第50話 希望のみちしるべ(20)

 Mira 2010年1月12日 12時56分17秒 氷星天 グローザ針葉樹林


 

 スピーダーを借り、街道を外れて樹林の手前までたどり着いた。無免許のスティルさんが他人のマシンでここを切り抜けるのは自信がなかったらしい。雪が降り始め、このままでは視界も安定しないから、とりあえず手で押して林を切り抜けることにした。幸いマシンは側車を含めてもかなり小さく、軽い。そう体力も使わず、すぐに高原まで出られるはずだ。クラウザーさんを探し出せば、アシュレイ隊長の手がかりにつながる。それだけは間違いない。


「んー……」

「どうしたアリス?」

「今ふと思ったんだけど、クラウザーさんってどうしてWGFからいなくなちゃったんだろって……」

「あ……」


 言われてみればそうだ。僕はついこの間まで存在自体を知らなかったから疑問符が浮かぶ余地さえなかった。僕自身の記憶とギルテロさんの話から、彼が十年前に姿を消したことは判明している。だがギルテロさんもスティルさんも、その時何があったのかは語っていない。


「あの人は……正直言うと、俺にもよく分からないところが多い。実は三百年前の幽霊だとかなんとか言ってたが……」


 聞いた瞬間に僕は鼻で笑い飛ばした。


「三百年前の幽霊? まさか。どれだけ未練が強いんですか」

「やっぱりそう思うよな。俺も信じてなかったし。ただ、十年前あの人を最後に見た時、アシュレイ様があの人に向けて怒鳴ってたのはよく覚えてる。確か――――ッ!!」


 スティルさんの言葉と、足取りが唐突に止まった。遮られたというのが正しいかもしれない。目を見開き、真っ直ぐ前を見据える彼の表情に明確な恐怖が見られたと思えば、それが間違いだったかのように極限まで高められた憎悪が浮かび上がっていた。僕らがその目が映す何者かに気づく前に、スティルさんの口から答えが出た。


「アザトス……」


 名前を口にした瞬間、青紫色の光が視界の端に映った。バチバチと激しく音を鳴らし、その男は真新しいバトルスーツを身につけ、両手に剣を構えて仁王立ちしている。紛れもなく、超獣攻撃隊の英雄アザトス・アッシュクロフト大佐だ。表情は伺い知れないが、出で立ちだけでこちらに敵意を感じさせていた。大佐は両手の剣を逆手に構えると、その刃から電光を迸らせた。


「ミラ、アリス。先に行きなさい」

「待ってスティルさん、アザトス隊長は……」

「敵だ」


 アリスの嘆願が始まる前からスティルさんは切り捨てるように言った。当然アリスは抵抗する。スティルさんの前で両腕を広げ、二人の衝突を止めようと試みた。


「待ってってば! 隊長は話せば分かってくれるから! 二人は兄弟でしょう!?」

「アリス」


 彼女の名を呼んだのはアザトス大佐だった。アリスは振り返り、躊躇うことなく彼のもとへ走り出した。


「隊長! お願い変身を解いて! スティルさんと闘う意味なんてないの! ロキシーがシャドースパークを使えば何か恐ろしいことが起こるに違いないわ! 隊長だってロキシーに操られているんでしょう!」


 愛弟子の必死の訴えにも終始無言な上に、鎧で表情が全く読めないのが不気味さを助長する。そこにいるのが昨日僕らを送り出したアザトス大佐だとはとても思えなかった。


「……だークソッ!! 何とか言いなさいよこの分からず屋!!」


 アリスが氷の剣を抜刀した! 瞬きも許さぬ刹那の出来事だった。その刃の軌道はそのまま振っていたなら彼の体を真っ二つにしていただろう。しかし同時にアザトスも動いていた。いや、正しくはその手に握った剣が彼の手を離れ、意志を持っているかのように宙を舞いだしたのだ! 一方はアリスの剣を受け止め、もう一方は彼女を無視し、ミサイルの様にこちらに向かってきたではないか!


「危ないッ――――ー!!」


 光を帯びた剣は僕の真横を過ぎ、スティルさんの顔面の直前で止まった。水の防壁が、ギリギリのところで剣を受け止めていたのだ。その瞬間にスティルさんが羽織っていたコートの脇に手を入れ、抜刀するような構えをとった。しかし彼は帯刀どころか、何一つ武器を持っていなかったはずだ。それでも再び陽の光を浴びた彼の手には、確かに剣が握られていた。真っ黒な……そう、他の色が入る余地のない完全な黒が、刀の姿をしている。闇の魔法……影から剣を作ったのだ。


 アザトスの側に光の剣が戻り、鍔迫り合っていたアリスは軽々と弾き飛ばされた。すぐに姿勢を正し、アリスは氷の剣を消失させて再び説得しようと立ちはだかった。


「やめて……お願い……!!」

「アリス、今のがお前の技か?」

「えっ……?」


 剣を下げ、アザトスはアリスのもとにゆっくりと歩み寄った。頭二つ分は小さなアリスを見下げ、問いかける。


「お前は俺の元では強くなれないと言った。その通りだ、俺はお前を強くするつもりなどなかった。お前が絶対に力の使い方を間違えないようにするためだ」

「……だったら何です!?」

「学校に行っているフリをしてまでジュランやロージーに訓練してもらい、それでも物足りないと候補生にまでなって、お前は……何を学んだ?」

「それは……!!」

「そこまでだ!!」


 スティルさんが叫び、アザトスに切っ先を向けた。


「お説教は後にしろ。とりあえず個人的な決着をつけたい。アザトス、お前の相手はこの俺だ!!」

「……どいていなさいアリス。義兄さん、あんたに俺は倒せない」

「それじゃあ剣を納めて投降しろってか?」

「いや……ここで殺す」

「やってみろ!!」


 スティルさんが叫ぶと同時に大佐は両手の剣を投げ飛ばした。


「やめろ!!」そう叫ぶつもりだった。だが、もう僕やアリスの声は二人に届くことはないと確信してしまい、結局僕は僅かに身を乗り出すしかできなかった。


 宙を舞う眩い青の剣閃。その悉くが漆黒の剣に吸い込まれ、はじき返される。大佐自身は少しも動かない。腕を組み、まるで見物客のようにスティルさんが闘う姿を眺めている。それを見た僕は怒りに拳を握り、奥歯に力を込めた。だが――――


「うわあああああ!!!!」


 僕よりも先に怒りを爆発させ、跳びかかったのはアリスだった! 氷の剣を手に持つのではなく足に出現させ、大佐の頭めがけて跳び蹴りを放ったのだ。だがその雄叫びも虚しい結果を生んでしまう。アザトスはその手で、軽々とアリスの足を受け止め、投げ捨てるように地面に叩きつけたのだ。


「ああッ!!」

「アリス!! 大佐……あんたそこまでするんですか!!」

「……悔しければ、俺を殺したらどうだ?」

「っ……舐めるなあああああああ!!!!」

「待て……!! ミラ……!!」


 駆けだした時、大佐が腕をこちらに突き出したのが見えた。次の瞬間、僕の視界の端に青色の光が現れたかと思えば、すぐさま白が視界全体を染め上げた。だが、その中心には小さな黒点があった。僕は何故だか、それが人だと確信し、手を伸ばした。とても遠い存在であるはずのその影は、僕に向かって何かを差し出した。


 ――――あなた自身が選びなさい。心と体、どちらに従うか――――


 聞き覚えのない声だった。結局人影が何を渡そうとしていたのかも分からないままに消え去った。それから少しずつ視界が正常になっていき、僕の体もいつの間にか失っていた本来の感覚を取り戻した。


「――――あっ!!」

「ミラくん!! ミラくん!! 急いで!!」


 手を引っ張られ、僕は背中側に倒れかける。何とか体勢を保ち、アリスに引っ張られていることをやっと認識する。だがどうしてこうなったのかはまるで分からない。僕は振り返り、何があったのかを確かめた――――


「――――そんな……そんな!!」


 いない。スティルさんの姿がない。だが、その行方は分かってしまった。真っ赤に染まったアザトスの姿を見るだけで、何が起きたのか理解できてしまった。


「ああ……ああああああああああ!!!!」


 二の舞だ。ギルテロさんのときも同じだった。僕が無力なばかりに、力を貸してくれた人を失った。だのに……この叫びは、無理矢理に捻り出したものに過ぎない。何故なら僕の思考は、あのときと同じように、圧倒的な冷静さと正確さを見せていたのだ。悲しみや怒りよりも、僕の生存本能が、僕の体を突き動かす。


 スピーダーに乗り込んだ僕は、側車にアリスを乗せ、無我夢中でイグニッションキーを回し、衝突を恐れず全速力で林を駆け抜けた。アザトスがこちらに攻撃を仕掛けたり、追ってきたりする気配は感じられなかった。それから永遠にも思えた逃走を経て、僕本来の意識が戻ってきた。恐怖と、悲しみと、後悔とをグチャグチャと混ぜ合わせた感情が、マシンの操縦にも影響を及ぼす。僕は急ぎブレーキをかけ、真っ先に後ろを振り返った。あの林はもう見えない。かなり遠くまで来たようだ。だが、安心感など得られるはずもなかった。何が駄目だった。何を間違えた。ギルテロさんを死なせた失敗から何を学んだ。どうすればスティルさんを助けられた。


「――――ッ!! クソックソッ!! 死ね!! 死ね!! 僕なんて……殺されてしまえばいい……ッ!!」


 僕はスピーダーから滑るように降り、雪の積もった地面を滅茶苦茶に叩いた。拳から血が出てもしばらくは止めなかった。露出した石に肉を裂かれて初めて、僕は痛みを感じた。


「……違う。こんなもんじゃない!! スティルさんとギルテロさん……二人はもっと……!!」

「違う……」


 冷たく突き刺さるような声だった。顔を上げてアリスの顔を見て、やっとその声が彼女のものだと分かった。


「アリス……?」

「違う……違う違う違う違う!! あれは違う!!」


 アリスが狂ったように側車のフロントガラスを殴りつけた。Cs'Wをまとった拳は一瞬にしてガラスを氷漬けにし、二発目をもらったときには粉々に砕け散ってしまった。


「止めてアリス!」

「あいつは隊長じゃない!! 隊長はあんなやつじゃない!!」


 僕は自分の悲しみなど放り捨てて、アリスの両手を掴んだ。氷のCs'Wの影響で手のひらが一瞬で低温火傷を負ったが、そんなことを気にしている場合ではなかった。


「隊長はスティルさんのこといつも自慢してたもん!! 騎士じゃなくても人のために闘った強い男だって!! 言ってたのに……バカヤローッ!!」

「聞いて!! アザトスはロキシーと契約させられた!! あの人の意志は無いも同然です!!」

「じゃあ何であの人は簡単に契約なんてしたのよ!!アシュレイ隊長も、アザトス隊長も!!」


 返す言葉を失ってしまった。確か契約魔法は『互いの同意』が不可欠だ。手を握られただけで成立するわけではない。アシュレイ隊長にしてもアザトスにしても、契約内容に対して肯定的な返事をしたということだ。二人が契約せざるを得ないカラクリがあったとしたなら、それも殺しをやらせるほど束縛の強い契約をさせるほどの心理的揺さぶりをかけられたなら……。


「思い出すんですアリス。ギルテロさんはアザトスの腕を切断しようとしていた。手に刻まれた契約の証を無力化するためだ。つまり、アザトス大佐を解放しようと考えてたってことです! 彼は最初から……契約する以前から本心で行動できなかったに違いないんです! 何か行動や考えを抑えられるような足かせが……」

「それでも……だとしても……スティルさんもギルテロさんも……こんなの無駄死にじゃない……!!」


 声を押しつぶし、それでも堪えきれずアリスは大粒の涙をこぼした。それから暫く、静寂だけがこの雪の世界を支配した。声を発したかった。泣き叫んだり、アリスを慰めて気持ちを共有したり、何でもいいから声にだして悲しみの感情を外界に解き放ちたかった。だのに、この心は鎖で縛られている。何かが内側から僕の悲しみを引っ張り、喰らおうとしている。胸が破裂しそうなほど熱を持っていた。駄目だ、苦しくてもこれだけは吐き出しちゃいけない。正体不明でも、それだけは分かる。今解き放ってはならないのだ。


「――――そうだ。それでいい」


「っ!? 誰です!?」


 聞いたことのない声だった。背後から迫る気配に、僕はアザトスか他の敵かと、ナイフを突きつけて警戒心を張り巡らせた。姿は見えない。かなり近い位置から聞こえた気がした。この雪の世界でもナイフを握る手が汗で滑りそうになった――――


「姿を見せなさい!」


 恐怖を堪えきれず、僕は罵声を浴びせかけるように怒鳴りつけた。次の瞬間にはこの頭が吹き飛ばされているかもしれない。体を引き裂かれているかもしれない。底知れぬ死の恐怖が体を震わせた。体を支えていた力が見当違いの方向に分散し、膝も腰も生まれたての子鹿のソレように脆弱に折れ曲がった。ナイフを構えていた両手は、いつの間にか胸の前で祈るようなポーズをとっていた。縋る神などこの世界にいないのに――――


「私はここだ」


 何者かの声が再び、今度はもっと至近距離から聞こえた。ふと目をやれば、アリスの体がぐったりとしたまま、空中へと浮き上がっていた。僕は驚くことも、目を疑うこともしなかった。僕には、その男が見えていたのだ。何らかの手段で姿を隠しているということは分かる。その男は身長二メートルを優に越える大男だった。白と灰色が混ざったこの星で、その金色の双眸は強烈に脳に焼き付く。僕は一目見て、この男が捜し求めたクラウザーだと悟った。


「この子はしばらく眠ってもらう。ついてきなさい」


 クラウザーはアリスを担ぎ、呆気にとられた僕に一言だけ残し歩いていった。慌てて僕はその後に続く。聞きたいことは山ほどあったが、壁のような背中から圧力を感じ、僕は道中一切口を利けなかった。

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