参朝弐夜:魔法使い~3~
居心地の悪さを振り払い本に没頭しようと、レーメは暫く一枚一枚ページを捲っていた。
「……?」
しかし、ふと鋭い視線を感じ、本を閉じる。
木の陰に隠れており人目に付き難い位置でありながら、何故こんなにも敵意を感じるほどの強烈な視線を感じるのだろうか。
一瞬、スタンプを押し終えたティオがもう戻って来たのではないかと考えたレーメだが、それにしては不自然だ。
彼女がティオと旅を初めてからまだ数日しか経って居ないが、彼は殺気の篭った視線を彼女に向けた事など無い。
根拠の無い考えだが、レーメはティオがその様な目で自分を見る事はないだろうと考えた。
何よりも、ウェリアでの土地勘の無い彼が戻って来るにしては早すぎる。
もしティオが戻って来たのではないとするならば。そう考えると、視線に込められた意味が自然とレーメの脳裏をよぎる。
彼女は急激に湧き上がる不安感と警戒を胸に、フードが外れないよう両手で握り締め、周囲の気配を窺いながらゆっくりと立ち上がった。
「っ?!」
その瞬間、風を切る音が彼女の耳を打ち鳴らしたと同時に、何かが顔面を掠って行く。
レーメを威嚇したそれは、先程まで彼女が背を預けていた木に当たり、鈍い音と共に地面へと転がっていった。
何が起きたのかすぐに理解する事は出来なくても、何故このような事が起こったのかは抱いている不安感から瞬時に原因を思い巡らせる事は出来る。
恐怖のあまりに動かなくなった顔の代わりに、レーメは恐る恐る目線だけを音の鳴った方角へと向けた。
すると、足元に拳大の石が転がっていた。表面は角張っており、もし当たりでもしたら怪我をしていただろう。
それが彼女を傷付ける為に放たれた敵意であった事は明らかだ。
彼女の気を引こうとしたのであれば小柄な石でも十分だが、そのような理由であればそもそも投石する必要もない。声をかければ良いだけだ。
レーメは物言わぬ敵意を目にした途端、心に強く押し潰されそうな程の圧迫感を感じ、手にしていたフードを更に強く握りしめる。
「なんで、お前がここにいるんだよ!!」
すると、突然耳をつんざくような声が辺りに響き、彼女は息を飲んで振り返った。
「……!」
「街から出てったんじゃないのか!」
レーメの視線には、三人の青年が映り込んだ。いずれもティオよりも年上だろう。彼らの内の一人は、彼女の足元に転がっている物と同じ大きさの石を片手で弄んでいる。
視線の相手は彼女が望まない者達によるものであった。
見知った者に見つからぬ様にと深くフードを被っていたにも関わらず気付かれてしまったのは、普段からそれを身に纏っていたせいだろうか。
「戻ってくんな!お前がいると迷惑なんだよ!!!」
「早くどっかいっちまえ!!!」
次々と浴びせられる罵声に、レーメは心を抉られるような痛みを感じた。
けれども彼らはそんな彼女の心境に気付くわけもない。
疎んでいた存在がこの場から居なくなるまで罵声を出し続ける事は明らかだ。
数分経過しても止むことのない誹謗中傷の内容は、次第に勢いを増していった。
ついには、石を弄んでいた青年が球を投げるように石を構え、レーメに向けて放った。
俯いていたレーメはそれに気付くのが遅れてしまった。後少しで当たる!そう思った彼女は両腕を前に出して顔を隠し、瞼を強く閉じた。
「……?」
しかし、起きると思っていた衝撃は訪れない。代わりに静寂が辺りを支配している。
そして不思議なことに、暖かな風が辺りに吹き荒んでいた。
違和感に気付いたレーメは、腕で顔を隠したままゆっくり目を開く。
そこには彼女の目の前で風に揺られて上下に浮遊する石と、口を開いて呆然としている青年達の姿が見えた。
「いけないですねー。貴方がたの行為は好ましくありませんよ。女性に暴力を振るうのは紳士のする事ではありません」
「な、な、な…?!」
草を踏みしめる音と共に、柔らかくもおどけた口調の男の声がその場に響いた。
青年達はその声の主を見て声をどもらせる。
この声はティオではない。かといって目の前に居る彼らが発したものでもない。
レーメの知らない第三者が訪れたのだ。
新たに現れた人物に気付かれまいと、彼女は今までより更に深くフードを被った。
声の主がどんな人物かを視認することは出来ないが、危険が増えるよりは良いと判断したのだ。
「何なんだよお前?!」
「こいつの仲間か!」
少し落ち着きを取り戻せたのか、彼らは言葉を紡ぎ出した。しかし声が震えており、動揺していることが明白だ。
対して、第三者は先程と変わらない口調で言った。
「私ですか?そうですね……」
少し考えるように間を持たせてから、第三者は再び口を開いた。
すると、辺りに漂っていた暖かい風が収まり、レーメに当たるはずだった石がゆっくりと地面に落下した。
「ただのしがない、魔法使いです」
「まっ、魔法使いッ?!」
魔法使いと聞いて怖じ気付いたのだろうか。男の簡単な名乗りに彼らは声を裏返らせて叫んだ。
もっとも、レーメも魔法を扱いはするのだが。
「くそっ!なんなんだよ!!!」
「とっととどっかいっちまえ!!!」
相変わらず先程と変わらない罵声を発しながら、青年達の声が遠のいて行く。慌てて何処かへ走って行ってしまったようだ。
第三者は彼らを見送ると、レーメの近くまで歩み寄ってきた。
「怪我はしていませんか?貴女の近くで魔法を使ってしまいましたから……石を留める為に使った風の魔法が、貴女に当たっていないと良いのですけど……」
「……」
そう言ってレーメに手を差し出すが、彼女は何の反応もせずにただひたすら俯いて顔を隠し続けた。
「……あの?」
「だっ、だいじょうぶ……!」
第三者が不審に思って顔を覗き込もうとしてきたことでレーメは髪を見られまいと慌てて怪我がなかった事を告げた。
すると彼は安心したように息を吐き出す。
「それは安心しました。もしも女性に傷を負わせてしまっては大変ですからねー」
どこかおどけた様子でありながらも、心から心配し、そして安心した感情が伝わるような口調で語る魔法使い。
その声に惹かれたレーメは彼がどんな人物か見てみたくなった。けれどもそれを耐え、礼を述べるにと留める。
「助けてくれて……ありがとう」
「いいえ。どういたしまして。もうこんなことがないように、こんな寂しいところで一人で居てはいけないですよ?」
彼はそう言うと足早に何処かに行ってしまった。
「……」
一斉に人がいなくなり、辺りに再び静寂が訪れた。
その静けさに安堵したレーメは、少しだけフードをあげた。
もう第三者の姿は見えず、彼がどんな人物だったのかは知る術はない。
顔を隠したままの礼は失礼になっただろう。レーメはそう思った。
魔法を使うには、精霊に手助けしてもらわなくてはいけない。レーメが魔法を使うときもそうで、彼が風で石を留めたのも精霊が風を起こしたからだろう。
そんな彼の側に居た精霊は、とても懐いているようだった。
だからこそレーメは、恐らく彼は悪い人ではないのだろうと判断した。それでも、自分の髪を見られた時に相手がどんな反応をするだろうか。そんな恐ろしいことはしたくない、レーメは溜息をついた。
過ぎたことは仕方がない。
レーメはフードを目深く被り直し、静けさを取り戻した木陰で再び本を読み始めるのだった。
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