20.決戦ノ日賀野戦(死闘⑤編)



 ドン。


 ぞんざいに落とされたような衝撃が体に走った。

 「んっ……」閉じていた重たい瞼をゆっくり持ち上げる。視界に飛び込んできたメッキ剥がれた鉄板床。それから螺子、何かの部品か? あと、視界の端っこに俺が身に纏っている制服とは種類が違う他校の制服が見えた。健太の制服だろう。朦朧とする意識の中でもそれは容易に認識できる。

 背中に重みを感じるのは誰かが俺の背中を踏みつけているから。重たいっつーんだ。俺は敷物じゃないっつーの。

 隣から小さな呻き声。あ、今のは健太の声っぽい。嗚呼畜生、どうやら俺達はフルボッコにされて軽く意識を飛ばしてたみたいだ。「重ッ」愚痴る健太も踏みつけられているっぽい。揃って敷物扱いとか、どんだけー。


「ケイッ! けいっ! クソッ、テメェ等っ、その足を退けろ! クソッ、クソが!」


「おいケン! しっかりしろっ、返事しろ! ああっ、うぜぇんだよ、この手!」


 あ、向こうから……舎兄とトラウマ不良の声が。

 ということは此処は三階か? 三階に運ばれちゃったってカンジ? 声に反応して俺と健太は両肘をついて、どうにか上体を起こそうとする。

 けれど背中から痛烈な踏み付けを喰らってノックダウン。靴裏で背中をグーリグリされる。今なら足ふきマットの気持ち、よく分かるんだぜ。いってぇの。

 どうにかこうにか目を抉じ開けて、俺は状況確認。んーっと……向こうに不良に押さえつけられてる舎兄とトラウマ不良。んでもってこっちに歩んで来ているのは、いかにもボスってカンジの不良。


 へっ、髪の色が紫とか……榊原も紫だったぜ、目前の不良といい、悪役って紫が多いよな。単なる偏見だろうけど。  


「ふーん。お前等にしちゃ、随分地味っこい仲間を持ってるもんだ。こういう系はパシリだよな」


 ははっ、不良らしいお言葉と足の小突きをもらっちまったんだぜ。

 あんたこそ正真正銘の不良だよ、性格ワルソー。


「まぁ。お前等のことだから、こいつ等にも何か長けた能力があるんだろうな。どれ、ちょいそのお仲間を一人消してみようか。お仲間に囚われているリーダーさん方には丁度いいだろ?」


「ざっ、ざけんな五十嵐! ケイっ、けい!」


 アイタタタッ、無理やり体を起こされた俺は五十嵐に胸倉を掴まれたまま移動。 

 朦朧としている中、把握できたのは背に感じる柵と身を乗り出させられている俺の無様な姿。背中がスーッとするのは……強制的に身を乗り出されているせいだろう。三階から落とそうという魂胆だろうか? そんなことされたら最後、本当に天国行きだ。地獄かもしれないけれど。

 抵抗をしたくともできない。嗚呼、駄目だ。体に力がちっとも入らない。痛みに呼吸を乱しつつ俺は宙を見つめる。向こうには高い天井が、古びた天井が見える。


(死にそう……タオル投げて戦闘放棄してぇって)


 思った俺だけどすぐに自分を叱咤。

 馬鹿、ンなことできないだろ。自分で決めただろ、ヨウに最後までついて行くって。

 だから怪我しても這ってっ、這ってっ、はって……「くっ」俺は息苦しさに悶えた。こいつ首を、馬鹿! バカバカバカっ、俺をガチで殺すつもりか! こんな俺でもなっ、地味くんのパシリ系でもなっ、殺したら犯罪なんだからな! 命は男女日向日陰問わず平等なんだぞっ、ああくそっ、息がっ!


「おーっと暴れたら落ちるぞ? けど抵抗しなかったら苦しいもんな? 地味くん」


「ケイッ! くっそっ、五十嵐ッ、テメェっ、テメェだけは!」


「そっちの地味不良くんもやれ。思い切り、それこそ天国に旅立てるよう絞めてやれ。柵から落として天国に飛ばしてもいいけどな」


「ンなっ、五十嵐ッ……貴様っ! ケンッ、ケン―!」


 会話が遠い。

 向こうで健太の呻き声。何をされているのか、俺にはもう……五十嵐の手首を掴んでいた手に力が入らなくなる。意識が今度こそ飛ぶ。息ができない苦しみ通り越して、ふわっとした感覚が。感覚が。


「なーんてな」


 次の瞬間、体を引き戻されて、手を放される。

 両膝崩す俺は仰向けに倒れて大きく呼吸、どうにか酸素を肺に入れ込んだ。胸が焼けるくらいに痛い。苦しみが戻って来た。咳き込んで呼吸を繰り返す俺を、隣で同じ動作をしている健太を、両者リーダーが必死に呼ぶけど、答えられる余裕はない。

 今度こそ意識が飛んでいきそう。踏まれているのは分かっているけれど、蹴られているのも分かるけれど、フルボッコ第二ラウンドが始まったのも分かるけれど……全部が遠い。もう駄目だ。


「ケイっ、頼むから反応してくれ! ケイ……頼むから……くそっ、五十嵐。ケイはもう意識ねぇのに、やめろっ、やめてくれ―――ッ!」


 嗚呼……ヨウの悲痛な叫び声。

 ごめんなヨウ。大丈夫だぜ、なんていつもの調子乗りを言える…元気ねぇや。ちょい今だけ離脱な。今だけ、今だけだから。そう、この瞬間だけ離脱。


「よ……う……」


 俺は最後の力を振り絞って、向こうで喚き騒いでいるヨウを瞳に映した。そしてゆっくりと瞼を閉じる。

 ヨウ、大丈夫、俺は最後までお前について行くよ。俺はお前の舎弟。荒川庸一の舎弟。白紙を望んでいたヨウの舎弟を、今は堂々と口にできるから……だから……ちょっと……だけな。ちょっとだけ――舎弟におやすみなさい。 





――ピクリも反応しなくなった舎弟を前に、何もできずただただ名を呼ぶことしか出来なかったヨウは絶望にも似た感情を噛み締めていた。 

 執拗に殴る蹴るの暴行を受けている舎弟。呼吸はしているようだが、痛みに反応を示さなくなっている。その隣で舎弟の友が暴力を受け、悲鳴を上げている。ヤマトは悲鳴が上がる度に、「くそっ、くそっ!」感情を吐き出して押さえ付けている手を振り払おうと躍起になっている。


 ヨウの憤りがピークに達した。

 五十嵐はあの時の事件の中心人物だった自分達を最後に、こうやって肉体だけではなく精神的苦痛を与えようとしているのだ。自分達の仲間意識の高さを知っているから。

 「チクショウッ」ヨウは柵越しから一階に視線を落とす。倒れている仲間の哀れな姿に感極まって泣きたくなった(でも泣けなかった)。救いなのは一階に女性群の姿が無いこと。彼女たちは目を盗んで外に逃げたようだ。

 良かった、ほんとうに、だけど――!


(シズ、ワタル、タコ沢、モトにキヨタっ……それにケイっ。皆、みんなヤラレちまって。くそっ、俺は何一つ守れなかったのかよ!)


 ハジメの時のように、また!

 力なく四肢を投げ出している舎弟を見つめ、下唇を噛み締めたヨウは絶対に許さないと感情を爆ぜさせた。

 「ンの野郎がぁあ!」押さえつけられている手に噛み付き、怯んだその手を振り払い、背後に立っていた不良に拳を入れ。ヤマトを押さえている不良達を蹴り飛ばし(瞬間ヤマトはケンに向かって駆けた)、敗北が分かっていつつも暴れなければ気が済まなかった。


 せめてっ、リーダーとして。漁夫の利作戦を決行させた主犯を討ち取るだけでもッ、討ち取るだけでもッ!

 自由になった二人に焦ることもなく、寧ろ嘲笑うように口角をつり上げ、仲間を呼んで自分は後ろで高みの見物。再び取り押さえられ、暴行を加えられても、ヨウは暴れた。怒り任せに暴れ、喉が裂けんばかりに声音を張る。



「五十嵐っ、テメェ覚えとけッ! 仲間にした仕打ちっ、ハジメにした仕打ちッ、必ず返すからな。これで終わってたまるかっ。テメェだけはぜってぇに許さないっ、あの時も、今もっ、今この瞬間も―――ッ!」




 ◇



 利二が浅倉達と共に川岸の廃工場に来たのは、それから小一時間経った頃のこと。  

 響子達の携帯で応援要請に急いで駆けつけたのだ。助けを求めに来た彼女達も途中で合流、共に廃工場に赴いた。

 日賀野達の協定チームも一緒ではあったがお互いに争う気などなかった。浅倉達がヨウ達に借りがあるように、日賀野達のために駆けつけた協定チームも借りがあるようで、ピンチという言葉に大層血相を変えていた。

 廃工場に足を踏み入れ、利二は惨状に絶句するしかなかった。一階では血を流している両チーム達。全員が気を失っているらしく、倒れたまま微動だにしない。


「こりゃあひでぇ。敵はトンズラしたようだが……とにかく手当てが先だ!」


 浅倉は急いで荒川チームを運ぶと指示。

 涼や舎弟の桔平、蓮が仲間達と共に荒川チームに駆け寄った。

 利二は次々に運ばれる仲間を見やりながら(こっ酷くやられているのは一目瞭然)、地味友、そしてリーダーの姿を探す。一階に倒れている仲間達は全員運ばれたようだ。ということは二人は二階、もしくは三階にいるのだろうか。


「け、ケイさん」


 ココロが何かに惹かれたのか血相を変えて階段を上り始めた。慌てて利二、彼女の姉分も後を追い駆ける。


 彼女は迷う事無く二階から三階に上り、そして立ち止まって顔面蒼白。

 遅れて二人が上がると、そこには倒れている四人の面子。順にヤマト、ヨウ、ケン、そしてケイが四肢を投げ出して倒れていた。一階にいた仲間同様、こちらもこっ酷くやられ、気を失っている様子。「ひ、酷過ぎる」響子の隣で利二は絶句するしかない。


 血の気を失ったココロがふらふらっと仲間に歩み寄る。まず手前で倒れているヨウに声を掛け、軽く揺すって起きてくれるよう懇願。反応はない。 

 次いで最奥で倒れている彼氏に歩み寄り、両膝を折った。ぐったりと手足を投げ出して倒れている恋人の頭を膝に乗せ、起きてくれるよう懇願。やはり反応はない。下ろしている瞼、額、頬を撫で、投げ出している右の手を取り、優しく握り締めてクシャリと泣き笑いを零す。


「ケイさんのことだから、頑張ってできない喧嘩をしたんですよね。分かっています。ケイさんは強い人ですから……強い人ですから。だから泣きませんよ、筋違いですもの」 


 彼女は声音を震わせ、やられた仲間達の無念を噛み締め、敗北に辛酸を味わい、目を伏せる。


「ごめんなさい。私は弱い人みたいです。ケイさん……ヨウさん……これはショックです……ショック過ぎます」


 ついにココロは背を丸め、膝に乗せている頭を強く抱き締めて小刻みに体を震わせる。

 姉分の響子が彼女の肩を抱き締めるが、ココロはただ感情を抑えていた。泣くなんて惨めな気持ちに、どうしても支配されたくなかったのだろう。利二は田山に勿体ないほどの強い彼女じゃないかと気を失っている地味友に悪態をついた。


「田山……荒川さん……無事でいてくれと言ったのに。言ったのに」


 喪心しているヨウの体を背負い、利二はやるせない気持ちに襲われる。

 この行き場のない気持ち、何処にぶつければいいのだろう。日賀野チームの協定が仲間を助けている最中、利二はヨウの体重の重みを背で感じながら項垂れた。ただただ項垂れていた。




 その土曜の休日。

 地元で名高い不良、荒川チームと日賀野チームが衝突。

 以前から対立していた両チームの勝敗は引き分け。否、第三者の乱入により、文字通り状況は『漁夫の利』と化した。両チームは一部を除き、全滅してしまったのだった。


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