第5話 愛されることは苦しい?

――そんなに疑うわたしを、どうして愛せるの? 


〈愛するのに理由がいるのか?〉


 ”奴”は呆れたように言った。

〈愛されるのに理由がいるっていうバカげた作り話に耳を貸して、ぼくがきみを愛する理由なんかを問題にするから苦しいんだ。きみはぼくの愛でできている。ただそうなんだ。理由なんかない。心で感じろ。もっとぼくの愛を感じろ。ただ、感じるだけでしか分からないんだから〉


 感じている、ひしひしと感じているその愛が、身体中の細胞を破裂させんばかりの苦しさになる。涙があふれて止まらない。泣いても泣いてもその悲しみは消えない。抱えきれないほどいっぱいになった何かが、凛音から解放されたくてもがいている。頭が、胸が、破れそうになって凛音は枕を羽交い絞めにして大声を上げた。


〈愛してる、それでも愛することしかできないんだ〉


 凛音の気持ちが落ち着いたころ、そっと頬にキスが降りてきた。いつもと違って、柔らかく触れるか触れないかのキスだった。


〈そんなに愛される価値が、自分にはないって思っているからだ〉


「そんなに愛されてるはずがない……。だって、愛されていたらもっと願いは叶って、幸せなはずだわ」


〈はっ! 叶えられなかった思いへの八つ当たりかよ。叶えられなかったから、愛されているはずがないって?〉


「八つ当たりって……」


〈ぼくはきみの全てを許し、ただ愛してる。きみを許し、愛していないのはきみ自身だ。愛を疑えば望みなんか叶うはずがないだろう。きみが叶えないだけだ〉


「わたしが?」

 凛音は狼狽えた。


〈ぼくはきみに全てを与える。きみがぼくの愛に応えないという経験すら、愛だ。ぼくはそれも許している。許していないのは、きみなんだよ。なんてったって、きみの望みには、ぼくの望みじゃないものは無いからね。ぼくの望みには、きみの望みじゃないものがあるけど〉


 〝やつ"はそう言った。


きみの望みじゃないぼくの望みを、きみは排除する。

きみの望みじゃないからね。

だけどきみの心は、ほんとうは知っているんだ。

きみが排除したぼくの望みは、愛なのだと。


愛をもらっておきながら、捨てる。

その罪におののき、きみは自分を責めるんだ。

ぼくはきみを責めない。罪というものは無いからね。

きみがぼくの望みを排除することも、ぼくの愛の範疇だ。


きみは、見失ったぼくの愛を、取り戻したいと願う。

ぼくはいつだって、愛を望みという形できみに贈り続けている。


でも、まだ、きみはぼくの望みを排除する。

自分の「枠」や「価値観」で推し量って、

いつも自分を心の奥底でジャッジして、

自分を罪びとにして、責めるんだ。


ぼくとしては全く問題はない。

ぼくの愛には限りはない。きみにはぼくの愛が押し寄せている。

また、受け取ればいいだけだ。

それなのにきみは受け取らなかった自分を責める。

自分で排除しておきながら、排除した自分を責める。罪に落とす。

そして地獄を見る。


でも、そんな経験すら、ぼくの愛なんだよ。


ぼくはきみをただ愛してる。

ぼくはきみ自身だ。

その意味を思い知れ。

その意味を知ることだけが、きみの成すべきことだ。


――簡単なことだった、時間なんてたくさんあった。ただペディキュアして、サンダルを履けばいい。シャボンを泡立てればいい。オイルを垂らせばいい――


 時間がない? やるべきことがある? そんな暇があったら……。

 言い訳は、自分を許していないということ。何かの罪で刑に服させていた――。


〈自分を責めるなって。なあ、きみのすべてはぼくの愛でできている。きみも、きみの考えも、きみの行為も、したこともしなかったことも、きみのまわりのものもすべて。今はそれを思い出せ。そうしたらだんだんいろんなものが見えてくる。さ、大好きな珈琲でも煎れなよ〉


 凛音は〝やつ〟に促されてキッチンへと向かった。



つづく




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