天崎翔平

 ボーっとしてたらいつの間にか放課後になっていた。授業内容なんて覚えちゃいないし、そもそも普段から授業なんて聞いてない。寝てるか、清水達と遊んでいるかだった。昨日までは。何でこうなったのか、分からない。どうやらこのクラスには、絶対的なルールが存在して、俺はそれを破ってしまったらしい。


 ずっと座っていたせいで、尻が痛い。肩を背もたれに置いて姿勢をずらすと、ポケットの中で紙がくしゃくしゃになる。


 昨日、担任から渡された手紙。明日の放課後残っていてください、伊佐間君の家に謝りに行きます、らしい。何を謝れば良いのか分からん。俺は虐めなんかしてない。本当は今日サボるつもりだったが、誤解されたままは癪だ。文句を言いに今日は学校に来たようなものだ。ついでだから、あの二人にも文句を言いたかったが、今日一日通してずっと避けられていた。目も合わせてくれない。教室の他の奴等とは、元から喋ったりする仲じゃない。


 だけど、それはもう良い。今日のところは担任だ。昨日は感情的になったが、一晩経った今日は幾分かクールだ。昔から一回寝れば大抵のことはどうでも良くなってくる性質なのだ。それにしても遅い。


「ユイー。今日もデートするよー」


「まずは作戦会議と行きましょうか、石河君。部室に急ぐわよ」


 教室の奴等は好き勝手なことを言いながら出ていく。出たり入ったり意味の分からないことをしてるやつらもいるし、廊下で話し込んでる奴らも居る。あいつらは一体何をしてるんだ? 何もこんなつまらない所に居ないで、誰かの家とか、カラオケとか、幾らでも話をするところはあるだろうに。


 ああ、ムシャクシャする。というか、俺が残ってるのが一番不自然なんだよな。一人真面目くさって教室で担任を待って、良い面の皮だ。授業中もずっと晒し者にされてる気分だった……待てよ、晒し者と言うなら、今もそうじゃないか。くそ、急に恥ずかしくなってきた。寝たふりでもするか……。


「おい、天崎」


 椅子を前に引いて、机に突っ伏そうとしたところで声を掛けられた。


「ああ?」


 俺にそんな口を利くのは誰だ、と見たら清水だった。後ろには城戸も居て、よく見れば教室には俺達三人の他には誰もいなかった。


「何だ、てめぇ。昨日のことを謝りにでも来たのか」


「いや、一クラスメイトとして、天崎君に頼みがあってな」


 一クラスメイト、天崎君。なるほど。どうやらこいつらにとって、俺はもう何でもないんだな。しかし、だからと言って、頼みとやらを聞いてやる義理も無い。


「そう睨むなって、天崎。ほら、今日はおれが掃除当番なのよー」


 後ろに居る城戸が黒板の隣にある掃除当番表とやらを指差す。確かに今日の日付のところに城戸の名前が記されている。ちなみに、俺の名前は最初から無い。やるワケが無い。


「それがなんだよ?」


「いやー。おれ達バスケ部じゃん? 遅れたらまずいのよ。だからさー、掃除変わってくんね?」


 はあ? 思わず口に出しそうになったが、何とか抑える。そんな頼みを聞くと思うのか? ふざけた奴らだ。怒りを通り越して呆れてくる。


「良いワケないだろ。俺は今から忙しいんだよ」


 蠅を払うように手を振って、もう一度机に寄り掛かろうとする。その時、清水と城戸が、そろって右手を挙げるのが視界に入ってきた。


「……何の真似だ?」


「何って、投票だよ、投票。昨日もやっただろ? 今日の掃除は天崎、に二票だ」


「ふははっ。マジでやんのかこれ。ウケるんだけど」


 顔が熱い。頭に血が上っているのがわかる。駄目だ。熱くなっては昨日と同じだ。分かってはいるんだが……。


「……ふざけてんのか?」


 熱を逃がすように、なんとか吐き捨てる。限界が近い。


「ふざけてなんかない。多数の意見だ」


「そうそう、民主的ってやつ」


 気が付けば貧乏ゆすりをしていた。体の熱を、ストレスを、無意識に逃しているようだ。だが、頭の方はスッキリとはいかず、次の言葉が出てこない。


「じゃ、そういうことだから」


「よろしくー天崎ちゃん」


 今度は二人が手を振り、教室を去ろうとする。待てよ。俺が掃除なんかするわけないだろ。ふざけんじゃねえ。


 目の前の机を蹴り飛ばす。


 派手な音がして前の席ごと倒れる。大きな音がして少しだけ冷静になった。教室の戸へと向かっていた二人も、立ち止まって机の方を向いている。


 がらがら。


 この場に似つかわしくない間抜けな音がして、教室の戸が開く。入ってきたのは担任の笹木だった。さっきの音は聞こえていた筈なのに、特に怒るでもなくいつもの無表情を崩していない。


「天崎君。反省文は書きましたか?」


「……ああ? まだだよ」


 状況が目まぐるしく変わる。それも良くない方にばかり。だがそれは二人も同じらしく、教室を後にするでもなく、ただ立ち止まって気まずそうにしている。馬鹿ばかりだ。


「わかりました。では、まず机の位置を直してください。そして、教室の掃除、その後に私の車で……」


「良い加減にしろよ、おい」


 壇上で冷ややかな視線を送る笹木に詰め寄る。ここまでされて黙ってられるか。


「何で俺が掃除するんだよ。城戸が当番なんだろ」


「貴方は一度も掃除当番を引き受けていないと伺っています。一度くらいやってみてはどうでしょうか。なにより、投票で決まったことは絶対ですから」


 全身が熱い。怒りに燃えるとは陳腐だがこのことを言うのだろう。俺は力任せに笹木の胸ぐらを掴み、力一杯持ち上げた。


 つもりだった。


 視界が反転する。笹木の顔、教卓、黒板、そして天井が、まるでコマ送りの様に視界に入る。いや、入ったらしい。一瞬のことでとても処理しきれない。


 大きな音に続いて背中やら腰やらの痛みが俺を襲う。


「……いってぇ……」


 どうやら投げられたらしかった。俺の左袖と襟を掴んでいた笹木が手を離す。


「あんまり暴れると、掃除が大変になりますよ」


「ふはっ。天崎だっせー。んじゃー掃除よろしく」


 二人が教室を足早に去るが、どうも関心が向かない。投げられたという事実を受け入れるのに時間が必要だった。


「掃除の後は、伊佐間君の家に行きますよ。では、十五分後に戻ってくるので、それまでに掃除を終わらせるように」


 言うが早いか、さっさと教室から出ていく笹木。伊佐間? そんな話もあったっけか。昨日今日で色々な事が起こりすぎた。はっきり言って戸惑ってる。いや、今更恥も外聞も無いから、正直に本音で言ってしまえば、かなりびびっている。今何が起こってるのか、これから何が起こるのか、全く予想もつかない。


 まだ痛む体を何とか起こして、教室を見渡す。


 一人になった教室は、えらく静かで頼りない。また、完全に無音と言うわけでもなく、遠くから聞こえる話し声やら、足音やらが、より一層孤独を引き立てる。


 俺は一体どうしたら良いんだ。


 取り敢えず、目の前の椅子を起こしてみた。だが、掃除なんて生まれてこの方、一度もしたことがないんだが。どうしたものか。

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