第42話 希望のみちしるべ(12)
Mira 2010年1月11日 10時25分02秒 氷星天 ラーゴラス弐区 騎士団支部南棟 5F 支部長室前廊下
訓練生が南棟に、それも支部長室に呼び出されるとは、これはもう大事件だ。氷星天支部において候補生は訓練施設のある西棟か、資料室のある東棟の一部でしか行動できない。他の棟は騎士と軍関係者の職場であり、特に南棟は支部長を始め、本部や他の支部から来た偉い人が氷星天での作戦前に会議をする場所というイメージが強い。支部長室に向かう道中、僕らが呼ばれた理由を何となく考えてみたが、どうも僕は物事を悲観的に捉えがちで、寮から追い出されるのではないかと突拍子もない結論に至ってしまう。無論、その程度のことで支部長に呼び出されるなどあり得ないから安心――――ではないが、重く受け止めるべき案件ということは確かだ。
それにしても、南棟はどこもかしこも慌ただしい。頻発する超獣被害の対策で忙しいことは分かるが、それにしたって騒がしすぎる。そんなにも大慌てするような事件があっただろうか。そういえばニュースを見ていないと思って、ポケットの中の端末に手を伸ばしたが――――
――――しまった。今日に限って端末を部屋に忘れてきた。ニュースどころかメールのチェックさえしていないぞ。
「ねぇアリス、今日って何か事件とか起きてましたか?」
「え? 何も聞いてないよー。騎士さんがすごく忙しそうだから、何かあったのかもね。あ、そこが支部長室だね」
「嫌な予感がします」
ノックしようとした手を直前で止めて、僅かに臆病さを露出させた。そんな無意味な躊躇いを無視して、アリスが代わりにノックする。彼女が図太いのか僕が脆弱なのか。
「アリス・アッシュクロフト候補生、及びミラ・リリアス候補生、ただいま参上しました! ……参上ってなんかカッコよくね?」
「知らんがな」
馬鹿げたやりとりなどお構いなしに、無機質な自動ドアが開き、警備の騎士が「入れ」と指示した。アリスが真っ先にそれに従い、僕はその後を着いていく。支部長室は寮の個室と比べたら広いが、考えていたよりも遙かに小じんまりとした部屋だった。壁の高い位置に最高議長ロキシー・ローウェンの写真が飾られ、部屋の中心に来客用のガラス製テーブルとそれを囲むようにソファが並べられ、奥に支部長のデスクが置かれている。
「あら、待ってたわよ!」
いきなり見覚えのある顔が視線を独り占めした。支部長のデスクに、こちらに背を向けて腰掛け艶めかしい素足を露出しているのは、評議会最高議長ロキシー・ローウェンだったのだ。僕は思わず声が漏れるのを必死に堪えた。ショックのあまり敬礼するのを忘れかけていた。アリスもまた同じように、驚く気持ちをなんとか表情だけに留めていた。
この状況に対してなんとかして理解を深めようと僕は努力した。部屋には他に、見覚えのある騎士がいた。アザトス・アッシュクロフト大佐と、ジュラン・レイティア大佐だ。それと、顔を伺うことができない場所……机の向こう側の死角に、誰かが倒れている。軍靴のつま先が天井を向いているから、仰向けになっていることが窺えた。ロキシー団長はその何者かに足を向けていたようだ。
「ふん、根性無し。さて、みっともないとこ見せてごめんなさい。これで全員ね」
正面に向き直り、しかし机に座って素足を晒したまま、ロキシーは妖しく微笑んだ。髪の色と同じ、光沢のあるピンク色のマニキュアを塗った爪先が、その化粧意外の要因で妙にねっとりとした光沢を放っていたが、彼女はそれを桃色のハンカチで拭き取った。
この人を直接見るのは……多分初めてだ。少なくとも僕の記憶にある限りでは、この人と会話したり、指示を受けるなんてことは無かった。それにしたって『最高議長』という名詞のイメージとまるで違う人物だ。まず、いくら何でも若すぎる。肌目細かな白い肌には傷一つ見あたらず、話に聞く歴戦の勇士の威厳など微塵も感じられない。背丈や体格、顔立ちから推測して、どんなに高く見積もっても二十代後半。化粧も口紅程度でかなり薄く留めている。この女は影武者ではないのかと、僕は取り留めもない想像をしていた。
予想外の出来事に緊張する僕たち候補生を余所に、アザトス大佐が一歩進んで発言した。
「閣下お言葉ですが、実戦経験のない彼ら候補生を戦場に出すわけにはいきません。もっと相応しい人材がいるはずです。いえ、私が責任を持って抜擢しましょう」
彼の喋り方は妙に早口に聞こえた。何かに怯え、焦るように。
「アザトスぅ……そろそろ私のやり方を覚えたらどう? 意味があるから二人を呼んだの。私は例の男の眼を持ってる訳じゃないけれど、あなたの言いたいことは分かるわ……ここは私情を持ち込んじゃイケない場所でしょう?」
指摘を受けて、アザトス大佐は苦虫を噛み潰したような顔をして静かに身を引いた。やり取りの内容から察するに、アザトス大佐は単に候補生としての僕たち二人の身を案じたのではなく、アリスという家出娘を危険に晒さないように配慮したのだろう。が、結果はたった今はじき出された。ロキシー最高議長から事情を聞かなければ、何故僕たちが必要なのかハッキリすることはないだろう。
「あなたたちを呼んだのは他でもない、私、ロキシー・ローウェンが議長として勅命を下す為よ」
命令に従うことはやぶさかではないのだが、懐疑的な性格の僕には、勅命と言われて良い気分はしなかった。たしかにこの女は現政権のトップであり実質的な主権者だ。十六年前の超獣出現以来、元老院は急激に力を失い、今や解体寸前だ。代わりに騎士団を有する評議会が権限を行使している。この女が皇帝気分になるまで、十六年という時間は充分すぎたのだ。
「今日の午前二時四十七分、魔天連合評議会本部で爆破テロが起きたわ」
「爆破テロ!?」
僕は今度こそ我慢できなかった。僕は慌てて謝罪しようとしたが、教官と違ってロキシーは咎めなかった。
「爆発の規模だけで見れば大した問題ではなかったわ。警備員四名が重傷、施設の一部が吹き飛んだだけ。民間人に被害が出なかったのは幸いね。騒音で苦情は入ったけれど。問題はその犯人と、盗まれたモノね……ミラ、ここからは少しだけ覚悟を決めてちょうだい。私にとってもそうだったように……あなたにとってはきっと、想像を絶するショックな出来事だから」
心臓がドキリと跳ねた。警鐘だ。僕の全神経が何とかして僕に危機を伝えようとしているのだ。しかし僕の心は、そんな危険信号を無視してでも、好奇心に手を引かれるままに着いていくのだった。僕は唾を飲み込み、首を縦に振ってから応えた。
「……教えてください。誰が、何を盗んだんですか?」
「……犯人は、アシュレイ。WGFの隊長にして、あなたの家族よ」
告げられた事実を僕の心は受け入れようとしなかった。なんとしてでも拒もうとした。既に闇の中に一歩踏み込み、後は片足が入ってくるだけと言うところで、僕は後ずさろうとした。が、既に遅い。いや寧ろ、僕はその事実をどこかで察知していたような気さえした。重傷を負った警備員の証言、監視カメラの映像、これだけで証拠は充分だが、追い打ちをかけるように、殺人未遂でギルテロさんが逮捕されていたのだ。彼の持っていた端末にはアシュレイ隊長本人から犯行を予告するメッセージが届いていたらしい。
「ギルテロはそこのアザトスを殺そうとしてね。ジュランも現場にいたからその場で取り押さえられたわ。“残りの腕”も持っていかれなかったのは不幸中の幸いだったわね」
アザトス大佐の視線が自らの左腕に向いていた。ギルテロさんと交戦し、腕を負傷したということか。しかし残りの腕という言葉の使い方からして、大佐は左腕を機械化していて、それを壊されたか切り落とされたということだろう。しかしギルテロさんが大佐を狙うことが、本部のテロと一体どんな繋がりがあるのか、現時点で僕たちが推理をするには材料が足りなかった。
「盗まれたものというのは?」
「侵略者、異次元人ミレニアンに関するものよ。我々は『ミレニアン・シャドースパーク』と呼んでいるわ」
聞いたこともない単語だ。噂通り、そしてアリスが睨んだ通り、一般には公開されない情報がまだ多くあるらしい。問題は、アシュレイ隊長がソレを狙った動機だ。
「ミレニアン・シャドースパークは私たち騎士が用いる覚醒機に相当するものよ。小刀程度の大きさからは想像もし得ない巨大なエネルギー……太陽に相当するエネルギーを凝縮し内蔵している。ミレニアンに対して私たちが勝ち取った唯一のアドバンテージであり、連中が我々を執拗に狙う理由のひとつ。アシュレイがこれを奪ってどうするつもりなのかは分からないわ。しかし……」
そんなものを放置して……信じ難いが、アシュレイ隊長がそれを悪用したり、侵略者の手に渡りでもしたら、ただでは済まない。
「ミラ、あなたもメッセージを受信しているでしょう?」
「えっ? あ……」
「私の情報網が狭いばかりに、ツケを押しつけてごめんなさい。けれど、今は些細な情報も見逃せないわ」
「それが……端末を部屋に置いてきてしまって……」
「そう……仕方ないわ。後からもう一度ここに来てちょうだい。この話を終えたらすぐに取りに行くのよ」
正直、これ以上は何も聞きたくなかった。しかし、僕はなんとかアシュレイ隊長の潔白が証明できないかと議長の話の粗を探していた。
「あなたたち四人は今日からチームよ。任務は、アシュレイの逮捕及び、ミレニアン・シャドースパークの確保。正直、アシュレイが私たちを裏切っただなんて信じたくはないけれど……状況によっては彼女を殺すことも視野に入れなさい」
「待ってください! 僕たち候補生を選んだ理由は? それに、法律を無視して隠蔽を続けていたことは……人々にどう説明するおつもりですか?」
ロキシーは机から降り、僕の前に歩み寄ってから応えた。
「私は彼女を連れ戻したい。考え直してほしいの。現状爆破テロの一件はカバーストーリーで報道させている。けれど、実動部隊を動かせば、メディアは確実に事実まで嗅ぎつける。アシュレイの悪名ばかりが広まれば、彼女を引き戻すことはより困難になるし、できたとしても民衆も、仲間の騎士も納得しない」
「候補生の僕らは……非公式に動かしやすいと言うことですか?」
「……そうよ。私はいわゆる暗部だとか非公式な部隊を持っていない。あらゆる組織を公に露出させることで人々の信頼を得ているわ。それを急に崩せば社会の混乱は避けられない。これは世界のためでもあり、彼女の為でもある。他でもないあなたを選んだことがその証拠よ。欲張りだと思われるかもしれないけど、私は全てを守るために法律なんかクソ喰らえって言っちゃうタイプなのよ」
……そうだ、僕ならアシュレイ隊長を説得できるかもしれない。彼女を助けられるかもしれない。いや寧ろ、僕が彼女の潔白を証明しなければならない。この疑いの連鎖を断ち切り、彼女の無実を公に突きつけてやるのだ。僕は拳を堅く握り、ロキシー最高議長の目を見て応えた。
「やります」
最高議長は僕の両肩を握り、大きく頷いた。
「ありがとう! アリス、あなたはどう?」
「あっ……やります! 騎士を志す者として、精一杯使命を果たしてみせます!」
「よく言ったわ! まさに騎士に相応しい! あなたたちは書類上ではまだ候補生だけど……この任務が終わり次第、正式に騎士の称号を与えるわ。アザトスとジュランはこの子たちをバックアップしてあげて、できる限り目立たないように動くのよ。さあ、早く行きなさい。メッセージのこと、忘れずにね」
そうだ、僕たちは騎士だ。騎士は人を救う仕事だ。それが愛する人なら尚更、頑張るべき時ではないのか。僕は堅く決意し、敬礼して支部長室を後にした。廊下に出た瞬間、アザトス大佐が僕らを引き留めた。
「なあアリス、それにミラも」
「どうされました?」
「俺はまだ、アリスが騎士になること……納得していない。けれど……何が起きても助け合って、乗り越えなさい」
僕たちは顔を見合わせ、互いに目を丸くさせた。しかし自信に溢れていた僕は、大佐の前で少しだけ格好付けたくなってしまった。
「アリスのことは僕が必ず守って見せます。絶対に」
「アザトスがブツブツうるさいから、傷一つつけるんじゃねーぞ」
ジュラン中将が言うと、アザトス大佐が「やめろよ」と恥ずかしそうに肘で小突いた。
「大丈夫だってアザトス! 二人は仲が良さそうだし、もしかして生き別れの兄妹だったりするかもしれないぞ?」
「ジュラン、茶化すな。そろそろ行こう。ミラとアリスは例の端末の件を優先しろ。その後で北棟で合流だ。俺たちは先に装備を整えておく」
そう言って大佐と中将は走り去った。事は一刻を争う。僕たちも訓練生寮へと急いだ。隊長のメッセージが届いていること、そしてその中に希望へとつながるヒントが書かれていることを願って。
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