第四話 管理者

「おはようございます!」

「…………」


 ホテルの部屋から出てきたのは、柔らかいベッドで熟睡できてウキウキ気分のリィンと、どことなく体調の優れない様子のアベルである。ホテルの経営者である男は、敷地の入り口にあるフロント用の小屋の入り口でラジオに耳を傾けていた。


「ようようお前さんら、昨日の夜はお楽しみだったようで。普通は男の方が満足そうにして出てくるもんだが……へへ……どうやら床の上じゃあそっちのお嬢ちゃんの方が――」

「……死にたくなければ、その下衆な口を閉じろ」


 二人の様子を見た男に、お決まりの下卑た笑いを浮かべて話しかけられ一蹴。男もアベルの殺気を感じて口を閉じるが、ニヤニヤとした笑みはまだ少し影を残していた。


「少し出てくる。部屋には触るなよ」

「まぁ、少し多めの前金を貰ってますからねぇ。好きに使えばいいさ。ゴミさえ出さなければ、この街では何をしようと自由だ」


 男の言うように、ゴミにさえ気を付ければ何も他の街とは変わらない。そうアベルは思っていたのだが――






 二人が訪れたのは、街の中心から少し外れたところにある大きな屋敷だった。インターホンのない玄関は、豪華に設えられたドアノッカーが目立つ、半世紀程古い様式である。


『リィン、中では余計な口を聞くな』

『……うん、分かってる』


 流石に夜では相手方も困るだろうと、ホテルで一夜を明かしてから来たものの、流石に目覚めてすぐだと日もまだ昇りきってない。それでも、ノックするなりメイドが現れ、二人が中に通されたのがつい先ほどの話。


「……全くもって論外だ」 


 大部屋の中は街の景観と同じような、白を基調としたものとなっており、入り口と反対側の壁は全面にガラスがはめ込まれていた。


「ここは儂の街だ。規則に従えないのなら、どこへなりとも出ていけばいい」


 嗄れながらも力のこもった声が、あたりの空間に響く。部屋の一辺に備え付けられたベッドに横になっている老人――エマルビアの管理者であるベンジットだった。


 白い部屋、大きなベッド、そこに寝かされている老人。

 もうよわい八十五の爺だと、自らが語った。


『まるで病院のようだ』と、部屋の一角を見つめながらアベルは思う。


 他の部分――ベッドの反対側で存在感を放ち続けてる大きなピアノと、エマルビアの全景を模した模型、そして壁いっぱいの本棚に収められた多くの学術書。音楽についてのものだけではなく、建築や物理学など幅広い分野に渡っていた。


 ホテルで男が言っていた『わざわざこの土地を訪れ、街を一から作り上げた』という言葉が、アベルの中で真実味を帯びてきていた。


「――違うかね?」

「……管理者だからといって、人の生殺与奪せいさつよだつを握っていいわけじゃない」


 意識をベンジットへと戻し、再び街で行われている“異常”を止めるように言う。いくら規則だからと言って、管理者の権限で処刑が許されるなど、人の倫理の枠を超えていると。


「街に居を構える時の契約にも書いてある。議論の余地はない」

「そんなに人を殺したいのか」


 ベッドに横になったまま、ベンジットはアベルの挑発的な物言いにも反応を示さない。ゆっくりと語られるその言葉に、アベルは視線を外さないまま耳を傾けていた。


「普通の者ならば、街中でゴミを投げ捨てるようなことはしない。そんなことをするのは、モラルの欠けた異常者だけだ。現に、この街で暮らしている者の殆どから不満は出ておらん。何度でも言うが……規則を守れる自信の無い者には、事前に街から出ていくことを勧めている。彼らは死にたくて死んでいるんだろう」


 低く、小さく嘲笑する。『全くもって馬鹿な者達だ』と。ベッドの後ろに控えているメイドは、そんな主人に対して咎める様子は一切ない。一言で表すならば、まさに『忠実』といったところ。


「窓の外にある絞首台が見えるだろう。その表情を見てみるといい、どれも恐怖と後悔に満ちている。おかしな話だ。こちらとしては、望まれたから家や土地を提供しているだけであり、頼んで“住んでいただいている”わけではないのだから――触るなっ!」


 突如、声を荒げるベンジット。そこでアベルは、ようやく老人の顔立ちを確認した。丁寧に切り揃えられた頭髪と、立派ともいえる髭はエマルビアの町並みと同じ白。鋭い視線は神経質さを感じさせ――


 そしてその表情は、怒りに染まっていた。

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