第7話 影の予兆(5)

 Azathoth Ashcroft 1994年7月31日 6時00分55秒 魔天


 遠ざかっていく意識の尻尾を必死で引っ張り、ちょっとの刺激で俺の根性が途切れてしまうのではないかと思うほど、体力が限界寸前まですり切れていた。俺が弱いのが悪いなんてことは分かっている。身を守るのが精一杯で、部下を守ることも出来やしない俺みたいなのが部隊を預かっているなんて、端から見たらとんだ欠陥組織だと笑い話にされるだろう。


 侵略者たちとの闘いを終えて本部に戻る度、他の隊の連中やメディックが声をかけてくる。「大丈夫か」とか「よくやったな」とか、聞こえは良いが、同時に後ろ指を指しているのがよく分かる。俺が守れなかった人々の命を掲げて、鼻先に突きつけてくるかのように。


 騎士が激務だなんてことは分かり切っていた。心身を磨耗して闘い続ける仕事だなんて百も承知していた。それでもやっぱり……今だけは、眠らせてほしい。ベッドの上で、誰にも見捨てられた死体のようにしていてほしい。


「失礼します! アザトス隊長、ロキシー閣下から伝令を預かっています」


 私室のベッドでうつ伏せになっていた俺に、部下が無慈悲な言葉を打ち立てた。起きあがった俺の顔を見た部下は、まるで幽霊でも見たかのような表情を浮かべていた。相当に今の俺は酷い顔をしているらしい。


「……何だ?」

「はっ、孤星天で発生した異常な魔力反応の調査に向かうよう第一中隊に命令が下りました」

「……分かった。すぐに準備をする」

「……」


 体を起こしてベッドに腰掛けると、俺をじっと睨みつけている部下の顔が待ちかまえていた。そうか、やはり彼らにとって俺は部下を見殺しにしてノコノコと帰ってくる死神も同然らしい。隊の設立以来二年、ズルズルと生きながらえ、繰り上げで隊長になっただけの俺を恨むのは無理もないことだ。


「隊長……お言葉ですが……」

「……どうした?」

「その……お体の具合が良くないのでは? 顔色が真っ青ですし、息だって荒いです。いくらロキシー閣下のご命令でも……」


 俺は思わず目を丸くした。俺は罵詈雑言でもぶつけられるつもりで身構えていた。しかし彼は、どうやら本気で俺のことを心配してくれているらしい。それでも、その事実が俺の心に重くのしかかる。他人の心遣いにも気づけない哀れな男なのだと、再認識させられてしまうからだ。


「大丈夫だ。みんなを集めてくれ。俺もすぐに行く」

「……隊長はつい昨日まで“奴ら”と闘っていて、やっと帰ってきたばかりじゃありませんか! 怪我だってしているし……それをまた孤星天の戦場に送り込むなんてあんまりです! 私がジュラン副隊長に進言して、ロキシー閣下を説得してもらいます!」

「余計なことを考えるな!! 人の心配をしている暇があったら“奴ら”を倒す手段を考えろ!! 下がれ!!」

「――――ッ!! 失礼しました!!」


 ――――またやってしまった。


 いつかこうなるなんて、頭の片隅で分かり切っていたことなのに、いざその時が来ると、心底怖くなった。俺はきっと、次の闘いで死ぬ。確かな予感が目の前に迫っている。


 二年前から始まった異次元からの侵略『ミレニアン』――――絶え間なく送り込まれる奴らの生物兵器『超獣』は、圧倒的な力で俺たちを蹂躙する。俺たちは偶然勝ちを重ねているが、これ以上は無理だ。騎士学校で十年訓練を受け、俺と共に成績トップを競った友が跡形もなく“すす”に変わったあの瞬間に、近い将来の敗北を俺は予見した。


「……孤星天か。ちょっと距離があるな」


 俺は皺だらけの制服を乱暴にベッドに脱ぎ捨て、クローゼットにしまっていたクリーニング済みのものに着替えた。途中、シャツの襟からはみ出た古い傷口の端を指でなぞり、ぼけっと立ち尽くしてしまう。鎖骨の間から右わき腹にかけて、遠い記憶が痛みをうっすらと蘇らせる。人生で初めて戦場に出たときに付けられた傷だ。以来闘いの度、ひとつ、またひとつと傷は大きく、多くなっていった。


 不思議なことに、部屋を出た途端に死の怖さが身を潜めてしまった。むしろずっと昔から予感さえしていて、この時を待っていたような気がした。受け入れるべき運命がそこにあるのではないか。安らかな死が……いや、それは期待しないでおこう。


 ポケットの中の端末が揺れた。作戦内容を伝えるメッセージだ。孤星天旧王朝跡で小型核弾頭級の爆発が認められた――――これだけならゲリラ討伐に必死な正規軍が血迷っただけとも思えたが、そこまでバカな連中じゃないと続きの文が証明していた。


 異常熱はCs'Wによるものと断定。爆発発生時に正規軍人三名が死亡。熱源はレイテ市方面へ移動中。超獣出現の可能性を考慮し、出動を命ずる――――調査も含めて俺たちの仕事というわけだ。


 ――――例え死ぬとしても、俺は最後まで使命に殉ずる。ずっと昔に決めたことだから。

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