」


 柚月ちゃんは先ほどよりも一層深く頭を下げる。よほど力が入ったのか、抱かれたままのトカゲもどきが「グエッ」と苦しげに喘ぐ。



 こうして、奇妙な生き物の貰い手探しを請け負うことになった俺たちは、柚月ちゃんとトカゲもどきを引き連れて、先刻俺が進んできた大通りへとやってきた。

 ちなみに、トカゲもどきにはエサとしてキャットフードを与えられた。

「猫が安心して食べられるように加工はされてるんだ。コイツは猫じゃないが、食べても大丈夫だろう。私の第六感がそう告げてる」

 というのは、かのクールビューティーな姐さんの談。信頼性は無きものに等しかったが、意外にもトカゲもどきがペロリと平らげたので、暫定的に良しとした。今のところ、トカゲもどきは元気そうだ。

 俺たちは大通りから路地へと入る。やがて室外機やポリバケツなどが並ぶ路地裏へと足を運ぶ。建物に遮られた日光がかろうじて道先を照らしている。しばらくして、行き止まりの道へ出る。そこで、先頭の姐さんは足を止める。


一華いちかぁ。ちょっと仕事関係で聞きたいことがあるんだがぁ。いるかぁ」


 誰もいないはずの空間に向かって姐さんが呼びかける。すると空を裂く音がどこからともなく聞こえ、やがて一つの物影が俺たちの前に現れる。スニーカーで踏ん張って着地した衝撃が小さく地鳴りを起こす。現れた物影は、猫の耳と尻尾が生えた、Tシャツにハーフデニム姿の少女だった。


「三日ぶりだニャ、請負屋。こうも立て続けにアタシんとこへ来るなんて、繁盛してんニャ〜」


 彼女の声は粘っこく、それでいて甘ったるくもあった。橙色のシャギーヘアが路地の中でも煌びやかに見える。


「おやァ? そちらのお嬢さん、珍しい生き物を持ってらっしゃるようだニャ。次の依頼はそのコのことかい?」

「まぁな。あ、そうだ。先に前払いで渡しとくぞ、マタタビ酒」


 姐さんは左手に持っていたマタタビ酒(ワンカップ三五〇ミリリットル)を猫耳少女に手渡す。少女はニヤリと笑って口笛を吹く。


「毎度毎度悪いねェ。猫って生き物はコイツがニャきゃやってらんねぇんだニャ〜」

「まったく。おかげさまでマタタビ酒のストックがニダースもあって、事務所のスペースが圧迫されてんだ。それだったら自分で買えよな。金は渡してやるから」

「いやいや、そちらさんのことわざで猫に小判と言うじゃニャいですかァ。金なんか貰ってもアタシらにゃ使い道がほとんどニャい。それよりかは、食料を実物で貰うほうがよっぽとありがてぇんだニャ」


 少女はゴロゴロと喉を鳴らす。姐さんはそれに嘆息で応える。その二人のやりとりを見ていた柚月ちゃんが、おずおずと口を開く。


「あのぉ、絢音さん。この方が猫神ねこがみ一華さん、ですか?」

「あぁ、そうそう。コイツが猫神一族の末裔さまだ。といっても、絶讃家出中でこんな路地裏で情報屋なんてやってんだけどな。品格なんざありゃしない」

「コラァ。猫のことを馬鹿にすんじゃねー。馬と鹿なんて、哺乳類ぐらいしか合ってニャいだろうがー」


 などという冗談が飛び交いつつ。真面目に本題へと切り出すことになった。姐さんの口からあらかたの事情が一華さんに説明される。


「フムフム。つまり、そのコを引き取ってくれそうなヤツを探してんだニャ? まぁ猫界隈でも有名な動物マニアはいくらかは知ってるし、探すこと自体は問題ニャいんだけどもォ……」


 頬を掻いて言葉を濁す一華さんの様子に、姐さんは首を傾げる。


「なんだよ。他に気がかりなことでもあるのか?」

「いやァ、だってさ〜あ?」


 一華さんは躊躇いがちに柚月ちゃんを指差す。いや、正確には彼女が抱えているトカゲもどきを指差した。皆の注目を浴びていることに気づくと、円らな瞳で一華さんを見つめ返す。


「そのコってドラゴンの子どもニャんだろ? 人里じゃ滅多に相見えない生き物が道端に倒れてたニャんて、そりゃあアタシも不思議がいっぱいでしかたニャいわ」


「「「え?」」」


 異口同音に一華さん以外の面々が素っ頓狂な声を漏らす。皆一様に目を丸くしている。それに釣られて、一華さんも「え?」と間が抜ける。


「まさかおミャーら、気づいてニャかったのか?」

「いやいや気づくも何も、これがドラゴンの子どもだなんて分からねぇよ! キャットフードだってモグモグ食べてたしっ」

「キャットフード食わせたの!? 神聖なドラゴンの子どもにニャんつー粗末なモン食わせてんだヨ! バチが当たんぞ!」

「いや、あなたがそれを言ったら駄目な気がするんですが……」


 ここにきてようやく俺が会話に加わる。だが、物の見事に一華さんは無視する。

 少しの時間をかけてチルアウト。トカゲもどきと思っていた生き物が実はドラゴンだったという衝撃の事実を、俺たちはどうにか受け入れた。ここからは便宜上「ドラゴンくん」と呼ぶことにする。

 ちなみに柚月ちゃんは「とかげさん」で姐さんは「ドラゴンボーズ」らしい。姐さんのは語呂的にアウトな気がするが、誰もツッコむ者はいなかった。

 それはともかく、ドラゴンは魔物の中でも高位の存在だ。人々の目に触れることはほとんどなく、神として崇められることもある。その子どもと、まさかこんな所で出くわすだなんて……。


「とにかく。ドラゴンの子どもがここにいるということは露見させちゃ駄目だニャ。コレクターやブローカー、果てにァハンターていった連中に目を付けられるかもしれニャいからニャ」

「そうか。この依頼、思ってた以上に深刻なんだな……」


 一華さんの忠告を受けて、姐さんが密かに呟く。すると、それを耳にした柚月ちゃんの表情に陰りが生じる。毛並みのいい耳と尻尾がシュンと垂れる。


「心配しなくていいよ。俺たちのやることに変わりはないんだから」


 そう言って、俺は俯く柚月の頭を優しく撫でる。手の動きに応じて、柚月ちゃんの表情は少しずつ明るくなり、やがて口元が緩む。


「あ、ありがとうございます、竜司さん。でも、頭を撫でられるのは、ちょっと恥ずかしいです……」


 徐ろに頭上の手を退けると、柚月ちゃんは頬を赤らめる。再び視線を地面に落とし、もじもじと両手の指を絡ませる。

 そこでハッと気づく。


「ロリコンだな」

「ロリコンだニャ」

「グァー」


 一連のやりとりを見ていた姐さんと一華さんは軽蔑の眼差しを竜司に向けていた。さらには、ドラゴンくんまでもが呆れたように鼻息を吐く。


「女の子を励ましただけでこの仕打ち、あんまりだ!」

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