第9話 影の予兆(7)

 Azathoth Ashcroft 1994年7月31日 10時02分00秒 モスコームトン宇宙港 東部発着場 ベイⅠ


 船を下り、吸い込んだ空気が喉にぶつかった途端に、その乾ききった埃っぽい臭いが孤星天にたどり着いたということの“報せしらせ”となった。ここ数年続いているゲリラとの抗争の結果、政府指定の避難区画から逃げおおせた人で街があふれかえった。上空から見たモスコームトンのマーケットは人がすし詰めで歩くことが億劫になりそうだと、部下たちが漏らしていった。全くその通りだと俺は声には出さず、装備を確認しながら誰に向けた訳でもなく小さく頷いた。船の中では彼らが気を使って眠らせてくれたが、それでも十分に疲れが癒える筈もない。正直なところ、地面を踏みしめている筈の足の感覚が妙に冷たいような気がしていた。確かに動いているが、まるで自分の肉に変わって歪に組まれた機械でも取り付けられたかのようだった。


 発着場からぞろぞろと現れた騎士たちに、人々の視線は無意識に引きつけられる。暫定政権のゲリラ部隊とやり合っている正規軍とは明らかに雰囲気の違う連中が群をなしているのだから無理もない。裾の長い白の制服を見ただけで星天騎士団が来たと理解できる人は、孤星天には少ないだろう。仮にいたとしても、余程の軍事オタクだ。


 ――――そしてそんな博識な輩でも俺たちの部隊を正確に言い当てることは不可能だ。


 駐屯兵たちからの連絡が絶えたのが約二十分前の出来事だった。合流地点は避難命令区画のレイテ中央公園にたどり着いた筈のOーアルファが最後に残したメッセージには『赤い騎士』という言葉が残されていた。


 『孤星天の赤い騎士』の噂話はそれなりにポピュラーな都市伝説のひとつだったと記憶している。旧市街地……特に旧レイテを中心としたガールベリア王朝の遺跡を内包する地域に現れる真っ赤な鎧を纏った幽霊の話だ。一目した途端に腰を抜かす程の恐ろしい形相をしていて、ソレに気づかれたが最後、生きては帰れない……とか。


(生きて帰れないなら何で話が伝わってんだ。バカにしやがって)


 正規軍からのけ者扱いを受けていた支援部隊の騎士が、仕返しに下らないイタズラを仕掛けているとかいう噂を聞いたが……幽霊の噂で正規軍を脅かすつもりだったとは思いたくないな。連中が気にくわないのは俺もそうだし、ロキシー閣下も何度か小言を漏らしていた。ミレニアンを含め、外宇宙からの侵略に対抗する為の予算案を突き返すのは決まって正規軍のお偉い方だった。だからといってミレニアンや超獣出現の可能性を否定することはできない。ましてや通信が全くできないこの状況で仲間を見捨てることなどあってはならない。


 ――――しかし、俺たちはたった六人だ。あくまで調査・偵察だと銘打たれた任務だが、仮に超獣と対面することになったらと思うと、心許ない。


「隊長、短距離通信を試しましたが、やはり合流地点から連絡はありません」


 通信手を請け負うハリー・シンが端末の通信記録画面を指し示した。こちらから何度発信しても返事はこない。


「超獣が出たと思うか?」

「いえ、私はそうは思えません。駐屯地にいる通信手は私の同期です。彼ならもっと正確な情報伝達をします」


 なら一安心だとは言えないのがつらいところだ。


「きっとゲリラが姑息な手を使ったに違いありません」

「ゲリラの相手は俺たちの仕事じゃない。仲間に手を出していたなら……適当にあしらって正規軍に引き渡す」


 部下たちは揃って苦虫を噛み潰したような顔をした。騎士団は元老院の援助を受けているが、法に定められた唯一の軍、正規軍の名詞を得ているのは連合軍だけだ。俺たちは警察に近い立場故に、連合軍の管轄下でなければ殺しはできない。単独ではせいぜい暴徒鎮圧だとかのために限定的な武力行使が許される程度だ。しかしそれは人間が相手の場合に限った話。ミレニアンと超獣は現行法のどこにもその名詞が存在しない。正規軍は勿論、騎士団の中でも俺たち『超獣攻撃隊ORBS』しか知らない外敵だ。


 正直なところ、俺は本心でミレニアンか超獣が出現していることを願っていた節がある。もし本当にゲリラがちょっかいを出してきたのなら、俺たちは怒りの捌け口を失って、腹に気持ちの悪い感覚を抱えたままとんぼ返りすることになる。これがミレニアン共のやったことなら、秘密裏とは言え好き放題に暴れられる。(そんな体力が俺に残っているかどうかは別問題として……)


「隊長、気になることがあります」

「どうした?」

「自分はこのあたりの出身なので、例の『赤い騎士の幽霊』の噂は何度も聞かされました。仮に仲間たちを襲ったのが超獣でもゲリラでもなく……本当にその……幽霊だったら、我々はどうすれば……」

「人間じゃないなら好都合だ。害“鳥獣”なら俺たちで駆除しても構わん筈だ」

「冗談はやめてください……」


 俺はオカルトが嫌いだった。幽霊とか、未確認生物とか、学生時代にはマナとか言うのも流行ったが、全部ひっくるめて耳障りでくだらない与太話に過ぎない。昔からこのスタンスは変わっていない。静かに沸き立った怒りが、目前に迫った死の感覚を忘れさせてくれた。


「急ぐぞ」


 部下たちはそんな俺を見て、まるで地雷を踏んでしまったかのように萎縮していた。むしろ火をつけてくれたことに感謝しているのだがな……。


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