アイスのことだけを考えている

 君が博多発の新幹線に乗ってから十年が過ぎたが、未だ新幹線は東京に辿り着いていない。

 出発前、博多から東京まで五時間ほどで着くと君は聞いていた。しかし実際は小倉に着くまで一ヶ月かかり、広島にはそこから更に三ヶ月、岡山まで二年、それから七年以上経つが新神戸にはまだ着いていなかった。

「西明石は通過したんだからそろそろ着くよ」

 同じ新幹線に乗っているサトウさんからそう聞いたのが四年前のことだ。先に進めば進むほど次の駅に着くまでの時間が長くなっていると君は思う。しかし君はそのことについてあまり真剣に考えたりはしない。いつかは東京に着くのだからそれまで乗り続けていればいい、それが君の考えだ。

 朝、君は車内販売員がワゴンを押す音で目が覚める。窓際の一番後ろが君の席だ。指定席券を買ったときは富士山が見える席だと喜んだが、十年も同じ席に座り続けているともはや何の感慨もない。

 君は車内販売でモーニングセットを頼み、朝食を摂り、食後の休憩を挟んだ後、車内清掃のアルバイトに向かう。いつまで経っても東京に着かず、生活が厳しくなったため始めたアルバイトではあったが苦ではなかった。何もせず席に座り続けるよりは体を動かしている方がいいと君は思う。

「よお、そっちは終わったか」

 君は同じアルバイトのサトウさんから声をかけられる。サトウさんは君より一回りほど年上のように見えるが、たまに酷く老け込んで見えることもあった。新幹線の中でも古株らしく君はサトウさんから色々なことを教えてもらっていた。

「じゃあ一杯つきあえよ」

 サトウさんの誘いを受けると君は車内販売で酒を買い、荷物スペースでサトウさんと酒を飲み始める。

「明日、新神戸に着くらしいぜ」

「二ヶ月前も同じこと言ってたじゃないですか」

「今度は本当だって、車掌から聞いたんだよ」

 君はサトウさんの話を半信半疑で聞きながら酒をちびちびと飲む。サトウさんと飲むときはたいていくだらない話しかしないが君はその時間が好きだった。

 それから君は一時間ほどだらだらと話をしてからサトウさんと別れ、自分の席に戻り毛布をかぶって就寝する。次の日、君が目を覚ますと新幹線は新神戸駅に停車していた。

 駅に停車するのは七年以上振りのことだったので君は驚いたが、すぐに興味を失うと車内販売でモーニングセットを頼み、朝食を摂る。駅に停まっていようがなんだろうが、君には関係のないことだった。

 食事を終えると今日はアルバイトが休みだったのですることもなくなり、君は散歩に行くことにした。散歩と言ってもただ通路を歩くだけだ。無意味な行為だが何もせず席に座り続けるよりは体を動かしている方がいいと君は思う。

 そうやって君が通路を歩いていると見知らぬ女性がいた。もう十年も新幹線に乗り続けている君はたいていの車内の人とは知り合いになっていたので少し驚いた。

 ギターケースを担ぎ、キャリーケースを引いた女性は君に気づくと小走りで近づき「すいません、この席ってどこだかわかりますか?」と指定席券を見せながら訊いてきた。

 なるほど、この駅で乗車してきた人なのだから自分が知らなくて当然だと納得すると君は女性を席まで案内する。話を聞くと女性はユキハラという名前で、高校を卒業してすぐこの新幹線に乗り込んだらしい。

「卒業したら東京に行くって決めてたんです」

 ユキハラさんはキラキラした目で興奮を滲ませながらそう言った。それから「三時間くらいで東京に着くんですよね?」と訊かれたので君は「多分もっとかかるんじゃないかな」と答えると心底不思議そうに聞き返された。

「えっ、なんでですか?」

「なんでって……そういうものだからじゃないかな」

 理解できていない様子のユキハラさんを前に、君は自分自身に確認をするように言う。

「そりゃ三時間で着く人もいるんだろうけど、でも、そういうものなんだよ」

 ユキハラさんはまだ納得していないようだったが、君はもうそれ以上かける言葉を持っていなかった。

 それから数日後、ユキハラさんに会うとこの新幹線がすぐには東京に着かないことを理解したようだった。サトウさんからも話を聞いたらしく、東京に着くまで何年も、もしかしたら何十年もかかるかもしれないと知りショックを受けていた。

「私、東京でバンドをやりたいんです」

 ギターケースを抱えながらユキハラさんはそう言った。

「だから東京に着くのに何年もかかるのは、その、困ります」

 落ち込んだ様子のユキハラさんに君は「そうなんだ、大変だね」と中身のない慰めの言葉をかける。ユキハラさんは君のことを見ると「あなたはなんで東京に行くんですか?」と訊いた。

「…………」

 君は「えっと、そうだね……うん、東京か」と口ごもりながら車内に目をやるとワゴンを押す車内販売員を見つけた。君は車内販売員を呼ぶとアイスを二つ買い、一つをユキハラさんに渡す。

「新幹線のアイスはすごく美味しいんだ、食べてみなよ」

 ユキハラさんはもらったアイスを早速食べようとしたが、アイスが固くてスプーンが刺さらないようだった。

「新幹線のアイスはすごく固いから食べ頃に溶けるまで待たないといけないんだ。でも本当に美味しいから待っている時間も楽しいよ」

 それから程よく溶けるのを待ってから二人でアイスを食べた。

「本当に美味しいですね」

 ユキハラさんがそう言って笑ってくれたので君も嬉しくなった。ユキハラさんは君に東京のことをそれ以上訊くことはなかった。

 数日後、ユキハラさんの姿を見なかったのでサトウさんに尋ねると「彼女ならもう降りたよ」と言われた。

「この前新大阪に停まったのに気づかなかったのか? そこで降りて、今度は伊丹空港から飛行機で東京を目指すって言ってたよ」

 君が呆然としているとサトウさんは自嘲気味に笑った。

「若いやつの行動力はすごいよな。俺なんかもういい年だから、今更新幹線を降りるとかできないよ」

 サトウさんは持っていた酒を一口飲み、息を吐く。

「今更降りたところで何をしたらいいかもわかんねえよな」

 君も酒を買い、サトウさんと二人で言葉少なく酒を飲んだ。それから君はサトウさんと別れ、席に戻り、就寝する。朝食を摂り、アルバイトに向かい、清掃作業をしていると君は首を吊ったサトウさんの死体を見つけた。

「…………」

 車内清掃をしていると自殺者を見つけることはたまにあった。だから君はマニュアルの手順に従いサトウさんの死体を片付け、清掃作業を続ける。

 アルバイトが終わると自分の席に戻り、息を吐いた。君はいつもより疲れていた。

 君は、考える。何故いつまで経ってもこの新幹線は東京に着かないのだろうか? 五時間ほどで着くはずがもう十年だ。十年も乗り続けているのに東京どころか富士山すら見えやしない。何かを根本的に間違えているのではないだろうか?

 それならばユキハラさんのようにこの新幹線を降りて空港から飛行機で東京に向かうべきだろうか? 飛行機でなら東京に辿り着けるのだろうか? 飛行機で向かっても同じことなのではないだろうか? そもそも空港に辿り着けるかどうかもあやしいと君は思った。

 やはりこのまま新幹線に乗っていた方がいいのだろうか? 遅々とした速度ではあるが進んでいるのだからきっといつかは東京に着くはずだ。しかし本当にそうだろうか? このまま永遠に着かないことだってありえるのではないだろうか?

 そもそも東京は実在するのだろうか? 君は東京の話を聞いたことはあるが、東京を実際に見たことはない。本当は東京なんて存在しないのではないだろうか? それならばどうやっても東京に辿り着くことなどできないのではないだろうか?

 ではどうすればいいのだろうか? どうすればいいのだろうか? 君はユキハラさんのことを考える。君はサトウさんのことを考える。君は、君は、

「…………」

 君は車内販売員を呼ぶとアイスを買った。冷たくて、固くて、美味しいアイスだ。

 両手でアイスを持ち、程よく溶けるまでを待つ。新幹線のアイスはすごく美味しいんだ、と君は心の中で独りごちる。だから待っている時間も楽しいよ。

 アイスは固くてすぐには食べられない。けれどアイスは手の中にあり、待っていればいつかは食べられる。美味しいアイスが、食べられる。

 だから君はアイスのことだけを考える。アイスのことだけを考える。

 アイスのことだけを、考えている。

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