六朝伍夜:湯煙爆発事件~2~

 数十分後、事件の起きた宿のロビーで四人が向かい合って座っている。

 四人とは、レーメ、ティオ、アーブ……そして先に入浴していた男性だ。

 女将は彼らが囲むテーブルの片隅に立ち、頭を深々と下げて先ほどの不幸な事故の発生を詫びる。


「すまないねー、お客さん。うっかり温泉に先客が入っているのを忘れてて……」


 何とも軽い調子で謝る女将。彼女のうっかりがなければ今頃は寛いでいられたであろう被害者の三人はそれぞれの反応を見せている。


 レーメは少し涙目になりながらも空色の髪の青年を睨み付けている。

 アーブは社交辞令のような挨拶を女将に交わす。


「起きちゃったことはしょうがないですよねー」


 軽い調子で苦笑し痛む頭を押さえているのは、入浴中に運悪く彼女たちに遭遇し最も災難を受けた青年だ。


 温泉で青年が口を開かなければ、二人は彼がいることに気付かなかったかもしれない。そう考えたレーメは複雑な思いにより一層眉をしかめた。


「びっくりしましたよ。最初は混浴になったのかと思いました。あはははは」


 レーメは青年を発見した瞬間、爆発を伴う魔法を使っていた。

 小規模の爆発であったが見事に巻き込まれた彼は、爆風により吹き飛び頭をぶつけていた。何か魔法でも使って防御したのだろう、幸いなことに青年の怪我はたんこぶが出来る程度で済んでいる。


 青年は危害を加えられたことや睨まれて散ることに気を悪くした様子を見せていない。

 騒動を起こした直後にレーメが慌てて彼に謝罪したこともあるだろう。

 一方、彼女は今では不機嫌さを隠そうとはしていない。


「それじゃあお客さんがた、ご飯が出来たら呼ぶからそれまで寛いでいてね」


 女将は言うが早いか、そそくさとその場を離れた。


「あ、逃げた」


 レーメは青年から視線を逸らして、女将の姿を目で追おうとした。しかし逃げ足が早く、あっと言う間にロビーから姿を消していた。


「まあまあ、そんなに怒らないでくださいよー。事故だったので仕方ないですし、お互いさまです。それに大丈夫! 公言しなければお嫁の貰い手を心配する必要はありませんよ」


 最後の一言さえなければ、話がややこしくならずに済んだだろう。

 わざと荒波を立てようとしているとしか思えないような一言を口にしたことにより、青年は再びレーメに睨まれることになった。


 女将の言い分では、わざと彼女たちを遭遇させた訳ではない。彼が言う通り事故であり、うっかりさえなければ防げた可能性のある出来事だ。


 そして、青年自身が言う通り彼も女性陣に裸体を見られているはずであるが、この場では彼が悪者扱いされている。

 そのうち油断していると自分も同じ事故に合うかもしれない、と考えたティオの背筋が凍り付いた。嫁に貰われたいと思っているのか、と言うツッコミは心の中にしまっておくことにした少年だった。


 レーメとは対照的に、アーブは不自然なほど気にしていないような態度を見せている。それはどこか、気にしていないことを主張しているようでもあった。

 アーブが何とかレーメを宥めようとしている様子は、彼女が自身の心も落ち着かせる努力をしているようにも見える。


 気まずい雰囲気に耐え切れなくなったティオは、一つ溜息をついて青年に問いかけた。


「なあ、あんた名前なんて言うんだ?」

「俺ですか? あー……」


 名前を問いかけられた彼は逡巡する素振りを見せてから、居心地悪そうにしている少年へ答える。


「俺は、ファイと言う名前です」

「さっき女将が、ファイの事を国のお偉いさんって言ってたけど、それってマジ?」

「そうそう、本当の事ですよ。俺って国に認定された、魔術師なんですよ。すごいでしょう?」

「その言い方、全然すごく聞こえない」


 冗談交じりに軽い口調で胸を張るせいか、魔術師を名乗る青年からは威厳が感じられない。

 いまだ睨み続けるレーメの頭を撫でて宥めていたアーブは、彼の言葉に反応し一瞥した。


「国に……認定された魔術師……ですか?」

「ええ、はい」


 吟遊詩人の問いかけに、ファイが意味ありげに深く微笑む。


「『成人の儀』を終えた者の中で何らかの能力に秀でていた者は、国に認定されるんです。知ってました?」

「へー、そうなんだ?」

「……王宮で将来の夢について聞かれるって聞いていたけど、それは初めて聞いた」


『成人の儀』の旅の最中の若者二人は揃って首を傾げたり関心してみせる。


「もしかしなくても、君たちは『成人の儀』の最中ですよね?」

「ああ、そうだ」

「そうなんですかー。俺も、八年前かな? そのくらいの時にやりましたよ」


 共通の話題が出来た事により、ティオとファイは意気投合し始めたようだ。

 そんな中、レーメは未だにファイを睨み続けていた。


「レーメさん、……まだご不満ですか?」


 そう問いかけるアーブ自身はどう考えているのだろう。

 優しい声色でレーメに語り掛ける様子からは、出来るだけ少女の不満を取り除けるようにと考えているように感じられる。


「それもある、けど。そうじゃなくて……」


 レーメはそう言って頭を振った。彼女はファイに関してどこか引っかかりを感じている。


「『成人の儀』は今から十三年くらい前に考案されたものなんです」


 レーメが記憶を捜索しようと思考を回転させている中、ファイは『成人の儀』について語り始める。彼女は紡がれる声を元に埋もれていた記憶を掘り起こそうと試みる。


「その前の年ですかね。凄く功績を挙げた人物が十六歳で国中を回り始めた事が、事の由来なんですよ」

「へー、こんな行事のきっかけになるくらいだから、そいつよっぽど凄い事した奴なんだな」

「俺は凄いとは思ってないですよ。会ったことありますけど、ただのヘタレですし」

「ヘ……ヘタレ……」


 随分な言い様であるが、顔見知り故だろうか。同時に、するりと毒舌を吐くファイから本性が伺える。


「『成人の儀』は、人材発掘のために作られた行事なのでしょうか……」

「あはは、そうとも言います」


 暫く聞き続けていると、ファイは少し語尾を延ばしたり強めたりと、丁寧そうに話しているようで多少雑な言葉遣いをしていることが掴めた。


 ふと記憶を整理するため、レーメは改めてファイの顔を確認してみようと顔を上げた。


 青天の空のような爽やかな色の髪の毛、一層深みがかかった青の瞳が爽やかさを感じさせる。その外見を台無しにするかのように、軽薄そうな様子が腹に何かを抱えていそうだ。実際口数が多くなると毒舌さをまるで隠そうとしていない。

 外見だけは優しそうなお兄さん、と言うのが一番型にはまるだろう。


 しかし、いくら思い出そうとしても、そのような外見をした人物の記憶はレーメには思い当たらなかった。


 それならば記憶のどこかで引っかかるこの感覚は何なのだろう? そう考えた彼女はふと、視界の隅っこで心当たりのある気配を感じる。

 そちらに目を向けてみると、ファイに人懐こい様子で寄り添っている、風の精霊がいた。


 精霊を見つけたレーメは、そこから一気に記憶を引き出した。


「……あ!」


 ファイの声に覚えがある事を完全に思い出したレーメは両手で口を覆って彼を凝視した。


「へ?」

「なんだ?」

「どうされましたか?」


 レーメの上げた短い声に、三人は一斉に彼女を見つめた。


「あ……ウェリアに居た人……?」


 レーメの言葉を聞いたファイは不思議そうな表情をしていたが、すぐに目一杯の笑顔を浮かべた。


「ああ! 君はあのときの女の子なんですね。背格好も同じくらいでフード付きの服着てるから、もしかしてとは思っていたんですけど、まさかここで会うなんて」


 フード付きの服を日常的に着用している人物はそう多くもない。

 常に被り続けている人物は更に少なく、何でもない時にフードを被っている者は根暗に見える、と言われるほどだった。


「あ、あの。あの時は……ありがとう」


 ファイは、一つ目の印の街ウェリアでティオを待っていた時に危険な目に逢いそうだったときにレーメを助けた青年だった。


 その頃のレーメは、髪の色を見られることに恐れを抱いていた。しかし、必死に庇おうとするティオとアーブの努力の成果が表れて、ノストを過ぎてからフードを外すようになっていた。


 宿の女将もファイも最初の一瞬だけ珍いものを見る目で一瞥したくらいで、それ以降は彼女の髪色を気にした素振りを見せていなかった。


 暁色のレーメの髪を見ても動じていない魔術師の様子に、レーメは安心して礼を述べることが出来る。


 今まで睨み付けていた行動とは間逆の、恥ずかしそうな仕草のレーメに対して、ファイは冗談めかして胸を張って笑ってみせた。


「いえいえ、どういたしましてー。女の子に怪我をさせてしまっては一大事ですからね」


 ティオとアーブは二人が何の話をしているかが判らず、怪訝そうな表情で二人の様子を眺めていた。ファイの一言が気になったティオは、レーメに顔を接近させて問いかけた。


「怪我って……、もしかしてウェリアでオレがスタンプ押しに行ってる時になんかあったのか?!」

「な、なにもない……」


 レーメは心配そうなティオの表情を見て、今度は沈んだ表情で俯いてしまった。

 ティオを心配させたくない。そう思った彼女は、旅の相棒を待っていた時に起きた出来事について言わないと決心していた。


「ちぇ」


 ファイに聞く手段もあったが、決意が固そうなレーメが嫌がりそうだと思ったティオはそれ以上追及することができないでいた。

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