夢が終わるとき
学校をさぼってベッドに寝転がり何もせず天井を見ていたその日に宇宙人がやってきて地球を侵略した。抵抗も虚しくわずか四日で地球は征服され人類の九割は死んでしまった。私は残った一割の方で、今は一戸建てで一人暮らしをしている。
朝はいつも十分ほど布団の中でだらだらしてから起き上がる。朝と言っても時計がないので太陽の位置でだいたい朝だろうと思ってる。
眠気を払うように頭を振り、首の辺りをさわるとそこには首輪の感触がある。確認するように首輪を撫で、ベッドから出ると顔を洗って歯を磨いて、ジャージから制服に着替えた。この制服は私が通っていた高校の制服だけれど、もちろん人類文明はだいたい宇宙人に破壊されたから高校なんてもうない。着るものがこれとジャージしかないから着ているだけだ。
キッチンに行き、冷蔵庫のような形をしたモノの中からシリアルの箱のようなモノと牛乳パックのようなモノを取り出し食卓に運び、シリアルのようなモノに牛乳のようなモノをかけて食べる。シリアルのようなモノは人類社会では食べたことがないような奇妙な味で、この食事に慣れることができず拒食症になり死んでしまった人もいると聞く。私はどちらかと言えば美味しいと思う。
朝食を終え、食器を片付けるとやることがなくなったのでソファでだらだらすることにした。一、二時間ほどだらだらしていると空気の振動音のようなものが聞こえたのでこれは来たなと思いベランダに出ると果たして私の飼い主が来ていた。
ダチョウとアコヤガイを混ぜ合わせたような宇宙人が私の飼い主だ。私の飼い主は体を奇怪に歪めると、オッアッオッオッオッ、と全身を振動させる。するとその振動波で私の周囲の空気が変質し、ゲル状の何かに包まれているかのような感触を覚える。
ゲル状の空気は私の体の上でうねり、うごめき、私の体を絡め取る。それは虫が肌の上を這い回る感触に似ている。二分ほどそのような状態が続き、唐突に振動は終わる。私の飼い主は体を元の状態に戻すと直立不動の姿勢のまま帰っていった。
私は部屋に戻り、大きく息を吐き、ソファに倒れ込んだ。あの行為は人間で言うところの犬の頭を撫でているようなものなのだろう。具体的に何をされているのかはよくわからないけどすごく疲れる。
体はだるかったけど気分転換がしたかったので出かけることにした。家を出て近所の公園に向かう。
もうこの星は宇宙人に侵略されてしまったのだから街並みも昔のそれとは違う。私の家みたいな人間用の建物は人類の家を参考に作られているから見慣れた形をしているけど、宇宙人が使う建物は形も素材も奇妙なものばかりだ。ねじ曲がったような建物があるかと思えば瞬きの度に形を変えるもの、広い敷地に巨大な棒が一本だけ突き刺さっているものなど、そもそも建物なのかどうかわからないものも多い。その素材も固そうだったり柔らかそうだったりゼリー状だったりと多種多様で、表面に苔状のものが生えているものもあれば油が流れているものもあり、人間の私の目から見るとおおよそ統一感というものがない。
そんな奇妙な街並みを抜け、公園に着く。私が勝手に公園と呼んでいるこのスペースは人間を遊ばせるためのものらしく、地球産の木々が植えられ、噴水や遊具など人間の世界にあったものが多く設置されている。
噴水近くのベンチに座り、周囲を見回した。私以外にも何人か人間がいて、各々自由に公園を散策している。この街にいる人間は全部二、三十人くらいなのでだいたいは顔見知りだ。この街に来たばかりの頃は人間同士でよく情報交換もしていたけど、何ヶ月か経つと今の生活にも慣れ、たまに立ち話をするぐらいになっていた。
「あいつらが何考えてるかなんてわからないけど、こっちが何もしなければ酷いことはされないわよ。だから従順でいることがコツね」
ここに来たばかりの頃に出会った女性からはそうアドバイスをされた。
「逆らわなければ平穏に生きていけるんだから、それでいいじゃない」
そう言って笑った一ヶ月後、女性は宇宙人に殴りかかり私の目の前で溶かされた。液状になった女性は地面のシミになり、それはしばらく残っていたけれど、やがて消えた。
たまにそういうことはあってもここでの生活はおおむね平穏だった。少なくとも私にとっては平穏な日々だった。
と、短い悲鳴が聞こえた。
首を巡らせると少し離れた場所で私と同じ制服を着た女の子が倒れていた。すぐ傍には七面鳥とメカジキを混ぜ合わせたような宇宙人がいて、女の子の首輪に繋がったリードを握っている。
(あのタイプの宇宙人はリードで散歩したがるんだよなぁ)
でも歩幅も歩調も人間と合わないからよく人間が転倒してしまう。だからあのタイプの宇宙人に飼われている人間はよく同情されていた。
女の子が立ち上がると宇宙人が再び進み始める。けれどその進み方は人間から見るととても不規則で、女の子は着いていくだけで必死だった。
人間には理解できない軌道で進む宇宙人と、ふらふらとそれに着いていく女の子がこちらの近くにまで来たとき、初めてその子の顔が見えた。知っている顔だった。
「先輩」
私が思わずそう呟くと、女の子はこちらを見て驚いたように大きく目を見開いた。
「サチコ!」
大きくて、黒くて、つぶらな瞳。私は先輩のその瞳が好きだった。
高校に通っていた頃、私は陸上部に入っていて毎日遅くまで練習していた。それだけ熱心だったわけではなく、ただ家に帰りたくなかっただけだ。けれど私に才能はなかったようで、入部して半年も経つと記録は伸びなくなった。
「もう、辞めようかな」
別に陸上が好きだったわけじゃない。走るのが楽しいと思ったこともない。記録が伸びて嬉しいということもなかった。それでも、毎日している練習が無意味なのだと思い知らされるのは苦しかった。好きでやってることではないからこそ、本当に無意味で、無価値で、私そのもののようで。
「辞めちゃうの? もったいない」
そう言ってくれたのが先輩だった。
先輩は私と違って走るのが好きで、毎日私と一緒に遅くまで練習をしていて、私とは違って記録をどんどん伸ばして次の大会では全国も狙えると評判だった。
「サチコの走ってる姿って良いんだよね。フォームが綺麗っていうんじゃなくて、どちらかと言えば下手なんだけど、ええと、そういうんじゃなくて……」
大きな瞳で私を見ている先輩。私は先輩の瞳だけを見ている。
「サチコの走る姿、私は好きなの。だから辞めないでよ」
そのときになんと答えたのかは覚えていない。
私は部活を辞めなかった。それから一年後に宇宙人がやって来て、部活そのものがなくなってしまった。
私には仲の良い友達なんていなかったし、家族とも仲が悪かった。だから宇宙人に侵略されても、なんか、どうでもよかった。
でも先輩にもう会えないんだなって考えたときは少し胸が苦しかった。
その先輩が生きていた。
再会したその日はろくに話もできなかったので、その日から私は毎日公園に通った。一日目は先輩に会えず、二日目も駄目で、三日目は雨が降ったので公園に来た人間は私だけだった。その翌日、先輩が来た。
「サチコ!」
私の姿を認めると先輩は一〇〇メートル十一秒台の脚力で私に駆け寄り、抱きしめた。
「良かった、本当にサチコだ!」
興奮する先輩をなだめ、落ち着かせてからお互いの近況を報告する。先輩はずっとシェルターに避難していたけど宇宙人に捕まってしまい、この街に来たのはつい最近とのことだった。
「シェルターにはたくさん人がいたんだけど、みんな捕まって……他の人達はどうなったんだろう……」
不安がる先輩に宇宙人は生き残った人間を保護していること、人間から宇宙人に危害を加えない限り安全なことを教えた。だから他の人達も別の街で今も生きていると思う、と。
「保護って……こんな首輪をつけて!?」
先輩の首にも私と同じように首輪がつけられていた。街の人間全員につけられているこの首輪には街を出ようとすると抑制装置が働き着用者の体の自由を奪う機能がある。だから私達が街を自由に歩けるのはこの首輪のおかげなのだとも言えた。
「何処が自由なのよ! こんなの奴隷と一緒じゃない!」
そう叫ぶと両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んだ。私は先輩の隣にしゃがむと震える背中をさすってあげた。
どれくらいそうしていたのか、先輩はゆっくり顔を上げ、泣きはらした顔で私のことを見る。瞳が涙で濡れていて、いつもより虹彩が大きく見えた。
(綺麗だな)
その綺麗な瞳で私のことを見てくれるのが嬉しかった。ずっと先輩の視界に収まっていたかった。
その日から毎日のように先輩と公園で会った。先輩はこの街のことや宇宙人のことを知りたがったので私は知っていることを話した。たまに先輩が昔を懐かしがり、学校に通っていたときのことも話した。
「あの頃は楽しかったよね」
先輩がそう言ったので私も「そうですね」と返した。学校は好きじゃなかったけど、先輩と一緒にいた時間は好きだった。でも陸上部のエースである先輩はみんなの人気者で、私はあんまり一緒にいれなかった。
先輩はいつも友達や後輩に囲まれていて、私が近づくことなんてできなかった。たまに一人でいるときに話しかけたこともあるけど、
「ごめん、先生に呼ばれてるんだ」
と言われてしまった。学校からも期待されている先輩は顧問の先生ともよく話をしていたし、校長先生にも名前を覚えられているらしかった。
私が先輩と話せるのは部活の練習で遅くまで残ったときぐらいだった。それも二、三言くらいの短い会話。そのわずかな時間だけ先輩は私のことを見てくれて、私だけのために話をしてくれた。
当時はそれでも良かった。その短い時間だけでも私には過ぎたるものだと思っていた。
それが今では毎日のように先輩と長い時間お話をしている。私の隣で私だけに話しかけて、私のことを見てくれる。先輩の瞳が私の姿を映してくれる。
私は、こんな日々がずっと続けばいいのにな、と思った。
「大切な話があるの」
ある日、真剣な眼差しで先輩がそう言った。
「三日後の夕方、ここに来て」
地図が書かれたメモを私に握らせ、先輩は周囲をきょろきょろと見回した。
「詳しいことはここじゃ話せないけど、私にとってもサチコにとっても大切な話なの。だから絶対に来てね」
ぐいと顔を近づけ、囁くようにそう言う。先輩の大きな瞳がすぐ目の前にある。私は先輩の虹彩に見惚れながら「わかりました」と答えた。先輩はほっとしたように笑い、手を振って別れた。
私は家に帰ると制服のままベッドにダイブした。
メモを渡すときにふれた先輩の手、顔を近づけたときかすかに感じた先輩の匂い、私に向けられた大きな瞳。先輩からもらったメモを胸に抱いて、体験を反芻する。先輩は三日後まで会えないと言っていたのでそれはさびしいけれど、今日のことを思い出すだけで乗り切れそうだった。
三日後、私は渡されたメモの場所に行った。
そこは街の端の方にある廃棄された人間用の家だった。鍵はかかっていなかったので中に入り、メモに書かれていた通り一番奥の部屋に行く。
ドアを開けると最初にスーツ姿の男性と目が合った。その人は公園によく来る人で顔見知りだった。なんとなく会釈すると相手も会釈を返した。それから部屋を見回すとそこは会議室のようなスペースで、他に人間が二十人くらいいた。見た顔が多いのでみんなこの街に住んでいる人達なのだと思う。
「良かった、来てくれたんだ」
部屋の奥にいた先輩が私を見つけるとそう言った。先輩に促されるまま席に座ると他の人達も席に着き、みんな一番奥にいる先輩のことを見ていた。そして先輩が口を開き、大切な話が始まった。
「私達はこんな奴隷のような生き方に甘んじているわけには──」「相手が何者であっても恐れることなく──」「街にある発電所と思しき施設──」「一斉蜂起──」「人類の誇りをかけて──」「協力者によって既に──」「決行は──」
話が終わると一斉に歓声が上がり、各々決意の言葉を口にし、部屋は一体感で包まれていった。
先輩は私の前に来るとその大きな瞳で私を見つめ、言った。
「サチコ、私と一緒に戦って欲しい。あなたが必要なの」
私は先輩の瞳を見つめ返した。
大きくて、黒くて、つぶらな瞳。私は先輩のその瞳が好きだった。
「がんばってください。応援してます」
そう言って席を立ち、家に帰った。
部活が終わり、家に帰りたくなかったから夜の街を歩いて時間を潰していた私は、顧問の先生と腕を組んで歩く私服姿の先輩を見かけた。
二人はとても親しげな様子で街を歩き、やがて繁華街のホテルに入っていった。
私は家に帰り、次の日学校をさぼった。ベッドに寝転がり何もせず天井だけを見ていたら宇宙人がやって来て、地球を侵略した。
目が覚めて、ベッドから体を起こす。着替えずに寝てしまったから制服のままだった。そのせいか体にだるさを感じる。二度寝しようか迷っていたら、目の前に先輩がいた。
「おはよう」
そう言って先輩は私の首に手を伸ばした。私がびくっと体を震わせると先輩は首から手を離す。その手には錠が外れた首輪が握られていた。
「あっ」
私は自分の首に手をやると首輪がなかった。驚いて先輩のことを見ると、その手には新しい首輪があった。
先輩は何も言わず微笑み、私に首輪をつける。私はつけられたばかりの首輪を指でさわり、その感触を確かめる。これは、先輩の首輪だ。
先輩が私の頭を両手で持って、私のことを正面から見つめる。先輩が私のことを見ている。私だけのことを見ている。私は子供のようにぼろぼろと泣いて、先輩にしがみついた。先輩。先輩。私は。
そこで夢から覚めた。ベッドの上で起き上がり、首輪をさわる。いつも通りの感触。私は立ち上がり、ベランダに出た。夢から覚めても私はまだ泣いていた。手すりに寄りかかり、下を向いて涙がこぼれるままにした。
宇宙人に侵略されても朝の空気は変わらなかった。人類の九割が死んでも頬を撫でる風は変わらず、世界が終わっても私は私のままだった。
まぶたを閉じる。息を吐く。涙が頬を伝う。遠くで爆発音が聞こえたけど、すぐに静かになった。まぶたを開け、顔を上げると、いつもと何も変わらない街並みがある。
私の夢は、もうとっくに終わっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます