23.雪辱を果たせ五十嵐戦(怒りの救出隊②編)



 ニッと笑う古渡に俺も愛想笑い。


 うわ……どうして目前の性悪女の考えが容易に読めるんですかね。俺はエスパーだったのかなぁ。

 少し移動して古渡が俺の横についた。頬に手を添えられる。軽くかぶりを振って手を振り払うけど意味無し。何をしようとしているのか想像がつくからヤになっちまう。本当の疑問に思うけど、俺と遊んで楽しいか? なあ? 今から彼女の目の前でキスしますよ、オーラを出しちゃってからくさもう。


 チラッと視界端にココロの姿が飛び込んでくる。

 完全に古渡の行為と彼女自身の存在に怯え切っている彼女は、目で判断できるほど震えて下唇を噛み締めていた。

 このままじゃココロが傷付く。彼女は怯えていた。古渡の手によって友達が失った。また誰かを失うんじゃないかと泣いていた。 


 安心しろってココロ。

 俺は自他共に浮気は認めない派。ついでにココロを助けに来たのに、結果的に傷付けるのも気分的に宜しくない。こいつとキスをするくらいなら、不良の靴裏とキスしてやらぁ!

 腕の力を抜いた。ガックンと腕が折り畳まれると同時に角材プラス、相手の足が腹部に直撃。二重のダメージに身悶えしつつ、俺は角材を不良の足下から引き抜いて、握り締めたままブンッと横に払う。


 すると反射的に、古渡はその場から後退。彼女にザマーミロと笑ってみせた。

 「痛みを選んだわけ?」馬鹿な男だと呆れ果てている性悪女に、「その方がマシ」鼻を鳴らしてやった。


「アンタにキスされるくらいなら、是非とも踏まれることを選ぶね。俺って超一途なんで。あ、Mじゃないってことだけは補足しておくよ、ココロッ、もうちょい我慢な!」


 不良に踏まれながらも、口だけは一丁前にカッコイイことを言ってみせる。

 カッコつけ田山と呼ばれてもいい。彼女を安心させてやりたいじゃないか。小中時代に辛い思いをした結果、卑屈思考を持ってしまった彼女。でも自分になかなか自信を持てない彼女のことを、馬鹿みたいに好きだと思う男がいる。それを知っておいて欲しいじゃないか。

 ココロが人質になり、離れ離れになってしまった俺は気が気じゃなかった。好きだからこそ、冷静を欠いてばかりで仲間達にも迷惑を掛けた。弱いところを見せては励ましてもらっていた。


 瞠目する彼女に綻ぶ。

 ココロには一番に言いたい事があるんだ。クッキー食べたぞ、美味かったぞ、また作ってなって……言いたい事が。


「その強気、いつまで続くかな?」


 俺達の気持ちを引き裂くように冷笑する古渡は、根暗ココロを好きになるなんて見る目が無いと悪態をついた後に俺を踏んでいる不良にアイコンタクト。

 頷く不良は足を浮かして、素早く俺の体を蹴り飛ばした。向こうに体を倒してしまう。「ダッセェ」口先ばっかじゃんかよと自分に舌打ち。カッコはつけたけど、カッコつけだけで終わるなんてダサイにも程がある。


 そりゃ俺にはさ、手腕もないし喧嘩も大嫌いで苦手中の苦手。チームの“足”として働いているから、いつもは非戦闘員で凡人くんだ。勝算はあるのかと聞かれたら、いやちょい無理があるって即答する。

 でも今はヤらなきゃなんないんだよ。彼女に真正面から守ると言ったんだから。ボロボロのダサい姿になっても、男田山圭太、腹括ってヤってやらぁ。


 手放した角材を拾って立ち上がる俺は、構えをとってブンと一振り。

 余裕のよっちゃんで俺を見据えてくる不良は相手が本気で掛かってこれないことを察している。そう、下手なことすりゃココロの首に突きつけられているナイフが彼女の喉に食い込むことになる。どうする俺、どう切り抜ける俺、このピンチ……どう対処する?


 すり足で構えをとりつつも、ココロの安否が気になって仕方が無い俺はどうも相手に集中できず。隙を突かれて向こうが踏み込んできた。

 チッ、俺は不良の拳や蹴りを避けたり角材で受け止めるしか成す術がない。「ケイさん!」押され気味の俺に、ココロが声音を張ってくる。それはまるで声援を送られているよう。ココロに名前を呼ばれているんだ。絶対負けたくない。絶対に。



「はぁはぁっ、追いついた……ンの阿呆圭太! ひとりで突っ走ってるんじゃねえよ! どんだけカッコつけたいんだ!」



 怒鳴り声が聞こえた。顔を見ずとも分かる。

 頼もしい助っ人かどうかは置いておいて味方が増えたようだ。

 健太の声の後、「あああっ!」弥生の金切り声も聞こえた。念願の古渡を発見して思わず声を出しちまったというところだろう。ココロの状況下を見た弥生はキッと古渡を睨む。「あんた達サイッテー!」盛大な悪態をついて、ココロを解放するよう唸っていた。


「私の友達になんてことしてくれるの? ハジメといい、ココロといい、あーんただけは絶対許してやんない!」


「んー? あら、貴方。道具になってくれなかった男の彼女。片思いだっけ? 根暗ココロとつるんでいることといい、ヘボ女ね」



「るっさい! 片思いとでもヘボ女とでも何とでも言われていい! けどハジメとココロのことは絶対に……絶対に友達として、片恋を寄せている代表として、仇を取ってやるんだから! それにアンタが思うほどココロ、弱くないよ! ね、ココロ! ココロはまだクソ女を怖がってるみたいだけど、ずーっとこいつに怖じているばっかりでいいの? 駄目でしょ。ココロは小中時代と違って変われたじゃんか! こうやって私や響子、ヨウ達が一杯心配している。みーんなココロを心配して闘っているんだから、ココロも闘わないと!

 胸を張って言って良いよ、ココロは苑田弥生の友達だって。三ヶ森響子の友達で姉分だって。荒川庸一達のチームメートでみんな友達だって。何より、田山圭太の女だって言ってやれば良いじゃん! 胸を張って言ってやれば良いじゃん! そうやって胸を張って言っても誰も離れて行かないよ!

 どう思っているの? 皆のことやケイのこと! お腹の底から叫んでやればいいよ! 古渡に負けない気持ちで好きだって! 古渡に彼氏は渡してやるもんかって!」 



 ただ零れんばかりに大きく瞠目するココロ。

 「ムリムリ」根暗のココロに何を言っても、モジモジオドオドオロオロするだけだと古渡は笑声を漏らす。そうやって月日を過ごしてきた女だから周囲から疎ましく思われ、距離を置かれ、鬱陶しいと思われてきた。根暗に何を言っても無駄だって性悪女は目を細めて口角をつり上げてくる。


「そんなことない! アンタは今のココロを知らないからそんなことが言えるんだよ! ココロを見くびらないで!」


 本当にそうだ。

 古渡は今のココロを知らない。同じように俺は過去の彼女を知らない。知ったとしても評価を下げるつもりはない。だって俺は今の彼女を好きになったんだから。


「ココロは返してもらうぞ。彼女は俺の女だ!」


 対峙している不良を無視し、角材を握りなおして俺は声音を張る。


「行ってケイ!」


 弥生はハジメの被っていたキャップ帽を投げ飛ばす。標的(ターゲット)はココロを拘束している不良の顔面。

 ポフッ、顔にキャップ帽が当たり、ちゃちい攻撃に軽くかぶりを振る不良。その一瞬の隙を見た俺は対峙していた不良に背を向けて駆ける。当然、相手は追ってくるわけだけど、健太が俺を庇うように敵を相手にしてくれたから一直線にココロの下に向かうことができた。


 構えを取られる前に不良の右小手を狙って角材を振り下ろす。

 すると手から凶器のナイフがすっぽ抜けて地に転がる。同時にココロの腕を引っ張って不良と距離を置かせる。瞬く間の出来事にココロは目を見開いて状況把握に努めようとしているけれど、そんな暇もなく俺は彼女の背中を荒々しく強く押した。 

 ベタンとドハデに倒れる彼女は、「ケイさん!」すぐに上体を起こして俺を見上げてくる。答えてやりたいけど、俺は相手の拳を角材で受け止めることで精一杯だ。


「逃げろっ、ココロ……此処からすぐに。弥生の下に行くんだ」


「ケイさん」


「迎えに来るの遅くなってごめん……後で沢山謝るからァアア?! ……わぁーお、嘘だろおい」


 シュンッと振り下ろされた手刀を角材で受け止めたはいいけど、ポッキリと受け止めた部分から真っ二つ。

 そういえば目前の不良はちょいとだけ空手を習っていましたね。は、はは……笑えねぇってマジで! ほんとうにちょっとだけ空手を習ってた腕か?! ジョーダンじゃないぞ!


 嘲笑するガタイの良い不良に、「こりゃまた失礼」てへっと舌を出した俺は急いで真っ二つに折れた片方を相手に投げ付けると、ココロの腕を取って地を蹴る。

 縺れる足を懸命に動かす彼女を弥生の下に置いて、早くこの不良を片付けないと……しかしどうする。相手はマジで強そうだぞ。俺なんて瞬殺されそうだぞ。一階にいるイカバや響子さんなら相手を伸せそうだけど、二人は二人で敵を片付けてくれているし。


 汗が手の平に滲む。

 手首を掴んでいるココロにそのことがバレているだろうけど、守ると決めたからには有言実行。体を張って彼女を守らないと、守らないと! 考えろ、全力で勝てる糸口を見つけろ!


「一階の人数が少なくなっているみたい。ちょっと竜也に電話しよう」


 ふと聞こえてくる古渡のヤーな台詞。

 ヤバイ、古渡は援軍を呼ぶ気だな。五十嵐のところに戦力が偏っているみたいだからな。

 向こうにどれくらい人がいるか分からないけど、数人でさえもこっちに来られたら俺達の不利は確定だぞ。元々人数少ない上に手腕のない面子が三人、いや人質を助け出したから四人もいるんだ。イカバや響子さんだけじゃ対応しきれない。

 それに幾ら響子さんが強いと言っても、やっぱ女性には変わらないからスタミナ切れする可能性だってある。


「駄目!」


 古渡の動作に気付いた弥生が駆け出した。

 だけど余裕の笑みで古渡は弥生から離れる。そして彼女の前にはわりと喧嘩ができそうな不良が立ち塞いだ。


「あっらぁ何処から現れたの?」


 引き攣り笑いを浮かべる弥生に容赦なく不良は拳を振り下ろす。

 間一髪のところで健太が前に出て拳を両手の平で受け止めたから、どうにか弥生は助かったけど古渡は携帯を片手に俺達から距離を置いた。ああくそっ、古渡の携帯を奪わないと厄介も厄介になるぞ!

 でも俺はガタイの良い不良に追われているし、弥生や健太は別の不良で手がいっぱ「任せて下さい!」、突然俺の手を振り払ってココロが別の場所に駆け出した。


「ココロ?!」


 頓狂な声を上げてしまうけど、彼女の考えが読めた俺は急いで彼女を狙うガタイの良い不良を相手にした。

 そいつも彼女の考えが読めたのだろう。邪魔しようとしたところを俺が横からタックルかまして一緒に倒れる。


 余所でココロは、余裕ぶっこいて余所見しながら電話を掛けている古渡に捨て身タックル。

 前触れも無い攻撃に古渡は驚愕の二文字を顔に貼り付かせていた。俺等と同じようにその場で転倒した二人だけど、ココロは逸早く起き上がって古渡の手放した携帯を掴もうと手を伸ばした。すると古渡はさせないとばかりにココロの髪を引っ掴んで手前に引く。

 痛みに顔を顰めるココロは振り返って、自分のトラウマに向かってパンッ―! 平手打ちをかました。予想外の展開に古渡は目を見開き、ココロは手を振り払って携帯を掴むとキッとトラウマを睨んだ。



「私のお友達をこれ以上、傷付けさせません! 貴方に散々苛められてきましたし、その度にお友達を失いました。今でも貴方のことは怖い。だけど、それ以上にお友達が傷付くのは見てられないっ! よくもハジメさんを……沢山のお友達を……何よりケイさんを!  私の好きな人を利用しようとしたことは絶対に許しません。キスなんて言語道断です! 未遂でも目を瞑れません! だって私は誰よりもケイさんのことが好きなんですから―――ッ!」



 ココロのダイダイダイ大告白が倉庫一杯に響き渡る。

 不本意ながらも赤面してしまった。いや、だってほら、な、真面目な場面でガチ告白をされてみろって。どんだけ彼女が俺のこと想ってくれているのか、マジマジと感じさせてくれるじゃんかよ。どうしよう、今すぐにでも彼女を抱き締めたいとか思う、馬鹿な俺がいるんだけど。喧嘩もまだ終わっていないのにさ。


 ハァハァっと肩で息をするココロは、トラウマに向かってザマーミロとばかりに舌を出す。

 息を吹き返した古渡はココロの思わぬ反撃に血がの上ったのか、平手打ち返しを彼女にかました。そして言う、携帯を返せと。返すわけないと平手打ち返し返しをするココロは、鼻を鳴らし古渡の携帯を思い切り手摺の向こうに投げた。

 此処の倉庫は中央が筒状になっているから、手摺を越えたら一階を見下ろせる。ということは手摺向こうに投げられた携帯は必然的に一階に落ちるわけで?


 カンッ、小さな物音が一階から聞こえてきた気がした。見事に携帯が一階に落ちたようだ。


 「根暗めっ!」馬乗りになってココロに襲い掛かる古渡は、なりふり構わず彼女の細く白い首に手を掛けた。こんの馬鹿野郎! キャツはココロを殺す気か! 頭に血が上ったとしても、そりゃやっちゃなんねぇことだぞ巨乳さんよ!

 「ココロ!」不良を押さえながら叫ぶ俺の脇をすり抜けて、彼女の大ピンチを助ける救世主ひとり。誰よりもハジメの仇を取りたがっていた弥生だ。

 地を蹴って飛び蹴りを古渡の背中にお見舞い。よって古渡の手がココロの首から離れた。隙を逃さず、ココロはトラウマの体を押し返し、自力で古渡の下から脱出した。そして二人は肩を並べて古渡を見下ろす。


「ハジメの仇……取らせてもらうから」


「ケイさんやお友達を傷付けた貴方は絶対に許しません」


 怒気を纏う二人に、チッと舌を鳴らす古渡はサッと体勢を整えて駆け出した。

 「あ、待ちなさいよ!」誰よりも早く弥生が古渡の後を追う。途中ハジメのキャップ帽を拾って。ココロも後を追い駆けるけど、足の速さが……な。いや努力は認めるよココロ。古渡に平手なんて強いじゃん。誰だよ自分のこと弱いとか卑下してたヤツ、なあココロ。


 おっと、俺も女子達の喧嘩を傍観している場合じゃない。ちょい空手ができるガタイの良い不良をどうにかしないと!

 俺は敵と距離置くために上体を起こしてBダッシュ。

 さあてどうする。こいつを片付けるには普通に喧嘩に持ち込む、じゃあ勝てないぞ。何か手は無いか。何か手は。

 目を配らせて相手から逃げていると、ふと壁際に連なった鎖が視界に飛び込んでくる。目で辿れば天井中央部に続いているようだ。余った鎖部分が地上に向かって垂れ下がっている。先端にはS状のフックがぶらんとぶら下がっていた。多分機材を固定するためにフックがついてるのだろう。フックに引っ掛けて、機材や荷物を固定するためのものかな。

 長さ的に長いっちゃ長いけれど、普通にジャンプするだけじゃ届かない。向こうの古びた手摺を踏み台にしたら手が届きそう。うん、使えそうだな。一か八か、怖いけどやってみっか!


 急いでS状のフックが垂れ下がっている真下へ駆ける。



「なっ、馬鹿圭太! お前っ、落ちるぞ!」  



 俺の行動を見た健太が止めに入ろうとするけど、もう遅い。馬鹿なことする自覚はあるけどこれっきゃないんだ!

 ギシッと軋む今にも壊れそうな手摺に足を掛けると、フックを掴むために大ジャンプ。足元には一階フロアが見えるけど、ははっ、絶対に下は見ないんだぜ! 俺は藁にも縋る気持ちでS状のフックを両手でキャッチする。勢いづいた俺がフックを掴んだから、ギシギシと鎖は悲鳴を上げて左へと大きく揺れた。限界まで左に揺れた後、元の状態に戻ろうと今度は鎖が右へと向いた。

 振り子の原理で俺は勢い速度・加速度プラス、自分の蹴りをガタイの良い不良さまの右肩にめり込ませる。俺一人の力じゃどうにもならないけど、こうしてスピードが加われば蹴りは何倍も力を発揮する。スピードの重要性はチャリでよーく学んでいるから、これは相手に痛恨の一撃を与えられた筈。


 案の定、不良は肩を押さえて身悶え。

 もういっちょダメージをお見舞いするために、左に揺れる鎖の反動を利用して一蹴り。


 だけど相手は甘くなかった。

 蹴りをお見舞いする前に相手が肩を押さえて身悶えしつつも、構えを取ってくる。宙じゃ動きが取れない。このままじゃ狙い撃ちされるぞ。ピンチの到来に舌打ちしたくなった。

 そして次の瞬間、構えを取ろうとしていた不良の動きが止まる。俺は瞠目した。まさかのココロが前から不良の腰に抱きついて、動きを止めようと体を張っていたんだ。馬鹿、なんて無茶なことを! 相手はガタイの良い不良(♂)だぞ! 古渡と弥生を追っていたんじゃないのかよ!


 「邪魔だ!」ココロは不良に髪を掴まれても、一心不乱に腰に抱きついていた。

 彼女に気を取られているコンマ単位の時間に、フックを手放した俺は相手に会心の顔面蹴りをお見舞い。めりっと靴底が相手の顔に減り込んで、不良はその場に崩れる。俺もフックを手放して蹴りを入れたもんだから、勢いのまま宙に投げ出される。このままじゃガチで落ちる! 後先考えずやるもんじゃないよなっ!


 手摺を通り越して宙に投げ出される俺の体。重力に従って落ちる俺の体にガックンと衝撃が走る。


 地上にぶつかった衝撃じゃない。この衝撃は右肩が脱臼するような痛み。誰かに右腕を掴まれたんだ。

 視線を上げれば、「ううっ重い」喉を振り絞るように呻いている彼女の姿。手摺から身を乗り出して必死に俺の右腕を掴んでいる。


「こっ、ココロ……馬鹿を手ぇ放せって……落ちる」


「ヤですっ。絶対に……放しません」


 そんなことを言っても俺の体重は平均並。

 どんなにココロが俺の手を掴めたとしても、その状況を保てるだけで、引き上げる力があるとは到底思えない。


「ココロ……一緒に落ちて怪我したら洒落にならないって」


 放すよう俺は何度も言うけどココロは頑なにそれを拒んだ。

 本当にもう、こういう時に限って言うことを聞いてくれないんだから我が彼女は! どーしてそんなに頑固かなっ!


「圭太! ココロさん!」


 健太の焦った声が聞こえる。

 俺達の大ピンチに気付いてくれたみたいだ。でも、まだ健太は不良を相手にしてるみたいだ。

 あ、ココロも限界みたい。体が痙攣している。ココロ、マジで手をっ、「うわっつ!」「きゃっ!」どんっと彼女の背中が思い切り押された。なんと弥生から逃げていた古渡が俺達の様子に気付いて、いらんちょっかいを出してきたんだ。「ばはは~い」なんて言葉を餞別にして。

 折角ココロが頑張って引き上げようとしてくれたけど、俺達はあっ気なく一階へと落ちた。悲鳴も何も上げる間もなく、「圭太っ!」健太の絶叫だけを耳に、俺とココロの体は一階フロアへと吸い込まれていったのだった。




 ◇




「圭太! ココロさん! 嘘だろっ、ああくそっ、なんてことしてくれたんだあの女!」



 一部始終を見ていたケンは古渡の行為に地団太を踏み、一階に落ちた二人の身を案じた。

 二階とはいえ、此処の倉庫の層は一つが幅広い。つまり二階だから絶対に大丈夫とは言い切れない高さから二人は落ちたのだ。安否を確認したいケンは目前の不良に、「失せろ!」暴言を吐いて制服のポケットからひしゃげた煙草の箱を相手に投げ付ける。

 微かに怯む相手の懐に踏み込んだケンは鳩尾に肘を入れる。少しでも早く二人の無事を確認したいために、渾身の肘打ちを相手に食らわせた。



 一方で古渡を追い駆けていた弥生は女のやらかした行為に愕然。

 まさかココロの背中を押して、ケイ共々下の階に落とすとは思ってもみなかったのだ。非情な行為を理解した弥生は許せないとばかりに奥歯を噛み締める。よくも大事仲間達にっ!

 ギュッとハジメのキャップ帽を深く被って女に向かって猪突猛進。

 しかし古渡が地に転がっていた折り畳み式ナイフを拾い上げたため、足を止める羽目になる。あれは先程、ケイが不良の手から放させた凶器。古渡はそれを拾うために自分からわざと距離を置いて、逃げ惑う振りをしていたのだ。狡いものだ。


 古渡はぺろっと口端を舐めて、「どうしたの?」さっきの勢いは何処へ行ったのだと挑発。 

 凶器を護身用に持っているくせに、なあにが「どうしたの?」である。

 舌を鳴らす弥生に、反撃の姿勢を見せる古渡は一つに結った長い銀の髪を靡かせて地を蹴った。彼と同じ銀の髪を持っているのに、あの女の髪の色はどうもくすんだ銀にしか見えない。ヒュンと刃を振るわれ、それを紙一重に避けながら弥生は女の髪に率直な感想を抱く。


 同じ銀に染めている髪。だけど何倍も彼の髪の方が綺麗だ。捻くれた彼の髪の方が、何百倍も。

 弥生は自分にこのキャップ帽を託してくれた彼のことを想う。彼は何かと物事に逃げ腰で、自分を卑下したり、理由を付けたりして気持ちを隠してしまう。劣等感に苛み、手腕が無い・チームに使えない奴だからと自分を諌め、己を過小評価。前々からその念に縛られていた彼にトドメを刺したのは、きっと自分。


 ケイと初めて出逢った日。

 日賀野大和が放った刺客から自分を守れなかったと、自力で事を解決できなかったと悔やみ、苦悩し、自責の念に支配されていた。

 ハジメが直接吐露したわけではないが雰囲気がそう物語っていた。それを言うならば自分だって、響子のように喧嘩に腕があればハジメを苦心させるようなことはしなかったと自分を不甲斐なく思ってしまう。

 だけどそれでは前へ進めない。進めないのだ。


(ハジメと私のために、前進するために、一旗挙げてみせる!)


 勝ってもう一度、彼に好きだと言うのだ。

 全力で好きだと言って、そして、ケイやココロのような関係を築き上げたい。強く願う。

 だって悔しいではないか、ハジメの気持ちも自分の気持ちも通じ合っているのに、通じ合っているだけなんて。

 折角なら前に進みたい。女に迫られようとも、間接的に自分を選んだハジメに想い焦がれ、弥生は彼と自分のために勝利を誓う。鋭利あるナイフの刃を見据え、弥生はキャップ帽のつばを掴んだ。


 刹那、自分の懐に踏み込んでナイフを食い込ませてくる古渡を見据える。

 「なに?」驚愕する古渡に、「残念」弥生は細く笑みを浮かべた。自分の体に食い込む筈のナイフの刃はキャップ帽を貫通、ギリギリのところで自分の体に届かなかった。抜く間を与えないために弥生は古渡の手首を捻り、ナイフを手放させると横っ腹を右足で蹴り払う。


「これはココロを甚振った分!」


 次に身を屈ませて、下から上へ顎を手の平で突く。


「これはハジメの分! そしてっ!」


 真正面から腹部に拳を入れる。

 グッと息を噛み殺す古渡に一笑し、「これは私の分」崩れる女の体を見据え、弥生は笑みを作った。パンパンと手を叩き、「立ちなさいよ」腰に手を当てる。


「まだやれるでしょ? 私、ゼンッゼン満足してないんだからね!」


「そーそー。弥生が終わったらうちの分も残っているし?」


 ゆらっと弥生と肩を並べるのは、一階フロアにいた響子。あらかた片付けて上に来たようだ。

 「ココロとケイは?」ざっとフロアを見渡し、響子は二人がいないことに疑念を抱く。「落ちた」簡潔に説明し、でも二人ならきっと大丈夫だと弥生は告げた。まずは目前の女をどうにかしようと響子に言えば、同感だと指の関節を鳴らす。


「女同士、水入らずで喧嘩しよーぜ? ま、卑怯なことはしないさ。サシのタイマンでいこうぜ。先に弥生、行くだろ?」


「当然!」


 だってまだ自分が喧嘩中だし。

 笑顔に悪意を込めて弥生と響子は古渡を見下ろした。古渡はというと、完全に血の気を引かせている。



「うーっわ……女の喧嘩ってこわ。男同士の喧嘩よりもえぐい」


 遠くで傍観していたイカバはケンに加担しつつ思わずポツリと本音。


「まったくです」


 ケンは不良の拳を避けながら、深々と頷いたのだった。


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