第51話 希望のみちしるべ(21)

 Mira 2010年1月20日 14時7分51秒 氷星天 グローザ高原 コーヒー農園跡 廃屋



 既視感デジャヴュ、というのだろうか。クラウザーを追ってたどり着いた石造りの廃屋は、どこかで見たことがあった。当然、ここは初めてくる場所だ。写真とかのメディアで見たことがあっただろうか。いや、そんな覚えもない。その違和感は屋内でも止まることを知らなかった。壁の汚れ、朽ち果てた家具、それに反して最近まで使っていた痕跡のある暖炉……全て見たことがあった。


「もう、それなりに“視た”ようだな」


 クラウザーが比較的新しい木製のベッドにアリスを寝かせながら言った。その言葉の意味は分からなかった。家の中を見回したか、などと問うているわけではないらしい。


「そうか、自覚はないのか」

「あの……何の話を……」

「“彼女”ならここにはいない」


 それがアシュレイ隊長を指していることは明白だった。何故それを、と聞こうとしたが、クラウザーは割り込むように言葉を続けた。


「十年前、私は彼女の元を去った。お前が来た日のことだ。私はお前を、我々の組織に受け入れることを拒んだ。だが逆に私が彼女に拒まれた」

「アシュレイ隊長が命令したから、あなたは去ったのですか?」


 クラウザーは否定的に首を横に振った。


「ギルテロ、そしてスティルと違い、私は彼女に忠誠を誓ったことなどない」

「何ですって……?」

「彼女に付き従った……否、彼女に従っているように振る舞った理由は、彼女を愛していたからだ。私はこの目で初めて彼女を見た時、その美しさに目を奪われた。容姿だけではない。純粋な“心”と強大な“力”にもだ。それから私は彼女に仇なすあらゆる脅威を斬り捨て、彼女のために尽くした」


 なんて奴だと、僕は心の中で感嘆した。愛故に闘い、愛故に身を滅ぼす。まるで映画の主人公だ。と、言えば聞こえは良い。しかし、彼は僕を否定し、アシュレイ隊長は彼を否定した。一体そこにどんな事情があったのか。やはりクラウザーは割り込む様に……先を読んだように答えた。


「私は彼女の隣において、自らの存在意義を彼女からの愛情の次に求めていた。私がそこにいる意味。私だけの特別性だ。しかし、それを打ち砕いたのは、より強い力の出現……ミラ、お前だった」

「より強い力……僕が?」

「君は怒ったり、危ない目にあったとき、目の前の光景と違うものが視えたことがあるだろう」


 ――――その感覚に覚えがあった。確かに、僕はその場と無関係なヴィジョンを幻視することがあった。だが、意識したことはなかった……だが僕は今朝、この力を使った。狙撃手の目が見たスコープ越しの景色をリアルタイムで盗み、爆弾を無力化する方法を予見した!


予知者チカ・シンドローム。連合において発症者は普通、生まれた途端に処分される。魔核能力発見の以後、世の調和を乱す三種の能力は間引かれるというがある。私も君も、同じ色の眼を持っている」


 僕は壁に掛けられた割れたガラスを覗き見た。僕の目が黄金色だということは知っていた。物心付いた時、初めて鏡を覗いたそのとき、僕は視界が真っ黒に染まり、頭の中が凍り付くような感覚に襲われたことがあった。それ以来この目を、僕は意識しないように隠してきた。またその感覚に見舞われると思うと気味が悪かったからだ。そしてこの瞬間も、あのときと同じ感覚が牙を剥いた。


「闇……!!」

「君の心の中だ。私にも視えている。この眼は真実を見通す呪詛。人の心、未来、嘘、真実、あらゆるものを白日の下に晒し出す力『光の魔法』だ」

「光の……魔法……!?」


 ――――僕の魔核の属性は光。そして……


「なっ……何だ!?」


 ――――真実だ。そう、これは僕が視ている真実。僕の前であらゆる闇は無力。


「君の力は私のソレを遥かに凌駕する。私と言う存在の否定だ。だから私は恐れた」


 ――――この男はアシュレイという人間を愛した訳ではない。もっと闇の深い欲求……欲望だ。闇を取り払い、この男の真実を視ろ。


「止めろ、視たくない!!」


 千年前、この男は孤星天の騎士でありながら、齢十にも満たない少女に手をかけ処刑された。こいつの汚れた魂は封じられた。だが、彼女が現れ、その封印を解いた。こいつは彼女の肉体が目当てに過ぎない。だが彼女を手に入れるため、独占するため、彼女を守護する騎士を演じた。彼女の秘めた力と数奇な運命を利用し、彼女を傷つけるための“役者”を集めた。彼女を殺そうとする者を次々と葬り、彼女の気を惹こうとしたのだ。この男は闇しか抱えていない。


「私の心を視たか。ならば……ギルテロはどうだ?」


「止めろ!! 考えるな!!」


 実の妹を愛していた。彼は仙星天人でありながら魔法を使えないコンプレックスに触れられ、怒りにまかせて彼女の首に手をかけた。我に返って、彼は失ったものの大きさを受け入れられず、妹は生きていると嘘を突き続けることで記憶を改竄したのだ。この男は闇しか抱えていない。


「違う……デタラメだ!! 彼を侮辱するな!!」

「スティルも隠し事をしているぞ。どうだ、視てみろ」


 自分より優秀な奴を許せない男。自分は何の努力もしたことが無いくせに。周りが自分を置いていくことは許されない。俺が正しい。俺こそが世界の中心であり、俺と違う意見を持つやつは皆等しく屑だと、ずっと考えていた。そして彼は実行した。自分以外の愚民を滅ぼす計画を。魔天の民を焼き殺す計画だ。だが人には愛してほしい。俺を認めてほしい。認めない奴は憎む。認めてくれた人は、正しい。この男は闇しか抱えていない。


「やめろおおおおおおおお!!!!」


「人は人を知ることを求めながら、知るほどに人から離れていく。反動は、信じていた者ほど大きい。最後に……自分を、もう一度視るんだ。自分が何者なのか、自分の心に聞いてみるのだ」


「嘘だ……そんな筈無い……!! デタラメを言うんじゃない!!」


 僕は知っている。僕は人間じゃない。しかし世界がそのことを知るのはもっと先。未来の僕はこう呼ばれている――――


「嘘だあああああああああ!!!!」


 レジストコード――――超獣人間オーロラミュート


 鏡を見ろ。この眼は闇しか映していない。


 鏡を見た。この眼は闇しか宿していなかった。


「それが君の……ミレニアンの血を引く君の姿だ。君も薄々感づいていた筈だ。自らの本性に」


 鏡は、初めて本物の僕の姿を映していた。左目に青い炎を思わせる刺青のようなものが出現し、虹彩は真っ赤に変色していた。


「うわああああ!!」


 僕は全身を叩かれたような衝撃を受け、廃墟から飛び出した。雪を掴み、左目に必死に擦り付けた。


「……だから、言ったのだ。殺すべきだと」


 この男は自分の嘘を見破られることを恐れていた。僕の眼の闇がそう告げた。彼の手に光が集い、身の丈ほどもある槍に変化したことも、察知した。闇が、また闇を呼んだ。これは――――怒り。心の底でくすぶっていた怒りに、闇が油を注いだのだ。僕は無意識の内、激しい情動の波に身を任せ拳を握っていた。


「超獣、もう苦しむな。介錯してやろう」


 殺意が視える。この男が僕を永遠に闇の底に突き落とそうと企んでいる。それだけではない、この男の攻撃も見える。この男がとる手段の、あらゆる可能性が――――


「……ッ!!」


 僕はクラウザーと対峙した僅か数秒で、この闘いの結末を予知し、戦慄した。僕は未来を視ることができる。しかし、それは奴にとっても同じ。未来を視て干渉する力を持った僕が相対するということは、あらゆる可能性を同時に視てしまうということだ。その中のどれを信じていいのか、僕には分からなかった。僕自身も、他人も信じることができなくなった僕には、与えられた選択肢に正解が用意されているかどうかさえ信じられなくなっていた。選ぶということは、その選択を貫く覚悟を問われる。それができない僕が、どんなに強い剣を持ったところで勝てるはずがない。僕は既に負けている。奴は僕の防御など容易く粉砕し、二撃目には宣言通り僕を葬っているだろう。そう確信した途端に、雪の白さが鮮やかな赤に染まっていく未来が、脳に流れ込んできた――――


 ――――その未来は確かに現実になった。僕の目の前で、僕とクラウザーを結ぶ直線上にある雪に赤い滴が滴り、着々と広がっていった。クラウザーの槍は僕に届かなかった。僕は顔全体が強ばり、逆に剣を握っていた手は脱力しきっている。


「なに……」

「アリス……!!」


 名前を呼んだつもりだったが、自分でも声が聞こえないほどに喉が嗄れていた。アリスが右腕で槍の切っ先を受け止めていたのだ。しかし彼女の細い腕だけで、あの巨大な槍を受け止められる筈がない。どうやらクラウザーも、先端が触れた瞬間に攻撃を止めたようだ。それでも彼女の皮膚を裂いていることが視えた。


「あなたと闘いにきた訳じゃありません……!!」

「その超獣を庇う理由がお前にあるのか? ……お前も、相当な闇を抱えているようだな」


「だったら何ですか? 超獣だろうとなんだろうと、ミラくんはミラくんです!」


 クラウザーは槍を消滅させた。ベーシック・バトルスーツのリキッドスキンが傷口に流れ込み、大量出血は防がれた。声を殺して激痛を堪えるアリスの姿に、僕もつられて表情を歪めた。


「……君の光の魔法は発展途上にある。まだ君自身に深くえにしのある事柄しか視通せまい。だが、いずれ私の様にこの世界に絶望する時がくる。その時まで、君がのたうち回る姿を見物させてもらおう」


 彼が嘘偽りのない本音で嫌味を言っていることはイヤでも分かる。ただ、もっと深い言葉の意味が隠されていることもまた察知できる。肝心な部分が見通せないことが、この眼の不完全さを物語っている。強い怒りや生存本能によって、衝動的に力を発揮することはあったが、僕の意志だけで使うことはまだできない。


 ――――いや、そもそもこんな力を誰が望んで使うというのだ。もしこのまま、人が視界に入ったり思い描いたただけで心を読んでしまったら、僕の精神と脳が耐えられない。少なくとも視界を遮らなければならない――――


 僕は悪足掻きと分かりつつも、ギルテロさんのナイフを包んでいた赤い布を帯状にして目隠し代わりに顔に巻き付けた。予想通り、直接目にしなければ心を読むことはできなかった。クラウザーの言うとおり、縁のある人でなければ思い描いても余計な情報が流れ込まないようだ。アザトスやロキシーは勿論、つい最近知り合ったばかりのアリスについても何も分からない。……あとは余計なことに好奇心が向かなければ、この目隠しを外さなくて済むだろう。この力を使うのは本当に必要な時。特別なタイミングだけだと、僕は堅く誓った。


「ふっ……次はどうする? 口も耳も塞ぐか? そうやって真実から目を背ければ楽だろうな。私もそうだった。だが、一度知ってしまったらもう逃げられないぞ」


 驚いた、目を隠していても周りの状況は分かるのか。たった今クラウザーがさっきまでの覇気が嘘のように顔をしかめたのが分かった。直接見るのと変わらないほどにハッキリと。これなら暫くは持ちこたえられそうだと、僕は悲観的な感情を打ち捨てた。廃墟の中に戻っていくクラウザーを追い、打って変わって強気な態度で踏み込んだ。


「待て、まだ話は終わってないです!」

「目隠しを取ればヒントくらいは手に入るだろうに」


 その指摘に僕は言葉を詰まらせる。


「っ……これは使いたくない」

「……とりあえず、手当をしてやれ。ギルテロの持ち物に包帯があるだろう」


 遅れてアリスが屋内に戻り、傷を庇うその姿を見たクラウザーが言った。リキッドスキンの薬効で傷口だけはすぐ塞がるが、それでも重傷だ。そもそも誰が傷を負わせたんだと文句を言ってやりたかったが、これも読まれていることに気が付き、止めた。言われるまでもなく手当をするさ。


「折れてない……よね?」


 包帯を腕に巻き付け、最低限の応急処置を終えた。それから僕は再び強気な態度でクラウザーと向き合った。彼は待ちかまえているかのように椅子に腰掛けていた。


「ほんとに何も知らないんですか?」

「アシュレイのことか? それとも……」

「全部」

「欲張りめ。私が知っている限りを話そうか」


 ――――そもそも事の発端は君が生まれるよりも昔……君の父と母の物語まで遡る。評議会の公式の記録では人類と超獣が初めて接触したのは十六年前、キングスポートに出現した深海超獣バルギルとなっているが、それは幾重にもあるカバーストーリーのひとつに過ぎない。実際は九十二年に魔天に出現した雷光超獣エクレーラが最初の邂逅だ。その時同時に現れたミレニアンは三人。ジャック・モリス、ユウリ・マサキ、そしてスティルが接触したノーマン・ルナールという男もこの一人だ。多くの犠牲を払い、最初の侵略は騎士たちが勝利を収めた。その中にはアリス、お前の育ての親であるアザトスもいた。だが、その日から奴は知らず知らずにロキシーの“計画”に荷担していたのだ。


 『楽園ロスト・パラダイス計画』。奴が生まれ持った魔核能力『オール・ザット・ジャズ』は、人の心身を縛る呪詛。古くから人の肉体を縛る呪詛として用いられた契約魔法と違い、精神さえも制御することが可能だ。この力で全人類を秘密裏に制御し、奴の語る『楽園』を創造する。目的の統一、心の統一、意志の統一……その第一段階として、ミレニアンという共通の敵を、連合に住まう民衆の総力を以て打倒するのが、現状の奴の目標だ。


 奴にとって予想外だったのは、ミレニアンの持つ力が遙かに強大だったことだ。何せ、超獣一匹と闘うだけでも多くの兵が死ぬ。奴は人の死を極端に嫌った。どんな作戦でも人が死なないように、それこそ作戦自体に支障が出かねないギリギリのラインまで配慮していた。アシュレイ、アザトス、そしてミレニアン・シャドースパークはその劣勢の中で手にした勝利の鍵だった。二人は単純な戦闘力でミレニアンと互角以上の力を持ち、シャドースパークはミレニアンから勝ち取った唯一の戦利品。人の死に過敏だったロキシーが犠牲を厭わない程この三つの要素を求めた。


 問題はシャドースパークの真の力がミレニアンにしか使えないということだ。これは君達で言うところの覚醒機だ。奪っただけでも十分に戦力を削れたが、使いこなせれば……それこそ量産するシステムを完成させれば、逆転の一手になる。そこで目をつけたのがミラ、君の存在だ。正確には君が生まれる可能性というべきか……。


 君の母、超獣人間プラズマミュートはミレニアン・ルナールが連れてきた超獣だ。ある意味、エクレーラと同じ最初の超獣と言えるな。だが、所謂一般的な超獣と違い、『超獣人間』というカテゴリはその名の通り『人間』としての機能を併せ持った種だ。そもそも超獣はこの超獣人間の繭であり、お前の母も超獣からしたらしい。ただ擬態するだけなら知性の希薄な獣でもできる。獣から進化したわけではなく、獣と人を併せ持った存在。生存本能だけでなく、感情でも行動する高次元の存在。ミレニアンにとっては強力な生物兵器かもしれないが、ロキシーにとってはむしろ籠絡する糸口。どんな手を使ったか知らないが、プラズマミュートと人間の交配にまで持ち込んだのだ」

「その結果、僕が生まれた……」

「あとは君が成長するのを待ち契約まで持ち込むつもりだったが……ここでまた予想外の出来事だ。アシュレイがシャドースパークを持って雲隠れしてしまった挙げ句、君と契約することもできなかった」

「待って。シャドースパークを使うのはミラくんでしょう? これまでミラくんは何度も殺されかけたわ」


 アリスの言葉を聞き、クラウザーが眉を顰めた。僕もこれまでのことを思い返し、同じ疑問に首を傾げた。


「ギルテロを殺した狙撃手を君たちは見ていないようだな」


「ん? ええ……そういえば……」


「ホテルで君を襲った狙撃手は?」


「直接見たわけじゃないけど……その……光の魔法で……」


 それだけ聞くとクラウザーは勢いよく立ち上がり、僕の頭に両手を置いた。警戒する余裕さえなく、しかし攻撃の意志は視えなかったから、僕はされるがまま、ただ立ち尽くしていた。


「これにどんな意味が?」

「私の魔法は弱い。触れた方が視やすい。……狙撃手は騎士ではない。ミレニアンだ」

「そうか……僕がいなくなれば、こっち側にシャドースパークを使える人はいなくなるから……って、あんた結局は僕に味方してくれるのか?」


 僕はクラウザーと顔を見合わせた。彼は僕を見下ろし、両手に力を込めて僕を突き放した。


「だから、言っただろう。君がのたうち回る姿を見てやると。……いや、そんなことを望んだ訳ではない。私は……君が憎い。君さえ生まれなければ、私は彼女と……最後の時を共有できた」


 不自然なほど低いトーンで、あからさまに平静を装った顔で、クラウザーは言った。怒りではない。どちらかというと、悲しみと、自虐するような哀れみ。僕はこの男の本心をもう一度確かめたくなったが、彼は静かに首を横に振った。


「私の口で言わせてくれ。私は……本当に彼女を愛していた。三百年前とは違う。間違いなく彼女を愛していたのだ。だが、私は余りに無力で、彼女が本当に求めていた救いの道を見出せなかった。だからこそ、私は彼女と共に滅びの抱擁を受け入れるつもりだった。君が現れ、彼女自身が生きる道を見出したとき、私の役目も、私の願いも潰えた。私はもうじき消滅する。友も、愛する人も、存在意義も失った今、この言葉も……無益だ」


 まるで懺悔するように、クラウザーは消えてしまいそうな小さな声で打ち明けた。僕もアリスも、かけるべき言葉が見つからず、ただ懺悔を受け入れるしかなかった。クラウザーは目を閉じ、絞り出すように言葉を続けた。


「二階へ行きなさい。ギルテロが誕生日祝いを用意していた」

「ギルテロさんが?」

「アシュレイも一度ここに来た」

「何ですって!?」


 何故黙っていたと怒鳴りそうになったが、再び椅子に腰掛け弱々しく俯いてしまった彼の姿を見て、そんなことはできなくなった。


「ミラ、お前の力は真実を視る力ではない。闇を照らし、希望を見つける力だ。お前はまだ闇しか見えていない。あのときの私と同じだ。私はどこまで行っても闇を照らすことさえできない。絶望しか残せない。……アシュレイ様……あのとき出会ったのがミラだったならきっと……こんな過ちは犯さなかった……」


 今度こそ、クラウザーの声は“消えた”。音のない空間に外の世界から静かな風の音が流れ込んだ。


 僕はアリスの手を引き、部屋の奥にある階段を登った。二階は妙に殺風景で、埃っぽくても一抹の生活感を覚えた一階以上に、人が暮らした痕跡が無かった。ただ、狭い部屋のちょうど真ん中に、白い箱が置かれていた。埃を被っていないことから、それがつい最近用意されたものだとすぐに分かった。しかし、リボンの結び方が雑で、一度解いた跡があった。紙製の箱の蓋を取り除くと、そこにはメッセージカードと赤い布で包まれた何かが入っていた。中身の割に箱が大きすぎることを不思議に思いながら、僕はメッセージに目を向けた。ギルテロさんから僕に宛てたものだ。


『ミラ、十八歳の誕生日おめでとう。ちょっと気が早いかも知れないが、騎士になったときこのバトルスーツを役に立ててくれ。お前はズボラだから、覚醒機を手に入れるまで虫に食われないように大切にするんだぞ! ギルテロ・ランバーシュ』


 バトルスーツなど、箱の中には見あたらない。僕はメッセージカードをひっくり返し、偶然にも文章が続いていることに気づいた。ギルテロさんの力強い字とは違う、女性が書いたような丸文字だ。


『大切な人を見つけた、私の大切な人へ。』


 アシュレイ隊長が後から書き加えたものだと僕は察し、布の中身に手をかけた。


「ミラくん、これって……!」


 それの見た目は装飾過多な黒い短剣のようだった。手が自然と柄と思わしき部分に延び、握りしめたとき、まるで体の一部のような一体感と、電流が走るような錯覚を覚えた。間違いない、これが――――


「ミレニアン・シャドースパーク……!!」


 左目が熱くなった。僕の中の超獣……ミレニアンとしての力が疼いている。僕に闘えと言うのか。それとも今にも世界を滅ぼそうとしているのか――――


 ――――そんなこと、あってたまるか。僕は、人間だ。人間の心を持っているんだ。僕はアシュレイ隊長を助けなければならないんだ。


 もう一つ、赤い布に包まれていた小さな物の存在に僕は気づいた。赤い宝石の指輪だ。それを迷うことなくアリスの左手の薬指にはめた。


「ええええ!?」

「……僕の大切な人に」

「て……テレるぜ……」


 アリスは面白いほど顔を真っ赤にした。態とらしく下品に笑っているが、彼女も僕と運命共同体だと自覚している。初めて逢ったときから、僕たちは間違いなく不思議な引力に導かれていた。僕の心も、肉体も、彼女の全てを求めている。彼女も全く同じように、僕の全てを求めている。体を重ねた昨晩、結局何か物足りないまま終わってしまったあの夜。その埋め合わせをするように、僕は僕の心の証として、この手で指輪にアリスの指を通した。そして僕は彼女を抱き上げ、互いに見合わせた顔を寄せ合い、唇を重ね合った。彼女の甘い匂いに包まれ、僕は自然と彼女の暖かく、柔らかい体を強く抱きしめた。汗の染みたベーシック・バトルスーツがしっとりとしていて、熱を帯びた舌と舌が絡みつく度、アリスの鼓動が強くなるのを肌で感じた。


「こ、こういうのって、男の人がちょっと屈むか、あたしが背伸びするものじゃないかなぁ?」

「んー……わかんないや。けどなんだか、アリスの体に触れていたかったからつい……」

「もう……そろそろ行かなきゃ」

「……うん」


 明確な手がかりは無かったが、アシュレイ隊長を探すのを止めるわけにはいかない。虱潰しに、あらゆる場所を探さなければならない。あるいはこの眼を頼りにしてでも。僕たちは部屋をあとにし、クラウザーに一言礼を言うつもりで階段を下りた。


 ――――クラウザーは消えていた。埃の積もった床に一点だけ残った涙の跡は、主を追うように消滅した。部屋は肌寒く、空っぽになった。僕はアリスの手を強く握りしめ、アリスもそれに答えるように握り返した。


 これからどうすればいいのか。とりあえずアザトスから距離をとることが先決だが、追いつかれるのは時間の問題だ。


 僕は心の片隅で、アザトスと決着をつける時が遅かれ早かれ来ると確信した。ただ、彼だって本心で行動していないとは言え、僕は大切な仲間を二人も殺されている。その怒りをどうしても、誤魔化せない。もし僕がこの“本心”に従順になって、文字通り思いのままに彼を殺したなら――――いや、こんな事を考えるのは止めだ。


「急ぎましょう」


 今にも壊れそうなドアノブに手をかけたその時、左目の奥に鋭い痛みを覚えた。その瞬間にまた、僕の目は僕の体を離れ、見えるはずのないヴィジョンを映しはじめた。しかも今度は以前よりハッキリしている。騎士……それも大人数の騎士が戦闘ヘリに乗っている。ブラスターライフルを両手で持ち、外の様子を確かめているようだ。そのすぐ隣に、バトルスーツを着たままのアザトスが見えた。


「ミラくん!?」

「リアルタイムな映像です……すぐ近くにアザトス大佐たちが来ています!!」


 僕とアリスは慌てて廃屋から飛び出した。が、僕はこの時点で抵抗が無駄だという悟ってしまった。


 ――――事実、騎士たちのヘリは頭上に迫っていた。


「ど、どうしよう……!」

「……終わりです」


 ヘリから次々と、バトルスーツを纏った騎士たちが飛び降り、素早く僕たちを囲った。背後からの気配に気づいた時には、僕もアリスも両腕をつかまれ、雪の絨毯に体を押しつけられていた。態とらしく、アザトスは最後に着地した。それも僕たちの目の前に。相変わらず表情は全く見えないが、さぞいい笑顔でこちらを見下しているに違いない。


「“そっち”は対人拘束具でいい。コイツは超獣だ。檻に入れても警戒を怠るな」


 アザトスが指示を終えると同時に、首に突き刺すような痛みが走った。麻酔注射だ。それもかなり強力なものに違いない。抵抗することは許されなかった。


「隊長やめて! 全部ロキシーに仕組まれてるのよ!」

「黙らせろ!」


 騎士たちが次々とアリスの拘束にかかり、姿どころか声さえ聞こえなくなってしまう。僕自身も抵抗する余裕を与えられず、たちまち意識がブラックアウトしてしまった。

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