俺はマイケル

 クラスメイトの野村さんが地元の遊園地の年パスを持ってるという話を聞いて、着ぐるみキャストのバイトを始めた。

 楽しい森の仲間達がコンセプトの遊園地なのでマスコットキャラも森の動物にちなんだものばかりだった。俺が担当することになったのはウサギのマイケルだが、偶然にも俺のあだ名もマイケルだった。

 俺の名前が舞島カケルだから略してマイケルと呼ばれていたので、同じ名前のウサギのマイケルには不思議な親近感を感じた。

「マイケルは陽気な性格だから動きはオーバーなくらいでちょうどいい。首を大きく振ってきょろきょろとあたり見回すとマイケルらしさが出て子供に喜ばれるぞ」

 そうアドバイスしてくれたのはシマリスのエドワーズだ。エドワーズはこの仕事について詳しく俺よりだいぶ先輩のようだったが、着ぐるみを脱いだ姿を見たことがないので本当のところはよくわからなかった。

「この着ぐるみを着ているとき、お前はウサギのマイケルになるんだ。舞島カケルが着ぐるみを着てマイケルを演じるんじゃない、お前がマイケルなんだ。そのことを忘れるなよ」

 そんなプロ意識をバイトに求められてもなぁ、と思いながらもはきはきと返事をした。

 仕事の内容は園内の巡回と一日二回のパレードだけなので単純だったが、重く動きづらい着ぐるみを着なくてはいけないので体力的にきつかった。しかしバイトを初めて二日目で遊園地に野村さんが来た。

 野村さんはマイケルである俺を見つけると小走りで近寄ってきて一緒に写真を撮り、学校では見たことがない満面の笑顔でお礼を言って手を振ってくれた。

 このバイトを始めて良かった。これからもがんばろうと思った。

 バイトが終わってスマホを見ると友人からメッセージが来ていた。

「お前のことゲームセンターで見かけたけど、今日はバイトじゃなかったのかよ?」

 友人曰くショッピングモールのゲームセンターで俺を見かけたとのことだが、その時間はバイト中だったので人違いだと返信した。自分に似た人は三人はいるという説もあるし、たまたま似た人を俺と見間違えたのだろう。

 しかしそれからも俺を見たという話をちょくちょく聞くようになった。

 最初にメッセージを送ってきた友人だけではなくそれ以外の友人や知人も俺を見たと言うのだが、とんと心当たりがない。そもそも話を聞くと目撃されたのは全部俺がバイト中のことなので、それは間違いなく俺ではなかった。

 俺がバイトを入れている土日にだけ俺を見たという話が来る。しかもよく聞くとバイト前や休憩中、バイトが終わった後に俺を見た人はいなかった。俺が着ぐるみを着ているときだけ、俺に似た誰かが目撃されるのだ。

 これだけ目撃情報があるのだから俺に似た人がいるのは確かだろう。しかし俺がバイト中ににしか現れないのはなんだか不気味だった。

 そんなもやもやを抱えたままバイトに出ると、遊園地に俺がいた。

 遠目でもわかるほど俺にそっくりな人だ。俺は着ぐるみを着たまま不自然にならないようにそのそっくりさんに近づいていった。

 それはもう、俺だった。顔も体格も着ている服も、全部俺だった。俺が早朝から並んで買った限定のスニーカーを履いていたし、左手の甲には自転車で派手に転んだときについた傷痕があった。

 俺はその場で着ぐるみを脱いでその俺に似た男に詰め寄りたかったが、この着ぐるみは一人では脱げない仕様になっているので急いでバックヤードに戻りスタッフに脱がしてもらう。それからすぐ園内に戻ったけれど、どれだけ探しても俺に似た男を見つけることはできなかった。

 一体あの男はなんだったんだ。なんであんなにも俺に似ていたのか。いや、似ているなんてものではなかった……まるでもう一人の俺がいるようだった。

 漠然とした不安を抱えながら一週間が過ぎ、またバイトに出ると園内で俺に似た男と野村さんが肩を並べて歩いていた。

 他に連れの姿はなく、二人だけで遊園地に来ているようだった。二人ともとても楽しそうに園内を回っている。

 それは楽しいだろう。俺が野村さんと二人で遊園地に来られたら絶対に楽しいし、満面の笑顔になる。実際、俺に似た男はずっとにこにこしながら野村さんをエスコートしていた。

 呆然と二人を見ていると「おい、何してるんだ」とシマリスのエドワーズに声をかけられた。俺は二人を指さして「あそこに俺がいるんです」と言った。

 そう、あれは俺なんだ。俺に似た男なんかじゃなくて、俺だ。説明のしようがないが、あそこにいるのは俺なんだという奇妙な確信があった。

「あれ、俺なんです……変なこと言ってるのはわかってるんですけど、あそこにいるのは俺なんですよ……」

「何を言ってるんだお前」

 エドワーズは俺の肩に手を置いて、言った。

「お前はウサギのマイケルだろう。あそこにいるのはマイケルじゃない、だからあれはお前じゃない」

「えっ? だって、俺がマイケルだったら、俺は……舞島カケルはどこにいるんですか?」

「あそこにいるじゃないか」

 そう言って、野村さんと一緒にいる俺を指さす。

 ああ、そうか。不思議なほどすんなりと腑に落ちた。

 今の俺はウサギのマイケルだから、舞島カケルはそこにいるんだ。そこにいるのが舞島カケルで、俺はウサギのマイケルなんだ。

 そう、わかった。わかったのに、わからない。俺はマイケルで、俺は舞島カケルだった。それがどういうことなのかわからず、頭がぐるぐるする。

 そんな俺を落ち着かせるようにエドワーズが俺の背中を軽く叩いた。

「なあ、あそこを見てくれないか」

 エドワーズが指した方を見ると、親子連れがいた。恰幅のいい父親と上品そうな母親、はしゃいでいる息子。遠目で見てもわかるぐらい幸せそうな家族だった。

「あれ、俺なんだよ」

 子供と手を繋いでいる父親を見ながら、エドワーズがそう言った。

「俺は証券会社に勤めてるらしいんだ。趣味はゴルフで、車は二台持ってると聞いたことがある。奥さんも同じ会社に勤めてるみたいで、息子は来年小学校に上がるという話をこの前していたよ」

 そうやって、自分のことなのにあまり親しくない知人の話をするかのように語る。

「あそこにいる俺は幸せそうだろう?」

 エドワーズの言う通り、彼らは絵に描いたような幸せな家族だった。一分の隙もない、完璧な幸福がそこにある。

 俺が「そうですね」と言うと、エドワーズは確かめるように深く頷いた。

「だから俺は、エドワーズでいいんだ。……俺が幸せなら、俺はエドワーズでいい」

 俺は何も言えず、ただ黙って幸せそうな家族連れを見て、それから幸せそうな俺と野村さんを見た。

 バックヤードに戻り、自分のスマホを見る。野村さんからたくさんメッセージが届いていた。俺と野村さんは毎日たわいのない話をしていて、野村さんは今日の遊園地が楽しみだと言っていた。スタッフに手伝ってもらって着ぐるみを脱ぎ、もう一度スマホを見ると野村さんからのメッセージは全部消えていた。そもそも俺は野村さんのアドレスを知らない。

 バイトが終わって家に帰る。飯を食って寝て、起きて、学校に行く。教室には野村さんがいたけど、俺のことを気にする素振りもない。

 エドワーズの言うことは正しい。俺は幸せになりたい。俺がマイケルなら、俺は野村さんと一緒に遊園地に行けて幸せだ。だから俺はマイケルでいい。わかってる。そう、わかってる。

 でも俺は、嫌だった。俺は、舞島カケルなんだ。舞島カケルとして幸せになりたいんだ。

 俺は野村さんの席に行くと、バイト終わりに買っておいたチケットを差し出して、言った。

「俺と一緒に遊園地に行ってください」

 緊張で手が震え、心臓がバクバク鳴っていた。ろれつが上手く回らずちゃんと言えたかどうかもわからない。そんな俺を見て野村さんは驚いたような顔をしていたけれど、やがて小さく微笑むとチケットを受け取ってくれた。

 オーケーをもらって子供のようにはしゃぐ舞島カケルのことを、俺は窓の外から見ていた。

 教室の外、マイケルの着ぐるみを着ている俺は一人だった。教室の中では顔を真っ赤にした舞島カケルがわたわたしながら野村さんと話している。

 後ろを振り返るとそこには森が広がっていて、シマリスのエドワーズが俺のことを見ていた。

 森の奥からパレードの開演アナウンスが聞こえる。もうそんな時間かと思い、俺は森へと歩いて行く。エドワーズも俺と連れ立って歩く。森の広場にはシカのマーティ、フクロウのジム、クマのラロミーがいて、俺達のことを待っていた。

 時間になると森の仲間達が集まってくる。パレードが始まる。エドワーズがトランペットを吹きながら先頭を歩く。俺もシンバルを鳴らしながらその後に続く。パレードの音が鳴り響く。森の仲間達も一緒になって踊っている。俺はマイケルで、ここは俺が住む森で、みんなは森の仲間達だ。

 それだけのことなのに、なんだかすごく、幸せだった。

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