ネタバレをする
図書館で少し前に話題になったミステリー小説を見つけ、いい機会だから読んでみようと手を伸ばしたら横からその手をぐいと掴まれた。驚いて掴んできた人のことを見るとそこにはよく知った顔があった。私の顔だ。私が私の隣に立ち私の手を掴んでいた。
「私は今から七年後の未来から来たあなたよ」
未来から来たという私は真剣な顔でそう言った。言われてみればたしかに今の私よりも髪が短くぱさついていて、化粧も濃い。顔つきも今の私よりどことなく険しくなっているような気がする。七年後の私としてみた場合、あまり望ましくない未来図のように思えた。
私が未来の自分に複雑な思いを馳せていると未来の私は掴んでいた手を離し、私が取ろうとしていた小説を手に取った。その場で小説を開き、胸ポケットからペンを取る。そしていきなりペンで小説を塗りつぶし始めた。
「うわ」
突然の蛮行に思わずそう呟いてしまう。そのような蛮行はすぐにでも止めるべきなのだろうがあまりのことに体が動かなかった。
私がショック状態から抜け出せないでいると未来の私はペンを操る手を止め、持っていた小説を開いたまま私に渡した。そこは目次のページで、見るとページの端に手書きで「犯人は■■」と書き込まれている。
「これは……」
「そう、前にこの本を借りた人が犯人の名前を書き込んだのよ」
「なんてことを」
ミステリー小説の犯人をばらすだなんて、それはテロだ。凶悪犯罪と言って間違いないし訴えればきっと勝てる。
怒りで小説を持つ手が震えたが、しかしよく書き込みを見ると肝心の名前の部分は黒く塗りつぶされていた。
「過去の私はここでネタバレをくらってそれはそれは深くショックを受けたわ」
未来の私はペンにキャップをはめ、胸ポケットに戻した。彼女が塗りつぶしたのは小説の本文ではなくこのネタバレだったのだ。
「トイレットペーパーのストックがなくなっていたでしょう、忘れずに買っておいて。さもないと明日の夜、酷い目に遭うわ」
そう言うと未来の私はくるりと背を向け歩いて行き、角を曲がって見えなくなった。私はその後を追って角を曲がってみたけれど、そこは行き止まりで、誰もいなかった。
別の日、図書館に行くとまた未来から来た私がいた。
「あなたが借りようとしている小説はここよ」
そう言って持っていた本を渡す。タイトルを見るとそれは確かに私が借りようと思っていた本だった。
「でも気をつけて、タイトルだけじゃわからないけどそれはシリーズものの三作目よ」
「えっ、本当に?」
「その本から読んでも大丈夫な内容だけど、でもやっぱりシリーズ一作目から読んだ方がより深く楽しめるわ」
「そっか……なら一作目から読みたいかな」
その言葉を待っていたのか未来の私は本を二冊取り出すと私が持っていた本の上に積み上げた。「一番上のが一作目よ」と親切に教えてくれる。
「ちなみにそれを薦めてくれたナガレヤマ君はそれがシリーズ三作目だと気づいてないわ」
「あー、確かに気づかなさそう」
同じサークルのナガレヤマ君は善い人だけど抜けているところがあり、小説の上下巻を下巻から読んだけど気づかず読み終えてしまったという伝説がある。なので悪気がなかったのはわかるが、だからといってこのようなトラップにはかかりたくないので今度から注意しようと思った。
未来の私は「それじゃあ」と言ってくるりと背を向けたので、私はとっさにその手を掴んだ。
「あなた、未来から来たのよね」
「そうよ」
「じゃあ未来のこととか質問してもいい?」
「内容によるわね、何が知りたいの」
そう言われ、何も考えていなかった私は「うーん」と悩み、とりあえず最初に思いついたことを訊いた。
「村上春樹はノーベル文学賞を獲れた?」
未来の私は押し黙り、熟考し、天を仰いだ。それから「やめましょう」と言った。
「大きく未来を変えると私の存在が消えてしまうの。だから別の質問にしてちょうだい」
なるほど、そういうものなのか、と頷きながら再度質問を考えるが村上春樹以外に知りたいことは思いつかなかった。なので無難なことを訊いてみる。
「じゃあ、未来の私は結婚できてる?」
「…………」
未来の私は「独身よ」とだけ答えた。
「そっか、やっぱり結婚はできてないか」
「結婚はしたわ」
手を伸ばして、未来の私が私の目を覆う。視界をふさがれた私は真っ暗で何も見えない。
「離婚したの」
目を覆っていた手が外され、見えるようになる。でも目の前には誰もいない。周囲を見回すけれど、やはり誰の姿もない。未来の私はもう何処にもいなかった。
別の日、図書館に行くとまた未来から来た私がいた。
「久しぶり」
そう言って未来の私は椅子から立ち上がる。
「久しぶり……でも今日は借りてた本を返しに来ただけだよ」
「知ってるわ、これから人と待ち合わせをしてるからゆっくりしてる時間はないんでしょう」
さすが未来から来ただけのことはあって私の行動は全てお見通しらしい。だったらなんでここにいるのだろうと疑問に思うと、未来の私が一冊の本を持っていることに気づいた。
「それって」
「そう、ネタバレが書き込まれてた本よ」
未来の私は本を開き、ネタバレの書き込みを懐かしそうに眺め、書き込みを指でなぞった。
「過去の私はネタバレされたことをサークルの飲み会で愚痴ったの。そうしたらナガレヤマ君が俺も同じ目に遭ったことあるよって言って話が盛り上がったわ。……それがきっかけでナガレヤマ君と親しくなったの」
本を閉じ、私のことを見る。それは私が知らない私のエピソードだった。ネタバレを回避できた私は飲み会で愚痴っていないし、ナガレヤマ君とネタバレの話で盛り上がったりもしていない。
でも、飲み会で私はナガレヤマ君と親しくなった。けれどそれはネタバレの話題からではなく目玉焼きにつける調味料はマヨネーズが一番美味しいという話からだ。
「ナガレヤマ君とはサークルの集まり以外でもよく話をするようになって、それで薦められた本を読んだらそれがシリーズものの三作目だったの。それに文句を言ったら埋め合わせをするよ、ってデートに誘われたわ」
それも私の知らないエピソードだ。一作目から読めた私は文句を言ってないし、ナガレヤマ君からも埋め合わせなんて提案されてない。
でも、デートには誘われた。けれどそれは埋め合わせではなく映画のチケットをもらったので一緒に行かないかという名目だった。
「映画を見終わった後に入った喫茶店で告白されてつきあい始めた。本の趣味も似ていたし、抜けているところはあるけど優しい人だったから一緒にいて楽しかったわ。それから五年後に結婚して、その二年後に離婚したの」
それは本当に知らない私の未来のエピソード。未来の私は何かを諦めるように言葉を吐き出した。
「きっかけが変わるだけで辿るルートは変わらない。……未来は変わらないのかもしれないわね」
そう言って、未来の私は持っている本に目線を落とす。それは少し前に話題になったミステリー小説で、映画化もされ、それがこれから待ち合わせをしているナガレヤマ君と一緒に観に行く映画だった。
「私も離婚してから知ったんだけど、ナガレヤマ君は卵焼きは塩味が好きって言ってるけど本当は砂糖味の方が好きなの。甘いものが好きって知られたくなかったんだって。……バカみたいよね」
「……ナガレヤマ君のこと、まだ好きなの?」
私がそう訊ねると、未来の私は顔を上げ、少し頭を傾け、そして、曖昧に笑った。
図書館を出ると少し離れたところにあるベンチにナガレヤマ君が座っているのが見えた。私は声をかけようとして、やめた。そのまま黙ってナガレヤマ君を眺める。これから私はこの人と映画を観て、喫茶店に行って、告白されるんだなって思うと不思議な気持ちになった。
ナガレヤマ君とは仲が良いけどそれはあくまで友達としての話で結婚なんて考えたこともなかった。でも私はこれから結婚しようと思えるほどナガレヤマ君のことを好きになって、その二年後に離婚する。
私は最後に会った未来の私のことを思う。未来の私はあんな顔をするほどナガレヤマ君のことを想っているのだ。それは今の私にはない気持ちで、これから私が育んで行くであろう感情。
なんだかよくわからない気持ちが私の中をぐるぐると回っていて、でも不思議とそれは不快なものではなかった。
今までも小説のネタバレを踏んだことは何度かあった。でもそれで小説が楽しめなくなったことはない。ネタバレをされても面白い小説は面白かった。
多分、ネタバレをされても体験の質が少し変わるだけで辿り着く場所は変わらないのだ。
だから、大丈夫。私は根拠もなくそう思うとナガレヤマ君が待っているベンチに向かって歩き始め、立ち止まり、振り返る。図書館の窓から未来の私が見ていた。
未来の私が見ていたのは私ではなくナガレヤマ君だ。遠くて表情はわからない。私が見ていることに気づくと未来の私は私に向かって軽く手を振った。私も手を振り返すと未来の私は空間に滲むようにぼやけていき、ゆっくりと薄まり、やがて消えた。
「…………」
あの未来の私とはもう二度と会えないんだな、と理由もなく理解した。
それから私は前を向いて歩いて行く。
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