第5話 影の予兆(3)

 Gilthero Lanbasch 1994年7月31日 9時2分40秒 孤星天 レイテ市避難命令区画 廃病院病室


 爆撃を受けて天井が抜け落ち、二階が露わになった廃墟の一室に身を潜めた。そこが病院だと気づいたのは、患者服を着た仏がベッドの上に転がっているのを見つけたときだった。中途半端に爆風に晒され、苦しみながら死んでいったのだろう。俺は自らも同じ目に遭うかもしれないと言う戦場の常識から目を逸らすように、タブレット端末を起動し、GPSの情報に視線を向けた。昔殺した星天騎士団の魔術師から奪い取ったCs'W探知システムが組み込まれている。精度は悪いし、大ざっぱな情報しか示してくれないが、開けた場所ならこれが役に立つ。


 病院の位置がレイテ市の南端。北方でCs'W消費の反応。病院付近にもちらほらとCs'W反応があるが、液晶に表示された光点は僅か四つ。爆撃が上手くいったことから警戒の手が薄くなっているのかもしれない。甘く見られているようにも思ったが、俺は大して気に留めることもなく、この四人をどうやって葬るかを模索していた。


「……ん?」


 Cs'Wの異常な増加を感知し、端末が短い警告音を鳴らした。新たな二つの光点が南東からゆっくりと近づいてきたのだ。それだけなら単に増援がやってきただけで済ませられたのだが、状況の変化はすぐに訪れた。新たに出現した光点に向かって、最初から表示されていた四つの光点が急速に接近し始めたのだ。


「おかしいな。この二人は連中のリーダーか何かか? それとも……」


 俺は腰から取り出した別の通信端末で、連中の通信を傍受した。別働隊が動いていて、俺の存在に気づいていたとしたら致命的だ。しかし、そんな心配はすぐに“上書き”される。


『――――の報告にあった赤い鎧の男だ! 遮蔽があって目視では確認できないが、既にCs'Wを感知している!』

『了解。コマンドポストから各隊員へ、攻撃はするな。繰り返す、攻撃はするな。遠距離からスキャンを行い、入念にデータを収集せよ』

(何が起こっている……?)


 中途半端なところから通信を聞いたから、連中の話の全貌が掴めなかった……


(少なくとも奴らは今、尋常でない状況下に置かれているに違いない)


 そう考えた途端に――――


『待て! 動くな! 動くんじゃない!』


 銃声、しかし余りに早く止んだ。同時に端末の光点は二つまで減っていることに気づき、どろりと汗が噴き出す。まさかこの二つの光点――――赤い騎士とやらが最新鋭の装備を揃えた兵士を、瞬く間に倒したというのか。


「……そんなバカな!」


 俺は『赤い騎士』の正体を確かめるため、すぐさま病院を出た。端末で見た限りでは、光点はゆっくりと北上していた。徒歩で、それもかなり落ち着いて進んでいるようだ。兵士の襲撃に臆すことなく進行を続ける『赤い騎士』とは何者なのか。ただ者でないようだが、敵兵と遭遇して尚、呑気に行き当たりばったりな動きをしているようにも感じた。途端にこの二人に対する恐怖心が薄れた俺は、間抜けなことにクリアリングさえ忘れて一気に光点の示す位置まで駆けだした。


 俺は奴らの丁度背中側……廃屋の壁に身を潜めた。距離にして十メートル程度。意識を集中すれば奴らの息づかいさえ分かった。俺はポーチから真っ赤な布を取り出し、そこからナイフの刃だけを露出させ、わざとらしく自らの顔を映した。しばらく髭の手入れをしなかったのと、不摂生のせいで、鼻の頭にデカいニキビにできていた。このハンサム顔を冥土の土産にしてやるのだ。


 すぅ……と、聞こえないように深呼吸をひとつして、俺は両足に同時に力を込めた。腹が地面をこすらんほど低空を、ほんの一度の跳躍で駆け抜ける。魔術師を殺すためにこそ生まれた俺の力。ただ速く、故に強く、命を抉る一撃を――――


「!!」


 ――――弾く、鋭い一閃。重く低い金属音と、鈍い痛みがナイフを握った右手にのし掛かった。俺の目は真っ赤な鎧を纏った大男が、何か黒い棒状の得物で俺の切っ先を逸らしたのを捉えていた。俺の体は仰け反り、騎士に背中を見せたままヨロヨロとしていた。やろうと思えば子供でさえ簡単に殺せるほど大きな隙だ。しかし、そんなことはどうでもよかった。


 速かった……俺よりも遙かに速かった。俺が唯一の誇りであり、俺にとって唯一の強みだった速さで、この真っ赤な騎士に敗北した事実が俺の心臓を雁字搦めにしてにして離さない。派手な装飾のナイフが無様に地面を転がった。俺は痛い程強く胸が脈打つのを感じながら、その空白の時間に浸っていた。


「……さっきの兵士ではないな。差し詰め、この地の抵抗勢力といったところか」


 騎士が静かに言った。俺は立ち尽くしたまま答えなかった。が、そのとき漸く、騎士の馬鹿でかい体の背後に隠れていたもう一人の存在を認識した。


 ……大きなCs'W反応は二つあったが、まさかその一つが、年端もいかぬ少女だとは思わなかった。赤い鎧も十分に目立つが、その少女の二つに結った髪は、本物の炎のような美しい緋色だった。背丈は騎士の腹にも満たない。精々百二十センチ程度か。どんなに高く見積もっても十代前半だろう。俺はここに来て端末の故障を疑った。まさかこの小娘が、この騎士と同じように巨大なCs'Wを放っているのか。


「何者だテメーら!? ここは戦場だ! ピクニックは余所でやりやがれ!」


 苦し紛れに声だけ大きな弱々しい威嚇をしたが、騎士は勿論、少女さえも大した反応を示さない。騎士はこちらを見下すように答えた。


「私はクラウザー。この方の従者であり騎士だ」

「騎士だと? はっ、笑わせる。星天騎士がどうして正規軍を襲う!」


 クラウザーと名乗る騎士は眉間にしわを寄せ、首を傾げた。


「正規軍……? 言っている意味が分からんな。私はこの方を傷つける者を排除したに過ぎない」

「この方って……その小娘か?」

「小娘ではない」


 クラウザーは振り返り、自らの主に目を向けた。それから少女の頭のてっぺんからつま先までを時間をかけて眺めてから、再びこちらに鋭い目を見せて……


「……小娘ではない」

「ダボが! あんた今小さいとか思っとったんやろ!」

(……訛ってんのか? 妙な喋り方の小娘だ)


 少女は小さな手のひらでぺちぺちとクラウザーの腹を叩いて不満を訴えていた。クラウザーは無視しているわけではないが、大して気に留めていないように見えた。あまり冷静でなかったその時の俺には、主従関係というより親子にしか見えなかった。

 漫才のようなやりとりを見ているうちに、俺の頭に上った血は段々と冷めていき、ひとつため息をついてから転がったナイフを拾った。


「あんたら、魔術師じゃないのか?」

「……魔法が使えない訳ではない。積極的に使おうとは思わないし、魔術師を名乗った覚えもない」

「そう言う割には、二人揃ってアホみたいなCs'W反応してんじゃねーの?」


 またクラウザーは首を傾げる。


「しーえす……先日会った兵士たちも同じことを言っていた。すまないが……」

「ギルテロで良い」

「ギルテロ殿、シーエスとはなんなのか詳しく教えてほしい」


 本当に何も知らないようだ。随分古風な格好をした男だとは思っていたが、まさかタイムスリップでもしたわけではあるまい。或いは、旧レイテに夜な夜な現れる亡霊の正体か。どこかでバカバカしいと思いながらも、俺はオカルトめいた考えをせずにいられなかった。


「あんたら、Cs'Wを知らないってことは、自分の魔核の自覚もないのか」

「まるで知らないな」


 俺は少々面倒だと感じながらも、連合で定められた『魔核式魔法』について説明した。


 魔核――――目・心臓・手・足のいずれか一カ所に出現する魔力生成器官。魔核から生成されるCs'Wを用いるのが魔核式魔法だ。魔核には通常、火・水・風・土のうち一つの属性があり、Cs'Wもその影響を受ける。故に魔核式魔法は基本的に一つの属性しか使えない。訓練を積めば無理矢理Cs'Wの属性を変えられるが、一時的な上に余計な消耗まである。そして最大の制約は、その属性にできないことは絶対にできないと言うことだ。水で焚き火は起こせないし、火でビールを冷やすことはできない。


「――――つまり、この時代は詠唱式魔法や、魔法陣式魔法は使われていないのか?」


「魔法陣は今でもあるが……詠唱ってマナ魔法とかいうやつのことか? んなオカルトあるわけないだろうに。ところで……」


 俺は思いきってクラウザーに近寄り、その血で染めたような赤い鎧に目を向けた。独特のくすみのある光沢はオーパリウム合金に近いが、本来のソレは赤紫色だ。少なくとも当時の俺ではその素材は見当もつかなかった。だが、こんな古めかしい鎧に、この男の言動――――俺は一瞬躊躇いながらも、ひとつの疑念を口にした。


「どこの人間だ? いや、いつの人間だ?」

「……」


 我ながら突拍子もない言葉だと思った。が、どうしても俺は、クラウザーと名乗る目の前の騎士が現代の人間には見えなかった。魔核に関する知識を持ち合わせていないことや、奴の時代錯誤としか思えない格好、そしてこの地域の噂話――――こじつけるには十分な材料だ。クラウザーはしばらく間を開けてから、眉をハの字に曲げて答えた。


「私の肉体はとうの昔に朽ちている。君が見ているのは私の幽霊に過ぎない」

「……そっちは?」

「この方は霊体でも幻でもない」


 こちらから問いかけておいてなんだが、俺はクラウザーの言葉を信じきれなかった。そもそも幽霊などと言う眉唾物の存在を信じろと言うのが無理な話だし、自称幽霊の腹を叩き続ける少女についても説明がつかない。


 やはり、兵士を殺したのも、俺の技をかわしたのも偶然で、こいつは遺跡荒らしかなにかで、金になりそうな鎧を盗んで戦場を彷徨いているだけではないんだろうか。


「……信じてもらえるだろうか」

「無理だ」


 クラウザーはあからさまに落胆した。


「そうか……今の私ではまるで知恵が働かなくてな。せめて人里まで道案内してくれないだろうか?また、兵士に襲われてはたまらない」

「俺がその兵士だったらどうするんだ?また殺すか?」


 クラウザーは自らの主を一瞥してから、無表情のままこちらに視線を戻した。


「君が、我が主に牙を剥くのなら」


 一切表情を動かさないままだったが、クラウザーから僅かに殺気を感じ、同時に俺の意識は闘いにおける緊張感を取り戻した。このとき俺は確信した。こいつは何一つ偽り無く、あの少女を守ろうとしている。俺にさえも嘘はついていない。


「……とりあえず、俺は忙しい。貰った給料分の仕事だけは片づけないとな。それからならガイドになってやるよ。あんた、クラウザーって言うのか?」

「如何にも」

「そっちの小娘は?」

「小娘ではない。ただ、この方はご自分に関する記憶を……」


 十才にも満たなそうな小娘が記憶喪失とはたまげたものだ。どうやら相当にややこしい事情があるようだと察し、俺は友好的な態度をとったのを一瞬悔いた。誤魔化すように俺は憎まれ口をきいた。


「はは、お前の娘にしてはちょっぴり小奇麗だものな」

「小奇麗ではない。綺麗なのだ」


 それだけ言うとクラウザーは、主の目線まで腰を落とし、両わき腹をその手でがっしりと掴んで、少女の体をひょいと抱え上げた。


「うがー! 子ども扱いすんなやー!」


 少女は甲高い声で叫び、じたばたと手足を振り回すが、圧倒的な体格差の前には無力だった。


「……そろそろ歩くのにもお疲れかと」

「んなこと抜かしといて、どさくさに紛れてウチのおっぱい触る気なんやろ!」

「それは……ええ」

「否定せーや!」


 ……なんなんだ、こいつらは。思わずついたため息と同時に、やる気まで吐き出してしまったように俺は錯覚した。だが、俺は二人が何の考えも無しに兵士を始末したことを思い出し、咄嗟に端末を取り出した。幸運にも増援はまだ来ていないようだ。


「アシュレイ」

「……ん?」

「あんたのご主人、アシュレイって呼ぶのはどうだ?」


 その命名に特別深い意図はない。ただ、俺が子供の頃に見た映画女優の名前が何となく思い浮かんだだけだ。


 肝心な小娘は暫く眉間にしわを寄せて思案したかと思えば、唐突にしかも実に満足げにニタっと笑った。どうやら気に入ったらしい。そんな中でも忙しなく足をジタバタと動かしていたが。


「文句はなさそうだな。ついてこいよ」


 素直な騎士様は、俺の言葉を疑うこともなく、怒る主を赤子のように抱き抱えたまま後に続いた。少女は両足で従者の胸を蹴り続けていた。

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