うなぎマン

秋霧そら

第1話

「ウナギを食べるな」

 夏。 

 時刻は夕方、とあるスーパーマーケットの海産物コーナー、つい先ほどまで平和だったそこで、買い物客を騒然とさせる者がいた。

 粘液に覆われた鞭のような四肢、テラテラと黒光りする表皮、そして固い決意と悲しみを秘めた瞳。彼は自身を、うなぎマンと称した。


 どよめきの中、血の気の多い中年男性がひとり、無謀にも彼に罵声を浴びせかけた。

「なんだ気色の悪い怪人め! 鰻なら大人しく人間様に食われとけ!」

「人間様とは尊大な態度だな。それは別にいい。だがウナギを食うなと僕は言ってるんだ」

 冷静に答えるうなぎマン。粘液をまとった手を、宥めるようににょろにょろと動かしている。

「なんで食っちゃいけねえんだ! 鰻なんて腐るほどいるだろ!」

「ウナギは乱獲が原因で数を減らしている。国際自然保護連合(IUCN)の基準では、ニホンウナギはジャイアントパンダやトキと同じ絶滅危惧ⅠB類に分類されているんだ。今や食べている場合じゃない、保護すべき対象なんだ」

「うるせえ! パンダは食えんが鰻は旨い。人の好きにさせろ!」

 とうとう拳を振り上げた男性。唸り声をあげながら、猛スピードでうなぎマンに迫った。

「待て、危ないぞ」

 うなぎマンは尚も冷静に声をかけたが、時は既に遅かった。

 まっすぐ向かってきた男性はうなぎマンの足跡、ヌルヌルの粘液に足を滑らせ、転んで死んだ。



「ひ、人殺しだああああああ!」

 悲鳴と人の走る音で満ちる店内。「怪人が出た!」と叫ぶ人の声。その混乱ゆえか、海産物コーナーには一人の幼女が取り残されてしまっていた。うなぎマンは幼女を正面に捉えて、ゆっくりと歩いてくる。

「ひぅ、やだぁ」

 恐怖から思わず泣きだす幼女。

 うなぎマンは構わず近づき、腰を屈め、そして――

「ごめんね、怖がらせたね」

 優しい声で謝った。

「僕はうなぎマン。ウナギを守るために生まれた者。小さな子に悪いことはしないよ」

「ほんとう?」

「ほんとほんと」

幼女は少し落ち着きを取り戻した様子だった。しかし周囲を見渡し、再びぐずりそうになる。

「ふぇぇ……」

「ああ、お母さんとはぐれちゃったのか。よし、僕が一緒に探そう」

「ありがとう、ウナギさん」

「どういたしまして」

 幼女に近づきながらも、うなぎマンは決して幼女に触れないよう気を付けていた。ウナギの粘液には毒性がある。皮膚に触れる程度なら問題ないかもしれないが、幼女を傷つけたくなかったのだ。

「……ねえ、さっきの話、ウナギさんがぜつめつ? するとどうなっちゃうの?」

「ウナギが絶滅すれば二度と蘇らない。地球上からウナギがいなくなってしまうんだ」

「じゃあ鰻食べられなくなっちゃうの?」

「ああ。だけど食べられなくなるっていうのは人にとっての問題だし、些細なことさ。本当の問題はもっと大きい。ウナギに限らず、絶滅が起こるっていうのはすべての生命にとって大変なことなんだ」

「どういうこと?」

「生物はすべて互いに関係しあって生きている。代表的なのは食って食われての食物連鎖だけど、生物の関係はそんな単純なものに留まらない。そしてヒトはその複雑な関係のすべてを研究できてはいない、むしろわからないことだらけだ。ある生物がいなくなったとき、それが巡り巡って他の無数の生物にも影響が連鎖する可能性がある。そんなの予測しきれないから、そもそも絶滅は引き起こしてはならないんだ」

「ええと……よくわかんない」

「ははは。君にはまだ難しい話だったね。まあ、ウナギが絶滅したら、ヒトにとって大切なお薬の原料まで無くなっちゃう、なんてこともあるかもしれないってことさ」

「ウナギさんってものしりなのね」

「ああ。大人がものを知らなすぎるのかもしれないけどね」



 すっかり仲良くなって歩くうなぎマンと幼女。

 スーパーの入り口が見えたところで、無数のライトに二人は照らされた。武装した警察官が入口を包囲しているのだ。

「そこの怪人に告ぐ。貴様は包囲されている。怪人討伐のヒーローもまもなく到着する。勝ち目はない。大人しくその人質を解放し、投降しろ」

「早いな、ここが限界か……」

 うなぎマンは幼女に向き合い、屈んだ。

「話を聞いてくれてありがとう。きっと君のお母さんはとても心配している。早く帰ってあげるんだ」

「うん。ウナギさんは? ウナギさんは帰れるの?」

「大丈夫。さあ、早く」

 何度も振り返りながら、歩き去っていく幼女。うなぎマンは粘液を飛び散らせながら、手を振って見守った。


 幼女が警官に保護され見えなくなったその時。

うなぎマンの腕に激痛が走った。

根本から腕が切断されている。その断面は焦げ、ほとんど血は出ていなかった。地面に落ちたウナギのような腕、それを踏みつける若い男。

「熱きヒーロー、ここに見参。人を殺し、幼女を人質に取る、気持ちの悪い怪人よ。俺の火炎刃で始末してくれる」

 超能力を操り怪人を退治する専門家、ヒーローが立ちはだかった。

「ヒーロー、君はなぜ僕を殺す」

「愚問。お前が怪人で、俺がヒーローだからだ」

「話にならないな」

「お互い様だ」

 燃え盛る剣を薙ぎ払うヒーロー。手も足も出ず、徐々に壁際へ追い詰められていく怪人。炎の前に粘液は音を立てて蒸発し、ヒーロー相手に何の意味も為さない。

「鰻がどうとか叫んでいたらしいが、スーパーに並ぶほとんどは養殖ものじゃないか。天然ウナギの絶滅には関係ない。貴様はただ言い訳を作って人を襲っただけだ!」

「養殖ウナギというのは野生で採ってきた稚魚を育てているだけ。人の子を攫って育て、我が子だと言い張るようなものだ。それにこの方法は密漁などの問題にも発展している。今すぐやめるべき悪だ」

「人攫いの悪者はお前のほうだろう。そして、多くの人が鰻を食べたがっている。ならばそれを邪魔するお前が悪だ。俺は人のために戦う! 悪は許さない!」

とうとうヒーローの武器はうなぎマンの急所を捉えた。致命傷を負い、徐々に意識を失っていく。

 うなぎマンにはヒーローが炎の剣を大きく振りかぶるのが見えた。そしてそれが、彼の見た最後の光景であった。



翌日。鰻の怪人が起こした騒動は、全国の怪人出没事件に埋もれ、地方紙にひっそりと掲載される程度の扱いであった。

誰も彼の訴えを聞く者はいなかった。

誰も彼の意思を継ぐものはいない。

「……」

 ただ一人を除いて。




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うなぎマン 秋霧そら @aosoramushi

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