壱朝零夜:暁の娘~1~

 目を開けるとなんて事はない、毎朝毎晩見上げる天井が視界に入る。


 今朝の私には、普段夜は見えるのに朝は見えない天上のシミの数を数える事が出来るようだ。起床したばかりなのに珍しく目が冴えているらしい。

 けれども、数えている最中に少しだけ頭痛がして、シミを数えるのをやめた。余計な事をしても、無意味なだけだ。


 仕方なくのそのそと起き上がって布団から出た私は、少し小さなあくびをして窓の外を見やる。

 外は薄暗く人一人歩いていない。鳥の姿も見る事が出来ず、ただ静かな街の景色が広がっている。

 私にとってはいつもよりとても早く、まだ夜明けすら迎えていないこの早朝に起床した。それはごくまれな事。


 二年前の今日までは、今よりも少し遅めの時間に目を覚ましていたが、それは私を起こす人が居たからなしえた事だった。

 けれども、その人物が居なくなった二年前を境に、私の生活は不規則なものへと一転している。

 それからの私の起床時間は常に変動し、周囲の人々もそれに翻弄していた。


 例えば私が朝食の準備を任されていた日は大変な騒ぎになったらしい。

 なかなか起きて来ない私を待ってみんなはお腹を空かせていたのだ。

 ……それ以降、朝食を採れないのが嫌なのか、私が当番の日だけ起こしに来るようになった人が居るが、基本的には殆ど起こされる事はない。

 一人で起きるのが当たり前と言ってしまえば、それでおしまいだけれども。


 今日は別段、役割がある訳ではない。にも関わらず、不規則な生活を送っている私が、早く起きたのは理由があった。

 私は昨夜準備を終わらせて床に置いた荷物を一瞥する。

 今日、私は旅に出る。

 それは、各地を巡り、有り難い言葉を頂くために旅をするため。

 世間ではこれを『成人の儀』と言うらしいが、私からしてみると『厄介払い』と言う言葉が当てはまるように感じていた。


 私の名前はレーメ。しかし、街では名前で呼ばれる事はなく、『暁の娘』とだけ呼ばれている。

 その理由は、私の髪が夜明けの空模様のように、真っ赤な暁の色をしているからだ。

 昔から、暁の色は『禁忌』とされている。そんな色をしているものだから、私は当然の如く忌み嫌われている。

 近寄っただけで怖がられ、何かするだけで怒られる。……好きでこんな髪の色をしているわけではないのにも関わらず。

 けれども、私はその扱いにもう慣れてしまい、異端の目で見られる事に何も感じなくなっていた。気づけばそれはもう、当然の事になってしまったからだ。

 だから、反対に優しくされたり、気遣われたりするのが苦手だった。


 更に、私は孤児で本当の親はいない。それが余計に私が孤立していた原因なのかもしれない。

 むしろ、名前で呼ばれる事に慣れず、でもそれがただ嬉しかったのは覚えている。


 ここ、孤児院に迎えられたきっかけは、私を唯一名前で呼ぶ黄昏の髪の彼だった。

 まだ私が小さくて何も判らなかった頃、私は彼に見つけられて拾われたそうだ。

 その時、すでに髪の毛がそれなりに生えていた私を見て、大人達は引き取る事に猛反対していたらしいが、何故か彼だけは私を引き取ろうと必死になったらしい。

 街の人気者だった彼は、その魅力を以て私を引き取らせたと言う訳だ。

 全く、羨ましい限り。……もっとも、本気でそう思ったわけではないけれども。


 だけども、そんな彼も、もうここには居ない。

 今日の私と同じように、二年前に旅に出たまま戻って来なかったからだった。

 それは悪い意味ではなく、良い意味で。彼は旅の途中で良い働き口を見つけたということだ。

 実はそんな彼の名前すら忘れていた。一応彼は命の恩人なわけで、私は結構失礼な奴だ。


 ともかく、旅をするにあたり、それを終える前に私は私で生きる目的を探さないといけないと思っていた。

 今の所何の目的もない。どうしたものか……。

 そう考えていたのはついこの前の事だった。


「どうしたの?ぼくの髪に何かあるかな?」


 ふと、幼い頃の事を思い出す。

 彼はなかなか帰ろうとしない私を迎えに来て、一緒に手を繋いで帰っていた。

 夕暮れ時、黄昏の光でいつもより輝くその髪にひどく憧れていて、いつも見上げていた。そういえば、彼の身長は私より高かったのかとも思い返しながら。


「どうして≪あかつき≫はきらわれてるの?」


 私はそう言って彼を困らせた。実は彼もその理由は良く知らなくて、その時私が知っていた理由を返すしかなかったらしい。


「昔ね、東のほうにきれいな丘があったんだって」


 そう言って、彼は東を向いた。


「でもどうしてか、その丘の木はみんな真っ赤になって枯れてしまって、それからはその丘には誰も近づくことができなくなったんだって」


 そんな事はもう知っていた。けれども彼は続ける。


「その時、それを見た人は、それを暁時みたいだ、っていったんだって」

「どうして丘はそんなことになったの?」


 困らせるつもりは一切なかった。でも、私が虐げられている理由くらい知りたくてそんな質問をした。

 答えが分かって私の悪いところを直せば、こんなことはなくなるかもしれないと少しは思っていたからだった。


「どうしてだろ?」


 彼は首を傾げた。


「どうしてそんなことがあったのかな……」


 そしてもう一度呟いた。

 気づけば、彼の視線は私の髪の毛へと向いている。


「あかつきの朝はあんなにもキレイなのにね」


 そして微笑んだ。

 どうしてだろうか、あの笑顔が今でも忘れられない。

 そんな昔懐かしい夢を見たのがほんの数週間前だった。


『どうして?』


 自ら問いかけた言葉が、頭から離れなくて私はその日、そればかり考えていて一睡も出来なかったのを覚えている。

『何故』と思う気持ちは今でも残っている。正確に言うと、≪暁≫が忌み嫌われる理由を私自身で探してみたかった。


――そうだ、≪成人の儀≫が終わったら、私は私の幸せを探してみよう。


 黄昏の温もりのような幸せを感じていたい。虐げられる事には慣れたけど、寂しいのはやはり悲しい事だった。

 いつも一人で居ようとしたけど、彼のような暖かい手を一緒に繋いでいたかった。それだけで泣きたい気持ちや悔しい思いが薄れていたから。

 その為には、≪暁≫を理解しなければならない気がした。


 窓から眩い光が射し込み始めた。私は窓を開いて日が昇る方角である東を眺めた。

 ≪暁≫が腐敗の色と言われる元凶となった地、東の丘を。

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