参朝弐夜:魔法使い~2~

 もうウェリアに帰る事はないだろう、と考えていたレーメ。

 しかし、その予想や期待とは裏腹に、ものの数日で故郷に帰って来てしまった。


「……」

「おー!ここがウェリアか!!」


 懐古する程過去の事ではなく、かと言って早く帰って来れたと安堵感を得られる心境にない彼女の隣で、初めてウェリアに訪れたティオは感嘆の声を漏らしている。


 結局、レーメは顰めた顔でティオを度々睨み付けながらも、ウェリアに案内したのだった。


 彼女は≪成人の儀≫手帳にウェリアのスタンプを押しているが、出発して間もないティオの手帳にスタンプの押印は一つもない。

 当然ウェリアもだ。


 そこで、ティオはレーメと歩調を合わせるべく、ノストに向かう前にまずウェリアに行こうと言い出したのである。


 先に向かう場所にウェリアを選んだ理由は他にもある。


 彼らは終着地点を南に、時計回りに国を回ろうとしていた。

 そんな彼らが効率良く≪成人の儀≫を回るならば、最初の街を西のウェリアに設定する必要がある。


 西のウェリアと南のソウスの間にはとても高い峠がある。地図に峠の道が載っている分、ゴルダの家からノストまでの道よりも整備された歩道なのだろう。

 だが、道は険しく人の往来も少ない場所で、腕の良い傭兵の一人や二人はいないと峠を越えるのは厳しいだろう、とも言われている。


 つまり北のノストから開始してしまうと、次の様な問題が生じてくる。


 いずれはこの厳しい峠を越えるか、一度来た道を逆戻りしなければならないのだ。


 しかし、西から時計回りに旅をしていけば問題の峠を越えずに済み、比較的落ち着いた旅が出来る。

 腕に覚えのある者でなければ危険が伴うと言われている峠を、無理に二人で越えようとしなくて良いのだ。


 最初は態度で渋ってみせたレーメだが、彼女もそこまで頑固な訳ではない。

 断ればティオが困るだけだが、流石にそれは可哀想だろう。

 レーメはそう自分自身に言い聞かせ、普段から無愛想な表情をより一層不機嫌にさせるのだった。


「……。ティオ」


 レーメは目の前にそびえ立つ街の門を見上げ、ほんの少し怖じ気付いていた。

 街の入り口の両脇に建てられた木製の二本の柱が門だ。柱には街の特産品である果物を真似た彫刻が掘られているだけで、恐怖を覚える形状の物ではない。

 しかし、見慣れたそれを目前にした事で、彼女の声は震えていた。


「んあ?」

「私……ここで待ってる」

「はぁ?何言ってんだよ?」


 レーメがこの街でどの様に扱われていたかを知らないティオは、怪訝そうな表情を浮かべ間の抜けた声を出す。


「待ってるから……」


 街に案内はしたが、彼女自身が中に入る事だけは譲れない。そう言った意思を感じさせる口調で、伏し目がちに言葉を紡ぐ。


 街に足を踏み入れたレーメが見知った者の目に触れたらどうなるのだろうか。

 それは彼女にとって判り切っている事だが、ティオには与り知らない事である。

 彼女は前に進もうと思いながらも、それでも進めない葛藤を胸に抱いていた。


「行って来て」


 レーメは背中にあるはずのフードを手で探り当て、目の辺りまで深く被る。それは街の人々の奇異な視線から逃れようとする術だ。

 しかし、そうした事によって彼女からティオの様子が見辛くなる。レーメはフードの端を僅かに手折り、彼の反応を待っていた。


 すると、ティオはレーメの表情を確認するように顔を覗き込む。


「無理すんなよ?」


 彼は吐息が触れ合いそうな程間近な距離に顔を接近させ、レーメの目を真っ直ぐに見つめている。

 誤魔化そうともはぐらかそうともしない彼の態度からは、その気配りが彼の本心だと感じさせるのに十分だ。

 しかし、レーメは捕らえられた目線を動かしてしまう。誰かを睨む経験が多い彼女だが、気遣う様な目線と目を合わせた事など数少ない。

 ゴルダに見つめられた時には視線を逸らす事が出来なかったが、今回は上手く逃れる事が出来た。


「オレ一人で行ってくるから、待っててくれよ?」


 レーメの気恥ずかしさなどお構いなしに、ティオは彼女の頭に軽く触れる程度に優しく叩いた。


「すぐに戻って来るからな」

「あ……」


 そして、言うが早いが彼女の返答を待たずに足早に立ち去ってしまう。彼は言葉通りに、すぐに用事を済ませようと思ったのだ。

 彼女はティオを見送ろうとしたが、顔を上げた頃には既に彼の姿は視界の外へと走り去っていた。


「……」


 一人残されたレーメは僅かな間頭を項垂れていたが、すぐに近くの木陰に隠れてしゃがみ込む。

 そして、手荷物から一冊の本を取り出し、しおりの挟んであるページを開いた。


 そこには、白黒の濃淡のみで描かれた料理の絵による晩餐会が開催されている。

 色味は判らなくとも、手の込んだ描き込みを目にする度に、彼女は目の前に美味しそうな御馳走が並んでいると錯覚しそうになっていた。


 レーメは寝る前にいつも本を読んでいる。

 そうすれば哀しみで荒れそうな心も穏やかになり、落ち着くだろうと考えていたからだ。

 今の彼女はそんな時の心境に近い。表面上は暇潰しに本を開いているが、無意識に心を落ち着かせる物を求めて本の世界に入り込もうとしている。


 しかし、久しぶりの故郷を側にして落ち着ける訳もない。レーメはふと顔を上げて街の方向を一瞥し、数日前の日々を思い返す。


 彼女と共に国中を巡る本は、この料理の本只一つ。


 旅の途中で手の込んだ料理を作る機会は訪れないだろうと思っていたレーメだが、他に興味を引く書物を見つけ出せずに、その本を旅の共にする事にした。

 街で暮らしていた頃の彼女は、孤児院の数少ない本や、街の図書館の本を読んでいた。しかし、それを街の外へ持ち出す事は出来ない。


 だからこそ、レーメは旅を共にする本を手に入れる為に、他の子供が遊んでいる時間に必死に資金稼ぎをし、そしてついにその本を手に入れたのだった。


 旅費は予め孤児院の先生が手渡してくれると知っていたが、彼女は生活費の用途以外にそれに手を出そうとは考えなかった。

 ≪成人の儀≫手帳を持ってさえ居れば街の施設を安価で利用できるとはいえ、旅が長引かないとも限らないと思っての事だ。


 資金稼ぎは魔物退治を手段に選んだ為、始めた当初の彼女には生傷が絶えなかった。しかし、それは同時に日々の疎外感からも解放されるものでもあり、彼女は苦に感じていなかった。

 魔物に一人挑みかかる時間は、それと対話しているようでもあったからだ。


 さらに、レーメが扱う魔法は本から学んだものであり、それ以外は全て独学だ。


 つまり、彼女は本から得た技術によって料理を作り、魔物と戦い、退治した見返りを得て、自分自身の本を手にしているのだ。

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