壱朝壱夜:奇跡の罠~3~
「はい、出来た」
それからおよそ1時間後。レーメは大きな鍋をテーブルの上に置いてそう言った。レーメは台所を借りて夕飯を作っていたのだ。
「うわっ、うまそーな匂い!!これマジでお前が作ったの?!」
もみくちゃにされて床で延びていたティオだが、鍋の匂いに誘われて体を起きあがらせる。
「良い香りだ」
すでに鍋の中身を覗き込んでいるゴルダはレーメに問いかけた。
「レーメ、これはなんだい?」
「きのことお肉のシチュー」
もちろん肉は先程捕まえた魔物だ。
「もうちょっと煮込む時間が欲しかったけど……」
淡々と語りながらも、どこか残念そうな表情で二つの器にシチューを盛っている。ティオもゴルダも、美味しそうな匂いのするシチューを楽しみにしており、彼女の言う煮込み時間の事など全く気にしていない。
レーメから器を二つ受け取ったゴルダは、レーメとゴルダの席の前にそれを置いた。
「あ?二つ?」
自分の席に置かれなかった二つの器を見て、ティオは怪訝そうな顔でレーメを睨んだ。
「……」
しかし逆に無表情な顔のまま無言でにらみ返されてしまい……。
「……す、すみません。レーメさん。オレが悪かったです……」
渋々とティオは謝った。一泊だけ世話になる身にも関わらず強気な台所の支配者に負けてしまったようだ。
そうして、なんとか無事に三つ目の器にもシチューが盛られると、三人は席について手を合わせる。
『頂きます』
他の二人が言い終わらないうちにティオはシチューをがっつき始めた。
「うめーーっ!!」
食べながらも口を動かしているので、若干周囲に汁が飛んでいる。
「食いながら喋るなといつも言っておるだろ!汁が飛ぶ!!」
(ネクトと同じだ……)
レーメはそんな二人の様子を見て少し顔を綻ばせている。ふとティオとレーメの視線が合った。
「なあ!レーメ、これうまいよ!」
彼はおかわりをするために鍋に手を出しながら感想を述べた。
「あ、ありがとう……」
まさか美味しいと言われるとは思ってもいなかった。恥ずかしくなったレーメは器で顔を隠しながらシチューを食べ始めようとしたが、勢い良く食器をあげすぎて中身が零れそうになり、仕方なく顔を隠すのを諦める。
「また汁が飛んだっ!」
「ジジイ、食わないんだったらそれ食っても良い?」
「誰のせいで食が進んでないと思ってるんだ」
いい加減怒鳴るのが疲れたのか、ゴルダが溜息を付く。
「ごちそうさま」
第一に食べ終えたレーメは静かに器を置いて手を合わせた。
「ごちそうさんっ!!」
次におかわりも満足に食べ終えたティオが、実に幸せそうな表情を浮かべて食べ終える。ゴルダは彼が食べ終えたのを見守り終えたとばかりに、自身のシチューを再び食べ始めた。
「……」
「……」
すると、食べる事を終えた二人と食事中のゴルダ、三人の間に暫しの沈黙が訪れる。
時折、ゴルダが立てた食器のぶつかり合う音などが響くが、静寂が続くあまりレーメとティオは気まずい空気を増殖させていた。ゴルダはそれに気付いていたのか、偶にわざとらしく大きな音でシチューをすすってみせる。
「ごちそうさま。レーメ」
「うん」
「儂とティオ以外が作った飯を食うのは久しいな……。良い物を食わせてもらったわい」
最後に食べ終えたゴルダはレーメに向かって手を合わせた。彼女は頷いたものの、少し恥ずかしそうにしている。
ゴルダは席を立ちながらも話題を提供し始めた。
「レーメは一人で旅をしておるのかね?」
「うん。≪成人の儀≫だから」
「≪成人の儀≫?お前今十六歳か?」
「うん」
レーメの頷きに対し、ティオが再び彼女を怪訝そうに凝視し始める。
「……何?」
(こぇぇっ!!)
「な、なんでも?!」
その目つきから何を考えているのか理解したレーメがティオを刺すように睨むと、彼は思わず声を裏返して返事をした。
ゴルダはポットと三つのティーカップを器用に両手に持ってすぐに戻ってきた。ポットの中にはハーブティーが入っているようで、彼がやって来ただけでテーブルの周囲に爽やかな香りが広がる。彼はテーブルの隅っこに置かれていた砂時計を逆さにしてテーブルの中央に置いた。
「≪成人の儀≫か……」
砂は上の管から下の管へと緩やかに吸い込まれていく。
「王宮には立ち寄るのかい?」
レーメの視線も吸い込まれる様に、自然と砂時計の砂の流れへと向いた。
「うん。最後に。……ウェリアから来たから、これから国を北周りに一周して、それから王宮に行くつもり」
「ウェリアってここから近いじゃん。出発したばっかり?」
「そう」
ティオの問い掛けに対し、レーメは頷く。
この国、サンシエントは周囲を他国に囲まれいる。形状はほぼ円形に近い。北にはノスト、東にはエスタ、南にはソウス、西にはウェリアの四大都市があり、その都市を中心に小さな街が点在している。南のソウスは王都であり、王宮は王都に置かれている。≪成人の儀≫の終着点はその王宮だ。
「レーメは王宮に行って何を決めるのだ?」
ゴルダは砂時計から目を離し、レーメを見つめる。
「何をやるかは、まだ決めてない。……でも、この旅で何をするか……決める」
「ふむ」
レーメもゴルダの視線を受け止め、真っ直ぐに見つめた。すると、不意に彼の口からレーメの聞き慣れた言葉が紡ぎ出される。
「≪暁≫……」
「……」
これまでのレーメはその言葉を耳にする度に俯いていたが、今は俯かなかった。
何故ならば、ゴルダの視線は彼女を嫌悪する物でも、そして憐れみに満ちた物でもなく、レーメを責め立てる物ではないからだ。
「≪暁≫は嫌いかね?」
「………。嫌いでは、ない」
「そうか」
俯きはしなかったが躊躇いながらレーメが呟くと、ゴルダは微かに笑いながら答えた。その声には、どこか彼が安心した様な雰囲気が漂っている。
「私はどうして≪暁≫が嫌われているのかが知りたい。……ゴルダはそれを知っている?」
レーメがゴルダの瞳を直視したその時、砂時計の砂は丁度半分に分かれた。
「≪暁≫は地方によってその捉え方が異なるのだよ。ウェリアを中心とした西区域では、≪暁≫が悪とされているが……その理由を知る者はおらぬはずだ」
ゴルダは意味もなく砂時計をひっくり返した。ひっくり返しても、そうでなくても、その砂時計は同じ数を刻むと言うのにも関わらず、だ。
だからこそその仕草は、異なる地域の差異を示す様で、そして話を転換させる合図の様にも受け取れる。
「ティオは、な。ノストで暮らしていたのだが、≪暁≫が原因で両親に見放されたのだ」
突然の発言を聞き逃しそうになるレーメとティオ。しかし、必死に発言をつかみ取った二人は驚いて声を上げる。
「お、おい!」
「え?」
思わぬゴルダの告白に、レーメは目を丸くする。
「こいつ、両親……いや、街の連中の前で何と言ったと思う?」
「おいジジイ!!」
ティオが怒鳴り声を上げて必死に言葉を遮ろうとするが、ゴルダはやめなかった。
『≪暁≫はあんなにも綺麗なのに、なんで嫌われているの?』
ゴルダはティオの声色を真似てみたつもりだが、あまり似ていない。むしろ可愛く表現しすぎだと感じたレーメは、そのギャップに内心笑った。ティオはと言うと恥ずかしさのあまりに部屋の隅で固まってしまう。
「全く、馬鹿な孫だ」
過去を思い出して苦笑するゴルダだったが、その様子は何故か微笑んでいるようにも見える。まるで誇らしげでもあった。
「ティオはそれからすぐに儂の元に送り出されたのだ。≪暁≫を庇護する儂の元に、な」
言葉を区切ると同時に微笑みをやめるゴルダ。大事な事柄を語ろうとする表情切り替わり、レーメも彼を真剣にみつめた。
「北区域では≪暁≫は禁句だ」
「どうして?」
「それだけ触れてはいけないものだって事だよ」
ゴルダの変わりにティオが答えた。未だ部屋の隅で拗ねてはいるが、彼らの会話は聞いている様だ。
「あいつらの考えてる事なんて、オレにはわかんねーけどな」
「人が一日の始まりの≪暁≫を好んではいけないなど……考えられん。しかし、彼らはそんなことなど気してはいられんのだよ」
そこで砂時計の砂は完全に落ちきった。
「≪暁≫が嫌われている理由は、地域によって違うと言うこと?」
「その通りだ」
ゴルダはカップにハーブティーを注ぎ、二人に渡す。ティオはいつの間にか部屋の隅から戻ってきていた。
「この先、レーメはウェリアで受けた境遇とは比べ物にならぬ程の辛い思いをする事になるかもしれん」
ハーブティーが注がれたカップからは、清々しい香りの演出。
そこへ添えるにしては刺激的なスパイスは脅し文句の様だが、ゴルダは彼女を脅そうとは考えていない。
「……」
レーメは受け取ったカップの水面を見つめた。
並々と注がれたハーブティーは、彼女の気持ちを紛らわすのには心許ない。
そう、旅に必要な覚悟は彼女の胸に刻まれたはずだが、その気持ちに不安が招かれる事がないとは限らないのだ。
「ティオや」
「ん?」
ハーブティーの香りを楽しむまでもなく早々に何口か飲んでいたティオは、視線だけをゴルダに向けた。
「なんだ?」
「≪暁≫の理由を知りたいか?」
ゴルダの意味深長な発言に、ティオはカップをテーブルに置きながら怪訝な表情を浮かべる。
そして、「このジジイ、何を考えてるんだ?」とでも表現するかのように、歯切れの悪い調子で答えた。
「あ、ああ……。知れるものなら知りたいね。」
(私は知るだけじゃなくて、理解したい……!)
レーメはティオの発言よりも高い望みを抱いている。彼女は熱いその思いを言葉にしないように、まるで言葉を飲み込むようにハーブティーを口にしようとした。
「ではレーメと一緒に≪成人の儀≫に出てはどうかの?」
「……」
回答を待つゴルダは何も喋らない。ティオも何故か黙ってしまう。
「ごくり」
謎の沈黙の後、レーメは口の中に含んでいたハーブティーを一飲みする。その音は静寂に包まれていた部屋中に響き渡った。
「はぁっ?!」
「何考えてんだこのジジイ!!」
「……むせるかと思った」
レーメとティオは同時に叫んだ後、思い思いの反応を示す。レーメは割と落ち着いているが、ティオは非常に焦っている様で席を勢い良く立ち上がった。
「ティオ、お前今年で十六だろう?丁度良いではないか」
「確かに十六でそろそろ≪成人の儀≫に出なくちゃいけないけど……いや!丁度良いとかそう言う問題じゃないって!!」
「同じ歳だったんだ……」
自分より年下だろうと思っていたレーメは残念そうな表情をしてみせた。
「良いではないか。レーメは可愛いし落ち着いているようだし料理も上手だし魔法使いだからティオのサポートに抜群だぞ?」
可愛いと言われたレーメの頬が若干赤く染まる。
「貧相で食いしん坊で口が悪いけど?」
「……」
しかし、ティオによって冷や水を浴びせられた事により、彼女は鋭く彼を睨みつける。
「うっ……」
今日は何度目になるだろうか、再び睨まれたティオは畏縮してしまう。
「レーメはどうかね?ティオはバカで単純で負けず嫌いのアホだが」
「……欠点だらけ」
「だが、正義と情熱と勢いだけは誰にも負けん」
「暑苦しそう」
仕返しとばかりにレーメに冷たい目線で返され、本気で傷つくティオであった。
「……」
まるでティオをからかうように受け答えしていたレーメだったが、すぐに寂しそうな表情をみせて俯いてしまう。
ゴルダは彼女の様子を気遣い、優しく微笑みかけた。
「こんな馬鹿孫では至らないかね?」
これまた酷い言われようである。
「う、ううん。違う」
レーメは激しく首を振って答える。対して馬鹿と連呼されたティオは再起不能になったようで、顔面を机に当てて突っ伏してしまった。「≪暁≫が嫌われているのに、ゴルダはどうしてティオと私を一緒に旅させようとするの?」
そんなティオの様子には構わず、レーメは話を続ける。
「そんなの……危険だよ」
至極当然の疑問に対し、自ら回答を出した。
「それに、≪暁≫が嫌われているのに、ゴルダとティオは私と一緒にいるの嫌じゃないの?」
レーメはゴルダによって家に招かれた時の出来事を思い出しながら問いかけた。自分は心から歓迎されているのだろうか。レーメの心の奥底にはまだそんな不安が残っている。
「儂は嫌ではないさ」
ゴルダはレーメを見つめて答えるが、レーメは相変わらず俯いている。
≪暁≫を語った時のゴルダの表情から、彼がレーメを異質なものとして見ていない事など理解してはいた。
それでも彼女は彼の瞳を見ても良いものかと困惑していた。
「さっきも言っただろうに。儂はレーメと話してみたかったのだ」
「どうして?」
レーメの問いを受けたゴルダは、長話の前の一服のようにハーブティーを一飲みする。
「ほんの数十年前まで、≪暁≫は皆が焦がれてやまないものだったのだ。そもそも人が新しい一日を迎える朝の風景を≪暁≫と言っておったと言うのに、ノストではいつの間に≪暁≫は危険視されてしまったのじゃよ。儂はな、本来あるべき捉え方に戻るべきだと思っているのだ」
「本来あるべき捉え方?」
その時、突っ伏していたティオが顔を上げてゴルダを見つめ始めた。話題の輪の中に入ろうとはしないが、聞き逃さないようにと話し手の顔を凝視している。
「朝日を見て『なんと美しい朝日だろう』。そう感じる事が一日の始まりなのだよ。≪暁≫の光景は美しいものじゃからのう」
そう言ってゴルダは、まるで昔を懐かしむかのように遠い目をしてみせた。
「地方に違いはあれども老いた者であるほど≪暁≫への思いは強い。昔は≪暁≫は皆が焦がれてやまないものだたのだからのう。儂もそのうちの一人じゃよ」
「……」
突然、ティオが窓硝子から外の様子を伺ったと思うと席から立ち上がる。そして二人に何も言わずに出入り口の戸を若干乱暴に開けて外に出てしまった。
「あ……」
レーメは声を上げて反応したが、ゴルダはティオに見向きもせずに落ち着いていた。
直前は真剣に話を聞いていたというのに、ティオは何故外に出てしまったのだろう。
「放っておいてよい。恐らく……昔を思い出したんじゃろう」
「昔?」
「ティオはな、両親に勘当される前から……それはもう赤ん坊の頃から父親に連れられ儂のところによく泊まりに来ていたのだよ。そしてティオが泊まった次の日は、儂とティオは必ず朝日が昇るのを見守っていたのさよ。だから≪暁≫は愛しいものと言うのは儂が教えたも当然なのだ」
ゴルダは目を閉じた。
「ティオは複雑に思っておるのだろう。≪暁≫は愛しさを感じる対象だと儂に教わった反面、≪暁≫は幼くして両親と離別する原因となったのだから……」
良く見るとその表情は眉を歪めており、まるで自らの罪を責め立てているようでもある。
「あやつはな、レーメとは違う意味で≪一人≫だ」
「ひとり……」
「ティオは心から≪暁≫を美しいと思っておる。だからこそ、≪暁≫を嫌う街にいることが出来なくなったのだ。考えを共有する事の出来る者が存在しない限り、ここを離れれば完全に孤立してしまうじゃろう」
ゴルダはゆっくりと目を開いた。
「だからと言うのもおかしな話だが……。レーメ、これは儂からのお願いじゃ。ティオと一緒に旅をしてやってはくれんかね?」
そしてレーメの瞳を見つめる。
真っ直ぐな意思を携えた瞳に捕らわれ、レーメはその目を逸らすことが出来なってしまう。そして、どう伝えるべきかと困惑しながらも、しどろもどろになって答えた。
「で、でも……私は……」
「儂もティオも、レーメの事を嫌ってはおらんよ。儂らはレーメと話がしたかったんじゃ」
彼女が何を言いたいか、ゴルダは理解していた。だからこそ、彼はレーメが言い出すより先に、彼女が「嫌われていると思い込まないように」その言葉を遮り、そして先程伝えた言葉をもう一度紡ぎ出す。
「そして、こうしてレーメが家に泊まりに来てくれた事を……儂は嬉しいと思っておるよ」
ゴルダは目尻に皺を寄せ、優しく微笑んだ。
「こうやってゆっくり茶を飲みながら、有意義な話が出来たのじゃからな」
「……」
旅に出る前までは誰の表情も真剣に見ようとしなかったレーメは、彼の微笑みに息苦しさを感じ、ぎこちなく頷いた。
「ふぇ……」
そして情けない声を出して泣き始めた。
ゴルダに責められていると感じた訳ではない。その微笑は優しく、暖かいと感じ、それと同時に辛かったのだ。
「ふえぇぇ……」
急に泣き出したレーメを宥めるように、ゴルダは彼女の頭を優しく撫でる。
「これこれ……どうしたと言うんじゃまったく」
「だって……だって……私……みんなに嫌われてると……思って……ひっく……」
偶に相手の意志を確認するものの、少しだけ人から離れているように感じられたレーメ。彼女はこの先成長していくのだろうか。
新しい孫が出来たかのような心境に包まれたゴルダは、小さな子供のように泣きじゃくるレーメをしばらくの間あやしていた。
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