第45話 希望のみちしるべ(15)
Mira 2010年1月11日 11時9分39秒 氷星天 ラーゴラス壱区 ラエル川
強烈な寒さを感じ、僕の意識は突発的に現実に回帰した。曇天の空が目の前に広がっている。慌てて上半身を起こし、周りを見渡した。すぐ近くに川が広がっていた。電脳からネットにアクセスし、時刻を確認する。。ここはラーゴラスの北方、ラエル川岸だ。極端に遠いわけではないが、支部からここまでは十五キロ近く離れている。尋常でない速さで走ったのだろう。隣にはアリスが横になって眠っている。僕は悴む手に息を吹きかけ、横たわったままのアリスの手を握った。
「ギルテロさんは……? アリス、起きて! 起きるんです!」
いくら氷属性の女とは言え、保温性が高いとは言え、こんなところにベーシック・バトルスーツのまま放置することはできない。
「頭ぐわんぐわんします」
「ここはラエル川です。こっちがラーゴラス区なら川を越えたらマーゴッド区。ギルテロさんはどこだろう?」
その時またビュンと風を切る音がして、直後に川岸の砂利を勢いよく踏む音が響いた。振り返ると、そこにギルテロさんがいた。ただその姿は監房の時以上に弱々しく、今度こそ死んでしまうのではないかと、僕の焦りが加速した。
「ギルテロさん! こんなにボロボロに……」
「大丈夫だ。だが安心するのはまだ早い。はあ、疲れたぜ。追っ手は撒いたが、すぐに増援が来る。あのアザトスとジュランも必ずお前たちのところに来るはずだ」
肩で息をしながら、ギルテロさんは手にした緑色の果実を潰し、溢れた果汁を口に含んだ。眉間に皺を寄せながら口をモゴモゴと動かし、しばらくして血の混じった液を吐き出した。
「エイナウコン草の果実、消毒と痛み止めだ。口の中の傷は気になって仕方がないからな。ゲロ吐きそうなほどマズい。ぺっ……さあ、とりあえず川の向こうへ行くぞ。マーゴッドでスピーダーを手に入れて、クラウザーを捜す」
よろめきながらも立ち上がろうとするギルテロをアリスが制止した。
「その体で無理に動いたら本当に死んじゃいます!」
「動かなくても追っ手に殺されるだろ。死にたいなら話は別だが、死にたくなかったらツベコベ言わず俺に従えッ!!」
彼が怒鳴るところを見るのはこれが初めてだ。それほど切羽詰まった状態に僕たちは投げ出されてしまったのだ。僕はギルテロさんの腕を肩にまわし、少しでも歩きやすいようにした。アリスが川の水を凍らせ、橋を架けた。これなら渡った後で橋を解かして、証拠を消すことができる。
「……怒鳴って悪かった。歩きながら色々話そう」
「聞きたいことが沢山あります」
「そうだな。まず、例の爆破テロをやったのはお嬢……アシュレイだ」
認めたくない現実を、認めざるを得なくなった。僕は無言のまま頷き、事実を受け入れたとギルテロさんに伝えた。
「あいつが掻っ払ったミレニアン・シャドースパークがどんなもんか俺は知らん。俺も十六年前初めて超獣を見たが、異次元人とやらにはほんの少し顔を合わせた程度だ。だが、ロキシーの手に渡って良い代物でもない。反体制派の意見もあって研究を始めるまで時間がかかったのも幸いした。そのタイムラグが奴にとっては致命的だった」
「成果が出る前に、アシュレイ隊長が奪ったから?」
「ああ。どういうわけかロキシーの洗脳が解けたらしいな」
「洗脳!?」
「『オール・ザット・ジャズ』、奴の能力だ。契約……つまり交換条件で人の心を操ることができる。だがそれは刻印が手にあればの話。アザトスとジュランを助けるつもりで刻印のある腕を切り落とすつもりでいたが結果は……知っての通りだな」
ギルテロさんは大きくため息をつき、姿勢を直すと同時に「畜生」と小さくつぶやいていた。
「あの騎士の二人は少なくとも十六年前の時点で契約してたみたいだ。盲目的で盲信的な奴だとは思ってたが、そんな仕掛けがあると知っていたならな……」
「……さっき言ってた、クラウザーって人は……もしかして、映像の中でアシュレイ隊長が言ってたクーって人ですか?」
「ああ。かわいいあだ名だが、厳ついクソジジイだ。奴は……十年前まで俺たちと一緒にいたんだが、突然姿を眩ましてな。だが俺は……俺だけは奴とまだ交流があった。似たもの同士だからかな。俺が思うに、この事件の真相を知るにはあの男の力を借りなきゃな」
僕の知らないWGFの、そしてアシュレイ隊長の秘密。まだ真実が明らかになった訳ではないが、その存在が僕の精神に重くのし掛かっていた。愛した人を疑わざるを得ない重圧。そして、僕が彼女の事を何も理解していなかったという事実を突きつけられた絶望。まざまざと見せつけられた己の力量。彼女と、WGFと過ごした時間は一体何だったのか……。
「……なあ、ミラ。俺はお前が……状況を変える鍵だと思ってる」
「……えっ」
「クラウザーが消えた理由。お嬢がお前を育てた理由。今回の事件。無関係なはずがない。十年前から、連中の思惑がぶつかり合っていたんだ。戦いは今始まったんじゃなくて……決着をつける時が近づいているんだ」
十年前……即ち僕がアシュレイ隊長に拾われたときのことだ。
「クラウザーさんに聞けば、全てが分かるんでしょうか?」
「少なくともヒントはもらえる筈だ。お嬢の居場所も奴なら……」
――――弾けるような音。それは虚空を揺らし、共鳴した。急に体が軽くなり、冷たい外気に反して頬に暖かい感覚がベッタリと張り付いた。ギルテロさんの体が音を立てて氷の上に落下し、青白かった橋の真ん中に、赤黒い色が広がっていく。
「――――狙撃だッ!!」
腹部から血を流し体を痙攣させるギルテロさんを見て尚、僕の思考は驚くほど冷静で、正しく機能した。アリスは半ばパニック状態だったが、僕の指示ですぐに氷の壁を作りだし、あらゆる方向からの砲撃に対応した。ギルテロさんの体にもう一度目を向け、僕は彼の死を“確信した”。脈拍が加速し、彼との記憶がフラッシュバックする。だがしかし、ギルテロさんは震える手でポーチを外して僕に渡した。
「い……行け……スティ……の……」
「ギルテロさん……!!」
「行け……ッ!!!!」
口からも血を吐き出し、殆ど喋れない状態で彼は声を絞り出して叫んだ。ポケットを確認し、青いタグの付いた鍵を見つけた。タグには『Jandland EVAー303』と書かれている。ホテルの部屋の合鍵だと直感的に察知した。彼がホテルの部屋を取っていた理由にしても、彼がこの事件の発生を事前に知っていたと仮定すれば、支部とは別にセーフハウスとして利用していたと考えることができる。303号室に何かがあるはずだ。
「アリス、橋を溶かして! 追っ手が来る前に逃げるんです!!」
「でっでも……ギルテロさんは……!?」
「僕たちも殺されてしまう! 早く!」
僕は彼女よりも、この星を覆う氷よりも冷徹だった。心を殺して立ち向かう道しか残されていないのだ。橋を溶かし、アリスの手を引いて一目参に逃げ出した。アリスだけは、何度も後ろを振り返った。何度も、何度も――――
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