[2.0] ウォーゲーム
……え? この店の名前の由来? なんだい、藪から棒に。……ああ、「サイコロキネシス」のことか。
聞き慣れない……って言うか、初めて聞くよなぁ、こんな言葉。
こいつぁ造語だよ。「サイコキネシス」ってのは知ってるよな? そうそう、別名テレキネシス、日本語だと念動力だね。それと「サイコロ」を組み合わせたんだよ。
時にアンタ、サイの目って自由が利かないと思ってないか? ……そうだろうなぁ、十人に訊けば、九人は「利かない」って答えると思う。だがな、サイの目はある程度自由が利くんだよ。あ、言っとくが「ある程度」だぞ? 完全に自由になるようじゃ、そいつぁただのサイコロじゃぁない。「イカサマサイ」だ。
で、そのサイの目を「ある程度」操る
例えば、ある局面で6面サイコロを2個振って5以下の目が出ないと、自分がとても不利になる——そんなときこそ「サイコロキネシス」の出番さ。
手にサイコロを握って、念を込める。これは人によって様々だ。
目を瞑ってサイコロを握り締める奴もいれば、飽きるまで手の中でサイコロを振る奴もいる。千差万別だ。
だが、サイコロを振り下ろすときはみんな一緒さ。
気合一閃——まぁ「
ああそれから、サイコロを振るときには絶対にそれなりの大きさの箱が必要だ。気合いを入れて振るから、何処に飛んでいくかも分からないからな。だが、市販のダイストレイくらいじゃダメだ。小さい小さい。それだけ念の籠もったサイコロだ、ダイストレイくらいは飛び出しちゃうよ。
私たちはゲームの入っていた箱を使ってたな。
不思議なもんでこうやると、欲しい目が出たりするんだよ。だがな、のべつ幕無し「サイコロキネシス」は使うモンじゃ無い。「ここぞ!」と言うとき、「大一番!」てときに使うのがいいんだよ。
ん? そりゃ、たまにはサイコロキネシスも利かないことはある。だけどな、それは
……ああ、話の続きな。でも、今まで話した「サイコロキネシス」のことはこれからの話でも出てくることになる。それじゃ、続きを話そうか。……中学生くらいまでの話をしたんだったかな?
◇
中学に入ってからは、実はちょっとだけボドゲ沼から足が抜けたんだよ。
理由の一つは引っ越したこと。ウチの親父は転勤族で、数年に一度の割で各都市を回っていた。丁度中学に上がると同時に引っ越したんで、それまで遊んでいた仲間がいなくなっちまったんだよね。
もう一つの理由は中二病だね。ま、当時は中二病なんて言葉は無かったけど。
持っているゲームの内容が子供っぽかったものが多かったし、「ゲームなんてガキの遊び!」などと、イキがってたしね。
加えて、その頃だったんだよ、「スペース・インベーター」がタイトーから発表されたのが。好きなのがピンボールくらいしかなかったゲームコーナー——当時はゲームセンターなんてなかったよ。デパートやボウリング場の一部にゲームが置いてあるくらいだった——にビデオゲームが雨後の竹の子の如く出始めたんだよ。
スペース・インベーターを皮切りに、ギャラクシァン、平安京エイリアン、クレイジー・クライマー、トランキライザー・ガン……等々、タイトー、ナムコ、セガ、弱小から大手までが手を出し始めた。
あ、こいつぁ豆知識だけど、今じゃパチンコ、パチスロを販売しているユニバーサル、この会社はビデオゲームの「Mr.DO」を開発販売してたんだよ。いつの間にかパチスロ屋になってたけどな。
あの頃はそれなりに頭もよくって、クラスの成績上位に入っていた割に、不良グループに片足突っ込んでいた私はビデオゲームにはまっていった。余談だけど、この不良グループ時代にヤクザの息子と揉めて、日本刀で追っかけ回されたこともあったっけなぁ。
ま、それも高校入学までだったね。地方で一番の進学校に進んだから、不良グループとも疎遠になった。でも、ビデオゲームとの縁は切れず、部活動の帰りにゲーセン寄って遊ぶ日々が続いていた。
そんな生活がまた一変する。
親父がまた転勤になったんだ。高校生にもなって転校するんだから、本人としてはやり切れなかったねぇ。当時イイ感じの関係だった女子部員とも
ここで、でてくるのがボードゲームなんだ。……だが、正確にはボードゲームとは呼ばれてなかった。そいつぁ、シミュレーションゲーム——もしくはウォーゲームと呼ばれていた。
ガンダム好きだった私は、ホビージャパンって模型の雑誌を読んでたんだが、その中にこのウォーゲームの記事があった。
アバロンヒルって外国のメーカのゲームでね、紹介されていたのはタクティクスⅡって名前だった。
これが面白そうでね、欲しいなーと思うも、値段を見てびっくりしたんだ。
¥5,800——当時の小遣いが¥5,000だったから、とんでもない値段だ。
こりゃ、おいそれと手が出ない。当然、眺めての
ホビージャパンじゃ毎号色んなゲームを紹介してくる。おもちゃ売り場にもちらほらその姿が見えるようになってくる。だが、ビンボー高校生は指を咥えて見ている他なかった。
その内、ゲームの売り場にカタログが置かれるようになったんだ。そのカタログには沢山のウォーゲームが数行の紹介文とともに載せられていて、それを見ての空想プレイがひたすら続いていく。だが、症状は重くなるばかりさ。
そこに好機到来——修学旅行だ。
修学旅行の行く先は北海道の高校らしく奈良、京都。寺も神社も映画村も回って楽しかった。しかし、それ以上の作戦計画が私にはあった。
そして、作戦実行——夕食後の短い自由行動の時間に私は一人で宿泊施設近くのデパートに足を運んでいた。
そこで手に入れたんだよ、念願のウォーゲームを!
修学旅行の小遣いをつぎ込んだ作戦さ。一気に二つも買ってしまった。
買ったのは「
両方とも第二次世界大戦中の戦闘を再現するゲーム。「クロスオブアイアン」は「戦闘指揮官」の続編というか、追加コンポーネントだった。
この「戦闘指揮官」ってゲームは難易度⑩の代物なんだよ。例のゲームカタログには様々なゲームが難易度と共に載っていたんだが、①〜⑩まであってね、①が一番易しく、⑩が一番難かしかったのさ。
拠りにも拠って、⑩を買ってしまったけど、気にしちゃいなかった。
……どうして、そんなのを選んだってか?
まぁ、好みの問題が一番大きいかな。様々なウォーゲームがあるけど、その大半は部隊兵科記号——四角の中にバッテンや丸、その他の図形が描かれてる奴だよ。それで、歩兵部隊だの機甲部隊だの、砲兵だの工兵だのを表す。
それがコマ——ウォーゲームじゃ「ユニット」って呼んだね——に描かれているものが多い。ゲームボード——こっちは「マップ」だ——も抽象化された地図が描かれている。
ところが、戦闘指揮官シリーズは上空から見下ろした風景が「絵」として描かれていたんだ。これが綺麗でね。しかも、縦長のボードが4枚あるんだが、これらを自在に組み合わせて、様々な地形を表現できるってのが素晴らしかった。
ユニットにしても、部隊兵科ではなく兵士のシルエットが描かれ、戦車、自走砲、歩兵砲や迫撃砲、機関銃なんかもしっかりユニットとしてあるんだ。これが凄かった。
ちょっと話題が逸れちまうけど、アンタもゲームをやるんなら「ターン」の概念は分かるだろ? ウォーゲームはそれぞれのタイトルでこれが大きく変化する。
まぁ、戦争をどの程度の規模で再現するかによってそれは大きく異なってくる。それはマップにしてもそうだし、ターンにしてもそうだ。
それによってウォーゲームは大きく「戦略級」、「作戦級」、「戦術級」の三つのカテゴリに分けられる。後から「戦闘級」ってのも加えられたかな。
それぞれ規模は、「国」、「師団」、「分隊」、「個人」ってレベルになる。
ターンに関しては、「戦略級」が数ヶ月から年単位、「作戦級」は数日から数週間、「戦術級」は数分から一時間くらいまでだったかな? 「戦闘級」に至っては1分くらいじゃないのかね? ま、この辺りはうろ覚えだから、話半分で聞いてくれていいよ。
で、「戦闘指揮官」は戦術級だった。1ターンは5分程度、ユニットは兵士であれば分隊単位、砲や車輌であれば1輛1コマだった。マップに描かれたヘクスは1ヘクス40m。あ、ヘクスてのはマップに描かれた6角形のマスのこと。ウォーゲームでは一般的なんだよ。
圧倒的なマップ、圧倒的なユニットの数。後に「
もう、マップとユニット見て、頬が緩んでくるんだ。
だが、またも問題が出てくる。それは相手がいなかったこと。
当たり前と言っちゃ当たり前で、周りの人間は誰も見向きもしなかった。
修学旅行で同じ班だった奴に見せたけど、「面倒くさそう」の一言で一蹴されちゃった。そうなると、もうソロプレイさ。
ドイツ軍とソ連軍——「戦闘指揮官」は第二次大戦
……味気なかったね。楽しいことは楽しいけど、やっぱり他の人間を相手にしてやってみたい。でも、対戦相手を探すのは至難の業だった。
そこに飛び込んできたのがおもちゃ売り場にあった一枚のチラシだったのさ。
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