第10話 影の予兆(8)
Gilthero Lanbasch 1994年7月31日 10時12分33秒 モスコームトン宇宙港 東部居住区
戦闘域を抜けた先すぐに位置するモスコームトンは、やはりというか当然だが、避難してきた非戦闘員の市民で溢れかえっていた。当然ここは連合側の領域で、俺のような暫定政権に買われた傭兵がいてはならないのだが……人を隠すなら人の中だ。ゲリラ部隊の隠れ家がこの街にあり、警備兵に賄賂を渡し、東部居住区のほんの一部だけを見逃すように仕組まれているのだ。なるほど、連合側の根っこの部分で腐敗が進んでいるのがよくわかる一例だ。俺たちが始末した騎士の連中と正規軍は基本的に仲が悪いことも相まって、情報伝達もうまくいっていないらしい。
「あっさり街に入れてまったけど……ウチら大丈夫なんかなぁ。兵隊に見つかって連れてかれるんとちゃうん?」
クラウザーに抱えられたままのアシュレイが背後から問う。
「大丈夫だ。警備兵は買収されてるし、騎士は発着場から近い西側から正規軍の駐屯地に向かう」
「しかし、兵士たちはギルテロ殿がそうしたように魔力を……Cs'Wを探知する装備があるのだろう?」
「あれはそんなに正確なデバイスじゃない。殺風景な戦場で四~五人くらいを相手に使うものだ。こんな人だらけの街で使ったとしても、Cs'Wの反応が重なり合ってどれがどれだかわからなくなるだけさ」
「なんや欠陥品やないかい」
まったくその通りだ。多対多の戦場でこんなものは何の役にも立たない。星天騎士団もバカじゃない筈だから何らかの使い道があるのは当然として、それは一体なんだろうか。俺は魔術師暗殺に役立てているが、連中は殺しのライセンスを持ち合わせていない。かと言って正規軍はこんなもの使わず仕事をこなすだろう。
(となると用途がかなり限定的ってことか?ごく少数の限られた相手にしか使わないような……)
「待って」
アシュレイが静かに、突発的に声をあげた。振り返って目を向けると、彼女の顔は何かに怯えているように強ばり、視線だけでその“何か”を探っているようだった。俺とクラウザーも咄嗟に辺りを見渡すが、市民と石で作られた建物しか見あたらない。
「アレが来る……!!」
今にも消えそうな掠れた声でアシュレイが言った。“アレ”はきっと兵士のことだろうと考えた俺は、ナイフをいつでも振れるよう、見えない敵に悟られぬように身構えていた。全く次から次ぎへと節操のないことだ。俺はこの大男をぶち殺す方法を考える時間さえ与えられないのか。
「どこにも兵士は見えないぞ」
「!! ……ギルテロ殿、聞いてほしいことが」
「今言わなきゃダメなこと?」
「ああ、どうしても聞いてほしいことだ。私は他者の心と記憶、そして近い未来を視る能力がある。君やアシュレイ様の心も例外ではない」
「……今言わなきゃダメなこと?」
「アシュレイ様が恐れているものが近づいている。今のアシュレイ様は力の制御ができない。しかし私では“ソレ”の足下にも及ばないだろう」
「待て、待て待て待て。順番に一つずつ、説明しながらで頼む。起承転結!! 何の話をしてるのかさっぱりだ!!」
「アシュレイ様が下手に力を使えば世界を滅ぼす。これを前提にして聞いてくれ。私の使命は彼女の内なる力……『破滅の焔』ごとこのお方を葬ることだ」
「……だったら今殺せばいいだろ」
「『破滅の焔』はアシュレイ様の意志とは違う意志を持っている。このお方の体は繭に過ぎない。刃をいくら振るえど妨げられ、返り討ちにあうのは目に見えている。だから対等に闘う戦士を集め、かつアシュレイ様が焔を抑えつけるだけの力を得なければ、焔が暴走し世界は焼き尽くされる。もうすぐここにアシュレイ様を倒せる力を持った騎士が来る。しかし今言ったとおり、ここで闘うのはあまりにも危険だ」
……堪忍袋の緒の切れそうな部分を無理矢理引き留めていたが、俺は声量が大きくなるのを抑えられなかった。
「証拠は!? 戯れ言につきあってるほど俺は暇じゃねぇんだ!!」
「君が私たちを殺そうとしていることも、魔術師殺しに固執する理由も視た」
「!!」
「だが、今は私たちが争っている場合ではない。“奴”を退けなければ、この宇宙そのものが消えてしまう。それだけは避けなければならない。君の目的……“妹君の敵”をその手で討ちたいのだろう?」
「何を言ってる……ローグは……妹は関係ないだろ!!」
「一つだけ、絶対的な真実を言おう。君はずっと記憶を偽って生きてきた。死んだローグを生きているものだと思いこみ、ずっと手紙を送り続けた。しかしローグは君の目の前で殺された。君の持っている『黒真珠のナイフ』で!」
途端に吐き気が襲いかかり、堪えきれず俺は腹を殴って無理矢理胃酸を吐き出した。しかし脳が丸ごと岩にでも置き換わったように、頭が急に重くなった。
(バカな……俺は一体……何を忘れてるんだ……?)
遡っても遡っても、何かが記憶の扉を遮っている。子供の頃……そう、俺がまだ仙星天にいたときに、何かが……。
「ギルテロ殿!」
「!!」
クラウザーの声で、背後から刺さる殺気にようやく気づく。俺はもう一度振り返って、その正体を確かめた――――
男――――騎士の制服を着た髪の長い男が、紫色の双眸でこちらを睨んでいた。飢えて死にかけの獣のように息が荒く、しかしそれを察知されないように体の動きを抑えている。
「……赤い、騎士か」
「アシュレイ様、下がっていて」
クラウザーが主を降ろし、虚空から槍を出現させた。俺よりも前に踏み出た彼は、声高らかに名乗った。
「我が名はクラウザー。汝は何者だ」
「……星天騎士、アザトス・アッシュクロフトだ。ここは非戦闘域だ。無許可の武装は認められない。そっちの大男は正規軍に引き渡す。そしてギルテロ・ランバーシュ、貴様は星天騎士を殺害した容疑がかかっている。我々が貴様を拘束する理由は充分だな」
(今それどころじゃねーってんだよ……クソが)
アザトスと名乗った騎士は、やはりと言うべきか何一つ武器を持ち合わせていないように見えた。あの制服の下に何か隠し持っているのか、それとも腕っ節に相当自信があるのか。気持ち悪さよりもこの男の態度の方に段々ムカついてきた俺は、早々にこの男を葬ってやろうと目論んだ。
(あわよくばクラウザーごと始末してさっさと撤収したいんだがな……)
「今は我々が殺し合っている場合ではない。奴を退けることだけ考えるのだ!」
「嘘だろあんた本当に俺の心が見えてるのか!?」
「“浅い”がな」
驚愕するこちらを余所に、クラウザーはアザトスに槍の切っ先を向け、攻撃的な構えでジリジリと、数センチずつ距離を詰めていった。対するアザトスはじっと腕を組んで仁王立ちのまま、瞬きさえしない。その様子は形容しがたい威圧感を放ち、同時に挑発的でもあった。無論、奴にもクラウザーに対する勝算があることは明白だ。
(罠だ……正規軍管轄下のこの街で騎士団の人間がたった一人で来るなんてことはあり得ない。奴は正規軍の指揮下で行動しているはずだ。だとすると、奴に指示を出している者と、指示を受けている他の騎士か兵士が……クラウザー、視てるならなんとかしやがれ!)
居住区故に建物が多く、敵が隠れられる場所は無数に存在する。狙撃の可能性を考え、建物の壁側に近づき、死角を可能な限り潰した。が、目の前の敵は依然どんな攻撃手段を使うのかわからない。デコイがただ立っているだけなんてのはあり得ない。
気になるのは、そもそもどうやってこの男がピンポイントで俺たちを見つけられたかだ。この街は極端に広くはないが、人が密集していて中心部のマーケットに至っては四六時中騒がしい。仮にゲリラの居場所を虱潰しに探すとしても、居住区は東西南北に位置し、いくら正規軍と騎士団をかき集めても全部が全部をカバーするのは不可能に近い。それこそ潜伏中のゲリラと銃撃戦だって起きかねない。だというのにこの男は、俺たち三人に狙いを絞って、完全に的中させた。それこそクラウザーの言うように未来でも見えなきゃ不可能な芸当だ。
(何かトリックがあるに違いない……)
「私たちのCs'Wを感じ取っているのか」
クラウザーの言葉にアザトスが初めて表情を変えた。一瞬目を見開き、僅かに驚いていたように見えたが、すぐに元の凝り固まった顔に戻った。
「しかも精密で広範囲……アシュレイ様の力を感じ、ここに駆けつけたというわけか。それもたった一人で」
「生きたCs'W探知機ってことかよ……」
なら好都合だ。俺は生憎魔法の才能に恵まれなかった。だから合理的に格闘戦が挑めると、静かに高揚した。奴は他にないアドバンテージを全く生かすことができない。逆にこちらは魔法の対策を大量に用意してんだ。それを披露する時を今か今かと待ちわびていたんだ。
「おいクラウザー、お前らをぶっ殺すのは変わりない。その小娘を殺すのにも協力してやる。だからこの騎士は俺によこせ。こんなナメた野郎はブン殴らなきゃ気が済まないんだ。一人で来ただと? いい度胸だぜ」
「待て! 言っただろう。奴はアシュレイ様の内なる焔と同等の力を持っている! 我々が力を合わせて、ここから逃げるんだ!」
ここに来て弱音ばかり吐くクラウザーを真っ先に殺してやるべきか迷ったが、目の前の獲物が優先だ。俺はクラウザーとアザトスの間に割り込み、爆弾を仕込んだナイフを一本逆手で、胸の前で構えた。空から差し込む陽の光を刃でわざと反射させ、光を騎士の目に当てる。機械みたいな男だが、これには流石に目を細めた。
「かかってこないのか騎士様? お前の技を見せてくれよ。拳か? 足か? 銃でも剣でも、爆弾でも使えばいい。お得意の魔法はどうした? 騎士は一人じゃなにもできないんだったっけなぁ!?」
「……」
我ながら安い挑発をしたと思ったが、アザトスはやっと胸の前で組んだ腕を開き、両手を空中で指揮者のようにヒラリと動かした。その刹那、クラウザーが槍を出現させるときと同じように閃光が世界を染めた。紫色の光だった。そして大げさな電流の音と共に、その両手に長剣が握られていた。俺は口の端がつり上がるのを抑えられなかった。
「騎士らしくなったじゃないか。それじゃあ早速お手並み拝見だッ!」
アザトスの鼻先めがけてナイフを投げつける――――のと、全く同じタイミングでアザトスが右手の剣を真っ直ぐに投げた。俺たち二人を結ぶ直線上の真ん中より僅かにアザトス寄りの位置で切っ先同士がぶつかり、ナイフは明後日の方向に弾き飛ばされ、爆破した。その爆風によって剣も軌道が下に向き、地面を転がる。爆破の直前から構えていた二本目を爆風の影響がなくなったタイミングで透かさず投げる!
「!!」
アザトスが僅かに体を動かしたのが見え、俺は素直に驚いた。流石だ……爆風の熱で視界がかなり歪んでいるだろうに、あの騎士は小さなナイフの存在と軌道を完璧に予測し、視認し、見切っている。故に確実に避ける。
「お前は俺をナメてるみたいだが、俺はお前をちーっともナメちゃいないぜ」
爆弾ナイフはアザトスの真後ろに落下した。無論、これもすぐに爆破する。だからアザトスは正面に走るしかない。……が、どうやらどうしても茶々を入れたいお方がいらっしゃるらしい。仕方がないから俺は一撃程度は譲ってやることにしたのだ。
(合図はなくて良いよな、クラウザー!)
「オオッ!!」
圧倒的なリーチを持つクラウザーが背後から槍を突き出す。アザトスはそれを剣で受け流すか、かわすだろう。
(がら空きのボディに一発ぶちこんでやる……ぜ……って、あれ?)
ここで、俺にとって最大のアクシデントが発生した。クドいようだが、俺は魔術師をぶっ殺すためにいろいろな工夫を張り巡らして、常に強敵に備えていた。実際アザトスは(悔しいが)俺より強いであろうクラウザーがビビる程には強いのだろう。強いのだと……信じ切った上での戦術を組み立てたのに。
(……遅くね?)
爆弾を見切る早さは、そこまでは完璧だった。なのにアザトスは、肝心な“走り”が見るも無惨だ。足がもつれ、初速から既に衝撃を避けられないことが目に見えている。そんな状態では俺のナイフはもとより、クラウザーの槍など避ける以前に届かない。咄嗟に俺とクラウザーは足を止め、その直後にアザトスはナイフの爆破を背中からまともに受けて、紐の切れた人形のようにべちゃりと地面に打ち付けられた。敵ながら、その哀れすぎる姿に俺たちは呆気にとられてしまう。
(うっそー……どうしたもんだこれは?)
受け身をとってよろよろと立ち上がるアザトス。この追い打ちのチャンスをみすみす逃す俺ではない。このままトドメを刺すつもりでナイフを腹の前で握りしめ、目一杯の力で突き出した。切っ先は皺の寄った眉間に喰らいつき、オーパリウム合金製の紫の刃は頭蓋骨さえ豆腐の様に切断するだろう。
「決まったッ!!」
「右だッ!! ギルテロ殿ッ!!」
警告は脳に直接届いたかの様に奇妙なほど反響して聞こえた。それに反応して攻撃の手はそのまま防御に向かい、体の右側で半ば当てずっぽうで刃を振るった。金属音と鈍い手応え――――顔が右に向いたのは事が終わった後だ。俺は幸運にもアザトスの剣を弾き飛ばし、攻撃から逃れていたのだ。しかし、理解が追いつかない――――
(何だ!? あの剣は最初にアザトスが投げた剣……あれは放置されたままだった。アザトスは正面から走ってきて、拾っている余裕も素振りもなかった筈だ!! 仮に再び構えることができたとしても、完全な真横から攻撃するなんて、腕が伸びるか剣が独りでに動かない限り不可能だ!!)
「飛んでいるんだ!! 奴の剣は確かに、触れずして宙を舞った!! 奴は剣を操っている!!」
「ふっざけるな!! どうやって剣を操るってんだ!?」
「奴の“籠手”に秘密がある!! この男は閉心術を使える。完全に戦術を読むことは不可能だが、全てを隠せている訳ではない!! 私が奴の技を見切る!! 君はトドメの一撃を刺す瞬間を見逃すな!!」
クソが。どいつもこいつも癇に障ることばかりだ。しかし俺の魔術師対策なんてのは、火を出すとか水を出すとかいう攻撃には備えているが、剣でジャグリングをする曲芸師には悔しいが通じるまい。何よりこのアザトスという男、フラフラで隙だらけな様に見えるが――――実際は計算高い。いや、滅茶苦茶性格が悪いと言うべきだろう。この居住区の路地は一見狭いようで、人が行き来しやすいようにある程度の道幅があり、建物同士の隙間が宙を舞う剣の通り道にもなる。偶然にもクラウザーの槍が振り回しにくいのがより面倒だ。しかし、体力的なアドバンテージを突き詰めていけば、こいつは再び大きな隙を見せる。次は躊躇わない。次は容赦しない。
アザトスは背筋を伸ばし、もう一方の剣を手放した。剣はふわりと浮かび上がり、切っ先をこちらに向けて目線の高さで静止した。アザトス自身は両拳を顔の前で堅く握り、身体の右側を若干前に出す格闘の構えをとっている。
こちらとの距離が近い時は格闘戦を織り交ぜるって訳か。器用な野郎だ。だが、あの剣を操る魔法――――ガントレットに仕掛けがあるらしいが、Cs'Wが源流にあることは間違いない。聞きかじっただけの知識だが、魔核魔法はただ『大きい炎を出す』とか、大ざっぱな使い方なら魔核を意識するだけでできるらしいが、火の熱量とか、形を操るとかとなれば話が変わってくる。つまり、尋常でない集中力を発揮しなければ精密な操作というのは難しいそうだ。それも戦闘の……命のやりとりの最中で、剣を操るなんて精密極まるCs'Wのコントロールともなれば、奴の精神の消耗も激しいだろう。
これまで俺は、敵と一対一で正面からぶつかり合った経験が少なからずあった。暗殺が通用しなかったり、恥ずかしいがミスした時なんかにそんな状況に陥ったんだ。しかし俺は反省の意を込めてしっかりとその戦いを目に、身体に、脳に叩き込んだ。お陰で敵の構えを見るだけで何となく、そいつの練度が把握できるようになった。このアザトスは間違いなく、これまでやり合った敵の中でも頂点を競うレベルの熟練者だ。コンディションは最悪らしいが、それでも身に纏った闘志が俺の肌に突き刺さり、嫌な汗を噴き出させた。焦点がブレていたが、切れ長の目は必死にこちらを捉えている。どんなに呼吸は荒くても、握った拳が緩む気配はない。
クラウザーに頼らずとも、野郎の作戦は分かりかけてきた。思えばこいつは最初から“誘い”と“待ち”に徹していた。僅かな体力を温存するために、俺が攻めてくる一瞬を突こうって魂胆なのか。最初に投げた剣を操れるだけの集中力はもう維持できないに違いないだろう。
「ははっ……死にそうな顔してるぜ騎士様よぉ。攻めて来ないのか?」
「……レディファーストだ。お先にどうぞ」
「言うじゃねぇか……」
(かちんと来た)
心の中で「殺す」と宣言するよりも早く俺の身体は意志さえ置き去りにして動き出した。真正面から心臓や眉間などの急所を狙って連続でナイフを振るうが、これは焦りすぎた。動きがワンパターンな上に、アザトスもそこを狙われることなど分かり切っているから、最小限の腕の動きだけで防がれてしまった。
「左だ!!」
クラウザーの声が聞こえると同時に、やっと身体に意識が追いつく。アザトスの剣が枝から落ちる木の葉の様な動きで素早く虚空をなぎ払った。身体を仰け反らせて回避したが、もし警告されなければ輪切りは免れなかった。だが、アドレナリン沸き立つ俺の肉体は既に“恐れ”ごときで縛られたりはしない。すぐに身体を起こして攻撃手段をほぼ失ったアザトスの血をこの刃に啜らせるのだ。奴の動きは正確だが、素早さに関しては俺に分がある。攻撃と防御の中のわずかなタイムラグを重ね、そこに一撃を叩き込む。
胸を、腕を、足を、喉を、腹を、ナイフを持つ手を右へ左へ切り替え、上から、下から、右、左、正面、フェイントを交えて連続して振る。攻撃のリズムを変化させてパンチやキックを織り交ぜる。クリーンヒットを回避しているのは流石騎士としか言いようがない。
「上から降りてくる! 弾け!」
「かあああッ!!」
間合いを離すべく跳躍して後退するアザトス。警告の通り真上から、空間を断つように剣は振り下ろされた。通常ならビビってこちらもたじろぐかもしれないが、俺は臆せず刀身を横から蹴りつけ、剣を弾き飛ばしたその勢いのまま、アザトスとの距離を一気に詰めた。
(立て直させはしない!)
アザトスのつま先が地面に触れるその瞬間にナイフを投げた。見えていたとしても回避は難しい。仮に避けられたとしても、体勢を大きく崩す結果――――防御が完全に崩れることが約束される。二振の剣はもう操らせない。
「お前の技は封じた!!」
「ぐっ……!!」
アザトスは背中から崩れるように倒れてようやくナイフをかわした。受け身をとる余裕さえ無かったようだ!
「もう防御手段は無いッ!! 今だッ!!」
振り下ろされた黒真珠のナイフは正確に心臓を狙っている! どう防いだところで止まらない! アザトスは命乞いする様に右手を弱々しく胸の前に出し――――紫色の光がその手のひらから放たれた!!
「何ッ!!」
雷――――!! その手から強烈な電流が俺の身体に向けて放たれたのだ!! 奴は電気属性――――かなり希少な属性だ!! あのガントレットに仕込まれた電磁石の磁力で剣を操っていたのか!! だが!!
「想定内だッ!! 俺の防護服は絶縁素材で作られている!! この程度の電撃は効かないッ!! 勝ったッ!!」
「ああ……だが、こっちはどうだ?」
「ウッ!!」
突如、ナイフを振り下ろす俺の右腕が身体の左側へ直角に向きを変え、堅く握りしめたナイフが手からスポンと抜け出してしまった。俺は何の力が働いたのか、すぐに理解できた。磁力――――奴のガントレットの磁力がナイフを引きつけ、軌道を変えたのだ!
(剣を操作するのとは訳が違う――――“ただ磁力を強くするだけで良い”!! 精神の負担が少なかったのか!! この土壇場でなんて男だ!!)
丸裸の敵を攻撃している筈が、逆に俺が丸裸にされてしまった!! ナイフに引っ張られた腕のために、身体がぐるりと空中であらぬ方向に回転し、アザトスに背中を見せる姿勢になっていた。これではパンチの一発さえまともに撃てない!! 逆にアザトスはナイフを奪って攻撃に転じることもできる!!
「うおああああああッ!!!!」
「キイイイイイアッ!!」
視界が空を映すと思ったその瞬間、俺の身体を巨大な影が覆い、冷たい風が身体を掠めた。岩を砕くような鈍い音が背後から聞こえたと思えば、俺は顔面から地面に打ち伏せていた……。
「な……何が……クラウザー!?」
クラウザーが俺を引っ張り、槍でアザトスに一撃を放ったのだ! だが――――アザトスは身体を転がしてギリギリで回避したらしい。
(クッソ……なんてザマだ!! こんなフラフラの野郎にあやうく殺されかけただなんて!!)
恥辱に染まった心が自然と拳を動かし、地面を殴らせていた。血の吹き出す様子を見てやっと冷静になった俺は、対峙する二人の騎士に目をやり、すぐにでもクラウザーを援護できるよう、深呼吸した。
アザトスとクラウザーはほぼ互角――――いや、若干だがクラウザーが押しているようだ。巨大な槍の一振りが生み出す衝撃は消耗したアザトスにとって余りにも重たい。防ぐことを捨ててひたすら回避するしかないのだ。そしてクラウザーの技の速さに疲労の蓄積したアザトスの体では反応しきれない。その上に予知能力まである。一発か二発程度は避けられたとしても、いつか――――
「キイイイイイアアアアッ!!」
「ぐう……ッ!!」
「綻びたッ!!」
右腕を突き刺し、建物の壁にそのまま杭の様に打ち付けた! 咄嗟に左手を伸ばし剣を操ろうとしているが、集中力が保てないのか剣はぴくりとも動かなかった! 今ならアザトスは動けない!
「やれッ!! ギルテロ殿ッ!!」
「言われなくても!!」
俺が取り出したのは“石製のナイフ”。金属を一切含まない石を磨いただけの超原始的なブツだ。殺傷能力を補う為に孤星天の原生生物の毒を刃に塗ってある。磁力に引きつけられず、喉頸を掠めただけでも十分に威力を発揮する!!
「死ね!! 魔術師!!」
刃が迫る最中、アザトスは打ち付けられた右手の拳を左手で殴りつけた。バチバチと電流が弾け、ガントレットが紫色の光を纏った。
(無駄だ……俺に電撃は効かない……)
「ハッ!!」
……そう、“俺に”電流は効かない。
「なッ……にいいいい!?」
アザトスはクラウザーを、電流を纏った拳で殴り飛ばした! 鎧を纏った大男が軽々と宙を舞い、反対側の建物の壁に激突した。さっきまで壁だった瓦礫がその身体に多い被さっていく――――
不自然だ、明らかに。身体の動きをほとんど封じられた……壁に腕が打ち付けられたあの状態で、魔力の補正こそあれどあんなに速い拳を撃てる筈がない! もう一度視線をアザトスに戻したとき、その答えをまざまざと見せつけられた。
(腕が……無い!?)
いや、アザトスの右腕は壁にしっかりと、槍が刺さったまま残っている!この男は腕を引きちぎって、自由を取り戻したのだ! だが、生身の腕でそんなことができるはずがない! この男の右腕は義手だった!
(クラウザーは近い未来を予知できる……それはあくまで周りの状況の、小さな変化程度だったらしい。事実あいつは宙を舞う剣の動きを指示したが、直前になってのことだったし、アザトス自身の動きについては何も言わなかった……言えなかった。この男は心を閉ざして、弱点を……切り札を……隠し続けていたんだ!!)
「だが、好都合だ! お前の手は死んだ! 今の電撃拳も、拳をぶつけ合って充電しなきゃ使えないらしいな! もうまともな攻撃も防御もお前はできない! 剣を操るCs'Wも残っているまい!! この勝負、もらったぞーッ!!」
俺は状況に怯まず、速く、ひたすら速く走った。僅か二メートル程度の距離、奴の血の赤に黒い染みを僅かに作るだけでいい。それだけで勝手に黒は広がり、一人の魔術師が死ぬ。
「だあああああッ!!!!」
――――刃が、肉を裂く。真っ赤な血が天を染め上げんと飛沫をあげ、重力に逆らえず地面の汚れになった。
「……どうして……!?」
何故、当たりさえしなかった。たった二メートルを詰めるだけで勝てたのに、俺はその半分を過ぎる前に胸に剣を食らっていた。
「何故……剣がお前の手に……!?」
「三振目も用意してあるに決まってんだろ。じり貧のゲリラ兵とは違う」
「……クソったれ……」
意識こそ保っていたが、この一瞬で血を失いすぎたせいで、さっきまでバカにしていたアザトスと同じように足がもつれはじめた。ナイフを握る手の感覚が麻痺し、こんな小さな得物さえ振り回せなくなってしまう。
(ダメだ……まだ……離すな!! 今堪えれば……勝てる……ッ!! 一発貰ったが……奴も……限界ギリギリだ……ッ!!)
指先から身体が冷たくなっていくのがハッキリと感じられた。辛うじてまともな熱を感じているのは、たった今つけられた胸の傷だけだ。視界がぼやけるのを何度も瞬きして誤魔化そうとしたが、瞼は突然に重さを増し、半分しか開かなくなってしまう。
(頼む……こいつだけでいい……こいつだけでいいから……俺に殺させてくれ……!! そうしないと俺は……ローグのことを……)
脳裏に浮かんだのはあの日――――あの瞬間の記憶だった。仙星天のランバーシュ家の館で、両手が妹の血で染まっていたのをよく覚えている筈だ。俺は何故忘れたフリをしているんだ。あのときの“怒り”は消えていない。彼女の胸を裂いたこのナイフを、震える手で掴み取り、もう見えないところまで行ってしまった彼女の魂に誓ったんだ――――
(お前の受けた痛み以上の苦痛を……魔術師共に……味わわせてやるってな……立てよ俺!! 立てッ!! 討てッ!! 斬れッ!!)
「――――まだ、来るか」
驚いている――――のだろう。アザトスは若干だが、後ずさりしてから健在の左手だけで剣を構えた。
「俺は……妹を殺した魔術師が大嫌いでね。お前ら騎士団だって例外じゃあねぇ。中でもお前みたいな“本当は強い奴”をぶっ殺せるなら……そんなチャンスが転がり込んできたこの瞬間を逃す手は……無いぜ……!!」
アザトスの表情が、汚らわしいものを見るような、嫌悪を伴うものに変わった。
「……そうか。俺も人間に殺されるなら本望だ……“人間”に、な。化け物相手の仕事ばかりだから忘れてたぜ。人間の中にもお前みたいな“化け物”がいるってことをな!!」
「いいじゃねぇか、最後まで本職に殉じられるぜ」
「全くだ……!!」
俺たちはほぼ同時に前方に跳躍し、互いの心臓に切っ先を向けあった。奴の剣と俺の黒真珠のナイフではリーチの差は歴然。このまま立ち向かえば真っ先に心臓を捉えられ、一方的にやられる。無論“そのまま当たる”つもりはない。
「なにッ!?」
俺は敢えて、奴の剣に“当たりに行った”!
「ぐおおおおおッ!!」
本能的に叫んでしまったが、殆ど痛みを感じなかった。僅かに心臓を避け、左肩に近い位置を剣は貫いているが、血を失いすぎた俺の身体は麻痺しきっている。故に、怯まない!そして心臓を捉えるはずだったアザトスの剣を捕らえて離さない!!右腕を失ったお前にこれ以上致命の一撃を放つこともできない!!
「存分に味わいやがれ!!」
「ぐっ……おおおおおッ!!!!」
咄嗟に剣を離して回避動作をとる対応力は流石騎士様だ。だが、お互い意地だけで辛うじて立っていられるような体だ。一分でも弱気になったならば、即座に瓦解する。お前はもう――――
「おしまいだッ!! アザトスッ!!」
「意地だけじゃ……ねぇんだああああああ!!!!」
手が巨大な力に引っ張られるのを感じた――――磁力!! 僅かにグローブに残った磁力で俺のナイフをかわすつもりだ!! 吹き込まれてしまう……唯一俺の身体を動かしている意地に……臆病風を……!!
(嫌だ!! 今だけは!! どうしても!! 負けたくないいいいい!!)
「うおああああああ!!!!」
全身のあらゆる力が両手に集い、ナイフの軌道が逸れるのを防ぐ!! これを逃したらもうおしまいだ!! 奴を倒せるチャンスはここしかないんだ!!
――――届いた……間違いない、この手応えは少なくとも奴の肉を裂いた証だ。魔術師を殺すときはいつだってこの感覚だ。弱々しい心臓の鼓動さえ手に取るようにわかる。無意識に閉じていた目を開けば、確かに左胸にナイフを押し込んでいる様が見られた。
「勝ったぜ……騎士様よぉ……ウッ!?」
……突然、左から頬に強い衝撃が叩き込まれ、顔が右を向いた。
「ウッ!?」
鉄の味が口を満たしたと思ったら、今度は反対から同じ衝撃が襲いかかり、またしても逆らえず視界が左に移る。
(――――殴られた?)
「グッ……オボォ……」
更に重たい一撃が腹部から突き刺さり、口の中の血液を巻き込んで胃酸を吐き出した。間違いない。俺はアザトスから反撃を食らっている!!
「な……ぜ……!?」
何故生きている? と、続くつもりだったが、全く声が形を成さない。
「はぁ……はぁ……意地だけじゃ……ない……俺たちには……誇りがある……!! 目を逸らして……誤魔化すだけの……お前とは――――」
高く掲げられた拳を、俺はどうすることもできず、ただ見つめていた。それがどう動くかなんて知っている。こいつがどうしたいのか。俺がどうなるのか。こいつは俺では到底倒せない相手だった。こいつの怒りは俺では到底及ばない領域にまで届いていた。そんな男の拳が今、振り下ろされる。俺に足りなかったものを突きつけるべく――――
「お前とは違うんだあああああッ!!!!」
「うぐっ……」
その拳は余りに重く、肉体的に純粋な痛みを伴う一撃だった。Cs'Wなどに頼らず、ただ筋肉が発生させた力だけで放たれたものだ。心臓を貫かれ、絞りカスのような体力で、それでも尚全霊を出し切った一発が顔面に真っ直ぐ突き刺さり、鼻の骨を滅茶苦茶にし、俺を背中からぶっ倒す威力を持っていた。顔中が血液に覆われ、空を見つめているのに視界は真っ赤だった。吐きかけた血が喉に逆流し、まともに呼吸ができない。
走馬燈のように――――と、言うのだろうか。あらゆる思い出が一斉にあふれ出し、頭の中で縦横無尽に暴れ始めた。傭兵としての闘い。暗殺者としての闘い。苦汁を舐めさせられるばかりだった家出したてのクソガキの頃。そして――――ローグ。
結局お前がどんな魔術師に殺されたのか、さっぱり分からないままだ。幻影の魔術師は凶器以外に何一つ痕跡を残さなかった。そう、“何一つ”――――
――――なに、ひとつ。
――――俺は、どうやって犯人が魔術師だって突き止めた?
ローグが殺された要因はナイフで胸を切られたことによる大量の失血。ショック死だ。ローグは当時まだ幼かった。犯行は魔術師以外の誰にだって……下手をすれば子供にだって可能だ。
(ローグ……お前……誰に……!?)
溢れ出る記憶――――そのビジョンが着々と冷たくなりつつある体に感覚を“思い出させる”。
心臓の鼓動に直接触れているような、どろりと生々しい熱。魔術師を殺すときの感覚……それを味わった最初の瞬間。布を裁断するように容易く切り裂かれた白い肌。恐怖に歪む暇さえ与えられず、固まった顔。
『目を逸らして誤魔化すだけの化け物』
アザトスは俺をそう罵った。知っていたんだ、さっきまでの俺以上に。事件の真相を。誰がローグを殺したのかを。
最後に映し出された記憶は、ナイフが妹の胸めがけて振りかざされたその瞬間の、一人称の映像――――
(……俺が、ローグを殺した)
背筋から広がった冷たさが瞬時に肉体全ての支配権を奪い取った。俺はこれから死ぬ。その確信に体が震え、恐怖のあまり涙さえ流れた。しかし叫べない。逃げ出せない。突きつけられた二つの事実が俺を縛って離さない。
(なぜだ……なぜだ……な……ぜ……!!)
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