真夜中の密会
それからそれから。相変わらずの羞恥を抱えたまま、死にたガ―ルに詳しく、僕の渡すわらび餅とマッチョさんの餞別との違いを説明。で、結論。『いっぱい貰えたからなんでもいいです』ってことになり、まあ僕としても概念云々より今はとりあえず喜んでくれるのが何よりかなってふうに納得。
ガラガラと扉が開いたかと思えば、今日は早めに仕事を切り上げたと語る共働きの両親がやってきて、そうかと思えば僕の安全を確認するとすたこらさっさと帰っていった。なんでも最近、二人してはまっているドラマがあるんだとか。息子よりドラマかよ、なんて至極尤もなツッコミの感情も抱いたが、所詮”たかが骨折”なのでその対応も仕方ないかなと納得。運ばれてきた夕食のメインメニュ―は、病院食にしてはなかなか美味しそうな鯖の味噌煮。
それが死にたガ―ルに運ばれ、僕はと言えば、
「ほら、おまえの入院祝いだ」
それはそれはもう思わず涎が垂れそうな──なんて表現とは無縁の、薄口塩コショウで味付けされたもやしが、もやしだけが、丼一杯に盛られた状態でマッチョさんに渡された。
僕はこれでも、というかどうみても患者だ。なのにまさか本当に報復を実践してくるとは。たぶん賞味期限ギリギリなんだろうな。そう思いながらも、元々は紛いなりにも僕からの願いなのだから仕方ないかと見切りをつけ、哀れみの目でこちらを見つめる死にたガ―ルの施しを断って、慣れない方の手で頑張ってパリポリともやしを頬張りながら納得。
そんな、あまのじゃくになる気にもなれない納得続きの慌ただしい初日が終わり────この標病院にも夜がやってきた。日付はもう、それらの出来事を昨日にしている。なにともなく横を見れば、
「スヤスヤ……」
初めて出会ったときにはあったカ―テンという名の壁を取り払い、心地よさそうに寝息をたてている死にたガ―ルがいる。それが即ち心の壁と直結するのなら嬉しいことだななんて思うと同時。これまた驚き。ここまでハッキリスヤスヤ言いながら眠る人間を僕は初めて見た。
まあ”クスクス”の前科があるから、そこまで仰天はしなかったけど。ちょっと間の抜けたところも可愛いななんて、ほんの少し思っただけだけど。
さてさてそんな折にガラガラと。しかしなるべく音をたてないよう注意している様子のナ―スがやってきた。
「こんばんは」
「おはよう」
北条である。ちゃんと約束を守ってくれて助かる。またまたひどく疲れ顔になっていたのが少し気になったけど。
「で、話っていうのは?」
「ここじゃ話せないことだ。悪いが談話室まで送ってくれ」
互いに可能な限り声を潜める。それ以上詳しく伝えなくとも理解したのか、彼女は良くも悪くもない手際で僕を車イスに乗せてくれた。
「よし、北条ウォ―クだ」
「だからどんな──ッ?」
昼間と同じくオ―バ―リアクションをとろうとした介護者へ、僕は振り返って人差し指を自分の口元にかざす。この行動、なるたけ死にたガ―ルにバレたくはないんだ。
ハッと自身の突発的反応に気づき反省した彼女は、申し訳なさそうに眉を落としてからイスを押してくれた。
念のため確認するが、死にたガ―ルは相変わらずスヤスヤ言っていた。どうやら感づかれることはなかったらしい。シメシメながら、ヒヤヒヤである。
部屋のドアを静かに閉める北条。静まり返った廊下。患者の就寝のためと非常灯等を除く明かりが消されたせいで、その先には真っ暗とまではいかないまでも、なかなかに夜の病院らしい闇が広がっていた。
「どう? まんざらでもない雰囲気でしょ」
手持ちの懐中電灯のスイッチを入れながら、僕の耳元でやけに一音を伸ばして囁く北条。そこには些かからかいの意図もあるのだろう。だが生憎、
「僕は幽霊とかは信じない主義なんだ。それらを持ち出す輩は、格好の反論対象さ」
ということである。
他に神様だとか運命だとかもそう。あまのじゃくとして話すときに理論の一体を担わせることはあるが、それは論理を破綻させないためのただの方便。本来の僕は、憑物神とかいるわけないじゃんって思考の人間だ。
「あら、奇遇ね。じつは私も昔はそうだったの。でもこういう仕事をしてるとね、嫌でも遭遇しちゃうのよ。一度見ちゃったら、もう信じるしかないじゃない?」
「どうせマッチョさんと見間違えたんだろ」
「あなた……やっぱり酷い人ね。よくそんな物言いであの人に接することができるわよ。尊敬する」
「しなくていい。僕もあの人との間には、基本的になるべく荒い波は立てないようにしてるから」
「あっ、ズルい!」
「社会を生き抜く知恵さ。それはお互い様だろ?」
「むぅ、たしかに」
と、そんなあまのじゃく流コミュニケ―ションをしている間に、ソファ―やら机やらが設置されている同階の談話室へと到着した。部屋というよりは場といったほうが適切か。僕は元々車イスに腰を落ち着かせているため、座イスもソファ―もない場所に陣取る。そして北条を、机を挟んで向こうの黒いソファ―に座らせた。
「さて」
机上に置いた懐中電灯を唯一の光源に、まずは捻くれることなく礼から始める。
「悪かったな、こんな時間に呼び出して」
「いいわよ。どうせ夜勤で見回りもあったから」
「そうか。まあ都合は良かったとしても、時間を割かせていることに変わりはないんだ。だから──これを贈っておく」
病院服のポケットから取り出した一枚のブル―ガム。机の上を滑らせ、それを北条に渡す。
「もしかしてこのガム……私のために買ってくれたりした?」
「さあ? どうだろうな」
「まっ、昼間と同じくありがたくもらっとくわ」
袋を近くのゴミ箱に捨て、今回は早速それを口に入れる北条。
「この眠気を吹き飛ばす爽快感。働く者の必需品かも」
整った顔に梅干しみたいなシワを作り、瞑られた目はリフレッシュ真っ最中であることを悟らせる。
にしても、これから話をするのに今食べるのか。僕はべつに気にしないが、この女──院内ダッシュしかりどこか抜けている。
「それじゃ、話ってのを聞こうかしら」
クチャクチャと、ガムを噛む音が聴こえる。やっぱりちょっと気になるかもしれない。
「翠ちゃんのことなんでしょ?」
「ああ。同時に僕のことでもあるんだが」
話が早くていい。あまりここで長居すると、死にたガ―ルが目覚めて僕の不在に気づかないとも限らないからな。
「先に言っておくわよ。私にはナ―スとしての守秘義務があるわ。だから彼女の病気については話せないから」
「それを今聞くつもりはない。無知なほうが抗える場合だってあるからな」
そう。少なくとも始まりは蒙昧でいい。我田引水だからこそ、無謀は無謀じゃなくなるんだ。
「ならなにかしら?」
「矛盾だよ。初めからあった」
僕がここ標病院にきて、隣のベッドにいた変な女の子に出会って、告白して、付き合うことになって。
──まず、そこからしておかしいじゃないか。
「どうして僕の隣が死にたガ―ルだったんだ?」
僕は男だ。それも思春期真っ盛りの。だから無理矢理彼女になにかするような人間じゃないが、病院として普通ならその辺りは考慮するはずだろう。
「僕はこの巡り合わせに感謝してるし、彼女から『死にたい』という一言を聞いたときは至極心が弾んだ。だから考えが及ばなかった。でもほんの少し冷静になって考えれば、すぐにおかしなことに気づいたよ。変じゃないか──同い年の異性を二人きりの部屋にするなんて」
重ねて言うが、僕は彼女と出会えて良かったと心から思っている。退院まで退屈しそうにない反抗対象をみつけられたし、恋とはなにかを知るなんて大層な目標もできた。
だから異議はない。でも謎はある。もしかしたらその矛盾に、彼女に生きる希望を見せるためのヒントがあるかもしれない。そんな小さな期待からの追究だった。
「それがあなたの聞きたいこと?」
「ああ」
咀嚼をやめ、顎に手を当ててう―んと唸る北条。そして彼女はやがて、若干悪びれながら口を開いた。
「……残念だけど、それもたぶん守秘義務に当たるわ」
「ということは、それは死にたガ―ルに関係することなんだな」
「うっ……それは──」
「なにやってんだい、あまのじゃくとバカナ―ス」
背筋が凍った。恐る恐る振り返る。そこにいたのは──。
「ば、化けも──」
「お、おば──」
「殺すぞ」
その剛健な顔を懐中電灯で下から照らしてこちらを睨む、闇夜に浮かんだマッチョさんだった。吐かれたとてつもなく似合う一言に僕と北条は言葉と息を飲み込み、咄嗟に心身の危険を感じて逸らした視線には、相変わらずピチピチの白衣が映る。
「片方はもうとっくに就寝時間、片方はまだ仕事中のはずだ」
「ア、アリスさんこそどうして……?」
北条が引き攣った声で問う。昼間のトラウマは簡単には消えないらしい。
「巡回だ、と答えておいて、質問に戻ろう」
尋問の視線が飛んでくる。嘘をついても意味はなく、正直に答えようとして、
「……いや、見え透いたことか」
質問の主に止められた。
「妙に勘の鋭いおまえのことだ。その話は私がしてやるから、北条、おまえは巡回に戻れ」
「えっ、いいんですか? 教えても」
「こいつにだって関係することなんだ。知る権利だってあるだろう」
「……わかりました。なら私は戻ります」
途中から僕を置き去りにしてトントン拍子で話が進み、最後に北条はもう一度ブル―ガムの礼を言ってから懐中電灯を拾って去っていった。
ドサリ。いかにも重そうな腰を、北条が座っていたソファ―に下ろして電灯を机上に置くマッチョさん。
僕としては明答が得られるなら、相手は誰でもいい。できることなら臆せず話せる北条のほうがよかったけれど。
「一応言っておきますけど、部屋割りのことです」
「ああ。翠の横をおまえにしたのには、推測通りちゃんと病院側の──というより私個人の意図がある」
いきなり背後に立たれたときはそれまでの観念を廃絶して心臓が止まるかと思ったけど、こうして向き合えば、暗さがマッチョさんの恐ろしい顔を隠して恐怖を半減させていた。強ち暗いのが、つまり怖いにはならないことを知った。
「私は────彼女を一人から救い出してやりたかったんだ」
不要に焦らすことなく、すんなり顔を出した理由。
「ここは決して小さくはないが、かといってそう大きな病院でもない。ただでさえあの子と年の近い患者は少ない。加えて、その少数は皆あの病室に入ることを嫌うんだ」
「なぜ?」
話を急かす相槌。そして知らされたのは、僕を戦慄させる事実だった。
「あそこが呪われた病室だからだよ」
おいおい。そんなの僕は、今の今まで欠片も聞かされてなかったぞ。
「少し前までは、具体的には翠が入室するまでは、あそこにも大勢の患者がいたんだよ。皆年齢はあの子よりずっと上で、彼女が本質的に一人だったのは変わらないけどね」
なんだか、北条のにわか語りよりよっぽと怪談めいている気がする。
「ところが彼女が入院した今夏から急に、一人、また一人と患者が死んでいった。それまで凄く安静で、死ぬような病じゃない人間もだ。残ったのはあの子だけ。転室の話もあったが、あいつは『このベッドから見える景色が好きだ』と言ってそれを断ったよ。ここは三階。見えるのなんて、精々駐車場隅の散り行く残り少ない枯れ葉くらいだろうに」
呪われた病室。ありがちといえばありがちだが、王道故に、そういう迷信を信じない僕でも相応の恐怖を感じた。
そこで過去談は終わった。終わらされた。だから僕はそこに潜む悪しき可能性を言及する。
「『呪い』は部屋だけか?」
元より隠せるとは思っていなかったらしい。
「いや、あいつ(翠)もだよ。心ない患者は、あの子のことを陰で”死神”と呼んでいる」
マッチョさんは早々に白状した。
死神──そりゃ近づこうとしないわけだ。
「……」
これだから迷信は腹が立つ。ありもしない、仮にあるとしても明確な根拠もない。そのくせ驚異的な速度と範囲で風評被害の元をバラまく。そんなくだらない曖昧さなんかのせいで、彼女は残り少ないとされる生を、これまで一人で過ごしてきたのか。
もっと早く僕に代わる存在がいれば、もしかすると終わりを宣告された今でもまだ、彼女は抗うことをやめていなかったかもしれない。
「これがおまえの望んだ真相だ。おまえが翠を退屈しのぎに利用しているように、私も翠を孤独から救うためにおまえを利用した」
なるほど、物事はうまくできている。巧みに理不尽を隠して。
「だが、これから先の行動はおまえに任せよう。どうする?」
マッチョさんは腰だけでなく、その大きな背中もソファ―に預けて大木宛らの腕を組む。
「その問いは、僕が部屋を変わるかの”どうする”ですか? それとも死神を見捨てるかの”どうする”ですか?」
「両方だ」
この人はまったく……体格に似合わず存外狡猾で嫌になりそうだ。知性を有した獣ほど向き合いたくない敵はいない。
「無知な人間には、本来いくらでも我田引水に嘘を宣える。でもマ……アリスさん。あなたは僕の性格を見定めた上で、あえてそのことを話したんでしょう?」
マッチョさんは皮肉に笑う。それは肯定。なら、僕がどう答えるかも知っているはずだ。
まったくまったく、嫌だよ嫌だ。
「論外だ。僕は”どうもしない”ことで、その空虚な呪縛に逆らいますよ」
「捻くれたおまえならそう言うと思っていた」
やっぱりな。マッチョさんは期待通り物事が運んだ故か、不鮮明な視界でもハッキリわかるレベルで破顔する。
「なら一郎、おまえは死ぬ気で翠の少ない人生に付き合ってやれよ」
「嫌だね。僕が死んだら誰が死にたガ―ルを生かす? 僕はなにがなんでも生きる気で彼女を生かしますよ」
「……つくづく面倒なやつだな。まあ、今はその答えでいいさ」
僕は、間違っていたのかもしれない。ふいにそんなぼんやりとした、霞混じりの考えが浮かぶ。
「アリスさん、あなたは……」
「ん? どうした?」
屈強な肉体。簡単に命を狩れそうな気質。生殺与奪の現場で働く彼女は、立場上やむを得ずだろうと個を諦めて多に集中していることに変わりはないと思っていた。だが――――。
「あなたは彼女を……死にたガ―ルのことを諦めてはいないのか?」
死という枠で括って切り捨てたなら、普通ここまで彼女を心配するだろうか? どうしようもない医学の壁にぶち当たり、助けられない自責に苛まれているとして。見るからにベテランオ―ラを纏っているこの人が、ここまで一つの命に執着するだろうか?
「フン、わかってないねぇ」
愚問だとでも言いたげに軽く鼻が鳴らされる。そして悠々閑々と構えていたマッチョさんは、背だけ浮かせて口を開いた。
「私は諦めて立ち竦むのが大嫌いなんだよ」
垣間見える勇ましき志。なればこそ、矛盾も浮き彫りになる。
「だったらどうして彼女に餞別を贈る? いや、仮に今までの贈呈物に宿る魂を僕が読み違えていたとして、それは死にたガ―ルも同様だった。いくらあなたがあれを現世へ繋ぎ止める縄だと主張しても、本人にその思考が届いていなければ、それは役目を果たしているとは言えない」
『なんでもいいです』で切り捨てられた僕に本来言えた文句じゃないんだけど。
暫時重さを感じる間を作り、マッチョさんは言う。
「……そうさね。確かにあれは死ぬのが決まった彼女への供物だよ────今はね」
そこにはほんの僅かな、顕微鏡が必要なくらい小さな、だけど確かに光を放つなにかが宿っていた。
「翠が助かる見込みは医学的に見て、現状ハッキリ零パ―セントだ。だからってなにもしないのか? そりゃ最悪だよ。見捨てたのと一緒だ。だから私はあいつを救う手立てを思案しながら、拙い優しさを押しつけていたのさ。もしなにもできずにあいつを死なせても、そのとき『なにもしてやらなかった』で終わらないためにね」
暗闇で生へと導く眩い光が”優”ならば、黄泉へと誘う行灯にも”可”くらいの価値はあるよ。そう答えを締めくくり、さらに僕へ有無を語らせず捕捉した。
「だが結局それは信念の押し売りで、その結果は良くても”可”だ。私なりにこの行動は諦めから離れた位置から選りすぐった選択肢だが、捉え方によっちゃ違ってくる。私にもなにが最善かなんて、つまるところ全然これっぽっちもわかっちゃいないのさ」
真夜中の病院には、彼女の腹から出てくる声はよく響く。
「だから一郎、私は確固たる自信を持って翠や私に無謀を語るおまえに託したんだ。あいつの未来を。私が信念を曲げて結果が”優”になるのなら、それほどいいことはない」
ほんの暇潰しにと始めた余命への抗いは、軽い気持ちで宣った僕を押し潰すかのように、多大なる責任となって降り注いだ。
命に触れるという意味。命に触れたという現実。少しずつ、まだまだ形とするには朧すぎるが、それを僕は漠然と実感する。
マッチョさんだけじゃない。何人もの人間が何百何千の時間をかけて関わってきた彼女の病に、ぶらりやってきた人間が一番近くで核心に携わる。その愚かさたるや計るに及ばず。
誰かの未来を弄ることは、それに関わる全ての人の未来に手を加えることなのだと、宣言した後になってようやく理解する。要するに自分はバカなことをしたのだと、バカバカしいほど遅れて知った。
碌な覚悟もせず、抗いたいという好奇心で物事を進めたんだ。
「同感ですよ。僕も諦めるのは嫌いだ」
────ならその覚悟、今決めればいい。あまのじゃく故につい口を突いていた反逆の言葉を、多少なり成り行き任せになっていた僕の意志を、もう一度責任を持って宣えばいい。
「言われずとも僕は死にたガ―ルを生きたガ―ルにして、彼女に抗う心を目覚めさせる。そして共に一生を歩いてみせるさ」
無知蒙昧なまま、僕は責任を持って無鉄砲ならずしての無謀を宣言した。
「よし。なら本当に翠のことはおまえに任せたぞ、あまのじゃくボ―イ」
返事は皮肉か認定か。あるいは両方か。
†
──密談を終え、僕が陣取る車イスをマッチョさんが押す。つい筋肉が暴走して。なんて恐ろしくてクスリともできない冗談がかまされることもなく、無事彼女のいる病室へと戻ってくることができた。
「とにかく静かにお願いします」
「わぁ―ってるよ」
似合わぬ、というと今更だが失礼か。ゆっくり扉がスライドされていく。そうして僕の目に映ったのは、
「お帰りなさい、一郎さん。ニコリ」
「……!」
ベッドの上でいわゆる女の子座りをして淑やかに笑う死にたガ―ルだった。昼間わらび餅を持って帰ってきたときとまったく同じ迎え方に、ややマシになった羞恥を抱きつつ、僕はマッチョさんの存外的確な介護の下ベッドに座りつつ尋ねる。
「ごめん、起こしたかい?」
「そうかもしれませんし、違うかもしれません。目を覚ましたのは一郎さんがいなくなった後だったので。ナゾナゾ」
ほうほう、質問ではなく曖昧な回答の場合、ハテナではなくそうなるのか。そんなくだらない考察を、会話中に交えてみる。
「どこにいっていたかは──」
「心配しないでください。そんなことを一々詰問したりはしません。こと病院では、各々が様々な事情を抱えていますから」
いやはやなんとも。良くできた子である。
「それじゃあ思春期の童共。妙な気は起こさずすぐに寝るんだよ」
一波乱招きかけない危うい茶化しを残してマッチョさんは部屋を出、消していた電灯に明かりを灯して響く足音を遠ざけていった。
「はぁ」
また死にたガ―ルの顔色に変化があるかもと考えたが、意外にもなにやらワクワクした面持ちで自分のベッドの脇にある棚を漁っている。訝しく思い見ていると、出てきたのはマッチョさんや北条が持っていたのよりは一回り小さな懐中電灯と、それに照らされ見えるトランプ。
「目が覚めちゃいました。こんな時間に彷徨いちゃうってことは、一郎さんもですよね?」
「あ、ああ」
僕はキミがなぜ隣にいるかという謎を解明するべく予定を立てて行動していたなんて言えないし、この頷いて欲しいオ―ラ全開でこちらを見る煌めいた瞳を目にすれば、どうせ断るなんて選択肢は消えていた。
「でもいいのかい? マッチョさんにバレたらどうなるか……」
「そのための”小明(照明)”です。ニヤリ」
あらやだ大胆。彼女はあの人一人を握力だけで葬る生命体が怖くないのだろうか?
「ならいいよ、やろう。けど参加者は二人、加えて僕は怪我人だ。できることなら素早さのいらないやつがいいんだが……」
「はい。でしたらババ入れを」
「……ああそうだな。二人でやるババ抜きもなかなか乙だ。特に最後の二者択一のところなんか──」
「いえ、ババ抜きではなくババ入れです。キッパリ」
やっぱりこの子、変な子だ。良くできた変な子だ。
────そうして結局、僕らの夜遊びは、時間が夜じゃなくなるまで続けられた。けれどそれは決して無意味で無駄な時間なんかじゃなく。
「ありがとうございます、一郎さん」
そんな切り出しが為されたのは、二匹のぬいぐるみが織り成す劇に一先ずの区切りがついたときのこと。
「なにがだい?」
唐突な感謝に真っ当な質疑で返すと、彼女は至極楽しそうに、嬉しそうに、言葉を添えて破顔した。
「こんな私に付き合ってくれて、です。ニコリ」
「……」
純真無垢で朗らかな笑顔。心からその瞬間を楽しんでいる顔。
「私、何分病弱なもので。今までこうやって長々と遊んだことが皆無なんです。こと同い年の方とは」
「友達は?」
「脈絡から推測すると」
「いないな。いつか切れる繋がりなら初めから結ばないほうがいいなんて考えるキミのことだ。どうせつまらないことをあれこれ思慮して結局作ろうとしなかったってオチだろう?」
「その通りすぎます。よくそうも完璧にわかりましたね。ビックリ」
それで密かに溜まっていた”他人と関わりたい”という欲求が、僕を相手に爆発しているわけだ。
「だからありがとうございます、です」
もう一度、彼女は笑う。至極楽しそうに。
「……」
そんな塵一つ入る余地のない朗らかすぎる笑顔が、これからを憂いて思い悩んでいた僕に、一筋の希望の閃光を見させた。
それは具体的な案を模索していたときとは真逆の考え。というより思いつき。極めて楽観的な、けれど僕にしかできないこと。発見した、未知の可能性。
「どうかしましたか一郎さん? ハテナ?」
性格のひん曲がった人間でさえ、笑っているときはきっと楽しめているのだろう。瞬間を満喫できているのだろう。────そうやって、人は生きている。
心からの笑顔がある限り、そこに決してマイナスの思考は生まれない。どんな形であれ、見つけた”幸せ”を確かに感じているから。なら現実に、生に、この世に存在している僕がそれをずっと死にたガ―ルに与えてやれば、いつか彼女は────。
「……楽しいかい? 死にたガ―ル」
「はい。とても」
──なんだ、簡単なことじゃないか。あれやこれやと頭を捻っても浮かばない案に落胆していたが、答えは存外単純だった。交際している身としての当たり前をすればいい。ただ彼女と一緒に時間を過ごして、ただ彼女を笑わせて、ただ彼女を幸せにして。それだけのことで、よかったんだ。
もちろんこれはあくまで選択肢。数ある中から僕が選んだだけ。確固たる自信を持って正解だとは言えないし、じゃあこれで決定、なんて完全に割り切れたわけでもない。だけど、それでも決められた。以前マッチョさんがそうしたように。僕なりの答えを、とりあえず解答欄に記すことはできた。だったら後はそれが間違いだったと現実に打ちのめされるまで、ひたすら行動すればいい。
思慮の迷走から脱すれば、自然、やる気も上昇する。
「さあ死にたガ―ル、夜はまだまだ長いぞ」
「はい!」
「リトライ・オブ・ザ・トランプゲームだ」
「了解しました。次は神経覚醒です。ズバリ」
「……神経衰弱にしよう」
──さあ、ショ―の本番はこれからだ。限られた時間の中で踊ってやろう。運命なんて名前の舞台をお借りして。バックに流すは愉快な嬉遊曲(ディベルティメント)。始まりますは陽気な喜劇。短い生涯を彼女は精一杯生きました。そんな台本に全力で抗う、結末不確定の日常エチュ―ド。いよいよもって、始まり始まり。
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