第12話 影の予兆(10)

 Gilthero Lanbasch 1994年7月31日 10時28分45秒 モスコームトン宇宙港 東部居住区


 ――――氷のようだった体が、異質な熱を感じ取った。まるで寝室の窓から差し込んだ陽の光のような優しい温かさ……とても死人には似つかわしくない熱だ。


 眠りから覚めるように自然に瞼が開き、その正体を捉える。


「……アシュレイ……?」


 あの少女が腰を落とし、俺の胸に手を起き、こちらに向けた哀れむような瞳に大粒の涙を湛えていた。年端もいかぬ少女にはとてもできそうにない顔だ。


 ――――しかし、見覚えがある。


「大丈夫。ウチがなんとかする」


 透き通った声でそう言い、立ち上がる。視線を移した先には――――アザトスが立ちはだかっている。彼女はゆっくりと騎士のところへと歩み出した。


「お……おい、待てよ……!!」


 アシュレイを呼び止めるつもりで叫んだが、俺は自分の体に起きた不可思議な出来事に驚愕し、そちらに気を取られた。


(痛くねぇ……傷は……どうしたんだ……!?)


 口内に僅かに鉄臭さは残っていたが、肩の傷は勿論、潰された鼻も元の形に戻っている。潰されたと思っていた内蔵にも少しも違和感がない。


「何で……何が起こったってんだ!?」

「お前は……!!」


 アザトスの掠れた声に再び意識が向く。インファイトに持ち込める距離までアシュレイは迫っていた。あんな華奢な少女に、手負いとは言えアザトスと相対できる筈がないことは火を見るより明らか……な、筈だった! しかし、アシュレイがその右手から発現させた焔は、細く長く収束し、一振の剣のような形に変化した!


「破滅の……焔……!!」


 クラウザーの言葉がフラッシュバックする。アレが本当なら……!!


「やめろォーー!! 世界が終わってしまう!!」

「ぐッ……!!」


 アザトスさえ攻撃の姿勢を崩すほど巨大なパワーを、あの小さな体躯が放っている。最早避けられない運命だったのかと諦めかけた――――


「……今は、退いて」

「な……に……?」


 アシュレイはその剣を振るわなかった。反対の手で血の滲むアザトスの胸に触れ、離した時にはその傷から溢れる血が止まっていた。当のアザトスも軍服の上から傷に触れるが、まるで何もなかったかのように傷が塞がっていることに、狼狽するのを隠せなかったらしい。


「お前は……!?」

「アシュレイ……ウチはアシュレイ。いつか貴方に殺して貰うときが来るかもしれへん。だから……その時は……よろしゅうな。今だけ……今だけどうしても……見逃してほしい」

「そんな……ことが……そんなことが許されるものか……!!」

「……せやなぁ。ウチ、絶対に許してもらえへん。だから……必ず殺しに来てな」


 再びアシュレイがアザトスの胸に触れると、彼は紐が切れた人形のように崩れ落ち、動かなくなった。アシュレイは振り返ってクラウザーのところに駆け寄り、瓦礫の中から彼を起こし、揃って俺のところに近寄った。


「ギルテロ殿……今の内に……」

「あ、ああ……」


 クラウザーの手に掴まって立ち上がり、ほとんど状況を飲み込めないまま、俺は二人を連れて発着場へと向かった。これだけ騒ぎを起こしたのだから、いい加減他の騎士や兵士がやってきてもおかしくない。まだ逃げられる。


「民間の……適当な船に乗ろう。まだ余計な騒ぎを起こさずここから出られるかもしれない……」


 集まりだした野次馬に紛れ、俺たちは運良く騎士や兵士の目を掻い潜ることに成功した。近場の発着場には民間の惑星間航海用宇宙船がいくつかあった。まだ封鎖措置は取られていない。手近な小型船を見つけ、離陸の準備をする乗組員に声をかけた。


「おい! 三人乗せてくれ!」

「あっはい。この船は魔天のアーカム港行きですが……」


 行き先を聞いて、僅かに躊躇ってしまった。


「魔天か……ああ、それでいい」

「わかりました。お急ぎください。もう出発しますから」


 魔天は連合軍や騎士の総本山がある惑星だ。飛んで火にいる夏の虫とは俺たちのことかと考えかけたが、手段を選んでいる場合ではない。俺は竦む足に鞭打って船に乗り込んだ。窓のない狭い客室に並ぶ席に慌ただしく座ったから、周囲の目が一斉にこちらに向いた。さっきの騒ぎを聞きつけていなかったとしても、見るからに怪しい取り合わせの三人組が駆け込んできたのだから、当然の反応だ。


「ウチ……さっき、何をしたんや?」


 呆然と凝り固まった顔をしたアシュレイが低い声色で問う。


「世界を滅ぼしかけた……のかもな。よく分からないが……とりあえず、信じるよ。あんたらはタダモノじゃないし……俺は……とんでもない事に巻き込まれちまったらしい」


 機体が揺れ、尻から持ち上がる浮遊感が全身を包んだ。どうやら脱出までは上手くいったらしい。


「ギルテロ殿……すまない。あんなことになるとは……」

「謝るなよ。俺だってにわかには信じられないことが次々起こって……まだ目が回ってるみたいなんだ。これからどうすればいいのか……全然分からねぇ」

「やることは一つや。早急にウチを殺す方法をさがさなアカン。ウチはさっき、運良くギリギリで踏みとどまっただけや。もしあれ以上の力を使ったら、きっと……」

「言うな!」


 声を荒げてしまった理由は、正直かなり曖昧だ。『破滅の焔』がもたらす結末が恐ろしかったのか。それとも……彼女が知らぬ間に殺されなければならない運命を悲観したためなのか。もし前者なら、俺は殺戮者である以上にとんだ臆病者だ。いざ自分の死が迫った途端に泣き言を喚き散らかす最低の臆病者だ。そして後者なら……俺は俺という人間が分からない。


 心から誓えるが、俺は間違いなくローグを愛していた。昔も今も変わらず、確かに家族として想っていた。そして……アシュレイの見せてくれたあの優しすぎる表情。俺が愛したローグにあまりにも似ている。俺はこの娘に……ローグの姿を重ね、また同じ感情を重ねている。


(俺はまた……繰り返すのだろうか。俺はまだ……殺したいのか)


 口の端がつり上がるのがよく分かった。クラウザーは俺の感情に気づいているだろうか。俺は……ようやく気づいた。


 俺は愛しているからこそ、殺したくて堪らないんだ。俺の感情の回路はそういう風にできているんだ。俺はローグを手に掛けたあの瞬間からずっと、殺しを楽しんでいた。しかし、それを歪んでいると認識している故に、事実を歪曲することで己を保っていたんだ。そうしなければ、俺という人間が壊れてしまうから。俺がそんなにも弱い男だと知っているから……。


「……泣いてるん?」

「……いいや、これは……喜んでいるんだ」

「そう……」

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