第52話 希望のみちしるべ(22)

 Mira 2010年?月?日 ?時?分?秒



 瞼は開いている。だが、見えない。なにも映らないとかじゃなくて、まさに目の機能か眼球自体が奪われたかのように、世界の悉くが真っ黒だった。


 ここがどこなのか、時間がどれほどたったか、検討もつかない。


 体はまるで、磔にされたかのような姿勢でがっちりと固められている。重力は足元の方に感じるから、見世物みたいにされているのだろうと察しながら、羞恥心は毛ほども感じなかった。まあ、予想通りというか、それくらいされるのは覚悟できていたのだ。肌の感覚はハッキリしている。たぶん病衣みたいな薄い服を着せられているのだろう。僕はてっきり、体をバラバラにされ、むき出しの脳に電極が刺さった状態で培養液の中で目が覚めると思っていたから、五体満足のまま生かされているのは幸か不幸か。いや、気づいていないだけで臓器の一つか二つほど摘出されているかもしれない。


 ……アリスはどうなっただろうか。彼女は僕に味方した犯罪者であっても、僕と違って人間だ。もう少しまともな“部屋”を用意されているだろう。……思いの外、僕は自分が超獣だという事実をそれなりに受け入れることができたようだ。


 しばらくして、遠くから足音が聞こえた。三人以上いて、落ち着いていてしかも行進のように揃った歩調でこちらに近づいている。音の反響から察するに、ここはそれなりに広い、しかし閉鎖された空間のようだ。足音は一斉に僕の前で止まった。のどが渇いていたし、何か飲み物でも注文しようとしたが、声が全く出なかった。


「たった今、覚醒したばかりです。バイタルは正常、魔法や能力を発揮する兆候はありません」

「血液のデータを見せてちょうだいな」

「はっ」


 このねっとりした喋りはロキシーだ。血液だけは持っていかれたようだ。


「……曝露者は?」

「いません。念のため全員放射線殺菌をしました。しかし……彼の血中のサンプルは……」

「不活性……ね」

「はい。しかし理論上、シャドースパークの使用には問題が無いでしょう」

「そう……まあ、不用意に人が死ぬよりマシだわ。みんなご苦労様。しっかり休みなさい」

「失礼します」


 足音が遠ざかっていく。まさかこのまま放置されないだろうなと、妙な不安が募った。


「……さて、ミラく~ん? 聞こえてる……のよね? まだ声は出せないかしら? ……そりゃそうよね。小型超獣を捕獲するために作った麻酔を使ったから、暫くは体の感覚がおかしいはずよ。でも、正直死なないか心配だったわ。ああ、アザトス丁度良いタイミングよ。こっちに来て」


 今度は一人分の足音が近づいてくる。たった二人でも見物客は実に豪華なメンツだ。視覚が回復すれば美術館の絵画の気分を味わえるだろう。


「閣下、ジュランが……」

「知ってるわ。全くあのはとことん邪魔ばかりしてくれるわね」

「追うべきでは?」

「必要ないわ。私が今、興味あるのはこのミラ……いいえ、超獣人間だけよ。世界で二番目の超獣人間……そうね、レジストコードを決めなきゃ。ねえ、何かアイデアは無くって? ……ふん……まあ、これからの実験で決めればいいわ。さあ、ミラくん。遊びの時間よ」


 急に耳元にまでロキシーの声が近づいたかと思えば、僕の四肢を拘束していた器具が外され体が重力に晒された。糸を失った操り人形のように床に落とされたが、痛みというか痒みのような鈍い感覚だけが肌を伝わる。しかし意外にも両手両足共に聞き分けがよく、立ち上がろうともがくことはできた。


「すごいわミラくん! こんなにも早く動けるだなんて。ほら、して! たっち! たっち! がんばれ! がんばれ!」


 ロキシーはまるで初めて立ち上がろうとする赤子を応援するようにリズミカルに手を叩いた。ここまでされると屈辱とか通り越して単にバカらしくなってきた。もう暫くは視力が回復しないで良い。連中の嘗めきった表情を見たくない。


 ……そう願った途端に、思い出したかのように光の魔法が力を発揮した。視力自体が麻痺しているから、目隠しをしているときと同じような視え方だ。真っ先に床の色……光沢のある緑色の、いかにも実験室という雰囲気のつるつるした床だ。僕の背後に僕を捕らえていた拘束具がある。意外と質素で、十字架に四肢と首、胴体を拘束するベルトが備え付けられているだけだ。形は相当に悪趣味だが。ロキシーは僕の前で屈み、こちらの表情を覗き込んでいる。アザトスはその後ろでこちらを眺めているようだ。ギルテロさんのポーチは拘束具のすぐ足下に置かれている。中身はそのままだ。この部屋はかなり広い。天井までは背伸びどころかクレーンでもなければ届かないだろうし、床面積にしたって公文書館の資料で見た超獣バルギルを飼えそうだ。拘束具意外には家具のひとつも置かれていない殺風景な場所だ。たぶんコイツらは僕があのサイズの超獣に変身するかもしれないと予測したのだろう。……それは、僕としても勘弁願いたい。


「さあミラくん、これでやっとフィナーレだわ」

「っ……は……!!」


 声が戻ってきた。聞き取りにくいだろうが、盛大にクレームをつけてやろう。


「テレビくらい……用意してくださいよ……ベッドの寝心地も……最悪だ……」

「あら、喋れるようになったじゃない」

「……僕はお前と契約なんて……意地でもしないです……!!」

「うふふ、察しが良い子は好きよ。そう、私はあなたと角が立たないように契約したいわ。あなたの超獣としての……ミレニアンとしての力を使ってほしい。戦争に勝つためじゃないわ。国の平和のためによ。悪い話じゃないでしょう?」


 僕は咽そうなのを必死にこらえ、憎悪に任せて声を荒げた。


「ふざけるなっ……!! お前は自分のため……自分の王国の為に手段を選ばなかった……!! 助けられる命を切り捨てたじゃないか!! 超獣の存在を知っておきながら、それを自分の地位のために利用し、結果多くの人を……!!」

「違う!!」


 遮るようにロキシーがヒステリックな叫び声をあげた。驚いたことに、ロキシーは大粒の涙を流し、鼻をすすりはじめたではないか。流石の僕も面くらって、完全に言葉を失った。


「私だって……人を死なせたくなんてないのよッ!! 思想にしたって意見にしたって真っ向から反対だった人、そもそも無関係な兵士……いろんな人を犠牲にしたけど!! できることなら味方についてほしかったのッ!! それでも私はッ!! 私の能力が世界を一つにできると確信していたからこそッ!! 咄嗟に非情な決断をしなきゃならなかったのよッ!!!!」


「なっ……」


「私の能力『アンド・オール・ザット・ジャズ』は互いの同意でのみ発動する、契約魔法と原理は同じ“呪い”かもしれない。本当の契約魔法との違いは心を操れることだけ。そう!人が『イヤだ』と思うことをやらせる呪いじゃない。全ての人が『やりたい』と思って行動する、心と行動の矛盾、本能と本心の矛盾を一切合切取り払うおまじないなの!!平和は誰だって望んでいることでしょう?私と全人類が契約すれば、“この世界で”実現できるのよ!! 千年どころの騒ぎじゃない……永遠の王国がッ!!!! そのためにッ!!!! シナリオを盛り上げる犠牲がッ!!!! 生け贄がッ!!!! 代償がッ!!!! 必要だったッ!!!!」


「シナリオですって……ははっ、それで心を掴まれた観客はお前を盲目的に支持するってわけです? 侵略者から世界の危機を救った英雄になって……そんなことをしてでも、支持がほしいですか……」


「ふん……欲しいッ!!!! 支持率ッッ!!!! 名声ッッッ!!!! 子どもたちの憧れの眼差しッッッッ!!!! 注目されたい愛されたい憧れられたい期待されたい理想でありたい星でありたい夢でありたい花形でありたい中心でありたい天辺でありたい到達点でありたい頂点でありたいトップでありたいスターダムでありたいナンバーワンでありたいオンリーワンでありたいキーパーソンでありたい目標でありたい目当てでありたい標的でありたい標準でありたい基準でありたい水準でありたい目印でありたいゴールでありたい冀われたい応援されたい激励されたい切望されたい熱望されたい羨望されたい所望されたい希望でありたいッッッッ!!!!

 全ては……私と人類が互いに愛し愛される世界のためよぉ。で、あなたも私と契約してちょうだいな。さあ、ミレニアン・シャドースパークを使っておくれ? 契約してくれたら、あなたの大事なアリスちゃんは生かしておいてあげるわ」


 そうか……コイツはこうして、相手の弱みにつけ込んで無理矢理に契約してきたんだ。どうして気づかなかった。こんなド悪党の企みに、アシュレイ隊長やアザトス大佐もこれにやられたんだ。単純な方法で良い。命より重い大切な人や物に手をかけられてしまえば、人は従わざるを得ないのだ。


「……焦っているんですね、あんた」


「そうね、ミレニアンの侵略は時間の問題だわ。指名手配にしたって元老院の解体にしたって、私としたことが事を急ぎすぎたと思っているわ。けれど、あなたがこの手を握ってくれたなら……」


 ロキシーは右手を僕の前に差し出した。“僕自身の目”で、ハッキリとその様子を見た。僕の意志でこの手を握れば契約成立、この手に証が現れる。


「契約成立すれば……全て取り返せる。全人類の団結が実現されるのよ」


 ロキシーは興奮しきっていた。心臓は空気を入れすぎた風船のようで、激しい脈に追いつかんと必死に肩で呼吸をしている。長い長い闘いに王手をかけたのだから、その反応は正解だ。ついに奴は遠かった勝利に手をかけるところまで詰め寄ったのだから。もうあとは、手を伸ばすだけなのだ。


 僕は自分の手がとても重いことに気づき、それをそっと顔の前まで持ち上げた。――――ミレニアン・シャドースパーク。いつの間に僕はコレを握っていたのだ?こんな手品もミレニアンにはできるのか? それとも光の魔法のなせる技だろうか?


「シャドースパーク! さあ! 私のためにそれを使ってちょうだい!!」

「……だから焦らないでくださいよ」

「焦るわよッ!! あなたこそが勝利の鍵!! こんなチャンスもう二度と来ない!!」

「……僕が断れば、アリスはどうなる?」


 問われた途端、ロキシーは更に息を荒げて、乱暴に地団駄を踏んだ。


「殺す!! 殺す!! 殺す!! 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すッ!! お前が断れば!! 殺してやるッ!!!! 殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるッ!!!! ぶっ殺してやるッ!!!! お前は失いたいのかッ!!!! 大切な人をッ!!!! 生きたくないのかッ!!!! 愛するものと永遠をッ!!!!」


 ――――やっと、体に力が戻った。今度こそ僕は自分の足で立ち上がった。声だってちゃんと出せる。拳に力が籠もる。目もばっちり視えている。ああ、見えるとも、クラウザー! あんたの言った通り、僕の力は強かった!! 目の前のたった一人の敵と、勝利の道筋さえも――――!!!!


「悪いですね」

「……はい?」

「あんたには決定的に……欠けているものがある。あんたは愛されることを願っているが……愛することを……慈しむことを知らない。独りよがりで、一方通行で、本当の意味での心と心の繋がりがそこにはないんだ。あんたは慈しむどころか……心を縛って、踏みにじった!! アシュレイ隊長、アザトス大佐……死んでいった人たち、世界中の多くの人々、僕の大切な人たちみんな……あんたの犠牲者だ!!」


 左目が熱い。この力を使うのは正直、気が向かない。けれど、今僕がすべきはこれだ。闘え! 立ち向かえ! 倒すべき巨悪がそこにいる!


 天高く掲げたシャドースパークからあふれ出した闇が全身を覆った。僕の中の超獣の血が全身を駆けめぐる。闇が収束し、ギルテロさんの残したバトルスーツが装着された。これが僕の変身――――!!!!


「僕は、騎士です。ロキシー・ローウェン、あんたみたいな卑怯者はこの僕の手でブチのめす!!」


 ロキシーはポカンとした間の抜けた表情をして


「……よかろう、騎士様」


 次の瞬間、端末を取り出したロキシーは大きく息を吸い、叫んだ――――


「女を殺せェェェェェェェ!!!!」


 耳をつんざいたのはロキシーの叫びではなく、爆発音だった。まるで自分がその場に立ち会ったような――――いや、僕はまた光の魔法で、その瞬間を視ている! アリスの目を盗んで、炎に包まれる世界を僕は直接視ているのだ!独房の鉄格子が滅茶苦茶な方向に曲がり、真っ白な壁が粉々に砕け散る。スローモーションの世界で、アリスは左手を強く握りしめ、正拳突きのように胸の前から真っ直ぐにのばした。薬指の指輪が輝き、炎よりも眩い光が彼女を包む、その瞬間に僕の目は僕の元に戻ってきた。


「お前が……お前が選んだ!! 彼女の死を!! 助けられたのに!! お前は愛情を捨てたんだ!! 慈しみを語るお前が!! 許さん!! 貴様は大事な支持者を!! いつか私を支持する者を殺した!!」

「……お前は決定的なミスを犯した。僕には見えたぞ。お前がどうやってアザトス大佐と契約したか」


 僕の言葉の意味を理解し、ロキシーの顔から血の気が失せるよりも早く、その白い喉頸には鋭い刃が突きつけられていた。


「あんたはアリスに手をかけた。契約はたった今、あんたの手によって“無効”となった!! アザトス大佐の心を縛るものは……もう無い!!」

「アザトス……!!」


 大佐は瞬時に変身し、二振りの剣を操ってロキシーの身動きを奪った。正に雷光のごとき早業。バチバチと音を立てて迸るCs'Wの電流は、溢れ出した彼の怒りそのものだ。


「アザトス!! ロキシーママに手を出すの!? 他でもないあなたが!! お前を強くしたこの私にッ!!」

「俺はお前と違う!! ミラ、今のうちにアリスのところへ!! 頼む……俺の娘を助けてくれ……!!」

「……はい!!」


 僕らは顔を見合わせた。大佐の顔はやはりヘルメットで覆われていたが、今の僕には彼の表情を伺い知ることができた。泣いていたのだ。歯を食いしばり、怒りと後悔に震えながら、彼は静かに泣いていた。それを視た僕は、尻を叩かれたように、衝動的に走り出した。アリスに逢いたい。彼女をもう一度、いや何度でも抱きしめたい――――


 ――――だが、僕は止まった。僕は、ロキシーと違う。僕は真の愛と、慈しみで、応えなければならないのだ。僕は、ただアリスに逢いたいんじゃない。


「大佐……あなたにも一緒に来てもらいます! あんたがここで死んだら……アリスにどんな顔をすればいい!? 彼女の悲しい顔は、見たくないッ!!!!」


 握りしめたシャドースパークから血と見紛う赤黒い光が溢れ出した。心臓に風穴を開けられたかのようにドクドクと止めどなく、しかし明らかに制御された動きで、光はある形を作りだそうとしていた。僕はその“結果”を予見し、シャドースパーク本体を逆手で持った。かつてギルテロさんが教えてくれた近接戦闘の模倣だ。光は本体に結合し刃になり、予想通りナイフに近い形状を完成させたのだ。


「それは……!?」

「んんんんんんんんんんああああああッ!!!!」


 ロキシーから強大なCs'Wが突風のように放出され、喉に突きつけられていた剣も、距離を置いていた大佐の体さえも吹き飛ばしてしまった。咄嗟に体勢を立て直すが、あまりの速さと衝撃に行動が間に合わず、背中から床に倒れ込んでしまう。僕も腰を据えて衝撃に備えたが、次の瞬間にはロキシーの凶悪な笑顔が僕の眼前に迫っていたのだ。


「うああっ!!?」


 滅茶苦茶に振りかざした刃はロキシーに届かなかった。曲芸のような動きで体を翻し、かわされたのだ。ロキシーは笑うのを止めなかった。肩を震わせて、腹を捩らせ、歯を剥き出して、しかし静かに笑っていた。僕はこのとき初めて奴の思考とか、さっきまで視えていた近い未来のヴィジョンが視えなくなっていることに気づき、思わず目を擦った。そしてクラウザーと出会ったとき、鏡に自らの姿を映したときの事を思い出した。あのとき僕は左目に大きな変化を起こしていた。即ち、瞳の色が金色ではなく、赤く変色していたのだ。これはたぶん、ミレニアンとしての力の発現のために一時的に光の魔法が弱まっているということだ。光の魔法が使えないとは即ち、訓練を終えていない僕でも奴の攻撃を見切れるという圧倒的なアドバンテージを失ったということだ。


「んふふふふ……あんたたち……私に刃向かおうっていうのね……そう……じゃあ……聞かせてよ」


 ロキシーの笑みが唐突に止み、同時に奴は“杖”を構えた。これを見ろと言わんばかりに高く掲げられたそれは、古い詠唱式魔法なんかで使われていた木製の小さな杖ではなく、機械化された戦闘用デバイスだ。ロキシーはその両端を握りしめ、囁くように言った。


「どうやって、この私を倒すつもりなのか――――変身」


 “杖”の両端が左右に伸ばされ、その瞬間にCs'Wの奔流が爆発するように解放され、僕は今度こそ立っていられなくなった。しかしそれでも、僕と大佐は重圧に耐えてその爆心地をじっと見据えていた。真っ白な光の中心に染みのように現れた黒点、それが肥大化し、人の形になっていく。それは影だ。光の中からこちらに向かって歩いてくる者の影が映っているのだ。そいつは自らの背丈ほどもある得物を携え、光を破って本性を現した。その姿は敢えて例えるなら花嫁――――真っ黒な花嫁だ。顔を覆うヴェール、大きく開いた胸元、花を思わせる巨大なスカート、これが純白だったなら、ウェディングドレスそのものだ。しかし僕には、その黒いドレスが見た目以上に“赤い”ことに気づき、戦慄するよりも怒りが沸いた。


「お前のそのバトルドレス……たっぷり血を浴び血を啜ったようですね」

「いいえ……私は愛を浴び愛を啜ったのよ」

「そんな悪趣味なドレスじゃ誰も相手してくれないですよ」

「うふふふっ。エスコートしてもらうのを期待してたけれど、今日のところは私がデートの仕方を教えてあげるわ」


 不敵に笑うロキシーと僕の間に、アザトスが割って入った。まだ僕を庇おうとしているようだ。僕は意地を張ってその隣に立ち――――いや、彼より若干前に出ていた。


「ミラ!」

「甘くみないでください! 僕だって力が無い訳じゃない!」

「だが……!!」


 大佐が両手に携えていた剣が彼の手を離れ、意志を持ったように宙を舞う。その一方をがロキシーのめがけてミサイルのように飛び出し、一瞬遅れてもう一方も追随した。初撃はロキシーの眉間の直前で杖に阻まれ、大佐の手に戻ってくる間に二撃目が受け止められてしまう。ロキシーは剣をキャッチボールでもするかのように高く投げ返した。大佐はロキシーがその動作に入った瞬間に走り出し、剣が奴の手を離れた直後にもう一方の剣が届く範囲に踏み込んでいた。


「ダメね。ぜんぜんダメ」

「ぐッ……!!」


 振りかざした剣はロキシーの杖にまたしても阻まれた。さっきからロキシーは杖を持つ右手の最低限の動きだけで大佐の攻撃を全て防ぎきっている。一発……二発……三発……四発……これでは指揮者と、意のままに操られる奏者ではないか。均衡している訳ではなく、一方的にあしらわれている訳でもなく、ロキシーの杖さばきによって剣の角度・力加減・軌道といったあらゆる要素をコントロールされているのだ。


(ダメだ……変えなければ……流れを俺自身の手で!)


 今頭に流れ込んできたのは、大佐の思考だ!闘いの流れを完全に掌握され、彼も焦っている。当然、このままガムシャラに撃ち込み続けたところでロキシーの鉄壁を切り崩すことは不可能だ。それを理解しているからこそ、彼は自らの攻撃のリズムに変化をもたらそうとしているのだ。意表を突く一撃……それが彼に突破口をもたらすと考えている。


 ……ダメだ。今の状況を変えられるのは僕だけだ。けれど、ロキシーの武器は身の丈ほどもある杖。モーニングスターの様に物理的な攻撃にも適したタイプだ。ナイフでは相手が悪すぎる。今必要なのはたとえば……中距離戦に向いた槍。そう、クラウザーが使っていたような……。


 ――――再びシャドースパークから溢れ出した光は、今度は柄の部分を伝って植物の蔓のように長く長く延びていった。僕が思い描いた通り、本体部分が刃となった槍の形に変化したのだ。


「これだ!」


 長く伸びた柄の部分に持ち直し、切っ先をロキシーに向けた。ナイフもそうだが、槍術など僕はしらない。それでも今は、突く意外に何も思いつかない!


「はあああああ!!!!」


 雄叫びをあげ、真っ直ぐロキシーの胴体を狙って突進した。ロキシーはこちらに体全体を向け、しかし大佐に対する防御は一切緩んでいない。だがそれで良い。本命は大佐の攻撃。彼にチャンスを与えることができたなら、少なくとも戦況は変わる。あわよくばこの刃で心臓を串刺しにしてやる!


「ナメられるのは大嫌いよ。ねぇ、アザトス?」


 ロキシーの表情が歪む。直後、破裂するような音がして、大佐の体が天高く吹き飛んだ。何が起きたのか分からないまま、大佐はその場に仰向けで倒れ込んでしまう。僕は咄嗟に足を止め、彼を助けようと走り出す――――つもりだった。


 違う、僕は自分で止まったんじゃない。物理的に動けない状態に陥ったのだ。動こうとすると、腹部が熱くなる。何だ……腕は普通に動くし、たぶん体のどこでも問題なく動くはずだ。なのに、足を動かして移動することが極端に“怖い”。首を動かして、僕の体に何が起きたのか確かめることさえ恐ろしくてたまらない。呼吸が苦しくなってきた。食道から何かがこみ上げてきて、鉄の臭いが吐息に混じっていることに気づいた時には、僕は激しく血を吐き散らかしていた。その勢いで、僕の視線は漸く体を客観的に視認した――――


「あっ……」


 さっきロキシーが使っていた杖だ。気づかなかった。こんなに近くにあったなんて。視界の端にはあったのだろうけれど、視線を動かすことさえ僕の心が拒否したのだろう。


 ……何でコレ、僕の腹から生えてるんだ。


「安心しなさい。超獣がその程度で死ぬはずがない。超獣はその生命力が一番のウリだもの」


 そうか、この杖刺さってるんだ。けど、僕の腹から出てる部分の長さから考えて、貫通してさらに床まで深々と刺さってるんじゃないかな。


「ああああ……あああああああああああ!!!!」

「どうどうどう落ち着いて悪かったわよぉ~。……あれ、あなた今、なんだかオブジェみたいね。絵になるわよそのポーズ。そうだ、折角だからこのまま拘束して実験しましょう。ついでに私の私室もここに移して、眺めながら実験するのはどうかしら。技術と芸術の融合! 一石二鳥とはこのことね!」


 新しいおもちゃを手にした子供のような口調でロキシーが語りかけてきた。……何が超獣の生命力だ。滅茶苦茶痛いし、体中どこにも力が入らない。手からシャドースパークが滑り落ちる。四肢は末端から感覚が無くなってきて、魔法なんて以ての外だ。目はまだ見えているが、光の魔法は完全に機能停止している。Cs'Wを使うことさえできないからだ。


 こんな時に限って脳だけはよく働く。無論、悪い方向に。今度こそ終わりだと僕の脳が理解している。僕にはロキシーを倒すことができない。それもその筈、アザトス大佐のような経験豊富な騎士でさえ太刀打ちできないのに、訓練を終えていない僕がいったいどうやって奴を倒すというのだ。アザトス大佐がグローザ高原でアリスに言った言葉がフラッシュバックし、僕に突き刺さった。奴を倒すためにどんな努力をした。奴を倒す方法を一つでも思いついたか。考えたりしたか。あわよくばなんて、よくも考えついたものだ。志が余りにも低い。そのくせ意気込みと威勢だけは猛々しいからたちが悪い。まるで僕なら願えば叶うかのように自己催眠に陥ってしまう。あまりに傲慢だった。今まで何もしてこなかった僕が、急に戦える訳がなかろうに。いったいどうして僕は、こんな単純なことに気づかなかったんだ。僕は弱く、奴は強い。そんなシンプルなことに……。


「くっ……そおおおおおおおおお!!!!」


 生存本能が見せた最後の抵抗は、まさに負け犬の遠吠えだった。両腕がぐったりと垂れ下がり、文字通りこれ以上何の手もありはしないと体現する。杖から滴る血が床に溜まり、血の池のように着々と広がっていく。


「痛いか? 苦しいか? 辛いか? 悔しいか? んふふふふ、お似合いよ。私に刃向かったんですもの。んー、とりあえず研究員を呼ばなきゃね。思ったより出血激しすぎ……だぁーれー?」


 首の据わっていない赤子のように垂れ下がった頭をゆっくりと横に向けた。この最悪の状況に僅かな光が射し込んだと信じて、往生際の悪い他人任せの希望を信じて。視界は霞んでいるが、まだ誰がそこにいるのか程度は分かる。


「……遅れていいのはヒーローだけよ」

「ヒロインだって遅れてくるものですよ」

「これは失礼しました。お姫様」


 このクソ甘ったるい声はアリス……他にない。あの爆発を生き延びたのか。どうやって……?眼が霞んでいたせいで答え合わせに不必要な時間をかけてしまった。なんてことだ、彼女はその身に漆黒のバトルスーツを纏っている。しかし、いったいどこでそんなモノを手に入れたのかと疑問符がついた途端に、彼女の身につけているあるものの存在を思い出した。指輪だ。あれが覚醒機の役割を果たしたに違いない。


「けどね、お姫様。この状況をあなたじゃ打開できないでしょう?あなたの大切な仲間は二人とも……このザマよ。手札は尽きてるわ」

「いいえ。切り札は隠し持っておくものです!!」


 啖呵を切ったアリスの左の拳から閃光が走り抜けたと思った途端、僕の視界がぐにゃりと歪んだ。ギルテロさんに抱えられて走った時のような感覚に似ている。今起きている事象に対して脳の処理がまるで追いつかない。僕は今、どこをどう動いているのだ――――?

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