人魚姫のスクール水着

 ザザーーーーーーーーーーーン


 見渡す限りの青い空、青い海、白い雲、まぶしい太陽。


 ニア、ニア、ニア、ニア


 ウミネコが気持ちよさげに空を飛び、波打ち際にはカニが仲良く横歩きをしている。


 人気のない海辺、陽炎の向こう側から一人の旅の魔道士が歩いてくる。

 ツンツンとした黒髪に緑のマント、その下には真っ白な全身タイツというフザケた旅装束の男。

 彼こそが1億円の賞金首。

 千のフェチを持つ男サウザンド・フェティッシュラツィオ・アー・ブレシアである。


 ジーワ、ジーワ


 遠くの松林からも蝉の声がここまで届く。

 自然の織り成す騒音の中を、ラツィオは黙々と歩いていた。


「だれかあ!!」


 その時、あきらかに自然の声とは違う悲鳴が聞こえてきた。

 悲鳴は海から聞こえる。


 バシャッ


「誰か!助けて!!」


 見ると誰かが海中でもがいているようだ。

「なんだ?溺れてるのか?」

「だれかー」


 バシャバシャ


「たすけて!!」


 バシャシャシャ


 どうやら溺れてる主は少女らしい。

 滅茶苦茶に暴れている。

 あれでは溺れるのもやむなしだ。

 少女が大きく胸をそらし海面に浮かびあがる。


「む!あ、あれは!!」


 ダッパァーン!!


 海中から少女を抱き上げ、ラツィオが飛び出してくる。


 キラキラキラ


 いくつもの水滴が太陽の光に反射して、眩くきらめいている。

 急いで砂浜に寝かせたが、少女は目覚める気配がない。


「いかん!反応がないぞ」

 ラツィオは少女の口に指を突っ込む。

「口腔内確認!気道確保!オレ様の気持ち、スタンバイOK」

 ラツィオが少女に顔を近づける。

「いざ、人工呼吸…………」


 パチ!


 少女と目が合う。


「な、何するんですかぁ!!」


 バチーン!


「痛ェーーッ!」




「……すみませんでした」


 ほっぺたに赤い手形を張り付けたラツィオを見て、少女が平謝りする。

「わたくしったら、溺れているところを助けていただいたのに」

「いいよもう。そんなに謝らなくても」


 ある意味ご褒美だし。


 ラツィオはその感想は口に出さず、目の前のへたり込んでいる少女を見た。

 黒髪ロングのストレート、白い肌、伏し目がちのおとなしい表情。

 完全なるお嬢様キャラである。

 着ている水着からもわかる。

 露出の少ない紺の水着。

 胸には名札まで縫い付けてある。

 海辺で着る水着ではない。


「しかし少女よ。泳ぎが苦手なら、あまり深いところまで行ってはいかんぞ。オレ様が通りがかったうえに、君がスクール水着を着ていたからよかったものの……」

「スクール水着?」

 それがどうかしましたか?と言わんばかりの表情をしてから少女は語りだす。


「実はわたくし、泳げるようになる為の練習をしていたのです」

 少女はそう言って自分の胸に手を当てる。

「明日、学校の水泳授業でテストがありますの。50メートルを足を付けずに泳げないと赤点なのです」

「ふーん」

「クラスで泳げないのはわたくしだけ……」

「ふーん」

「……でも、結局無理でした。溺れてしまうなんて……」

 少女があきらめの念をこめた眼で、青い海を見つめている。


「あぁ、明日大雨が降って水泳授業中止にならないかしら。地震でも、隕石でも、宇宙人でもいいから」


「オレ様が泳ぎの特訓をしてやってもいいぞ」

「え!」

 少女がラツィオを凝視する。

「ほ、本当ですか!?是非、お願いいたします」

「くっくっく。君は運がいい。この大魔道士ラツィオ様に、今日この場で出会えたのだからな」

「あ、名乗ってませんでしたね。わたくしマリノと申します」

「よし、マリノ。では始めよう!」

「はい、コーチ!」

「ではまずそのスクール水着を脱ぐのだァ!」


 ガバァ


「え!?」


 ラツィオがマリノに飛びつき着ている濡れたスクール水着を脱がしにかかる。


「さあ脱ぐのだ。全裸になるのだ。それからすべてが始まるのだ!」

「ちょ、ちょ、待ってください!!」


 グイグイ


 ラツィオは肩ひも部分を口にくわえて強く引っ張る。


「やめ、お願い!!」


 ドコン!


 ラツィオの頭部と同じ大きさの岩が、倒れたラツィオの頭を押しつぶしている。


「もう帰ります」

 パンパンと手についた砂をはたきながら、マリノが駈け出そうとする。


「またそうして逃げるつもりか?」


 立ち去りかけたマリノが足を止める。

「今日に至るまでに泳げるようになる機会はいくらでもあっただろう?」

 岩を頭に乗せたまま、ラツィオが立ち上がる。

「だが君はいまだに泳げない、ちょっとの努力を惜しんだばかりに」

 マリノはうつむいてしまった。

「明日、テストという試練を迎える君にとって、今日オレ様とここで出会えたことは、ひょっとしたら泳げるようになる最後の機会かもしれないのだぞ」

 ラツィオが頭の上の岩を放り投げる。


「どうするんだ?マリノ」


「コーチ……」


 マリノはスクール水着の肩ひもをずらし、お尻を振りながら濡れたスクール水着を脱ぎ捨て、ラツィオの頭の上に放り投げる。


「わたくし、もう決して弱音を吐きません!どんな苦しい特訓にも耐えて見せます!コーチを信じて!!」

「よし、よく言った!水着は無くすといけないから、オレ様が預かっておくぞ!」

「はい、ありがとうございます!」

「でもね、特訓自体はそんなに苦しくないよ」


 頭に濡れたスクール水着を乗せたまま、ラツィオが右手をマリノに向けて突き出す。

「え?」

「それぇい」


 ボォン


「きゃあ」

 マリノが瞬く間に煙に覆われてしまう。


 モア モア モア


「こ、これって、わたくし……」

 煙が晴れると、そこには下半身が魚の尾となったマリノがいた。


人魚マーメイドに……」


「そう!たとえどんなに頑固なハンマーガールでも、一流のスイマーへとレベルアップできる、水泳技能養成(若年層女性限定)魔法さ」

「きれい……本当に足が魚になっちゃってる」

「泳いでごらん。絶対に溺れないから。そして泳ぐという事を体で感じるんだ」


 海へ向かってマリノは決意のまなざしを向ける。


「よし!いってこい!」

「はい!」


 だっぱーーん!!


「よし!いいぞおーその調子その調子~」


 ゴゴゴゴゴゴゴ……


 声を張り上げて指導するラツィオのはるか後方に看板が立てかけてある。


 ゴゴゴゴゴゴ……



【 危険!遊泳禁止  ※人食いサメが出ます 】


 

 ゴゴゴゴゴゴ……



「気持ちイイー!」


 人魚となったマリノは海上を、海中を、海底を、流れるように泳ぎ回っていた。

 海面にまで浮かび上がり、浜辺へ向かい手を振ってみる。

 コーチが手を振っているようだが、だいぶ沖まで来てしまったので、小さくてはっきりとは見えない。

 それがまたうれしい。


「ああ、泳げるという事がこんなにも楽しいことだったなんて」


 海面にぷかぷかと浮きながら、一身に日の光を浴びる。


「はあ~~、いい気分。いつまでもこうしていたいなあ」


 ゴポ ゴポ ゴポ


「!」

 海上を大きな背びれがマリノに向かってやってくる。

「なんでしょう、あれは?」

 次第に速度を上げて、背びれを持つ大きな何かが近づいてくる。


「まさか、ひょっとして、あれって」


 大きな何かが海中から跳ね上がってくる。


 それは巨大な人食いサメだった。


 ドバァァァァン!!!!


 大きな水しぶき。


「きゃああ」

 間一髪、人食いサメの攻撃をかわしたマリノは、浜辺へ向かって泳ぎだす。


「大丈夫!今のわたくしは人魚マーメイドですもの!逃げ切れます」


 ガボン!


「え」

 突然スピードが落ち、体が沈みだした。

「お、溺れる?どうして?」

 暗い海中でマリノは自分の下半身が人の足に戻ってしまっていることに気が付いた。

「元に戻っている!?魔法の効果時間が切れてしまったの!?」

 途端に恐怖がふつふつと沸いてくる。


「そんな!深い!足が着かない!冷たい!!」


 マリノはパニックに陥りそうになりながらも、何とか海面へと顔を出した。

「ガハッ」

 すうっとサメが静かに寄ってくる。


「サメ!嫌ァ!!」


 人の身でマリノは泳ぎだす。

「逃げなきゃ!泳がなきゃ!食べられちゃう!」

 必死に泳ぐマリノ。


「遠い!遠い!遠いよぉ!」


 人食いサメが大きな口を開けマリノに迫る。

 巨大な牙が、巨大なあぎとが、マリノに迫る。


「死にたくないよォ!!」


閃光の槍ロイ・キーン!!」


 パウ!!


 ズドン!!!!


 一条の光線が人食いサメを撃ち抜く。


 だっぱぁ~~~ん!!


 人食いサメの巨体が海面に強く打ち付けられる。

 だがマリノはその一連の出来事には気づかずに、必死に泳ぎ続けていた。

 その様子をラツィオは上空から眺めている。

「オレ様がサメを退治したことにも気づかぬまま、泳ぎ続けている。どうやらもう大丈夫のようだな」



 ザザーーン


 どれほどの時間が経っただろうか。

 ようやく浜辺に泳ぎ着いた全裸のマリノは力尽き、ガクッと膝をついた。


「はあはあ。泳げました。……無我夢中だったけど、沖からここまで。たぶんコーチはこうなることをわかってて」


 マリノはコーチの姿を探したが、どこにも見当たらない。

 だが砂浜に、置き石された一通の手紙が置かれているのを見つけた。

「手紙……コーチからだわ」


『マリノへ

 どうやらもう大丈夫のようだな

 実は魔法の持続時間を短めに設定しておいたんだ

 まあ、サメの出現は予想外だったけど

 怖い想いをさせてしまったね』


 浜辺を夕日が真っ赤に染めている。


『もう明日のテストなど、今の君ならなんてことないはずだ

 オレ様の役目もここまでだな』


「コーチ!コーチィ!」

 マリノは走る。

 行ってしまったコーチを追って。

 もう追いつけないと知りながらも……


『では、さらばだ

 マリノ、トップをねらえ!』


「はあ、はあ、コーチ。行ってしまわれたのですね」

 マリノは夕日に向かい、一人黄昏たそがれる。

「一言、お礼と……水着を返していただきたかったのですが」


 ザザーーン、ザザーーーン


 全裸のマリノは波打ち際で、いつまでもそうして立ち尽くしていた。


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