第七話 雨音
二人が部屋を出ると、空は薄墨を流したような灰色をしていた。
「……チッ」
しとしとと降り続ける雨に、アベルが舌打ちをする。雨が好きではない、ということもあったのだが、もっと根本的なこと。――傘が無い。“雨の街”に訪れるというのに、傘を準備していなかった己の抜け具合が恨めしかったのだった。
「なんだなんだ、傘がないのか。存外うっかりしてんだな、お前さん」
そんな二人の様子を見て、フロントから男が声をかけた。仕事上、他の街から訪れる者を相手しているからか、こういった状態はよく目にするのだろう。そして空を眺めるとやれやれと溜め息を吐く。
「どんどん強くなってくるぞぉ、この調子だと。なぁ、お二人さん。警報が聞こえたら、どこでもいい、とにかく建物の中に入れ。そいつは外出禁止のサイレンだ」
空には分厚い雲。日の光など差し込む隙間もなく、先刻から少し強くなった雨のせいで、街灯の明かりもぼんやりと淡い物に変わっている。朝方だというのに、まるで夜のようだった。人の心を不安にさせる、そんな空気が街中を包んでいた。
「靴がずぶ濡れになると思ったけど、水たまりもないんだね」
――二人別々の傘をさしながら、雨音で満ちる街中を歩く。
大通りは水はけがよく、完璧と言っていいほどに整備されていた。事前にアベルが得ている情報では、もともと雨の降ることを想定して作られた街とあり、それは完璧に機能しているのだと二人は思い知らされる。
「これが管理者の手腕の賜物というのなら、感謝もされるのだろうが……。たかだかゴミを捨てただけで死罪となっては、とんだ独裁国家だ」
道中にあった水路でも、水かさが増える様子はない。環境だけで言えば、住みやすい街という評価は確かなもの。『それがどうして、こんなことに』と、リィンは首も傾げていた。
“雨の街”、エマルビア。
世界でも唯一といっていいほどの“大災害級豪雨”を受け止める為に、一人の男が作り上げた街。二人は想像できるのは、おおよそこうして傘をさしていられる程度では、済まないのだろうということぐらい。
そんな街中で、とめどない雨音だけが耳に纏わりつく。
一向に衰えることのない雨脚。最初はちらほらとあった街の住人たちの姿も、皆いつの間にやら建物の中へと入っていた。音と、景色と。まるでアベルとリィンだけが、この世界に取り残されているようだった。
いったいどこから来て、どこに行くのか。
まるでテレビの砂嵐のような、脳内を麻痺させるような音の中で。
アベルはぼんやりと考えていた。
雨の仕組みなんて分かっている。
太陽の熱によって温められた川や海の水分が、上昇気流によって上空へと昇り、冷やされたり溜まったりしてできた雨粒が落ちてくる現象だ。
当然、降るにはその元となる水分を、どこからか持ってくる必要がある。話に聞けば、その時期以外は全く降らないわけでもないらしく、だからこそどこから賄われているのかが不思議でならない。
毎年、全く同じ時期に、全く同じ雨量で降る雨。
アベルがどれだけ考えても答えは出なかった。出る筈が無かった。
いくら技術があろうと、科学が発展しようと解明できない、神秘とも言える現象。だからこそ――“
しかし、そこで思考を止めないのがアベルという男である。この街の“
「……答えの出ない問題だったとしても、途中で思考を遮られるのは
道の真ん中で、二人の行く手を遮るように待ち構えていたのは――大犬の姿をした“悪魔”である。そして、それに輪をかけるように新たな問題が二人を襲う。
「アベルっ! 何か聞こえない!?」
「チッ……こいつは……」
――遠くに聞こえたのは、サイレンの音。
外にいる者を中へと追い立てるような、外出禁止を知らせる警報音だった。
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