ようこそ魔街(まかい)へ 〜人外魔境異聞録〜

杜乃日熊

チャプター1

チャプター1

 はるか昔。人の世界に魔物が来襲した。圧倒的な武力、超常的な魔力を前に、人類は為す術がなかった。このままでは人界が魔物の手に堕ちてしまうと危惧した神々は、人類に対抗手段を授けた。それは、“魔法”であった。魔物と同じ魔力を扱いながらも、神の加護を賜った聖なる力。魔法を会得した人類は、みるみるうちに魔物を退けた。人類と魔物が対等に戦うようになり、やがて両者は和平を結んだ。いがみ合いながらも、同じ生き物として認め合い、一つの世界で共存していった。その平和は今日まで続いた──────。



 某月某日。本日もK市は晴天だった。

 学校帰りの大通りはとにかく人が賑わっている。ここら辺はビルやホテル、複合型商業施設 (つまりでかいスーパー)などといった建物が大小さまざまに連なっている。

 俺と同じ制服を着た学生の集団が喫茶店に寄ったり、ご老人がゆっくりと買い物を楽しんでいたり、外国人が地図とにらめっこしていたり。また、猫耳の生えた少女が野良猫と戯れたり、猪の獣人が煙草を吸っていたり、黄緑色の妖精が中空を漂っていたり。なんの変哲もない、いつも通りの平穏な日常がそこにあった。

 などという、まったりとしたモノローグを展開している場合じゃなかった。これからバイトに行くのもあるけど、それ以上に来週の実技テストが問題だ。毎度毎度追試を食らいまくって、担任とはすっかり顔馴染みになってしまっている。苦笑いとともに発された『十年に一度の(マイナス的な意味で)逸材』というありがたーいお言葉は絶対に忘れることはないだろう。

 とはいえ、俺一人では万事休すといった具合なので、ここは姐さんに相談するしかない。どうせ今日も暇だろうから、時間はあるはず。

 よし、と気合を入れる。自然と足が速くなっていく。


 煉瓦色の壁が特徴的な平屋の事務所が見えてきた。屋根の辺りに「請負屋」と書かれた看板が掛けられている。それこそが俺のバイト先だ。この一帯は大通りから外れていて、ひと気が少ない。今日も相変わらず閑散としている。

 事務所のドアを開ける。カランカラン、と鈴の音が出迎える。玄関でスニーカーを脱ぎ、廊下を歩いてそのまま奥の応接間へ。

 中央にはワインレッドのソファーがテーブルを挟んで向かい合わせに二脚置かれている。そのうち一方のソファーに座って、優雅にティーカップを持った姐さんがくつろいでいた。紅茶の匂いが俺の鼻先をくすぐる。なんて甘そうな匂い。


「お疲れさまでーす。結羽ゆわ、出勤しましたー」

「おう、お疲れさーん。今日もよろしくー」


 軽い調子で挨拶すると、雑な返答が飛んできた。

 部屋にいた彼女はどんな依頼も代わりに請け負うという請負屋の所長、日向絢音ひなた あやね。カッターシャツに黒のパンツスーツという格好で、クールな印象を受ける。なぜかここで説明しないといけない気がしたので、あえて述べさせてもらった。


「ん、どうした竜司りゅうじ? ボーッと突っ立ったままで。電源でも切れたか?」

「俺はロボットじゃないですよ」


 俺は姐さんと真向かいのソファーに腰掛ける。テーブルの上に置いた学生鞄からペットボトルのお茶を取り出し、水分補給。姐さんがティーカップを置く。カタン、という音を合図に、俺は口を開く。


「今日って何か依頼はありました? この前、やっと猫探しが終わったとこですけど」

「いんや、今日の仕事はまだ何も。今は暇を持て余してるところだ」


 姐さんはおどけたように肩をすくめる。ロングの黒髪が滑らかに揺れる。

 そんな彼女の目前には、ティーカップとは別に苺のショートケーキが置かれている。生クリームの清廉無垢な白と苺の宝石を思わせる輝かしい赤。その両者のコントラストが絶妙で見るからに美味しそうだ。


「美味しそうですね、そのケーキ。ちなみに、俺の分はあるんですか?」

「無いぞ。私の分しか買ってないからな」


 即答だった。マジか……。今日俺が出勤することを分かっててその仕打ちとは。この姐さん、鬼畜なり。


「なぁんて。冗談だよ、冗談。ちゃんと竜司の分も買ってるよ」


 内心恨みをドロドロさせていたことに感づいたのか(定かではないが)、姐さんはいたずら小僧のようにはにかむ。立ち上がると、応接間を出て給湯室へ向かう。棚の中を物色する音が聞こえたかと思うと、また戻ってくる。


「ほら、これだ」

「…………ありがとうございます」


 俺に手渡されたのは、白粉を塗ったかのように純白な生地の合間から黒豆が顔を覗かせている、なんとも美味しそうな一口大の豆大福だった。これには唖然。


「ケーキじゃないんですね」

「あぁ、なんか竜司は和菓子が好きそうだなと思ってこれにしたんだ。決してケーキを買う時に竜司の分を忘れてたとかじゃないからなっ。それに、お茶と相性が良いだろう?」

「俺が持ってんのは麦茶なんですが……まぁいいや」


 貰い物は何であれ、ありがたく頂戴する。それが俺の流儀だ。大福を一口。あんこの甘味と生地の弾力感が口内に伝わる。うん美味い。これはこれでアリだし、姐さんのお茶目(という名の悪戯)は許そう。いつものことだし。

 完食してすっかり満足した。そこで、出勤前に気にしていたことを思い出した。少し前のめりになって姐さんをまじまじと見る。


「そういえば。姐さんに聞きたいことがあるんです。強化魔法のコツについてなんですけど……」


 魔法には四つの属性がある。何もないところからモノを生み出す「発動系」。物体に干渉してさらなる運動を促す「促進系」。周りのモノを自在に操る「操作系」。契約を交わしたモノを、空間を超えて呼び寄せる「召喚系」。俺が唯一得意とする強化魔法は促進系に当てはまる。その実力については、毎度赤点を食らっている現状から察してほしい。

 そんな俺の問いに、姐さんは目を丸くする。やがて、唸り声を上げて腕を組む。


「そうだなぁ。竜司の実力なんて、たかが知れてるからなぁ……あ、全身強化は無理でも部分強化ならイケるんじゃない?」

「部分強化、ですか?」

「そうそう。お前って、全身に魔力を分散させて強化しようとしてるだろう。そのせいでいつもショボい強化になるんだよ」

「へぇ〜。それは気づきませんでした」


 切れ味鋭い姐さんの指摘を淡々と受け止める。何度も何度も似たようなやりとりを繰り返してきたため、テンポ良く会話が進む。


「拳に魔力を集中させれば、より質の高い強化ができる。教育機関じゃあバランスを重視してるけど、お前の場合は一点集中型でどうにか及第点はもらえるだろう。後は自主練あるのみだ」


 そんなマイナーチェンジみたいな感じでいいんだ。そこに気がつかなかったとは、なんたる盲点。やはり聞いて正解だった。


「なるほど。ありがとうございます! さっそく今日から練習してみますね」


 姐さんはわずかに口角を上げ、再びケーキを頬張る。目尻を下げて、紅茶も嗜む。脱力するように長い息を漏らす。

 請負屋の仕事は依頼者が来なければ始まらない。そのため、依頼がない場合はこうして暇を潰すことになっている。

 のどかなティータイムは続く、はずだった。

 カランカラン。

 入口の鈴が何者かの来訪を告げた。廊下の方から声が聞こえる。


「どうやらお客さんが来たみたいだ。片付けるぞ、竜司」


 言うや否や、姐さんは食器類を前方へ押しやる。俺はそれをジト目で睨むが、相手は知らん顔。やがて、嘆息混じりに机の上を片付け始める。

 面倒な雑事を押し付けたクールビューティーな姐さんは、立ち上がって玄関の方へ向かう。

 残された俺が粛々と片付けを進めていると、やがて姐さんが応接間へ戻ってきた。


「いらっしゃい……ん?」


 姐さんの後に続いて入ってきたのは、白のワンピースを着た少女だった。落ち着かないのか、そわそわしたように立っている。艶やかなショートカットの茶髪をかき分けて突き出たのは狐の耳だ。腰の辺りには狐の尻尾も携えている。サンダルを履いた脚が小さく揺れている。

 そして彼女はあるものを抱きかかえていた。それは、ヒレのある翼に、頭部に短い角を生やし、体表に赤い鱗を備えた巨大なトカゲのような生き物だった。

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