参朝弐夜:魔法使い~1~

 ゴルダの家から出発し、約十分。

 鬱蒼と生い茂る緑の中を、レーメとティオの二人は黙々と歩いている。


 一言も喋らずに歩く理由は、お互い何を話せば良いか解からない……と言うのが理由だ。

 まるで付き合い始めた恋人同士のような状況だが、彼らはそう言った関係ではない。


 昨日と今日のやり取りから「ティオは余計な事まで良く喋る」と感じていたレーメは、拍子抜けしていた。

 旅の途中はとても騒がしくなるだろうと出発直前までは思っていたが、今は出発時の十分程度前の様子が嘘の様に、彼は殆ど口を開こうとしない。ティオが話題の宝庫に見えていたレーメは、意外そうに彼の様子を眺めながら歩みを進める。


 そんな彼女自身も殆ど口を開いていない。

 普段から人と話す機会が少ない為、会話慣れしていないと言うのもあるが、レーメから提供する事の出来る話題など限られている。

 彼女がティオへいざ話すとなれば、共通の話題である料理だろう。しかし、これは最後の手段として取っておこうと、彼女は決めていた。


 ティオはティオで、どのように話題を切り出すべきか迷い続け、中々話しかけられないでいる。一度黙り込んでしまってから、その突破口を見つける事が難しくなってしまったのだ。

 彼は非常に気まずい状況に度々頭を掻きながらも、どの様な話題なら彼女が応えてくれるか決めかねていた。下手に思った事を口にしてしまえば、また睨まれかねない。

 しかし、彼も何か切欠さえあれば、堤防を決壊させた川のように話す事が出来るだろう。それこそ、睨まれたって構わない位に。


 その様な状況だからこそ、サクサクと草を踏む音が聞こえる他には、偶に野生動物の鳴き声がする程度。


 彼らの旅はとても静かなスタートを切った。


「なあ、レーメ」

「何?」


 最初に静寂を打ち破ったのは、ティオの呼びかけだ。

 レーメは内心、彼が何を言い出すのだろうと期待感を持ちながらも、素っ気無い口調で応える。


 彼女の反応の速さと相変わらずの態度により、ティオは嬉しい様なそうでもない様な、何とも表現のし難い表情をしてみせた。


「昨日はレーメに先越されたけど、今度魔物が出たら先に攻撃したいんだよ」

「……昨日危なかったのに?」

「あ、あれはジジイが怪我してたから油断してたんだよ。いつもはあんな事ないからな!それにジジイだって本当は強いんだからな!」


 怪訝な表情を浮かべながら口走る彼女の手痛い発言に、ティオは頬を膨らませて答える。


 ティオは余程の剣好きのようだが、ゴルダによると彼は剣よりも弓術に長けているそうだ。

 しかし、まともな戦闘が起きていない現状では、レーメにとって彼の剣術も弓術も、何れの実力もまだ未知数だ。


 勢いばかりが先行するティオに、先を取らせて良いのだろうか。

 レーメは少し考える素振りを見せていたが、直ぐに頷いた。


「……良いよ」


 何れにせよ、レーメには先行する術がない。

 だが、ティオの腕前がどうであれ、彼が怪我を負う前に魔法で援護すれば良いのだ。彼女はそう判断した。


 熟練の魔法使いであれば瞬く間に魔法を展開する事が出来る。しかし、その域まで達していない彼女は、時間を掛けて魔法を編み上げなくてはならない。

 レーメは同年代の子供の中では比較的魔法の腕は良いが、魔法使いとして見るならばまだ優れているとは言い難い。


 ならば、互いを補え合えば良いだろう。


 剣を扱いたがる猪突猛進なティオと、魔法を扱う冷静沈着なレーメ。

 連携が上手くいけばだが、魔物との戦闘も楽になるだろう。


「マジで?!やった!!じゃあオレが前歩くからな!」


 レーメの考えなど露知らず、ティオはそう言うと足早に駆け出していく。


 先頭を切って歩き始めた彼の足取りは、非常に軽やな物へと変化している。それは、前を歩く事によって無言空間から開放される喜びによるものではない。その証拠に、ティオが先へと歩み始めると、不思議と彼らの会話が弾み始めた。


 地図を持たずに勘と経験で獣道を突き進もうとするティオへ、案内人の様に地図を片手に指示を出すレーメ。


 目的地はティオの故郷、ノストだ。


 初めてノストを目指す事になるレーメよりも、ティオの方が道に詳しい。

 しかし、彼が選ぶ道は地図に記載もなければ、獣道ですらない。これが最短だと言って草を掻き分けて直進しようとしていた。


 当然不安感を隠せずにいる彼女と、自信満々余裕綽々な彼は、互いに「そっちは違う」「こっちの方が近い」と多少意見を衝突させてはいたものの、順調に進んでいた。


 そうして暫く進んでいた二人の前に、ようやく人の作り上げた分かれ道が現れる。


 道の分かれ目には、道行く者の案内となるべく標識が立てられているが、相当の年期を感じさせており非常に頼りない。


「ボロボロ……」


 レーメは標識を一瞥しただけでそれ以上の興味を示さず、足を止めて地図に目を落とす。


「これさ、なんて書いてあるんだろうな?」


 標識に近寄ってティオが唸り始めたのは、決して彼に字が読めないからではない。書かれていたのが文字だったのか記号だったのか、解からない位に擦れてしまったそれを読み取るのに苦戦しているだけだ。


「それじゃ、読めない」


 レーメの簡潔な回答に、ティオは頭を軽く掻いた。そして、彼女の持つ地図を覗き込む。


 地図を手にしている間のレーメは、現在地を割り出すのに昨日の足取りを頼りに現在位置を割り出し、そこからノストまでの道程を確認していた。


 ゴルダが家の位置を印にして残したが、彼らの家は地図に道程が載っていない。その上、人里離れた土地だ。


 昨日のレーメは、魔物とティオを追っているうちに彼らの生活範囲へと辿り着いたが、そうでもなければ彼女がゴルダの家に立ち寄る事はなかっただろう。


 ゴルダは何故、その様な場所で暮らしているのだろうか。


 レーメは途中の道程でティオに問いかけたが、彼は「ジジイは変わり者って言われてるしな」と言う答えが返って来るだけだった。どうやら彼もそれ以上の事は知らないようだ。

 ティオは深く追求しようとしなかったのか、それとも追求した果てにゴルダに上手くはぐらかされてしまったのか。

 彼らのやり取りから考慮するならば、どちらかと言えば後者なのだろう。もしかすると、ゴルダはティオを匿う為にあのような場所で暮らしていたのかもしれない。


 宿泊させて貰った夜のことを思い出しながら、彼女は地図を眺めた。


「レーメ、この地図上で言うとオレ達はどこにいるんだ?」

「ここ」


 レーメはティオに地図を見せ、現在地に人差し指を置く。ティオはその指先を眺め、顎に手を当てて考える様な仕草をしてみせる。

 しかし、暫くすると彼は口をパクパクと開閉し、歯切れの悪い口調で喋り始めた。


「レーメ。あ、あのさあ……」


 彼の表情は「また睨まれるのではないか?」と言った苦笑いが張り付いている。


「先にこっち……行ってもいいかなー……なんて」


 冗談めかして言うティオは、レーメが指し示していたノストとは異なる場所に人差し指を置いた。彼女は自らの指の位置よりも左に置かれた指先に視線をずらし、場所を確認しようとした……が。


「……」

「あ……あはははは……」


 その場所を目にした途端、レーメの顔に困惑の色が広がった。

 言葉を失い何も言えずにいる彼女の耳に、ティオの乾いた笑い声が流れる。


 彼女がティオの指差した場所に顔を潜めた理由は他でもない。


 何故なら彼が指し示したのは、レーメの育った街、≪ウェリア≫だからだ。

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